113 彼らの休息
ずずず……と紅茶をすする音がする。何の変哲も無い日常の様子。つい先日まで悪の『魔王』一派などと言われて追いかけ回されていた彼らだったが、今では落ち着いた日々を取り戻すことに成功していた。
「なんか最近、紅茶しか飲んでない気がするんだけど」
「俺も同じ事を思っていた。最近、尿まで紅くなってきた」
「嘘!?」
「嘘だ」
眼鏡をくいっと持ち上げ、ヘルマンがそう言う。極めてくだらない嘘に騙されたのはペトラ。嘘つきをギロリと睨みつけるが、綺麗さっぱり無視された。
「まあいいじゃないか。アレシャやクリームヒルデが淹れる紅茶は美味い」
「まあ、そうだけど……」
「セイフ殿は紅茶がお好きなのか!なら、私が淹れてこようか!どれくらい飲む?多い方がいいか?よし、ならバケツに——」
「ちょっと待ってくれ。さっきから気になっていたんだが」
ヘルマンが割って入る。割って入らざるを得なかった。彼が気になって仕方が無かったが、あまりにも当然のようにそこにいるせいで触れる事が出来なかった、それでも満を持して突っ込んだもの。セイフの隣の椅子に腰掛け、ぴたっと身体を密着させている一人の女性だった。ヘルマンがズバリ指さす。
「誰だ、それは」
「……ロマノフ王国軍の将軍様だ。『剣帝トラヤヌス』キーラ、名くらいは聞いたことあるだろう」
「ああ、あの……。いや、そうじゃなくて。何故そんなにくっついているんだ。お前、戦場で何を……」
「いや、誤解だ。私はこいつと剣を交えただけだ。だが、それ以来くっついてくるようになって、私も困ってるんだ」
「こ、こま、困ってるのか!?わた、私が無骨で女らしくないからか!?そうなのか!?やはり、私は……」
「ああ、いや、そうじゃない。困ってない。そんなことない。大丈夫だ」
目に涙を浮かべ始めたキーラをセイフが慌てて宥める。その甲斐あってキーラは笑顔を浮かべると、セイフの肩にもたれかかるように身を寄せた。
「……ヘルマン、紅茶に砂糖入れてたっけ?」
「俺も同じ事を思っていた。だが、紅茶はストレートだ」
セイフが白目をむきかけているので、キーラが一方的に好意を寄せているのだということはペトラもヘルマンも察した。しかし傍から見れば、真っ昼間からベタベタといちゃついているだけにしか見えない。そりゃあ、紅茶も甘くなる。
そんな濃厚な部屋の空気を入れ換えようとするように、戸が開け放たれた。
「おお、ここにいたか。全く、前の事務所でも広すぎるくらいだったってのに、ここは広すぎるぜ」
「貴方の頭が足りてないだけじゃないですか?」
「お前が道に迷って魔力感知に頼ろうとしてたってことは黙っといてやるよ」
部屋に入ってきたのは、憎まれ口を叩き合うブケファロスとメリッサだった。その後ろからはヤスケも続いて入ってくる。
そして三人ともゲロ甘なセイフとキーラの姿を見て、見なかったことにした。
「メリッサ、サーラの具合はどうだ?見ていてくれてたんだろう?」
「少しずつだけど良くなってますよ。ライラさんもついてますし、何も心配ないと思います」
「そうか、それならよかった」
「まあお城なんだから、一流の治療師も薬もあるものね。悪いようにはならないでしょ」
ペトラの言うことに他の皆も同意して頷く。
そう、彼女の言う通り、ここは城だ。ロマノフ王国王都モロクにある、巨大な王城である。国王であるアルカディー二世の厚意で、『アルケーソーン』の面々は王城に滞在しているのだ。
アウザー渓谷での大戦から一週間が過ぎていた。戦いの内容については大々的に報じられ、世界中を騒がせている。その騒ぎの理由は、アルカディーが戦場で言い放った“真実”に他ならない。『英雄』が悪であり、『魔王』が正義であると言わんばかりのその内容。動揺するなと言う方が無理というものだ。
ただ、それだけのとんでもスプークは、そう易々とは受け入れられない。今の世論は情報の真偽について常に議論を続けている状態だ。アルカディーが正しいと言う者と、誤りだと言う者、五分と五分というところだった。
なので一段落ついたとはいえ、前の事務所に戻るわけにもいかず、こうしてロマノフ王城を隠れ家にしているというわけである。ここなら、アリア教徒を中心とする反『魔王』を謳う者たちであっても、手を出すことは不可能だった。怪我人や病人が出ている今の状況では、彼らにとっては本当に有り難い限りである。
「サーラ、アステリオス、あとはルフィナさんの三人よね、今動けないのは」
「そうだぜ。サーラちゃんは魔力の使いすぎ、アステリオスはシャッルの能力の使いすぎ、ルフィナさんはもう一つの魂が抜けてから、未だ寝たきり。でも全員何も心配いらないらしい。アルカディー陛下が連れてきた治療師がそう言ってた」
「そのアルカディー陛下はアウザー渓谷へ?」
