95 準備は粛々と進む
アレシャ、ダリラ、ヘルマンの三人は、洞窟の中で魔法陣の書かれた羊皮紙を広げていた。外では雪が降っているが吹雪というほどではない。それでも、季節が春になっているのに雪が積もっているあたり、さすがは北の大国、ロマノフ王国というところであろう。三人は現在、ロマノフ王国にこっそり入国し、王都モロク近郊に身を隠していた。
「ヘルマンさん、状況はどんな感じ?」
「ギンジロウの提案はロマノフ王に受け入れられたようだ。正規のルートで無事に王都モロクに到着したところのはず。クリームヒルデはそれに同行し、リリは別ルートからモロクに侵入したところだ」
『ヒルデはそのままギンジロウに付いて、リリは先に王城の偵察を行うべきだな。そう伝えてくれ』
ダレイオスが考えたそれぞれの今後の動きをアレシャがヘルマンに伝え、彼はその通りに通信を送り始める。そのやりとりを横目に、ダリラは魔法陣に不備がないかの最終チェックを念入りに行っていた。
「一応実験はしたんだし大丈夫だと思うんだけど、どう?」
「そうね、問題はないでしょう。向こうの準備さえ整えばすぐにでも発動できるわ。アレシャちゃんも、もう一回確認しておいてちょうだいね」
「うん。分かった」
アレシャも羊皮紙に書かれた内容に今一度目を通していく。先ほどアレシャが言った通り、彼らはリリを実験台として何回か魔術が機能するかの実験を行っていた。洗脳して解く、また洗脳して、解くということの繰り返しである。結果、失敗は一度も無かった。彼らの打ち立てた理論に隙はない。もし失敗があるとすれば、今現在モロクで行動しているギンジロウ、クリームヒルデ、リリの三人がターゲットへの接触をしくじった時だけだ。
事前に決めた通り、洗脳を解除する対象がモロクに介する時を狙って彼らは作戦を始動させていた。
まずギンジロウはアルカディーと公式に顔を合わせる口実を作るため、急ぎ手紙を送りつけた。内容は、『連合軍に良質な武器を卸したい。オル・オウルクスが連合軍に参加するための会談を行うと聞いたが、その時に合わせて話をさせて貰えないだろうか』というものである。ギンジロウは元々、ロマノフ王国軍に対して武器を卸している。その王国軍が参加している連合軍に武器を新たに卸したいと申し出ても何もおかしいところはない。寧ろ、アルカディーとしても歓迎すべきことだろう。丁度、連合軍に新たに参加する国がロマノフ王国に来ているのだから、合わせて挨拶させてもらいたいというのも自然な流れだ。
それでも受け入れられるかどうかは半々というところだったが、アルカディーからの返信は好意的なものであり、ギンジロウは正面から大手を振ってロマノフの王城に立ち入る権利を得ることが出来た。
そして今、ギンジロウは馬車に乗ってモロクの正面の大門をくぐり抜けるとことであった。
「それにしてもギンジロウさん、今日は一段と大荷物だな」
「おうよ。今日はなんてったって、あの『英雄』の連合軍に対して商売しにきたんだ俺の武器が『魔王』を打ち倒したってなれば、そりゃ言うなれば俺が『魔王』を倒したって事だろう?腕が鳴るってもんだぜ。『魔王』はガザの街をめちゃくちゃにしやがった張本人らしいからな。これで一矢報いれるぜ」
御者の男とギンジロウはガハハと談笑する。ギンジロウがモロクを訪れる時、この男の馬車を利用することが最早お決まりになっており、二人は友人といえる関係になっていた。
その馬車が落とす影に一人の少女が潜む。ギンジロウの護衛担当、クリームヒルデである。彼女がモロクを訪れるのは、アンブラと戦った事件以来のことである。あのときは新王の戴冠式でお祭り騒ぎという様子だったが、普段のモロクは雪がしんしんと降り積もる静かな街という印象だった。こう寒いと紅茶よりも酒が飲みたくなるなと思いつつ、彼女は馬車に追随する。
「エルフたちがモロクにやってくるのが明日かくらいだって聞いたが、そこを狙って来たのか?」
「その通りだ。エルフ相手に商売できる機会なんて中々ねえからな」
「もしがっぽり儲けたら、俺にも還元してくれよ?」
「その時は一日中馬車を乗り回してやるよ」
