105 妹を思う姉の気持ち
空中を一筋の炎が横切る。その後を追って、魔力弾が幾つも飛ぶが、紙一重でそれを躱していく。そして炎は一点で直角に軌道を変え、真っ直ぐに地面へ向かってきた。
「うおおおぉぉぉぉ、らっ!」
飛行の勢いの乗った拳が飛ぶ。妹から実の姉へ向けられた渾身の一撃であるが、瞬間移動によって容易くよけられてしまう。拳は地面にめり込み、粉塵を巻き上げる。
「やっぱり当たらないか……。一発殴れば目が覚めたりしないかな、と思ったんだけど」
『十年ぶりに会った姉に対する台詞とは思えんが、ぶん殴るのには賛成だな。だが、気を付けろよ。ミネーかイシュタルの力を借りているのか、持っている魔力の量は尋常じゃ無いぞ』
「うん、分かってる」
アレシャがガントレットをはめた手の具合を確かめながら、構え直す。それに対してのルフィナの表情は依然として険しい。その目は明らかに身内を見る目ではない。心からの殺意に溢れていた。例え恨みがあったとしても、妹相手にこのような視線を向けることなどできないだろう。
そのまま言葉を発すること無く手をかざすと、そこから再び魔力弾が連続して放たれた。空へ飛んで躱すが、着弾した地面が融解して抉れてしまっている。アレシャと同じ解かす性質を持った魔力によるものだ。当たればタダではすまない。ルフィナの弾速よりもアレシャの移動スピードの方が高いため、注視していれば当たることはないのだが、余裕の無い戦闘を続けるのは好ましくは無い。
『とにかく、時間を稼ぐんだ。ダリラの準備が整えば、きっと正気に戻せる』
「でも、その魔術を使うのにも大きい隙を作らないとだよね。だったらやっぱり真剣に戦わないと」
アレシャが飛行しながらそのように考えるが、そこでアレシャの持っている魔法陣に通信が入る。
『アレシャちゃん、聞こえるわね』
「ヴェロニカさん!」
『洗脳を解く事に関しては私たちに任せて頂戴。アレシャちゃんは、今は戦いに集中して。私の代わりに頼れるサポートもついてるから』
『アレシャお姉様、サーラです!私、遠くからでも障壁張れるんですよ!連続しては使えないですけど、攻撃はばっちり防いでみせますから!』
『アレシャちゃん、メリッサもいますよ!援護射撃は任せてください!』
「二人とも……ありがとう。それじゃあよろしく!」
頼れる仲間たちの声に、アレシャは力強く頷いた。この戦いはアレシャが望んだもの。自分の手で姉を救いたいというアレシャの願いによる戦いではあるのだが、アレシャ一人で戦っているわけではないのだ。それぞれが与えられた役割を遂行しようとしている。ならばアレシャもそれに則るだけだった。
「お姉ちゃん、何があったのか知らないけど、いい加減正気に戻りなって!ルーグなんかの部下になって、昔のお姉ちゃんなら絶対そんなことしなかったでしょ!」
「知った口をきくな、わたしを姉と呼ぶのを止めろ!それに、わたしはあのような男に下った覚えは無い。あの男の命運も直に尽きる。この戦の動向にも最早興味は無い。わたしは、お前さえ殺せれば問題ないのだ」
『興奮しすぎだ。殺してはならんと何度も言っているだろう』
「ちっ……分かっている。捕らえて存分にいたぶってやるよ」
ミネーから釘を刺され、ルフィナは忌々しげに舌打ちする。その様子からミネーが忠告したのだとダレイオスも察した。相変わらずミネーの目的はダレイオスを自分のものにする事に一貫しているようだ。そして、ルフィナの口から語られた言葉もまた興味深い話だった。ルフィナはルーグに対する忠誠など持ち合わせていないらしい。
