92 大健闘
冒険者たちの乱入によって熱を帯びてきたアウザー渓谷の戦い。圧倒的な数で押す連合軍と、一人一人の質の高さで対抗する『魔王』陣営。戦線は拮抗しているように思えた。しかし冒険者たちの実力が幾ら高いとはいっても、一騎当千の実力者がぞろぞろといるというワケではない。連合軍の軍勢の勢いに次第に押され始めてしまう。
その理由の一つとして、ヴェロニカの魔術とメリッサの矢という、壁からの支援攻撃が止まってしまったことが挙げられる。彼女らがサポートを行えなくなった理由、それは一人の人物との死闘を繰り広げていたからだ。
黒髪の女が高く跳躍すると、それを狙って鎖が飛んでくる。相手の次の動きを先読みするようにして放たれているものの、彼女は魔力を込めた掌でそれを丁寧に弾いていった。そして女、ルフィナは赤髪の女、ヴェロニカの頭上に位置する。上空に魔法陣を展開させると、そこから吹き出す風を推進力にヴェロニカへ向かってまっすぐに突進してきた。
『左へ避けてください。そこから、右、左と連続で追撃が来ます』
「了解!」
胸もとに縫い付けた通信用魔法陣から聞こえた声に従ってヴェロニカが動くと、ルフィナはまさにその通りに動いた。ヴェロニカが避けた地面に拳がめり込み、すぐさま追撃を加えてくるが右手の拳、左手の拳と順に振るってきた。
『メリッサ様、そこで矢を』
『了解、です!』
魔法陣越しで気合いの入った声が聞こえると同時に、ルフィナのいた場所に矢が突き刺さった。狙いは正確だったが、ルフィナは既にその場から消え、少し離れた場所でマントについた砂を払っていた。
「未来が見えるというのは面倒だな。単純な攻撃を繰り返していてもまるで当たらない」
「お褒めにあずかり、光栄です」
微塵もそんな事は思っていないライラが、手にした鎖をジャラジャラと鳴らしながら頭を下げる。その言葉はライラの口と、ヴェロニカの通信用魔法陣からも聞こえる。
今ルフィナの相手をしているのは、ヴェロニカ、メリッサ、ライラの三人。この内メリッサは障壁の中、壁の上からの狙撃という形で参加している。距離があるため意思疎通が難しいということで、三人は通信用魔法陣を常に発動させたままにして、声を掛け合いながら戦っていた。この手法をとったことによる一番の恩恵は、ライラの目にだけ見える少し先の未来を全員が共有することができることにある。
ルフィナの動きは全てライラに予測され、それが魔法陣を通して仲間に伝えられる。それに従って動くことで、今のところルフィナの攻撃の全てを無傷で躱しきっていた。また、先読みは攻めにも効果を発揮し、ルフィナの動きを先回りした攻撃は正確に相手を捉えていた。しかし、ルフィナは例え動きを読まれていようとも、その全ての攻撃を障壁、体術、転移による瞬間移動で全て躱しきっている。互いに一撃すら入れることが叶わず、膠着した状況となりつつあった。
「わたしの役目は『魔王』への道を切り開くことだ。さっさと逃げれば殺されなくてすみ、キミたちの為になると思うんだがな」
「ご心配ありがとう。でも、私たちは死なないわ。このまましばらく付き合って貰うわよ」
白い肌を赤光の魔法陣で包んだヴェロニカがルフィナへ向けて手をかざす。彼女の全身からは濃縮された魔力がもうもうと立ち上っていたが、それが掌に集中していき大きな球体になった。その中心では赤く白く輝く高温の炎が渦巻く。
「『紅新星』!」
球体が彼女の手を離れ、ルフィナへ向けて真っ直ぐに飛ぶ。弾速はそれほど速くない。ルフィナはそれを、余裕を持って回避する。が、それが地面に着弾した瞬間、周囲を猛烈な熱波が襲った。超高温の炎が荒れ狂う。
「これはさすがに厳しいか」
ただ直撃を避けただけでは無事ではすまない。そう思ってルフィナは瞬間移動で離脱する。事前に察知していたライラは既に大きく距離を開けていた。そしてようやく炎が収まったとき、着弾地点はどろどろに溶け、じゅうじゅうと音を立てていた。
「ち、ちょっとやりすぎたかしらね」
『ちょっとじゃないと思いますけど……。まあ、今ので雑兵は大分減ったみたいですね。肝心のルフィナには当たってませんけど。離脱したルフィナは四時の方角に転移したみたいです』
「ありがとう」
メリッサが察知した方へ視線を向けると、ルフィナがゆっくりとこちらへ歩み寄って来ているところであった。先の攻撃で焼けたマントの裾を気にしているようだ。先ほどからの彼女の振る舞いや言動は、あまり戦場にそぐわないもののようにヴェロニカには思えた。戦場特有の緊張感や高揚感、悲壮感、そのようなものを一切感じない。まるで彼女がこの場には存在していないかのようだった。そのような不気味さを覚えつつも、ヴェロニカはルフィナへ言葉をかける。
