109 近づく終幕
「アレシャ、意識はあるか?」
『うーん……。えっと、ここは、現実か……』
アレシャの視界には声を上げて果敢に戦う数多くの人間たちが映っていた。それでアレシャは自分が精神世界から現実へ戻ってきたことを知る。身体に自由がないため、今の身体の主導権はダレイオスが握っていた。精神世界から戻ったばかりの魂は身体に馴染むまで時間がかかるためだ。
『お姉ちゃんは?』
「お前が戻ってくる少し前に落ち着いた。今は気を失っているようだ」
ダレイオスが指さす先にはルフィナが静かに目を閉じて横たわっていた。胸が上下しているため、しっかりと息はしているようだ。しかし、アレシャはその様子に疑問を感じる。
『あれ?お姉ちゃんの意識が無いなら、ミネーの意識が出てくるんじゃないの?』
「私もそう思うのだが、出てこないのだ。本来なら気を失っている者を地べたに放り出したままにしておくべきではないのだろうが、ミネーが出てくる可能性がある以上、無闇に近づくこともできなくてな」
ダレイオスの言う通り、ルフィナの身体は戦場ど真ん中の地べたに横たえられていた。他の兵士達が寄りつかないよう、ヴェロニカやライラが睨みをきかせているため戦火に巻き込まれるということはないが、ぞんざいに扱うのは気持ちの良いものではない。ダレイオスと、隣にいるクリームヒルデの二人が少し離れた場所からルフィナの身体を見守っているという状態だった。
「さて、ここからどういたしましょうか。アレシャは戻ってきたのですよね?洗脳の解除は成功したのでしょうか」
『うん。お姉ちゃんともしっかり話できたし、精神世界の中でミネーも『洗脳亜解けた』って言ってた』
「洗脳の解除は上手くいったそうだ。後々興味深い話が聞けそうだが、今はもう少し様子を窺うべだろう。先に、この戦を終わらせるべきかもしれんな」
ダレイオスが振り返り、周囲の状況を広く見渡す。倒れている兵たちの数も大分多くなってきた。アレシャはあまり考えないようにしているが、死傷者も少なくないだろう。互いの勢力が疲弊しているのは明白であった。そして、『魔王』陣営の大戦力たちは皆、健在だ。彼らが戦場に繰り出せば、『英雄』の連合軍は退却するしか無い。進んで死傷者を出したいのであれば別だが。
「ヒルデ、こいつの事は私に任せろ。お前はエルフやロマノフ兵に加わって、連合軍の掃討にあたってくれ」
「分かりましたわ。極力殺さないように、ということでよろしいですね?」
『ごめん、お願い』
アレシャの意志をダレイオスが代弁すると、クリームヒルデはしかと頷き、戦場へと駆け出していった。次いで、ダレイオスは魔法陣で仲間に通信を送る。
「ライラ、メリッサ。戦場全体を見て、大まかな状況を教えて欲しい」
『かしこまりました』
『了解です!』
快い返事とともに、二人はそれぞれの能力を活かして状況把握に努める。優秀な二人が仕事を終えるまで、そう時間はかからなかった。
『ダレイオス様。高所に位置どっていないため俯瞰はできなかったのですが、見える範囲ではこちらが優勢のように思われます。セイフ様が敵将を下し、掃討に参加していることが大きいようで。アルノー様率いる障壁際の兵たちの損害もあまり多くは無いようです』
『私の見立てでも、こっちの優勢みたいですね。あと、ブケファロスのやつとペトラちゃんの気配を見つけました。ちょっと疲れてるみたいですが、フェオドラさんが上空からサポートしてるので追撃は上手く躱してます。遠くの方でアステリオスとヤスケさんが戦ってるみたいですが……なんか、大丈夫そうです』
「皆、上手くやっているようだな。ありがとう、助かった。それじゃあお前達も連合軍の掃討に回ってくれ。メリッサは引き続き壁の上から弓で攻撃。ライラは思い切り暴れてくれて構わない。ヴェロニカやダリラも同じように頼む。そろそろ終幕にしょう」
『『『『了解』』』』