『ミネーは私に執着している。私を見つけ出して捕らえるために、一時的にルーグに下ったということか』
「考察は後で!ダレイオスさんも協力してよね!」
『すまない、了解だ!』
なおも魔力弾を撃ち続けるルフィナに対して、アレシャは掌の魔法陣を向ける。そこから炎の鳥が現れ、次々と魔力弾へ向けて飛んでいった。しかし効果は薄く、鳥たちは魔力弾に消し飛ばされてしまう。身を掠める魔力弾を慌てて避けようとするが、サーラの障壁が上手く防御してくれた。アレシャはそのまま再び旋回し始める。
「空中から攻撃していても駄目か……。ならやっぱり地面に下りた方がいいかも」
『私の援護もありますから、好きなように戦っちゃってください!』
「なら、お言葉に甘えて」
アレシャは両手を掲げると、炎を噴射する。その勢いに任せて矢のようにルフィナへ接近した。当然魔力弾の的となるが、サーラの障壁が弾を無力化する。次の弾が放たれる。よりも先に、アレシャの蹴りが地面へ届いた。魔力弾生成中だったルフィナは後方へ下がって回避する。蹴りが地面を大きく蹴り砕いた。
しかし、アレシャはそこで止まらない。ルフィナに追随して拳を振るう。肘から吹き出す炎の推進力が音速の一撃を生み出す。ルフィナは何とかそれを躱していくが、そう長く続くものでは無かった。アレシャの拳が肩を掠め、体勢を崩した。そこに届くクリーンヒット。ルフィナの腹に拳が叩き込まれた。その一撃を貰ってしまうと同時に、ルフィナは瞬間移動でアレシャから大きく距離をとり、膝をついて大きく咳き込む。
ようやく一発入ったのだが、アレシャの表情は浮かない。
『姉を殴るのは辛いか?』
「うん、やっぱり、しんどい。そんなの、なんの理由にもなんないけど」
『そうか』
油断無く拳を固めるアレシャ。腹の中のものを吐き出したルフィナは口元を拭ってよろよろと立ち上がる。その顔には痛みからか憎しみからか、苦悶の表情が浮かんでいる。しかし、程なくしてその表情が変わる。目を丸くさせた、驚きの顔だった。
「痛みが退いていく……。これは一体……」
『わらわからの贈り物、気に入って貰えただろうか。お前の身体に急速回復能力を与えておいた。殺されたりしない限り、お前の傷も痛みも、一瞬にして消え失せる』
「……素晴らしいじゃないか。今回ばかりはお前に感謝しよう」
そしてルフィナの顔に余裕が生まれたのをアレシャは見て取る。ダレイオスも同様に警戒の色を強める。
『さっきの一発は効いたはずだが、ミネーが何かしたようだな。やはり一筋縄ではいかないか』
「ならもう一発!」
アレシャは地面を蹴り、ルフィナへ向けて駆ける。ルフィナも拳に魔力を集め、それに立ち向かう。アレシャが先制の一撃を放った。ルフィナは顔を傾けてそれを躱す。ルフィナが反撃の拳を振るうが、サーラの障壁がそれを防いだ。アレシャはその隙に乗じて右へ回り込む。
「せいっ!」
アレシャの素早い回し蹴りが飛ぶ。ルフィナはそれを拳で受け止めようとする。その手にあるのは、溶かす魔力。触れるわけにはいかない。アレシャは掌から炎を噴出して空中で身体を無理矢理捻ってルフィナの拳を躱し、相手の頭を狙った踵落としに変える。咄嗟の判断はアレシャが上を行き、ルフィナの頭を蹴り抜いた。だが——
「効いたが、効いてないね」
「うっそ!?」
ルフィナはアレシャの一撃を耐えきった。それはアレシャに決定的な隙を生み、ルフィナの渦巻く魔力が迫る。
『アレシャちゃん、右から行きますよ!』
