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魔王と少女のヒロイック  作者: 瀬戸湊
第二部
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97 再来の影

 レイヴンがクリームヒルデを引き連れてやって来た場所は、ロマノフ王城地下にある牢獄だった。犯罪者を収監するような場所はモロク郊外に建てられた別の施設の役割。ここは戦によって捉えた捕虜や、政治犯罪者を収監するためのものである。要は、国が直接監視しなければならない人物が閉じ込められる場所だ。

 だが、前王、現王治世下のロマノフ王国は平和なものだった。国同士の大きな戦など起きていない。謀反を起こそうとした者もいない。地下牢に厄介になっている者は誰もいなかった。使われていないので見張りすらいない。義務的に点けられた明かりだけがチラホラと浮かんでいるだけだ。地下故に、日の光が差し込むこともない。その場のほとんどが深い闇に覆われていた。


「心地良い暗さだろう?ここなら俺も、お前も、戦いやすい」

「そうですわね」


 クリームヒルデは一度収めたレイピアを再び引き抜いた。レイヴンも同様に剣を引き抜いてそれに対峙する。


「まずは手を抜いて気の向くままにいたぶってやりたいところなんだが、残念ながらお前はそこそこ強い。適当にやってりゃ、こっちが怪我してしまう」

「お褒めにあずかり光栄ですわね。虫ずが、ああ失礼、鳥肌が止まりませんわ」

「元気なことだ。なら、早速使わせて貰おうかな」


 レイヴンがそう言うと、彼の黒ずくめの身体に足元から影が纏わり付いていく。クリームヒルデは当然、それを黙って見ている気は無い。ここで仕留めなければチャンスは失われてしまう。

 彼女は地を蹴って飛び込むように跳躍し、同時に暗闇から影の大蛇を幾匹も呼び寄せた。四方から黒い牙がレイヴンに迫る。逃げ場の無い速攻。防御の障壁を張る暇すら与えない。しかし、レイヴンは笑う。


「いい攻撃だ。前よりも鋭くなってるな。けど、こっちも準備してきてるんだよ」


 レイヴンは懐から一枚の紙を取り出した。そこに描かれていたのは防御の魔法陣。これがあれば、魔力を込めるだけで魔術が発動する。魔法陣を展開する必要も無い。レイヴンはノーモーションでドーム状の障壁を生みだし、クリームヒルデの包囲を防ぎきる。


「この程度の壁、叩き割ってくれますわ!」


 クリームヒルデが手を掲げると、レイヴンの頭上に巨大な黒い蛇の頭が出現した。それは一直線に落下し、障壁を粉々に噛み砕いた。そこにクリームヒルデが走り込む。レイピアを振るい、刃が伸びる。そして、切っ先が真っ直ぐにレイヴンの額に吸い込まれた。

 しかし、手応えはなかった。


「いや、少し焦った。前の戦いの時から更に研鑽を重ねてきたんだね」

「くっ!」


 クリームヒルデが大きく後ろに跳ね飛ぶ。大蛇が彼女を庇うように、レイヴンとの間に立ちはだかった。が、次の瞬間、その大蛇が跡形もなく消し飛んだ。

 仕留めきれなかった。クリームヒルデは表情を険しくさせてレイヴンを、いや、レイヴンだったものを睨みつける。レイヴンが立っていたはずの場所にあるのは、暗闇と同化してもはや視認することすら難しい人型の影だった。正しくは、レイヴンの肉体が消失し、影そのものに変貌した姿だ。そこに人間らしい実体など存在していない。こうなった彼には物理攻撃はおろか、魔術その他あらゆる事象の効果が及ぶことはない。

