111 新王国
「ご苦労様。興味深い話だった。さて、一通りの事実が判明したところで問いたい」
ミネーがそう問いかけたのは、ナラシンハだった。彼は眉間に一層皺をよせてミネーを油断無く見据える。
「私に問う?何をだろうか」
「他でもない。皇帝陛下の罪の告白を聞いた、ご感想だ。わらわは知っているぞ、お前がこの場に如何様な覚悟をもって臨んだのか」
ミネーの視線がナラシンハの腰へと移る。そこには一振りの剣が下げられていた。彼の愛用していた剣では無いが、悪くない切れ味をもっており、大抵のものなら切り捨てられる。例えば、人の首とか。
「お前は、ルーグの罪を見定めようとしていた。そしてもし、友が悪の道を進んでいたのだとしたら、その時は己の手で引導を渡してやろうと、そう思っていたのだろう?」
「…………」
ミネーが感情を煽るように話すが、ナラシンハは口を閉ざしたまま、ミネーから視線を逸らさない。だが、それを聞いたルーグは驚きに目を丸くして、ナラシンハへと問いかける。
「どういうことだ、ナラシンハ。お前は私を守りに来たのでは無いのか?お前も、私を裏切るというのか!」
ルーグは立ち上がり、ナラシンハへ詰め寄った。胸倉を掴み上げられ、ナラシンハもルーグへ視線を向ける。しかし、怒りと困惑に震えるルーグとは対照的に、ナラシンハはどこまでも冷静であった。
「裏切るつもりはない。これは、私なりのお前へ対する“忠”だ」
「“忠”だと?」
「友としても、臣下としても、信じる者が誤った道を進もうとしているのならば、己が手で止めなければならない。自分本意な考えであると言ってくれて構わない。だが、これが私にとってのお前に貫く“忠”だ」
ナラシンハがそう言うも、ルーグは相手を掴む手を緩めない。寧ろ一層強く握りしめる。
「まるで理解できんな。斬られれば先は無いと言うのに、何が“忠”だと言うのか。それで?お前の凶刃は我が身を切り裂いてくれるのか?」
ルーグが問う。そう、ミネーが聞いているのもそれだ。ルーグの所行はナラシンハにとって許されざるものであったのか。ナラシンハが剣を振るわなければならないのか。彼は彼自身の“忠”を通さなければならないのか。誰もが、返答を待つ。
が、それは分かりきった問いであったかもしれない。ナラシンハはアルカディーの言葉を聞いて、ルーグに真偽を問いにきた。だが、ルーグの語った内容は、そのアルカディーのものとそう変わらないものだったのだ。
ナラシンハはルーグの手を掴むと、強く振り払う。
「この状況を作り上げた者——そこにいるルフィナの皮を被った者の存在が私には気にかかるが、アレについては後回しだ。まずは私の目的に従って、この戦を終わらせる」
「結局、そうなるのか。余計な問答だったな」
ナラシンハは剣を抜き放ち、鈍い銀色の光をルーグへ注ぐ。ルーグも黙って斬られる気は毛頭なく、槍を手に構えをとった。二人の闘士が、それぞれの獲物を手に睨み会う。一触即発の空気が漂い始めた。
それに触れないよう、ダレイオスは一歩離れたところで行く先を見守っていた。
「物騒なことになってきたが、これが奴の目的なのだろうか」
『奴って、ミネーのこと?』
「そうだ。態々結界で二人を囲って、ルーグに告白を強要した。ナラシンハの目的にもミネーは勘づいていたし、ミネーがこの状況を意図的に作り上げたのは間違いない。だが、その目的が見えない。ルーグとナラシンハを相打ちにさせようとしているのか……?いや、あの女なら両方とも自ら手を下そうとするはずだ」
何とかミネーの真意を知りたい。ダレイオスは脳内であらゆる可能性を羅列していくが、そのどれにも根拠らしいものはなく、どれもがそれらしく思えてしまうのだった。それもそのはず、彼はミネーの真の目的を知らない。確証など持てるはずもなかった。