その通信を聞いていた四人が揃って言葉を返し、指示通りに戦場へ派手な花火を打ち上げていく。立て続けの裏切りによる動揺で、連合軍の兵士達は思うように動けていない。指揮系統も麻痺していた。この分なら、雑兵ならあっというまに一掃できるだろう。
しかし、ミネーの件とは別に、ダレイオスには懸念している事があった。
「さっきの二人の報告。どちらにも、ナラシンハとルーグの話がなかった。一人は剣帝、一人は『英雄』様だ。戦場にいれば嫌でも目立つだろうに、どういうことだ?」
『確かにそうだね。どういうことだろう……』
アレシャも不思議に思って首を捻った。しかし、その疑問はすぐに解ける。ダレイオスの感覚が猛烈な殺気を感じとったのだ。その全ては余すことなく彼自身に向けられている。ダレイオスが咄嗟に障壁を展開すると同時、近くの影から人影が猛スピードで飛び出した。そしてダレイオスの障壁に槍が突き立てられた。鋭い一撃だが、ダレイオスの防御は危なげなく防ぎきる。
「ようやく会えたな……。『魔王』!!!!」
「ルーグか。なるほど、姿が見えぬと思っていたが、影の中に潜んでいたか。光溢れる『英雄』様にしては随分と暗いところがお好きのようだ」
「ほざけ!」
ルーグが槍を引き戻して構え、そこから全てを攻めに傾けた連続突きが飛んだ。しかし手数は多くとも、一発の威力はそれほどでもない。ダレイオスの防御を破るには至らなかった。脇腹を庇って腕に力が入っていないのが原因らしい。大きな外傷は見えないが、ダレイオスはルーグが中を幾らかやられているのだと察する。ランドルフがやったのだろうと、すぐに推測はついた。先の報告で名が挙がらなかった人物で、まがいなりにも『英雄』を名乗れるだけの実力者に大きな手傷を負わせられる者は、この戦場にはランドルフしかいないからだ。ダレイオス自身を除いてだが。
問題はランドルフが討たれていないかだが、それは気にしても仕方が無い。今はこの厄介な男の対処が先決だ。ダレイオスはそう考え、ルーグが槍を引いたところを見計らって障壁を解く。そして拳に魔力を集めた。無慈悲であるが、手傷を負った胴を狙えば一撃で沈むだろう。そう狙いを定めて、ルーグの懐へ飛び込む。
しかし、ダレイオスの拳は空を貫いた。ルーグは拳が命中する直前で再び影の中へ溶け込んだのだ。自分を殺すためにこの場にいるはずのルーグが逃げに出るとは思わず、ダレイオスは舌打ちする。
「いや、完全に逃げたとは考えにくい。もしそうなら、とっくの昔に逃げているはずだ。どこだ、どこへ行った?」
ダレイオスが気配を探るも、見つけられない。ダレイオスは自分を狙う殺気には敏感に反応できるが、こちらから能動的に相手を探す能力に関してはメリッサにも劣る。まして影に潜んだ相手ならば、尚更見つけることは困難であった。こうなれば、出てきたところに転がり込むしかない。そう決断したのだが、既に遅かった。
『お姉ちゃん!』
アレシャが叫ぶのと、ダレイオスがその姿を捉えたのが同時だった。影からぬるりと這い出したルーグは、近くに横たえていたルフィナのすぐ隣に位置取った。
人質にするつもりか。ダレイオスは瞬時にそう思うのだが、ルーグの行動はどうにもおかしい。人質をとったのならば槍を喉元に突き立てるくらいするものだが、ルーグはその様な事は一切行わずにルフィナの身を大きく揺すり、彼女を目覚めさせようとしていたのだ。その不可解な行動にダレイオスも思わず首を捻る中、ルーグは必死の形相でルフィナへ呼びかける。
「おい、目を覚ませ!研究は完成したと言っていただろう?今こそ、それを使うときだ!さあ、早く!私に力をよこすんだ!さあ!」
ルーグはそう叫びながらルフィナの意識を呼び起こそうとする。その言葉の意味するところは分からないが、研究やら力やら物騒な単語が耳につく。
「気になる話であるが……」
『今の内に叩いた方が良いね』
「だな」
ルーグが何か仕掛けてくるよりも先に仕留めてしまうのが最善手だった。手負いのルーグなら、一撃で終わらせられる。