その言葉がアレシャに届くと同時、研ぎ澄まされた魔力の矢が飛来した。空中で四散して二人纏めて貫こうとするが、事前に警戒できたアレシャはガントレットで防ぐ事に成功した。一方、攻撃の姿勢へ入っていたルフィナは対処が間に合わず、左の肩、脇腹に矢を受けてしまった。さすがに踏ん張れず、そのまま横倒しに倒れる。
「お姉ちゃん!」
『待て、アレシャ。近づくな』
思わず駆けよりそうになったアレシャをダレイオスが制止する。実際、ダレイオスが言う通りにルフィナはすぐに持ち直して戦闘態勢へ入った。近づけば不意打ちをくらっていたかもしれなかった。ルフィナは身体に刺さった矢を乱暴に引き抜く。傷口から血が流れ出す。
しかし、その血はすぐに止まった。驚くべき速さで傷口が塞がった。アレシャも、そしてダレイオスも驚きを隠せない。
『人間業ではないな。あれがミネーのした小細工か』
「ちょ、ちょっと安心したけど、マズくはあるのかな」
アレシャが呼吸を整えつつ、ルフィナを観察する。やはり傷は塞がっているように見える。頭へ直撃した蹴りも、もはや効いてはいないのだろう。アレシャはルフィナを戦闘不能くらいにまでは持って行ってければと考えていたのだが、ミネーの強力な能力を前に戦い続けるのは分が悪いと判断せざるを得なかった。
だからアレシャは、再びルフィナへ語りかけることにした。ルフィナが洗脳されているらしい事は分かるのだが、何が起きているのか正確な事は何も分かっていない。洗脳が解ければ全て分かるのかもしれないが、自分を見る姉の異常な殺意の視線のワケをどうしても知りたいとアレシャは思ったのだ。
「『イナンナ』。何でわたしをそんなに敵視するの?ワケを教えてくれないかな」
ルフィナはアレシャに“姉”と呼ばれることに強い嫌悪感を覚えているようだったので、あえて『イナンナ』と呼ぶことにした。相手の感情を逆撫でしないようにとの考えだったが、効果はあった。ルフィナは相変わらず敵意をむき出しにしながらも、口を開いた。
「尚もしらばっくれるか。自分の犯した罪の自覚が無いわけではないだろうに。成りすまそうとしているのだから、お前も知っているはずだ。お前のその身体が、わたしの妹のものであるということを」
「妹……成りすまし……。ダレイオスさん、わたし分かったかも」
『奇遇だな、私もだ。どうやら、そういう事らしい』
アレシャとダレイオスの頭の中に浮かんでいたのは、かつて“死人”の事件を解決するためにペリセポリスの王宮へ踏み入った時のこと。二人はそこで、“死人”の主であるヘリオスと対峙したのだが、ヘリオスは一つの勘違いをしていた。
それは、ダレイオスの魂がアレシャの身に宿ったことで、アレシャの魂は消失してしまった。アレシャは既に死んでしまったのだという思い違いだ。
そして今のルフィナの発言は、その思い違いを彷彿とさせた。
『どうやらルフィナは、私がお前を殺したものだと思っているようだな。ルフィナからしてみれば、妹の敵が妹の身体を乗っとり、妹のように振る舞っているというわけだ。それは殺意も湧くわけだ』
「え、じゃあお姉ちゃんはわたしに恨みがあるわけじゃないってこと?」
『寧ろその逆だ。お前への愛があるからこそ、あそこまで怒り狂っているのだからな』
アレシャは胸中に渦巻いていた不安が霧散していくのを感じた。姉は洗脳されている。そうは思っていても、姉から殺意を向けられている事に強い不安を抱いていた。もしかしたら、本当に自分の事を恨んでいるのではないか。ルフィナの洗脳を解いたとしても、彼女の笑顔が再び自分に向けられることはないのではないか。糊のようにべったりとアレシャの思考に纏わり付いていたそれらが、ようやく晴れた。