軽口をたたき合いつつ、馬車は一件の建物の前で止まる。ギンジロウがモロクに滞在する際に利用している、ロマノフ王国公営の宿泊施設である。ロマノフ王からの書状を見せればタダで泊まれるので。
ギンジロウは荷物を下ろして一人分の部屋を用意してもらい、部屋に入るなり鍵をかけた。公営の宿だけあって不用意に宿泊客に干渉してくるような従業員はいないのだが、念のため。これからする話は人に聞かれては少々マズい話であるので。
部屋の隅の影がゆらりと持ち上がり、そこから少女が姿を現す。
「いやあ、すげえ術だが中々ホラーだよな、やっぱり」
「お褒め頂き光栄ですわ」
「自分で言うのも何だが、褒めてはないんだけどな。まあいい、それよりこれからの話だ。何か連絡は入ったか?」
「リリが既に王城へ潜入中とのことです。一先ず、リリからの連絡待ちというところですわ」
「リリって、あのエルフの嬢ちゃんだよな?大丈夫なのか?」
心配するギンジロウだが、クリームヒルデは微笑みを浮かべて頷く。
「彼女も私と同じ術を扱うことができますわ。普通にしていれば発見されることはまずないでしょう」
「なるほど、そりゃ安心だ。聞く話じゃ、ロマノフ王の懐刀たる『剣帝トラヤヌス』も、連合軍に引っ張られて不在らしい。意外と楽な仕事になりそうじゃねえか」
「それならよいのですけれど」
クリームヒルデはそう言って一度影の中へと引っ込んだ。『英雄』側の戦力の殆どはデカン帝国やラインデルク帝国に集中し、ロマノフ王国にまで戦力を回している余裕は無い。なんせ、つい昨日セイフ、ブケファロスによって『魔王』から『英雄』に向けての宣戦布告が成されたところなのだ。あらゆる戦力をアウザー渓谷に向けて動かしている真っ最中に違いない。この宣戦布告から続く一連の戦いがそもそも、ダレイオスたちの作戦が妨害されないための囮と時間稼ぎのためのものである。寧ろ楽な仕事になってくれないと困るのだ。やはり余計な心配だろうか、そう考えながらクリームヒルデは来る時までしばしの休息をと思い、静かに目を閉じた。
一方そのころ、ロマノフ王城にて。リリは影の中に沈み込んだまま、自由気ままに駆け回っていた。影の中にいる限り、誰もリリの姿に気づかない。変顔しても笑わない。それどころか視線も向けない。なんて素晴らしい力だとリリは一人感動していた。
そして、誰も自分のことを見ることができないこの状況は、まるで道行く人全員が自分のことを意図して無視しているようではないかと気づいた。「お前如きに興味なんて欠片もねえよ」と罵られ続けているような感覚。リリの中にこみ上げてくるものがあった。いっそ服でも脱ぎ捨ててみれば、更なる道が開けるのではないだろうか。リリは誰も見ていないと分かっていながらも辺りを見回し、そわそわしながらズボンに手を伸ばした。今まさに新たな扉を開こうとしていた。
のだが、視界の隅に一人の人物が写った。その視線がリリの方をじっと見つめているような気がして、彼女は咄嗟に視線を追って顔を向けるが、そこには誰もいなかった。
「あれ、おかしいな……。でも、私の姿は誰にも見えないはずだし、やっぱり気のせいかな……」
一気に火照りが冷めたリリは一転真面目に城内の探索を始める。先ほど届いたヘルマンからの通信の指示によると、ロマノフ王アルカディー二世の様子と、会談の場所、どのような準備が行われているか、そしてデカン帝国の手の者がいるかどうかを調べてきて欲しいということだった。リリはその通りに行動を始めた。城はさすがに広く、大方の構造を把握するまでに幾らかの時間はかかってしまったが、まる一日かけることで目的は全て達することができた。また、平行して謎の視線の正体を探してみたものの、それに関しては何も分からなかった。
城から出て、リリは暗い路地に姿を現す。既にとっぷりと日が暮れ、人の姿は全くない。何度もそれを確認してからリリはカードを取り出して魔法陣を起動し、クリームヒルデとヘルマンへ向けて通信を開始する。
「リリです。今さっき城内の調査終わりました」
『良くやった。で、どうだった?』
