2 彼女が話す十年の記憶
「ふぅ、ようやく人心地つけた。一体何があったのか覚えていないのだが、とりあえず、ありがとう」
「いや、何というか、その、どういたしまして」
ペコリと頭を下げるアレシャだが、先の騒ぎは自分のが引き起こしたものなので素直に喜ぶことはできなかった。曖昧な微笑みを浮かべるのみである。
顔面に飛び散った劇物を綺麗に拭ってもらったルフィナは、ベッドに横たわった体制で上体を起こしていた。少し体調が悪いらしい。長い間眠っていたせいなのか、異臭のせいなのかは知らないし、アレシャとしては知りたくなかった。都合良くルフィナがさっきの事件の記憶を失ってくれているので、触れるつもりもなかった。
「でもまあ、良かったわ。無事に目覚めて」
「ごめん、心配かけた」
「いいのよ。元気ならそれで」
申し訳なさそうな表情のルフィナだが、フェオドラは微笑みながら首を横に振る。言いたいこと、謝りたいこと、話したいこと、色々あったはずなのだがルフィナの元通りの顔を見て、それも全て吹き飛んでしまった。あと、先ほどの騒動のせいで、そんな空気でもなくなってしまった。
なのでアレシャはとりあえず初めに確認しておくべきことを尋ねる。
「改めて確認するけど、お姉ちゃんの身体は大丈夫なんだよね?中にまだミネーが残ってるとかいうことはない?」
「ああ。心が軽い。羽が生えたようだ。こんな気持ちは十年ぶりだよ」
「そう、本当によかった」
アレシャが笑顔を浮かべると、ルフィナも釣られて笑う。何気ないやり取りだが、こんな事の一つがアレシャにとっては堪らなく楽しかった。
「ペトラ、そろそろ皆の食事も終わった時間だと思うんだけど、とりあえずランドルフさんだけ呼んできてもらえるかな?」
「分かったわ」
ペトラはコクリと頷いて、ぱたぱたと部屋を出て行った。それを見送ってから、アレシャとフェオドラはベッド脇の椅子に座り直す。
「久しぶりだな、こうやって話すのは。前に会ったときは正気を失っていてマトモに対話もできなかった。本当に迷惑をかけた」
「だからいいってそんなこと。それにわたしは精神世界でたっぷり話したし」
「精神世界……?すまない、記憶に無いよ」
『当然だな。精神世界のルフィナは、ルフィナであってルフィナでないのだから』
ダレイオスの言う通りだ。精神世界は、言わば人の心。その中に心の持ち主が現れることなど無い。同じ姿を象っていたとしても、それは精神世界の持ち主の化身の様な存在と言える。
そして、アレシャはそんな化身からルフィナの心の内を洗いざらい聞いていた。ルフィナがどんな思いで家を出たのかも、ミネーの力を借りていたのかも、全てだ。
だからアレシャは「それについては改めて話す必要は無い」とルフィナへ伝えたのだが、ルフィナは耳まで真っ赤になってしまう。
「そうか。それは何というか、恥ずかしいな。知らない間に自分の心の内を知られているというのは……」
「ふふ、そうかもしれないわね。でも、自分から話すのも苦しいし丁度いいでしょ?」
フェオドラがそのように問う。実際、自分の思いを全て吐露するというのは中々難しいものだ。頬を掻きながらルフィナはその問いに頷く。そして二人の家族を真っ直ぐに見返した。
「じゃあ、改めて謝らせて欲しい。……本当に、ごめんなさい。心配かけて、沢山悲しませて……ごめんなさい」
ベッドのシーツを握りしめ、ルフィナは深く深く頭を下げた。謝る必要は無いと思う二人だが、ルフィナは十年もの間行方をくらませ、今回の事件における加害者とも言える存在だ。その身に小さくない罪が被さっているのは事実である。なのでこれから再び家族と一緒にいるために、ルフィナ自身にもケジメを付ける必要があった。その第一歩としての心からの謝罪だ。