ダレイオスは一度ミネーの様子を窺おうと、彼女へ視線を向けようとする。そこで、ダレイオスは自分の失態に気づいてしまった。先ほどまで確かにそこにいたはずのミネーの姿が、影も形もなかったのだ。ダレイオスは思考にふけり、ルーグとナラシンハは互いに意識を集中していた。ミネーが消えたことに誰も気がつかなかったのだ。
「くそっ!どこに消えた!」
ダレイオスが魔力感知を広げる。アンブラのように影に隠れたりされなければ、ダレイオスの高レベルの魔力感知なら大方のものは察知できる。姿を消したのは間違いなく、今この瞬間何かを仕掛けようとしているからに違いなかった。事が起きるよりも先にミネーを見つけねばならない。その焦燥がダレイオスの感知能力を乱してしまう。
故に、ダレイオスがミネーを捉えたのと彼女が姿を現すのは、ほぼ同時であった。そして虚空が揺らいでミネーが姿を現したその場所も、ダレイオスを更に焦らせることになる。そこはミネーが戦いをけしかけたはずの、ルーグとナラシンハの間であった。突然の出来事に両者とも目を丸くさせる。
「貴様、どこから湧いて出た!」
「すぐに分かる。さあ、肩の力を抜いて」
強い警戒の色を見せるナラシンハだが、ミネーはそれもお構いなしにナラシンハへと近づいていく。そんな不用意に近づいたりすれば、瞬く間にナラシンハの剣の錆となってしまうだろう。彼もその通りに剣を構え、相手を切り飛ばそうとする。
だが、そこで彼の手は止まった。今、相対している者がルフィナで無いということは明らかだった。だが、その肉体は紛れもなくルフィナのものである。それに気づいてしまったとき、ナラシンハの剣は振るうことができなくなってしまった。
その隙にミネーの右手がナラシンハの胸へと伸びる。その手を視界に入れた途端、ナラシンハの目に驚愕が浮かんだ。その手が底の見えないほどの黒に染まっていたからだ。その黒が、ナラシンハの胸へ吸い込まれるように突き刺さる。
「くだらん真似をするな!」
その言葉とともに、鋭い風切り音。槍の閃きがミネーの肩口を掠めたのだ。反射的に躱したことでミネーの手はナラシンハに届く前に遮られた。そこに絶え間ない連続攻撃が飛ぶが、ミネーは障壁を張ってそれを防いだ。
「何故邪魔をする。わらわが今から何をしようとしていたか、お前は勘づいただろう?こいつはお前の敵のはずだ。止める理由はないはずだ」
「これは私とナラシンハの間でケリをつけねばならない問題だ。くだらん水を差すなと言っている!」
突きだした槍を収め、ルーグが叫んだ。ミネーは手を出す絶好の機会を失い、不快感に顔をゆがめる。
「ルーグ、今のは……」
「あれはこいつの洗脳術だ。お前がこの得体の知れん者に下るなど、私が許さん。お前は私への忠義を通すのだろう?」
その言葉にナラシンハは目を丸くさせた。悪の道に落ちたルーグの口から、そのような言葉が飛び出すなど、夢にも思っていなかったのだ。そして彼は薄い笑いを浮かべる。
「……お前にもまだ、武人らしい心意気は残っていたか。そう言うなら、まずはこいつを止めてからだな。だが、ルフィナの肉体だ。余計な傷を負わせるなよ」
「知らんな」
ルーグとナラシンハ。かつて戦場でともに戦った二人が獲物を手にしてミネーと対峙する。それはミネーにとって想定外の行動だっただろう。激しい感情が彼女の内に渦巻いているのが、その表情から容易に見て取れた。
その間にダレイオスもミネーのすぐそばに陣取り、拳を構えた。
「私も参加させて貰おうか。いい機会だ。こいつにはここで引導を渡させて貰う」
「ダレイオス様まで……。はぁ……。少し荒事になるが、仕方ないか」
三人の強者に囲まれてしまったミネーは憂鬱なため息を漏らす。彼女としてはかなり危機的な状況である。しかし、その割りにはミネーには緊張やそれに近しい感情の揺れは一切見られなかった。それどころか、彼女は表情から怒りを収めると、ニッコリと微笑んで見せたのだ。