「どう?今の攻撃を見ても私たちが脅威には思えない?」
「当たり前だ。そもそも、この世にわたしの脅威となる存在などいやしない」
ルフィナが両手を構える。その手から魔力が湧き上がる。底冷えするような、そこまでも黒い魔力だった。それは次々と球体を形成して彼女の周囲に浮かび上がる。
「そこまで言うなら、わたしがキミたちにとっての脅威であると、その身に教え込んであげよう」
ルフィナの周囲の球体がゆらりと蠢き、ヴェロニカへと殺到した。ヴェロニカは防御のために障壁を展開し、瞬く間に分厚い光の壁が現れた。しかし——
『ヴェロニカ様、お逃げください。障壁では防ぎきれません』
「え、嘘でしょ?」
疑いの言葉を口にしつつもライラの言うことに誤りはないと思い、障壁を盾にしつつその場から離れる。ルフィナの放った黒い球体が壁に触れる。その瞬間、弾けるような音と共に障壁が曲面に大きくえぐられた。それが何発も何発も障壁にぶつかり、その度に破裂音が鳴り響き、障壁はあっという間に消え失せた。黒い球体はなおも破砕を続け、さっきまでヴェロニカが居た地面までボコボコに吹き飛んでしまった。
「血の跡も何も無い。『魔劇』は逃げたか」
「『隕炎』!」
突如、巨大な火球がルフィナの頭上から降り注いだ。ヴェロニカの張った弾幕を生身で躱すことは難しく、ルフィナは瞬間移動で回避する。
しかし、転移したその場所にも何かが降ってきていた。見上げると巨大な岩。ライラが鎖を巨岩に巻き付けてハンマーとして用いていたのだ。脳筋メイドここに極めり。しかし、ルフィナは右手に魔力を集中させると、振り上げた拳一発で岩を粉砕した。
「今です!」
ライラの声に反応して矢が放たれる。相変わらず正確な狙いだった。しかし、ルフィナは左手を振るってその矢を弾く。その手にはいつの間にか作り出していた光の剣が握られ、メリッサの矢はそれによって切り捨てられた。続けて矢が撃たれるものの、全て断ち切られる。
「『赤光』!」
戦場を赤い熱線が走った。ルフィナを貫こうと迫るが、手にしていた光の剣を消すと再びの瞬間移動でそれを躱す。転移先へライラが鎖を投げるも、魔力をこめた拳で弾かれてしまった。
『いやー、今の全部避けますか。涼しい顔してやりやがりますね』
「予知も狙いは正確。なのにこの結果なんて、自信なくすわ」
魔法陣越しのメリッサの言葉にヴェロニカが肩をすくめる。一連の攻撃の間もライラは相手の動きを予見し、指示を飛ばしていた。ルフィナは全ての行動を読まれていた。というのに、一発も当てることができなかったのだ。悔しいが、ヴェロニカたちとルフィナの間に力の差があることは認めざるを得ない。
『対処策とか無いですか?』
「そうね。無くてもいんじゃないかしら?私たちは、その時が来るまでの足止めさえ出来ればいいんだから」
『その通りだと思います。私はサポートに徹しましょう。攻撃はヴェロニカ様にお任せしてもよろしいでしょうか』
「ええ、分かったわ。頼むわね」
ヴェロニカがそう答え、ルフィナの方へ視線を向ける。メリッサの言う通り、彼女は涼しい顔で立っていた。ルーグという絶対の主に障壁の破壊を命じられているのに、特にその仕事を焦る様子も見えない。それはヴェロニカたちにとっても好都合であるのだが、多少焦ってくれている方が戦いやすくはあった。そのような点でも、彼女がこの場にいないのではないかという錯覚を起こさせる。
「キミたちは脅威では無い。けれど、嘗めてかかれるような相手ではないということは認めよう。少し本気を出させて貰う」
ルフィナが両手を突き出し、それぞれの手に魔法陣を展開すると、そこから黒い魔力が溢れ出す。それは再び球体を型どり、彼女を守るように周囲をくるくると回り始めた。
「あの球……さっきと同じね。触れただけでヤバそう」
『了解!触れないように気をつけます!』
「……あなたは遠くから攻撃しているんだから触れるわけないでしょうが」
「あ、そっか」などという間抜けな呟きを聞き流しつつ、ヴェロニカも対抗して複数の火球を浮かばせる。
「『隕火』!」
先手必勝の定石の下、ヴェロニカはその火球を掃射した。しかし残念ながら、この攻撃が通用しないのはライラの予見により分かっていた。ルフィナも黒い球を放ち、火球とぶつかり合う。そして黒い球が弾けると、その周囲にある火球が次々と打ち消されていった。
『ヴェロニカ様、移動しながらの攻撃をおすすめします。相手は次の攻撃の体勢に移行中です』