『だが、そうだとしてもやはり異常ではあるがな。妹の仇への激情だけで行動しているなら、寧ろ妹の姿、というか妹の身体そのものの相手へこれだけ躊躇いなく攻撃できるとも思えない。手足くらいなら引き千切りそうな勢いだしな』
「じゃあ、やっぱり洗脳はされてるってこと?」
『ルフィナの内にある負の感情を増幅され、“アレシャの死”をより強く思い込まされているということろか。私への殺意を膨らませ、私を襲う駒にした。あの女のやりそうなことだ』
ダレイオスが吐き捨てる。少し話しただけだが、ミネーという女の性質が歪んでいる事はアレシャにも感じ取れた。アレシャもダレイオスに同意する。
「何をぶつぶつと……。だがその顔、自分の罪をようやく理解したようだな。ならばもう、くだらない疑問はないだろう。アレシャの仇、討たせて貰う!」
ルフィナの周囲に幾つもの魔力の球体が浮かんだ。ルフィナの操作で縦横無尽に飛び回り、アレシャの周囲を囲み始める。あの球体も溶ける力を持ったものだとアレシャは予測を立て、触れずに対処する方法を考える。
『アレシャ、ヘリオスの魂の宿ったガントレットを使え。あいつの魔術『デートラヘレ』なら、魔力弾を吸収できるはずだ』
「けど、あれって古代魔術でしょ?わたしどうやったらいいか分かんないんだけど……」
『ヘリオスの魂が作用して、魔力を流し込むだけで発動できるはずだ。やってみろ!』
「わ、分かった!」
アレシャが左の拳を固めると同時、黒い魔力の球体がアレシャへ向けて襲いかかった。弾速はそこまで速くはないが、数が多い。捌ききれるか。ランドルフに仕込まれ冒険者稼業の中で鍛え上げられた自信の格闘技術を信じるしかない。そして迫る球体を見極め、左手を伸ばした。
「『デートラヘレ』!」
アレシャの左拳が球体に触れた瞬間、魔力弾は見事に消え失せた。ダレイオスの言う通り魔術は無事に発動し、魔力弾はアレシャに吸収されたのだ。そこからは息つく間もないせめぎ合い。
一つを消せば、また次の球体が迫り、それに手を伸ばしている合間にも、また別の球体が飛んでくる。しかし、アレシャはその動きに見事に対応する。重心の移動を中心に身体を動かし、捌いていくが、どうしてもアレシャが対応しきれない場所からの攻撃も生まれてしまう。
『アレシャ、右だ!次は上!』
それをカバーするのがダレイオス。魔力感知で球体の位置と飛んで来る順番を把握してアレシャへ伝え、アレシャはそれを頼りに捌いていく。
しかし、アレシャが使えるのはヘリオスの魂が宿る左手だけだ。対応しきれない球体が彼女の身をえぐり取ろうとする。しかし、アレシャには他にも優秀なサポートがついているのだ。
『アレシャお姉様、危ない!』
アレシャの後頭部に魔力弾が直撃しようとしていたが、サーラの障壁が素早く展開して相殺した。その間に拳を振りかぶったアレシャの連撃が残りの球体を次々と消し去った。
「『魔王』などと大層な異名を名乗るだけはあるか。なら!」
ルフィナが地を蹴り駆け出す。アレシャへ向けて残り僅かとなった球体の対処に追われるアレシャの隙を突こうと、その手に光の剣を生みだした。
アレシャが最後の球体を吸収したのと、ルフィナが剣を振りかぶるのが同時。アレシャが重心を前によせて右拳を握りしめる。ルフィナの剣が右から鋭く薙がれる。
しかし相手に会心の一撃を与えることができたのは、そのどちらでもなかった。
両者の攻撃が交わろうとする瞬間、アレシャの身が真っ黒に染まった。そしてそのまま消失する。後から現れたのは、巨大な蛇の頭部。ルフィナの剣がその上顎を容赦なく切り飛ばしたが、アレシャへ攻撃は届きはしなかった。