「ああ、そうだ。ロマノフ国内の混乱も収まったようだからな。王様自ら指揮して、戦場の後処理を進めている。ランドルフさんとダリラさん、ついでに親父もそれについていったな」
そう答えるヤスケの親父——ギンジロウは、ロマノフ王城でアルカディーの説得に成功して以来、アルカディーに強い忠誠心を持つようになった。今回も、「陛下のお役に立てることがあるかもしれねえから、俺はいくぜ!それじゃあな!」と息子に言い残して、アウザー渓谷へ向かったのだと、ヤスケは補足する。
「で、デカン帝国の内情はどうなったんでしたっけ。新聞に出てましたよね?」
「ルーグだけじゃなく、ナラシンハまで消えた。ルフィナの身もこちらにある。中枢を担っていた者が一斉に消えて、宰相が何とか混乱を収めようと奮闘しているらしい。ただ、その宰相含め高官たちは皆、『なぜこうなっているのか分からない』というような事を言っていたらしい」
脇に置いていた新聞を手にヘルマンが答える。『分からない』というのは行政を担う人間の発言としては、余りに無責任なものではある。紙面にもそれを糾弾するような記事が載せられていた。だが、今回に限っては本当に『分からない』のだろう。この場にいる者達は一様にそう考えた。
「きっと、彼らもミネーによって洗脳されていたのだろうな。そして、今回の事件の終わりをきっかけに、洗脳が解かれた」
「アリア教の偉い神官たちはまだルーグを『英雄』だと仰いでいるらしいし、ミネーの洗脳が全部解けたわけじゃないのよね。デカン帝国に関してはもう用済み、ってことなのかしら」
「そういうことなんでしょうね。ミネーとやらの目的を聞く限りじゃ、ルーグの『英雄』としての立場さえ保たれれば、デカン帝国の行く末はどうでもいいみたいですし」
彼らは記事について、そのように語る。その中には、ミネーの名があがっていた。彼らがその名を知ったのは、つい先日。戦に関する報告会を行ったときだった。
皆が戦果を発表していく中で、ダレイオスの語った情報だけは飛び抜けて凄まじかった。全ての黒幕である、ミネーという女。ダレイオスから断片的に聞いただけの情報でも、彼女が正常な人間で無い事はありありと察せられた。特にその目的は理解に苦しむ限りだった。
そんなミネーについての話を思い出して、彼らは一様にため息をつく。今は確かに一段落ついている。しかし、遠くない未来にそんな輩と正面からかち合うことになるだろう。どうしても気が重くなってしまう。
「そんな顔をするな。微力ながら、この『剣帝トラヤヌス』も力を貸そう。私だけでは無い。アルカディー陛下を初めとする、数多くの味方がお前達にはついている。例え規格外の力を持った相手だとしても、たった一人相手に我々が遅れをとるはずはない」
努めて明るい声音で励ましの言葉をかけたのは、キーラだった。相変わらずセイフにくっついていて鬱陶しいことこの上ないが、彼女の言葉は『アルケーソーン』の面々に確かな希望を与える。
今回の一件で、彼らは失ったものもあるが、それ以上に多くの物を得ることができた。それはキーラの言う、力を貸してくれる協力者たちだった。未だ世間の風当たりは強くとも、それを跳ね返せるだけの力が、彼らには備わっていた。考えていても先の見えない事であるし、悲観する必要もない。皆そのように考え、少しだけ気分が軽くなる。やっぱり見ていて腹が立つので誰もキーラへ礼を言わなかったが。
『皆、ミネーとの戦いへの不安はあるだろうが、少しは良い顔つきになった。そこで儂から更に情報を与えよう』
そこで口を開いたのは、口の無い者。ブケファロスが背負っている大剣、リットゥだ。ブケファロスがリットゥを抜いて、全員に言葉が聞こえやすいように頭上へ掲げる。
「なんだ?情報なんかあったか?」
『相棒にもまだ話しておらんことだ。ようやく儂の中でも整理がついたのでな。ここで言っておこうと思う』
「何だよ、勿体ぶって。いいから言えって」
ブケファロスが話を急かす。リットゥも態々焦らすような趣味はない。その場にいる全員へ、こう告げた。
『アウザー渓谷でミネーが完全な復活を遂げた時、儂の中に眠る記憶の全てが蘇った。儂が一体何者なのか、イシュタルとは何者なのか、それも全てだ。ダレイオスの言う、千九百年前の真相も、な』
「はぁー、暇だなぁ」
『これまで相当慌ただしかったのだから、これくらいで丁度いいじゃないか』
「だからこそ暇だと思っちゃうんだよねえ」
『ワガママ言うな』
ダレイオスにぴしゃりと言われ、文句を垂れていたアレシャはベッドに突っ伏す。そして目の前で目を閉じている顔の頬をぐにぐにとつつき始める。
「止めなさい、アレシャ」
「だってぇ、暇なんだもん!」
「だからって、お姉ちゃんの寝てる邪魔しちゃ悪いでしょ。今は起きるのを待ってましょう。ワガママ言わないの」
「お母さんまでダレイオスさんと同じ事言う……」