ヘルマンがすぐに応答し問いかける。リリはそれから調査結果をできる限り事細かに伝え始める。まず、会談は城内上層の大会議室にて行われるとのことだ。また、エルフたちの受け入れの為に城内の一画を来客用に整えているらしい。
「見た感じ、結構な数の部屋を準備していたみたいです」
『なるほど……。態々大きな会議室を会談の場として用意していることを考えてみても、エルフはかなりの大所帯でやってくるようだ。もしかすると、古参エルフは一通り揃うかもしれない』
「それって、洗脳するチャンスってことですよね?」
『ああ、またとない好機だ』
自分の情報が役に立っていると実感から声を弾ませるリリに、ヘルマンが肯定を返す。この作戦が成功に終われば、状況が逆転するのは間違いないと見ていいだろう。
『それより、アルカディー陛下のご様子は如何でしたか』
そこにクリームヒルデの声が割り込んでくる。会話に参加していなかったが、しっかりと聞いてはいたようだ。ご主人様に急かされ、リリは慌てて先を話始める。
「そのアルカディー陛下が元々どんな方か私は知らないので確実なことは言えないんですけど、これといって妙な点は見られなかったですね。国のお偉いさんらしき人との会話を聞いていましたが、オル・オウルクスとの会談の準備を粛々と進めているだけみたいでした。まるで違和感とかなく」
『妙な点はない、か』
『それが寧ろ妙なのではないですか?もしアルカディー陛下が洗脳されていないのなら、これまでの敵対行動は何か裏があってのことなのでしょうが、まるで違和感を感じなかったのならば、陛下は自分の行動を当然のものとしているということですわ』
つまり、アルカディーはダレイオスと進んで敵対しているということ。アルカディーは洗脳されているということで間違いないだろう。
『アルカディーが洗脳されているのか否か』はこの作戦を決行する上で確認しておくべきことであった。アルカディーが『魔王』との敵対を演じているのなら、彼にも何か考えがあるということであり、作戦の決行は彼の思惑を邪魔する事になりかねない。また、アルカディーがデカン帝国に仕方なく従っているだけであるなら、態々魔術を用いるという回りくどいことをせずとも、ギンジロウやクリームヒルデと話し合うことで解決できるからだ。
ただ、こうして確信が持てた以上、作戦の決行に躊躇する必要は無くなった。アルカディーを救うためにも、洗脳の解除は必須事項となった。そして最後のデカン帝国の使者がいないかどうかだが、これは否であるとリリは言った。入城した者の記録まで見て確認したので間違いないとのこと。ヘルマンとクリームヒルデもそれを信用した。
「それで、私はこれからどうしたらいいですか?」
『お前はモロクを訪れるエルフたちと合流してくれ。モロク近郊の転移魔法陣で待機していれば問題ないはずだ。お前がこちら側に付いていることは知られていない。上手く取り入ってくれ』
「でも今の私のオル・オウルクスでの評価って、『しばらくの間、勝手にオル・オウルクスを留守にしてサボってた駄目女』ってことになってますよね?」
『俺たちのギルドへ手紙を渡しに来てから一度も戻ってないんだろう?だったらそうなるな』
ヘルマンがそう言うと、リリは肩を落とす。間違いなく怒られる。今の彼女なら、それもご褒美だと言いそうなものだが、上司からまともに怒られるのはただただ辛いだけである。それでも全て終わってから事情を話せば許して貰えるかと思い直し、話に戻る。
『それで、エルフたちの到着はいつ頃になりそうなんだ?』
「明後日の早朝だそうです」
『明後日……。こちらで一仕事終えてから真っ直ぐにアウザー渓谷へ向かえば、丁度良いタイミングかもしれませんわね』
『俺たちが間に合わなくとも、アルカディー陛下から連絡が行きさえすれば、連合軍内のロマノフ兵を味方につけることはできるだろう。決戦には間に合うはずだ』
「良い感じですね。盛り上がってきました!」
三人は作戦の成功を思い描きつつ、気持ち高ぶらせる。成功すれば、たった一日で世界の価値観が変わるはずだ。本当の『魔王』と『英雄』の姿を思い知らせてやる。彼らは使命感に心を燃やすのだった。