舌打ちするルフィナへ向けて、槍の如く鋭く尖る影が飛び出した。ルフィナは瞬間移動で難なく回避する。しかし、移動した先にも影は待ち構えていた。大口を開けた大蛇がルフィナを丸ごと飲み込もうとする。
「未来視か、面倒な」
ルフィナが魔力を手に込める。大蛇の頭丸ごと消し飛ばしてやろうという算段だ。
「今よ!」
何処からともなく聞こえた、ルフィナへは届かぬ声。それに合わせて何かがルフィナへ向けて高速で飛来した。ルフィナが持ち前の反射神経で避けると、それは地面に深く突き刺さった。
それは一本の矢。しかし、何かが巻かれている。ハラリと解け、その何かが広がった。それは魔法陣。複雑な魔法陣が描かれた羊皮紙であった。魔法陣が姿を現したと同時に、光を放ち始める。
この魔法陣が何かは分からないが、近づくべきではない。ルフィナはそう考えて距離を取ろうと考えるが、後ろへ下がる彼女の背が何かにぶつかった。
振り返ると、それはいつの間にか出現していた土の壁であった。誰かが土魔術で生成したのだ。拳に集まる魔力で壁を打ち砕く。
しかし、その壁が壊した壊れるや否や、次は別の壁が姿を現した。これまで何度も妨害してきた、サーラの障壁だ。ルフィナはそれも叩き割ろうとする。
と、今度はルフィナの脚をめがけてまた別の何かが飛来してきた。空中へ逃げようと跳躍する踏ん張った瞬間に、その何かが破裂して辺りに凍てつく冷気がまき散らされた。瞬く間にルフィナの脚が凍り、身動きがとれなくなる。ならば今度は氷を——ルフィナがそう考えた、そこで時間切れだった。
「二十秒よ」
アレシャの隣に立っていたヴェロニカが土魔術の魔法陣を解きながらそう呟く。アレシャとの攻防に意識を奪われていたルフィナの心理的な隙を狙った一瞬の強襲だった。
二十秒、それはアレシャたちが開発した洗脳を解く魔術が相手に発動しきるまでに必要な時間。メリッサの矢と共に届けられた魔法陣は正しく起動し、ルフィナを呪縛から解き放つ。
「いきなりでびっくりしたよ。でも瞬間移動されなくてよかったね。あれをされたら逃げられていたんじゃ無い?」
「さっきルフィナちゃんと直に戦った時に気づいたんだけどね、あの瞬間移動は他の魔術の発動中には使えないのよ。だから、魔力を拳に纏わせている間は瞬間移動できない。そこを狙ったわけ」
「それに、ライラさんの未来視もありますから。瞬間移動が有利に働くとは限らないというプレッシャーも作用したはずですわ」
アレシャの足元から現れたクリームヒルデが補足を加える。アレシャは少しの間にこの連携を思いついたヴェロニカたちに感心ばかりだった。後は、本当にルフィナの洗脳が解けたのか、確かめなければならない。
アレシャがそう考えたとき、彼女らの通信魔法陣から声が届く。それは壁にいる仲間からの通信だった。
『皆様、聞こえますか』
「ライラさん、どうしたの?」
『ダリラ様から至急お話が——』
『——アレシャちゃん、聞いていますね?先ほどの魔術の話です』
「うん、上手くいったんだよね?発動しているように見えたし……」
アレシャがそう問うも、ダリラから肯定の言葉は返ってこなかった。
『確かに魔術は起動したけれど、発動に使用したアレシャちゃんの魔力サンプルが僅かに足りませんでした。完全な効果は得られなかったかもしれません』
「え!?」
驚いたアレシャたちがルフィナを見やる。魔法陣が発動してから動きを見せていなかった彼女だったが、突然頭を押さえてうなり始める。
