エピローグ 彼女は愛を語る
そこには人の気配はない。
そこには月の明かりだけしか無い。
風化しかかっている大きな椅子だけが鎮座している。
その隣の一つの瓦礫に、彼女は腰掛けていた。生きる人の気配の無いその椅子を、うっとりとした笑みで見つめる。
「懐かしいな。久しぶりにここへ来た」
その呟きに答える者はいない。ただ、遠くから魔物の巨大な雄叫びが聞こえてくるだけだった。それでも彼女は構いはしない。ボソボソと言葉を零し続ける。
「わらわは貴方様を愛している。その凜々しい瞳も、勇敢な心も、鍛え抜かれた肉体も、類い希な魔力の才も、全てが愛おしい。昔、わらわが思いの限りに伝えた通りだ」
そこで彼女は表情を曇らせた。瞳が物憂げに揺れる。
「しかし、わらわの愛はどうしても貴方様へは届かない。どれだけ愛を伝えても、貴方様はそれに応えてくれはしない。そしてその度、わらわの心は握り潰されるほどに痛むのだ。貴方様には、きっとこの心を理解することはできないのでしょうね」
アンニュイなため息を漏らす。月明かりを浴びて輝くその姿は儚さすら感じさせ、見る者を魅了する美しさがあった。彼女は掛け値なしの美女である。彼女の人生の中で男に言い寄られた回数は数え切れない。その回数は、彼女が男を無下にした回数と同じであるのだが。
そんな彼女の唯一の恋は、未だ成就していない。今後叶うこともないだろう。だからこそ、彼女はその恋に狂気を感じるまでの執着を見せているのかもしれない。
「まあ、いいさ。全ては時間の問題。いくら貴方様であっても、今のわらわには敵いはしない。全てを手にできるのも、もう終わりだ」
彼女の表情が再び笑顔に戻る。これからの未来へ思いをはせ、その笑みは輝きを増していった。
「主よ、荷物は全て運び終えた」
「ああ、ご苦労だった」
そこに現れた体格のいい男が彼女にそう報告する。彼女はこれまで根城にしていたデカン帝国にあった自分の所有物の全てをこの場へ持ち出してきていた。これからはこの場が彼女の居城となり、新たに築き上げる王国の中心となるのだ。もはやあんな国に未練も情も何も存在していなかった。元々移るような情など、彼女は持ち合わせてはいないのだが。
「あれも、元のところに戻してくれたか?」
「あの巨大な石ですか」
「石ではない。あの方がいつもそこにいた、言わば彼の臭いの染みついた大切なものだ。ずっと近くに置いておきたいと削り取っていったが、こうしてここへ戻ってきた今となっては、その必要も無くなった。それで、戻してくれたのか?」
「はい。仰せの通りに」
「ならいい。よし、向かうとしよう」
彼女が腰を上げ、男もそれに付き従う。部屋を出て、近くにある上階への螺旋階段をゆっくりと上っていった。そして程なくして、天上が開け、満天の星が広がる。
「ああ、この景色。なんと懐かしい……!草木も人も営みも、全て失われたが、我が脳裏に焼き付く光景と寸分違わぬ。ああ、美しい」
天を仰ぎ叫ぶ彼女の眼前に広がっているのは、どこまでも広大な砂漠。巨大な建造物、その頂点に位置する高台から一望できる無味乾燥な砂礫の大地だ。その光景を彼女は心から美しい思った。
「さあ、いよいよだ!いよいよだ!」
再びそう叫んだかと思うと、彼女は踵を返し上ってきた階段を一気に駆け下りた。元いた部屋へと飛び込むと、駆ける勢いのまま、その部屋の椅子に抱きついた。
「もう少しです。もう少しだけ待っていてください。このミネーめが、貴方様の魂を注いで差し上げますから」
そうして彼女は一層強く抱きしめる。それに対して反応はない。だが、彼女の腕の中には確かな人の形があった。
頑強な鎧を着込み、ぼさぼさの髪は後ろに雑に撫でつけられている。不精髭も生えていて、身なりにはそれほど気をつかっていないのだろう。それでもその身は確かな威厳と覇気を纏っていた。
しかし、たった一つ致命的に欠如しているものがある。その男の身からは生気と呼べるものが何一つ感じられなかった。魂だけが丸々抜け落ちてしまっているような、極めて奇妙な居姿であった。一言で形容するならば、それは人形。極めて精巧な人形のように見えた。
彼女はその人形を更に強く、強く、抱きしめる。
「ダレイオス様、貴方様が蘇る時は、もうすぐそこでございます」
これにて第二部完結でございます。
予定していた1.5倍くらいの長さになってしまって、自分の構成力の無さに愕然としますが、お付き合いいただきありがとうございます。第三部はそれほど長くないと思いますので……。ええ、今度は嘘ではないです。多分。
ただ、これにてめでたくストックが0となったため、一月ほどの書きため期間をいただきたいと思う次第です。更新再開は七夕あたりですね。
また、並行して書き進めていたもう一作を六月中にでも投稿したいと考えています。みんな大好き異世界転移モノです。ただし趣味丸出しです。もしも目についたときは、ちらっと読んでやってください。
それでは、ここまでお付き合いいただき、誠に誠にありがとうございます!