 こうなってしまう前にレイヴンを殺さなければならなかったのだが、間に合わなかった。顔面が存在しなくなったレイヴンから、薄気味悪い笑い声が上がる。


「さあ、これからどうする?前は『魔王』様の妙な術のおかげで俺に手が出せたが、今回はその『魔王』様はご不在だ。這いつくばって頼めば手早く殺してやるが、どうする?」

「そうですわね。どうせなら長く楽しみたいですわ。どうせあなたの雑な仕事では手早く殺すなんて不可能でしょうし」

「いいね、俺も同意見だ」


 レイヴンが手をかざすと、その手が変容し巨大な剣へと姿を変えた。実体を失った彼はもはや質量も何もかも無視して如何様にも姿形を変えることが可能だ。


「……化け物が」


 クリームヒルデは静かに呟き、レイピアを構える。震える手を暗がりに隠しながら。






「いいか、お前には歴史あるオル・オウルクスの人間としての自覚が足りていない。まして今のような——」

「ちっ。年寄りってなんでこう、話がループするんだ……」

「何か言ったか?」

「い、いえ!何も!」

「全く、お前には自覚が足りんのだ。オル・オウルクスの長き歴史が——」


 ロマノフ王城内、とある一室において正座するリリに一人のエルフが説教を繰り返していた。始まってから既に小一時間ほど経っている。説教をしているのは、白い髭を蓄えたエルフ。他にもう二人、中年のエルフが隣に立っていた。中年と言っても見た目の話であり、この三人ともオル・オウルクスの古参エルフであった。つまり、全員リリの洗脳ターゲット。絶好のチャンスというわけだ。わけなのだが、リリが少しでもよそ見をしようとすると、白髭エルフから唾と怒号が飛んでくるのだ。とても術を掛ける余裕など無かった。なのでリリは早い段階で諦めてとにかく説教が終わるのを待っていたのだが、それが一向に終わる気配がない。そろそろリリの脚も我慢も限界が来ていた。

どうにか行動を起こさねば。いっそ強引な手段に出るか、いや、それは最終手段だ。古参エルフが三人もいる状況では、強攻策に出たところであっという間に制圧されてしまうだろう。リリは自分の実力の程は冷静に理解していた。結果、とてもじゃないが不可能だという結論に至る。

 なのでリリは極めてシンプルな策に出ることにした。止まること無く言葉を紡ぎ続ける白髭エルフへ向けて、リリはズバっと手を上げた。


「なんだ、どうした」

「あの、と、トイレに行ってもよろしいですか?」

「便所?」

「正直、もう、げ、限界で……。我慢してようと思ったんですが、ここは招待されている部屋なワケですし、汚したりしたらさすがにヤバいと思いまして……」


 確かに、この客間の絨毯は中々に良い品が使われていると見える。汚してしまったら二度と使えなくなるだろう。招かれた者として、相手に迷惑を掛けるわけにはいかなかった。そして何より、そんな悲惨な状況になるのは、自分たちが御免被る。というわけで。


「分かった。話はここまでにする。以後気をつけるように」

「はい、分かりました。心に留めておきます」

「いいから早く行きなさい」


 ペコリと頭を下げるリリを白髭エルフが急かし、リリは慌てた風を装って部屋を飛び出した。突然開いた扉に部屋の前に立っていたロマノフ兵が驚くが、それにも目をくれずに廊下を走り、曲がり角を曲がる。と同時に、リリは影の中へと逃げ込んだ。そして一息ついて今来た道を引き返す。

 この廊下は城内の中心近くに位置しているため、窓が少ない。昼間であっても、魔力灯で光源を確保しているくらいだ。なのでどうしても光の届きにくい場所が生まれる。その影に潜んで、リリは部屋の前まで戻ってきた。

 見えていないと知りつつ、今さっき驚かせてしまったロマノフ兵にペコリと頭を下げて謝罪してから、リリはドアを開くこと無く部屋の中へするりと入り込んだ。

 古参エルフが待機するこの部屋は豪勢な客間なだけあって、大きな窓が付いている。薄暗い廊下と比べて非常に明るく、影が少ない。影が少ないことはリリの行動範囲が狭いという事を意味している。作戦の決行に相応しい場所とは言えないが、仕方が無い。リリはできる限り大きめな影を探した結果、大きな本棚の落とす影の中に潜んで様子を窺うことにした。


「うーん、それでもこの状態で術をかけるのは難しいか……」


 リリは魔法陣が描かれたカードを取り出して頭を捻る。

 事前にアレシャたちから教えられた、この術の発動の注意点は以下の通りだ。まず一つは、魔法陣を術をかける対象に真っ直ぐに向けること。ただターゲットに近くに置いておくだけというわけでは駄目だ。二つ目は、効果範囲がそれほど広くないということ。人が両手を広げたくらいの長さが限界だという。それより外になれば、成功の確証はないそうだ。そして三つ目は、発動から効果が及ぶまでに多少の時間がかかるということ。複数の行程を必要としているため、相応の時間が必要になってしまうのだ。洗脳解除まで約二十秒。それから再洗脳まで十秒ほど。完了まで合計三十秒ほどだ。短いように感じるが、三十秒の間人間がじっとしている事は意外と無い。多少視線を彷徨わせたり、首を動かしたりするものだ。それに二つ目の注意点から、術は至近距離で発動しなくてはならない。少しでも異変を感じとられれば、あっという間に発見されるだろう。