「うぅ、ああああ!あぁ、あたまが、割れる!止めろ、入ってくるな!あああああ!」
うなりは次第に激しさを増し、叫びへ変わる。ルフィナは頭を抱えて激痛に転げ回っていた。
『洗脳が不完全に解けた影響だろう。ミネーもミネーで正気に戻ろうとしているところに洗脳をかけ直そうとしているかも知れない。ルフィナの魂にかかっている負荷はかなりのもののはずだ』
「それって壊れたりしない?」
『壊れてもおかしくない』
ダレイオスがそう答えるが速いか、アレシャは駆け出した。ヴェロニカとクリームヒルデが呼び止めるが、アレシャは苦しむ姉の肩を抱いて支える。
「お姉ちゃん!しっかりして!」
「あ、あれしゃ、生きて、いや、魔王だ!殺せ!あれしゃを殺したあれしゃを殺すんだ!」
ルフィナの視線はすでに焦点が合っていない。予想していなかった結果に思考が追いついていないが、何とかしなければと持てる知識を総動員する。
そんな彼女の目に留まったのは、近くに落ちていた一枚の羊皮紙。先ほど効果を発揮して、ルフィナをこんな風にしてしまった戦犯の魔法陣だ。
だが、これは使える。アレシャは一つの方策を思いついた。
「ダリラおばさん!この魔法陣を通して、精神世界へ魂を送ることだけできる?」
『洗脳を解く行程の三つ目ね。全ての行程は別々の魔法陣で発動させているから可能だけれど、もしかして……』
「うん、わたしの魂をお姉ちゃんの精神世界へ送って!わたしが全部そこで片を付けてくるから!」
危険だ。ダリラはそう思った。ルフィナの魂には強い負荷がかかっている。魂の映し鏡であるルフィナ精神世界もその影響を大きく受け、とても不安定な状況になっているはずだ。もしかすると、存在を保てなくなって消滅してしまう可能性すら存在する。その時アレシャの魂が精神世界に残ったままであれば、アレシャの魂も道連れに消え去ってしまうだろう。
そう説明したダリラが別の方法を探すようアレシャへ呼びかけようとするが、その耳にアレシャの言葉が届く。
「わたしがやらなきゃ、誰がやる!ここで退くようなら、わたしは冒険者なんて辞めてやる!」
アレシャの口から咄嗟に出たその言葉は、ダリラの心を大きく揺さぶった。そっくりなんてものじゃない。ダリラの大切な仲間、アレクセイが口にしていた言葉そのままだった。
そしてその言葉が出たアレクセイを止めることができるものは、誰もいなかった。右腕であるランドルフですら叶わなかった。勿論、ダリラにもそれを止めることはできない。
故に、ダリラの口から出た言葉もまた、昔のままだった。
『仕方ないわね。今回だけよ』
「ありがとう!それじゃあ、よろしく!」
魔法陣越しに聞こえるアレシャの快活な声に思わず笑みを浮かべながら、ダリラは魔法陣を起動させる。後でフェオドラにどやされるな、と考えながらもその手に躊躇いはなかった。
そして、アレシャの手にしている羊皮紙の魔法陣も起動し始める。淡い光を発しながらゆっくりと魔力が流れるその光景を、アレシャは既に二度経験している。もはや慣れたものだが、今回は心の準備も何もなしだ。アレシャは早鐘を打つ心臓を落ち着けようと大きく息を吐く。
「ダレイオスさん、私の身体の留守番お願い」
『分かった。頑張ってこい。もし精神世界でミネーに会ったら、一発ぶん殴っておいてくれ。青い髪に瑠璃色の瞳だからすぐ分かる』
「了解!」
アレシャが笑顔で仰々しく敬礼してみせると、魔法陣から一際強い光が溢れ出した。激痛に叫び続けるルフィナの身をアレシャは強く抱きしめる。意識が引っ張られる、奇妙な感覚がアレシャの魂を支配した。