だからアレシャもフェオドラも、その言葉を正面から受け止める。尚も俯き続けるルフィナの頭を、アレシャが優しく撫でた。
「うん、分かった。また後で迷惑をかけた人にちゃんと謝りに行こう。償いのためにも一杯働いて貰う。それでいいよね、お母さん」
「それがいいわ。自分がしたことの責任は、ちゃんと取らなきゃね。ルフィナも、もう立派な大人の女性なんだから」
『フッ、アレシャも言うようになったもんだ』
それでもやはり、ルフィナの家族は優しかった。厳しく叱りつけられると思っていたルフィナは、驚きで勢いよく顔を上げる。その目には今にも溢れそうな涙が浮かんでいた。
アレシャはそんな彼女の頭をぎゅっと抱き留める。姉として妹の前では強がっていたい。それでも、ルフィナの涙は意志と反してポロポロとこぼれ落ちる。せめてもの抵抗として声を押し殺しながら、ルフィナはしばらくの間、妹の胸の中で泣き続けていた。
そうしてルフィナがようやく落ち着いた頃。部屋のドアを叩く音が聞こえた。
「ランドルフだ。入ってもいいか?」
「待ってました。入っていいよ」
おそらく彼はルフィナが泣き止むのを外で待っていたのだろう。お互い一々それに触れるほど野暮では無いが。
ドアを開いて何事も無くランドルフが現れ、その後ろから呼びに行ってくれたペトラが付いて入って来た。そしてランドルフは身を起こしているルフィナにすぐに目を向け、話しかける。
「おお、ルフィナ。思ったよりも元気そうで何よりだ」
「ランドルフおじさん……。お久しぶり、ではないんだろうけど……まあ、久しぶり。その、ご心配おかけいたしました」
「ああ、固いのはいい。そういうのはもうやったんだろ?俺は苦手だから遠慮しとくよ」
「……ふふっ。そうだったね、ランドルフおじさんはそういう人だった。それじゃあ、余計な事は抜きにしておくよ」
ルフィナが笑い、ランドルフも頭を掻きながら小さく笑みを浮かべた。部屋の中に和やかな空気が流れる。
が、ペトラだけは怪訝な表情を浮かべていた。アレシャがそれに気づいて首を傾げる。
「どうしたの、ペトラ?」
「……何というか、その、あたしの中でのルフィナさんのイメージが、オル・オウルクスで戦ったときの姿だったから……そういう風に笑った姿が想像できなかったというか……」
「ああ、あの時か。悪いことをしたよ。本当にすまない」
「あ、いえ!あれくらいでくたばるような鍛え方はされていないんで!お気になさらず!」
ペトラは手をぶんぶんと振って否定する。しかし、その表情はやや強張っていた。どうやらルフィナの第一印象が強烈すぎたせいで、それが偽りの姿だったと分かっていても苦手意識が残ってしまっているらしい。おそらく、その場に一緒に居たメリッサも同じだろう。こればっかりは時間をかけて解きほぐしていくしか無いとアレシャは思う。
「で、もうアレシャとフェオドラに散々聞かれただろうが、体調は本当に大丈夫なんだよな?」
「それは全く問題ないよ。寝過ぎたせいでふらつくかもしれないけれど、自分で歩けるだろうし」
「そうか」
ランドルフの問いに淀みなくルフィナは答える。心配させないための虚勢というわけでも無いだろう。
その返答を聞いたランドルフは顎に手を当てて考える素振りを見せる。そして、緩んでいた表情を引き締めた。
「それじゃあルフィナ、悪いが少し話を聞かせて貰えるか。お前が家を出た経緯まではアレシャから聞いてる。だから、それからの話についてだ。家を出たお前がどのようにしてデカン帝国へ行ったのか。そこで何があったのか、詳しくだ。大まかな情報はあっても、細かな点までは未だ分かっていないからな」