状況と乖離した笑みを三人が不気味に思っていると、ミネーが動きを見せた。いや、それはミネーであったのか。三人は困惑してしまう。
「うっ……。ここは……あ、アレシャ?それにナラシンハさんも。……皇帝陛下まで」
「まさか、ルフィナか?」
ミネーの発していた険のある雰囲気が和らいだのを、三人ともが感じていた。目の前にいるのは間違いなくルフィナである。そう察せられた。ルーグとナラシンハの武器を握る手が僅かに緩む。
だが、ミネーという人間を知っているもう一人は、そうはいかなかった。
「お前ら、気を抜くな!罠だ!」
ダレイオスが地を蹴り駆け出す。だが、その身は何かに強く激突した。それはダレイオスの周囲を囲うように張られた、ドーム状の結界であった。中々に強固で、破るには一手間必要そうだ。
「ちっ!時間稼ぎか!」
『ダレイオスさん、代わって!わたしが溶かしてみる!』
「だがお前、もう動けるのか?」
『まだふわふわしてるけど、それでもダレイオスさんよりは早いと思う』
「分かった」
ダレイオスの了解を得て、アレシャが表に現れて魔力を練り上げ始める。結界などの類いであれば、アレシャの溶かす魔力によって解除は容易い。だが、精神世界から戻りたてのアレシャは、その作業にいつもよりも時間を食ってしまう。
その間に、結界の外では事が進み始めてしまう。
ミネーは一瞬だけルフィナに主導権を渡してルーグとナラシンハの油断を誘うや、すぐに主導権を元に戻した。ダレイオスの声によって二人は気を取り直したものの、ミネーにはその僅かな隙も絶好のチャンスとなる。
「おのれ!」
ルーグが槍を突き出す。更に周囲に光の槍を浮かべ、自分の槍と合わせてミネーを四方から串刺しにしようとする。
しかし、その光の槍の全てが、ミネーに触れた瞬間に跡形も無く溶け去った。己の会心の攻めが瞬きする間に無に帰った。その動揺を抱えたまま、ルーグは二の槍を突き出す。
「『英雄』の前にひれ伏せ!」
「これが、『英雄』。本物を知る身からすれば、お前はその足元にも及ばない」
ミネーの感情のない声がルーグの胸に沈み込み、そして彼の渾身の一突きは、ミネーの脇を掠めるだけであった。自分に対する絶対の自信。それを侮辱され、踏みにじられ、ルーグは叫ぶ。反射的に槍を手放す。拳を固める。目の前の忌々しくて仕方が無い女の顔面をぶん殴ってやろうと右腕を突き出した。
しかし次の時ルーグの視界に移ったのは、拳を解いて力なく倒れる自分の胴体であった。
ミネーの手刀がルーグの首へ命中すると、彼の身体は何の抵抗もなく首を空中へ手放したのだ。その断面は、まるで高熱で焼き切ったかのように溶け出していた。そして、怒りに吠える表情のまま、ルーグの首が地に落ちる。
「ルーグゥ!!!!」
ナラシンハが力の限り叫ぶ。そして瞬く間にミネーとの距離を詰めた。握っていた剣は既に相手の頭上に掲げられている。さすがのミネーもそのスピードには冷や汗を流す。
「凄まじい才だ。お前はもしかすると、『英雄』と比較しても遜色ないかもしれない」
「覚悟おぉっ!」
激しい感情に身を任せたナラシンハに、迷いは無かった。ミネーの身体がルフィナのものであることも抜け落ちてしまっている。鋭い一閃が繰り出される。
『いや、駄目だ!アレシャ、まだか!』
「もうちょっと……よし、いける!」
アレシャの手が光を放ち、『魔王』は囚われの檻から解き放たれる。アレシャと瞬時に交代してダレイオスは駆けた。
ミネーという人間は、感情の揺れが人よりも大きい。しかしどんな状況であっても、彼女はどこまでも理知的に行動できる人間だった。故に、激しい感情の動きをよく知っているミネーは、相手の感情を利用する術に長けていた。怒りで形振り構わなくなった相手は御しがたいものであるが、ミネーはそういった手合いも容易く手玉に取ってしまう。