駆けよってくるダレイオスの姿にはルーグもすぐに気がついた。それよりも先に何とかルフィナの意識を戻そうと、ルーグは必死で身をゆすった。
と、その時、その甲斐があったのかルフィナがゆっくりと目を開いた。しかし、意識を取り戻すや否や、ルフィナは両腕を大きく開いて、掌から強烈な魔力の波動を放った。その波動自体は攻撃的なものではなかったが、ダレイオスは反射的に後ろへ飛び退いてしまう。そして、ルフィナの身を睨みつけた。
「この感覚……。どうやら、あいつのようだ」
『アイツって……』
ダレイオスの視線の先でゆらりと立ち上がったルフィナからは青色のオーラが立ち上っていた。アレシャの知る姉とは明らかに雰囲気が違う。その身に巣くうもう一つの魂、ミネーに間違いなかった。
「さて、少しぶりでございますね、ダレイオス様」
「出来ればもう遭いたくなかったのだがな」
「そう仰らず。貴方様への愛の形として、わらわがこの面倒な戦を終わらせて差し上げましょう」
ミネーがそう言って振り返る。そこにいたのは、傷を庇いながら立つルーグだった。ルーグは何とか自分の思うとおりに臣下が目を覚ましたことに、喜びの表情を浮かべていた。
「よく起きた、ルフィナ。さあ、私に力をよこせ。そうすれば、私は更なる力を手にすることができる!神の如き力を——」
ブツリと途切れた。言葉を発していたルーグが、その場所からいつの間にやら消えていた。次いで、何かがぶつかり合う鈍い音。その音の方へダレイオスが視線をやると、そこにはルーグがうつぶせに倒れていた。身体に走る痛みに呻き声を上げている。
そして、そんな彼を見つめるミネー。彼女の掌は真っ直ぐに突き出されていた。ルーグの話を無慈悲に遮ったのは、彼女の手から放たれた魔力弾だった。一瞬でルーグを吹き飛ばし、壁へ叩きつけたのだ。
しかしそこで、ダレイオスが一つ気にかかる。
「ん?壁?周囲にそんなものはなかったはずだが……」
他の兵が近寄れないようにしているとはいえ、ここは戦場のど真ん中。吹っ飛んだルーグがぶつかるような遮蔽物は無いはずだった。そんなダレイオスの疑問を聞いていたミネーは、その問いに答える。
「先ほどわらわが放った魔力の波動。あれは、わらわたちを囲うように結界を張るためのものだったのだ。強度は万全。砕けることはまず有り得ない。そして、外からでは中の様子を見ることも聞くことも出来ない。これより起こることは、あまり他の者へは見せられないものですから」
「そうか、それは便利なものだな」
ダレイオスはそう言って気に食わないと鼻を鳴らす。だが、この結界のおかげでルーグに逃げられる可能性はゼロになった。更に、ミネーはルーグの事を見限ったらしい。先の『戦を終わらせる』という発言からも、ミネーがルーグに“力”とやらを与える気が無いのは明白だ。ミネーの配慮で、ルーグに簡単に引導を渡せる環境が整うことになったのは事実であった。
「それで、お前は何をどうするつもりだ?」
「そうですね。まずは、客人をお呼びしましょう。中々面白いドラマが見られるかと」
「客人?」
ダレイオスがそう漏らすと同時、彼は背後に一つの気配を感じ取った。この障壁の中に、自分、ミネー、ルーグ以外の誰かがいる。何者かと慎重に振り返ると、そこには気高き一人の剣士がたっていた。たなびく緑のマントには獅子の紋章。その瞳には、真の獅子を凌駕する鋭い光がぎらついていた。ダレイオスは彼の姿を見るのは初めてであったが、この戦場にいる顔を知らない人間の中で、これほどまでの覇気を纏った人間は、一人しかいないだろうとダレイオスは思う。
「デカン帝国皇帝近衛師団長、ナラシンハ。主の身をお守りするため、はせ参じた」
そう言葉にする彼の視線は、敵であるダレイオスへは向いていなかった。その視線は、ゆっくりと地面から起き上がる、彼自身の主君へ一心に注がれていた。