アレシャが頬を膨らませながら手を引っ込めると、ルフィナは小さく身じろぎして再び寝息を立て始める。そんな姿を見ていると、アレシャもこれ以上文句を言う気も失せてしまった。自然と笑顔が浮かんでくる。
「お姉ちゃんに話したいことは山ほどあるんだけど、また今度でいいよね。機会はいくらでもあるんだし」
『そうだな。ミネーの魂と力を受け入れていたせいで相当な負荷がかかっていたからな。今はそれで眠っているだけだ。多少時間がかかるだろうが、必ず目覚める。その時に思う存分話せば良い』
「だよね、じゃあ今は大人しくしてようかな」
「ほら、紅茶を淹れたわ。一緒に飲みましょう」
フェオドラが近くのテーブルに茶器を並べつつ、アレシャを呼ぶ。それに了解を返して、アレシャも席についた。ルフィナのために間借りしているロマノフ王城の一室。アレシャとフェオドラの二人はほとんどの時間をここで過ごすようにしていた。勿論、いつルフィナが目を覚ましてもいいようにだ。謝りたいことも山ほどあるが、それ以上に昔のように幸せに笑い合いたかった。その日が近づいているかと思うと、待ち遠しくて仕方が無かった。
そして話したいことがあるのはアレシャだけでなく、フェオドラも同じである。ルフィナが目を覚ますのを、今か今かと待ち続けていた。そんな日々を、ゆったりと紅茶を飲みながら過ごす。辛い戦いを乗り越えた事への報酬と言えるだろう。
「あー、美味しいなー」
「ありがと」
『……なあ、アレシャ。私もフェオドラの淹れる紅茶を一度飲んでみたいんだが、代わってくれないか?』
「美味しいなー」
『おのれ……』
まるで聞く様子の無いアレシャに、ダレイオスは恨み言を漏らす。以前は魂の入れ替わりに関して主導権を握っていたのはダレイオスだったのだが、最近では互いの同意の上で無ければ交代が行えないようになってきていた。かつてはダレイオスの方が魂のレベルが圧倒的に上であったが、今の成長したアレシャとはそこまで大きすぎる差は開いていないということなのだろう。あるいは、それだけアレシャとダレイオスとの心の距離が縮まっているということなのかもしれない。そんな心の友の要求を無視して、アレシャは紅茶をすする。
うららかな午後。この温もりをずっと堪能していたかった。だが、アレシャはそれを心から楽しむことができていなかった。心に一つのしこりが残っていた。
「あのさ、お母さん」
「どうしたの?」
「前に言ってたこと。わたし、やっぱりちゃんと聞いておきたいと思うんだけど。お母さんやランドルフおじさんがわたしに隠してること」
「……そうね。話すって決めたものね。でも、これはルフィナにも聞いて貰いたいことだから、ルフィナが目覚めてから話すわ。煩わしいかもしれないけど、少し待ってね」
フェオドラがアレシャを諭す。一度気になってしまえば、ずっと気になってどうしようもない。その隠し事が良い話では無いというのも想像がつく。すぐにでも話を聞いて楽になっておきたかった。それでもそのような事情であるなら仕方ないと、アレシャも素直に聞き入れた。
『なら、私の話もそれと合わせてさせて貰おうか』
「ダレイオスさんの話?」
『ああ。ミネーが黒幕と明らかになった今、私の知るミネーという人物について話しておくべきだと思ってな。千九百年前、あの女が私に何をしたのかもな』
「それは確かに、聞いておいた方がいいね。わかった。じゃあ、その時に」
『ああ』
ダレイオスの提案をアレシャはしかと了承する。ルフィナの目覚めの時の見当がつかないので、それがいつになるかは分からないものの、アレシャはその時を思って難しい顔で紅茶をすすった。
「あ、そうだ、アレシャ。ランドルフが情報収集してる中で聞いたらしいんだけど、『アルケーソーン』のファンみたいな人たちがいたらしいわよ」
場の空気を変えようとフェオドラが口にしたその情報。その効果は覿面で、アレシャは身を乗り出して食いついた。
「ファン!?わたしたちの!?」
「そうよ。世界を敵に回しても戦った勇気に感動したとか、大軍を退けた腕っ節が素晴らしい、かっこいいとか。アリア教徒に聞かれたら怒鳴られそうな内容だけれど、いい話でしょ?」
「うん!そうかぁ、ファンかぁ……。そんなの、今まで考えたこともなかったなぁ……」
アレシャが頬を緩ませて紅茶をすする。ちょっと口の端からこぼれた。フェオドラが「しょうがいないわね」と口元を拭ってやる。ダレイオスはそんなアレシャに呆れたようなため息をついた。
それぞれ心の内に抱えている思いはあれど、そこにあるのはいたって平和な団欒風景。そこに一切の偽りはなく、彼らはその束の間の休息を存分に謳歌するのだった。
そして彼女が目を覚ましたとき、リットゥ、フェオドラ、ダレイオス。彼らの語る言葉によって、物語は終局へと向かって進み始める。