真面目な仕事の姿勢に入ったランドルフに、その場にいた全員が真面目な顔つきになった。彼らの視線は自然とルフィナの方へと向き、彼女の返答を待つ。
「構わないよ。それで少しでもわたしの罪の償いとなるのならば、喜んで」
「助かる。じゃあ早速だが、順を追って話して貰えるか?」
「分かった」
ルフィナは頷き、自分の記憶の扉を開く。
遡る時は、およそ十年。ロマノフ王国の片田舎にある生家を出たルフィナが辿った軌跡である。
「わたしはロマノフ王国を出て、最初にラインデルク帝国へ行った。冒険者になろうと思っていたから、商会本部があるところへ行くのがいいと思ったんだ。まだまだ子どもだったから、行動理念は酷く単純だったよ。けど、商会本部の試験はわたしが想像していたよりも難易度が高かった。簡単な魔法しかつかえないわたしでは歯が立たず、試験場から逃げ出した」
「確かに、商会本部での試験は他の支部よりも難しく設定しているな。だが、本部に来ていたのか……」
ランドルフが浅く息を吐く。彼が商会長となったのはルフィナの失踪後、幾らか経ってからだった。せめてもう少し早く任についていればルフィナと出会うことができたかもしれないと、少しばかり後悔してしまうのも仕方の無理からぬことだろう。
「それで、お姉ちゃんはどうしたの?」
「さっき言った通り、子どもだったわたしは単純だった。冒険者がダメなら、とにかく強い人の元で教えを請おうと思ったんだ。アルマスラ帝国やベータ王国へも渡り、行き当たりばったりの日々。しかし何者の協力も得られなかった。そうして気がついた時には無一文になっていたよ。そして二年ほど経って、最後の目的地、デカン帝国へ向かう途中で力尽きた」
「それで、そのとき……」
呟くアレシャにルフィナが頷く。ここは以前にも聞いた流れである。
皇帝ルーグが率いるデカン帝国の遠征に同行していた近衛師団長ナラシンハ。彼が行き倒れていたルフィナを発見することになる。そしてルーグが、ルフィナの内に眠るかなりの魔力量に目をつけ、デカン帝国まで連れ帰ったのだ。
「ルーグがわたしの魔力量に目をつけたのは、当時デカン帝国が進めていた研究の被験者に相応しいと思ったからだ。その内容については知っているのかい?」
「魔力を注ぐことで人間を強化する研究だったか?」
「ああ、そうだよ。とある領家の娘から奪った力を解析し、大量の魔力をコントロールする方法を確立したと、後に彼は自慢げに語っていたよ。で、詳しい内容だが、皆がどこまで知っているのかわたしは把握できていないから、全て一から話すことにしようか」
「ああ、頼む」
ランドルフが頷き、他の三人も釣られて頷いた。アレシャが水をついで差し出し、それを飲み干してからルフィナは話し始める。
「ルーグに拾われ、わたしはデカン帝国へ連れて行かれてた。寝床と食事を与えられ、回復するまではそれなりに良い待遇だったよ。しかし、回復するなり実験室へ放り込まれた。その日がわたしの人生の転機だったと言える」
「な、何をされたの?」
「心配しなくていい。何をされたということもない。わたしはすぐさまルーグの作った装置に寝かされ、魔力を注入された。元々から魔力量を多く持っている人間に魔力を注入すれば、通常よりもかなり大きな強化が期待できるとルーグは思ったようだ。結果、わたしはこれまでのどの被験者よりも強大な力を得た」
「なるほど、ルーグの期待通りの展開となったわけね」
ペトラがそう口にするも、ルフィナは首を横に振った。その言葉に否定されるべき点が見当たらなかったアレシャが首を傾げていると、ルフィナがそのワケを話す。
「わたし自身の強化は、他の被験者とそう変わりなかった。けど、その時なんだよ。わたしにミネーの魂が宿ったのは」