どれだけ剣技が冴え渡っていようとも、激情に身を委ねている今のナラシンハなど、ミネーの前には格好の獲物でしかない。ナラシンハの太刀筋も何もかもお見通しだった。
ダレイオスはそれを知っていた。だから、ナラシンハを止めたかった。しかし、間に合わなかった。
ナラシンハの剣は避けることすらままならない、神速の斬撃を繰り出した。しかしそれはタネのある手品のようにミネーの横をすり抜け、地面に突き刺さる。
そして——
「ご苦労だったな。そして、これからもよろしく」
ミネーの黒い腕がナラシンハの胸に深く突き刺さった。溢れる闇が彼の身を包み込み、支配していく。ものの数秒だった。闇が消え去ったそこに立っていたのは、見かけは何も変わらないナラシンハの姿。しかしその目からは、雄々しい光が消えていた。
「おおらぁっ!」
飛び込んできたダレイオスの拳がミネーへ降りかかる。ミネーはそれを避けようとはしなかったが、直撃することもなかった。ナラシンハが、その拳を剣の腹で受け止めたからだ。そのまま勢いよく振り抜かれ、体重の軽いダレイオスは容易くはじき飛ばされてしまう。
「ああ、ダレイオス様!お怪我はございませんか?」
「……お前の目的は、ナラシンハの洗脳だったのか?何故だ」
ミネーのふざけた態度に反応する気もなく、ダレイオスは問う。ミネーは素っ気ない対応に頬を膨らませながら、ダレイオスの問いについて答えるかどうか悩み始める。
「そうですね、再会の記念ということで、わらわの目的をお話ししましょう。一言で言わせて頂くと、わらわの目的は“王国の建国”です」
「なに……?国を建てるつもりなのか?」
「そう。わらわの理想、その全てをありったけ詰め込んだ国。世界を力と恐怖で傘下に従える、統一王国です」
「そんな、ふざけた計画が……。そのための手駒として、ナラシンハのような実力者が必要だったと?」
ダレイオスは混乱する思考を落ち着けながらも、できる限りの除法を引き出そうとミネーへ問うが、彼女は首を横に振った。
「この男は、言わば賑やかしです。丁度良い飾りはないかと思っていたところに偶然見つけたので、ちょっと捕まえてみただけですよ。なんせ、この男は“奴”によく似ていますから。獅子を彷彿とさせるような勇猛さ、それに相応しい実力。イメージとしてはそっくりでしょう?」
「何を言って……いや、お前が話題に出すような人間はそう多くは無い。まさか……」
「ええ、そうです。この男はアレクサンドロスの代わりです。貴方様がアレクサンドロスの死を嘆いているようでしたから、代わりに横に置いておくのに丁度良いでしょう?」
「…………」
ダレイオスはもはや言葉も出なかった。ミネーという女はまともじゃない。ダレイオスは過去の経験から嫌と言うほど知っていた。だが、ここまでふざけた言葉が平然と吐けるほどに狂っていただろうか。ダレイオスは怒りを通り越して冷静になる。
そしてその冷静な思考は、非常に馬鹿げた一つの可能性を運んできてしまう。思わず、口からこぼれた。
「その国は、王国と言ったな。王となるのは、お前か?」
「まさか。わらわは人を統べるような気はありません。もっとそれに相応しい方がいるでしょうに」
「その者の名を、聞いても良いか?」
ダレイオスの声は少しだけ震えていた。目の前の女の底知れぬ執着心。千九百年経とうとも、未だ薄れぬ恋慕。これまでミネーが、ダレイオスを殺さずに捉えようとしていたこと。それらを考慮してみても、ミネーの頭にある者の名など一つしかない。
「『魔王』ダレイオス。かつてアルケメア王国を統べた偉大なる王こそ、わらわの理想の王国の頂点に相応しい。わらわが夢見るは、統一王国『新アルケメア』にございます」