 そして今、リリは部屋の片隅でじっとしている。大きな客間の中央辺りの椅子に腰掛けている古参エルフたちに術をかけるには少々距離がある。影の中を通って近づくことが出来ればいいが、生憎と影は途中で途切れてしまっている。


「ホント、近づくことさえできれば……。影からカードを持って手だけを出せば終わりだものね……。仕方ない、さっさと奥の手を使いますか」


 そうしてリリは懐から本命の魔法陣か描かれたものとは別のカードを取り出す。掌ほどのサイズの簡単なものが何枚もある。これはエルフたちとリリが合流する少し前、ヘルマンと直接会って話をしたときに手渡されたものだ。便利な術を使えるが、お世辞にも実力があるとはいえないリリがこの作戦を無事に遂行するためのサポートのために、ヘルマンが事前に用意していたのだ。

 理論、構築式、魔法陣、全てカードに書き込まれているので、発動のための魔力さえ注げば誰でも魔術を発動できるわけだ。「強力な魔術ではないが、サポート目的ならば十分に効果を発揮するだろう」とヘルマンは言っていた。リリはカード一つ一つの裏面に書かれた魔術の説明書きを読みながら、この状況を脱するために使えるものは無いか探し始める。


「こっちは氷柱を生み出す魔術……そんな派手なの使えないでしょうが。こっちは障壁を作る……こっちは拘束……あ、これは使えそう、って、ん?」


 リリが視線をカードから上げ、周囲を見回す。リリは突然、謎の違和感を感じた。それと似たものを、つい最近感じたような気がしていた。それが何だったか思い出そうと記憶を掘り返してみると、つい先日、ロマノフ王城に忍び込んで調べ物をしていたとき記憶にたどり着く。影に潜む術のフリーダムさに浮かれて駆け回っていたリリだったが、一度だけ何者かの視線を感じたときがあったのだ。その視線と全く同じ者では無いが、同種のものであるとリリは感じ取った。そしてその視線がいったいどこから来ているものなのか目を凝らしてみる。しかし、彼女の視界にはターゲットである古参エルフ三人の姿しか映っていない。


「やっぱり誰もいない……。確かあのときも、視線を感じたのに誰もいなかったんだった。うーん……」


 ワケが分からず、リリは瞑目して頭を捻りまくる。しかし頭を捻れど、そもそも考えるのが得意でない上に魔術などに関する知識に疎い彼女が何かしらの結論に至る事はなかった。リリはもっと感覚的に生きているのだ。

 なのでリリの新たな発見は、その感覚によるものだった。


「……ん?この臭い……これはクリームヒルデ様の影の中にいる時の臭い?いや、あんなぎゅんぎゅんくる素晴らしいスメルじゃない。もっとショボい、けれど似た臭い……」


 極めて危険な発言を思わず漏らしつつ、リリはそっと目を開く。やはり視界には古参エルフ三人の人影しかない。しかし、彼女の目にはそれとは別の人の影が見えていた。そう、文字通り人の形をした影(・・・・・・・)がリリの視界に移っていたのだ。数は一つ。真っ黒なので顔も服装も何も分からないが、背の高さや体格から男性のように見えた。あれは一体何なのだろう。リリは考えるが、さすがのリリでも答えはすぐに出た。あれは、自分やクリームヒルデと同じ術を使っている別の人間だ。そして、リリはそのような術を使う集団の存在をクリームヒルデから聞かされていた。


「ま、まさか、暗殺者集団アンブラ……。そいつらが、この城にいる……?」


 それに気づいた瞬間、これはマズいのではないか、ギンジロウやクリームヒルデは無事か、というか、自分たちの作戦は既にバレているんじゃないのか、様々な考えがリリの頭を駆け巡った。

 そして、目の前にいるこのアンブラの男は、自分の存在に気づいているのか。気づいているのだとしたら、自分が何か行動を起こそうとすれば、あっという間にズドンと殺られて終わりなのではないか。そしてこの男をどうにかしたとしても、また別のアンブラの構成員が自分を殺しにくるのではないだろうか。不吉な考えが追加での頭の内に登壇した。血の気が引き、自分の顔色が真っ青に染まっていくのが、リリはありありと感じ取れた。

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