今度は予見ではなく望遠の目を使ってライラがルフィナの状況を伝えてくる。メリッサは援護狙撃、ライラはサポートに徹する以上、矢面に立って戦うのはヴェロニカだけになる。しっかりと役割分担をした結果なのだが、ヴェロニカが全ての攻撃の的になるわけだ。一所にじっとしているのは得策では無い。少しでも移動して攪乱しなければ。そう思ってヴェロニカは駆ける。
そこに二本の矢が飛び、地面に突き刺さった。炎の矢と、氷の矢。相反する二つの属性が打ち消し合い、周囲に薄く霧が漂い始めた。元々あった霧と相まって、ヴェロニカの姿を隠す。
「煩わしいことを。向こうには優秀な目がある以上、この霧はわたしにだけ不利に働くというわけか」
マントを翻して霧を払いつつ、ルフィナが忌々しげに周囲に視線を巡らせる。全く見えないというワケでは無いが、身を隠そうとされれば見つけるのは困難だろう。魔力感知に頼りたくとも、先ほどから上手く機能していなかった。『魔王』の拠点を囲う巨大な障壁という、膨大な魔力の塊が他の魔力を隠してしまっているのだ。特に魔力感知に長けているわけではないルフィナに、それだけで相手の姿を捉えるというのは難しかった。
『わらわに代わるか?ここ一帯を吹き飛ばして、それで終いだ』
内なる声がルフィナに語りかけてくるが、その提案を黙殺する。この戦場を丸ごと蹴散らしたところで、厄介ごとが舞い込んでくるだけだ。自分の内にいるこの女は常識を省いて考えようとする。それを一々相手にするのが、ルフィナはただ面倒だった。
ただ、“吹き飛ばす”という案は悪くないと思った。ルフィナは自分を取り囲む黒い球体を一つに集め、巨大な球体に形成し直す。そして自分が大きく跳躍したところで、その球体を地面に勢いよく叩きつけた。爆心である地面が大きくえぐられ、その衝撃がドーム状に広がり、周囲の霧が一瞬にして晴らされる。
「くっ!ライラちゃんの予見が無ければ危なかったわね……」
霧の裏からヴェロニカが姿を現す。余計な小細工はパワーの前に踏みつぶされてしまうか。ヴェロニカはそう心のメモに記しつつ、再び走る。ルフィナは逃がさんとばかりに魔法陣を展開して、光の剣を出現させた。ヴェロニカは牽制の意をこめて掌から魔力弾を連射する。どうせ瞬間移動されて終わりだろうと思ったが、ルフィナはそれを自分の足でヒラヒラと回避した。そして浮かばせていた光の剣を射出する。
そこに一本の鎖が割って入ってきた。蛇の様にのたうちながら光の剣を幾つか打ち落とすことに成功する。
『メリッサ様、広範囲攻撃の矢をお願いします』
『了解です』
ヴェロニカが、ライラが打ち漏らした剣を障壁でガードしているところに、稲妻が落ちる。電撃を放つメリッサの矢だった。ルフィナはそれをバックステップで避けたが、矢の刺さった地点から円形に電撃が迸った。離れていたヴェロニカはともかく、幾らか近くに居たルフィナはその電撃の余波を受ける。痺れによって動きが鈍った。
『ヴェロニカ様。やや右方向へ向けて攻撃を』
「分かったわ!」
ヴェロニカが両手を突き出し、そのどちらの手にも魔法陣が開く。やや右方向と言ったが、どうせなら広範囲攻撃をぶちまけてやろう、そう考えた。
「『火散弾』!」
両手から炎が弾ける。その勢いに乗ってまき散らされたのは、高温に熱された指先ほどの大きさの小石だった。猛烈な勢いでライラが指定した場所一帯に襲いかかり、石が当たった場所は黒く焼け焦げた穴が空いていた。生身の人間がその場に立っていれば、一瞬にして蜂の巣だっただろう。
ただ、生身は生身でも特殊な人間は除く。ヴェロニカの攻撃が迫る中、ルフィナの手から魔力が漏れ出すと、彼女の前面を覆い隠した。そして弾幕が止んだとき、彼女は当然のように無傷であった。彼女の足元には、ぐずぐずに溶けて原型を失った小石が大量に落ちていた。
「土魔術と火魔術の合わせ技か。面白いな」
「石、溶けて……。そう、なるほどね」
ものを溶かす魔力。散々研究したのだから、当然覚えている。アレシャが持っていたものと同種の魔力、それをルフィナは操り戦術に加えているのだ。ヴェロニカはそう理解する。先ほどから放ってくる黒い球体も、この解かす魔力を凝縮させて破裂させているのかもしれない。だから、あれほどまでに強力に周囲をえぐり取ることが出来るのだろう。
「だったら、防御なんてできやしないじゃないの。反則ね」
『そうかもしれませんが、ヴェロニカ様、お気を付け下さい。正面左方向より攻撃が迫っています』
「え?」
ライラに言われて顔を上げると、そこから件の黒い球体が迫ってきていた。慌てて転がりそれを避ける。だが避けただけでは衝撃波に飲まれる。すぐさま立ち上がって走り、衝撃波も躱しきる。ライラがいつもの振れ幅の無い声で警告するので反応がつい遅れてしまった。稀に妙なテンションになる時はあるものの、基本的にライラは冷静沈着系メイドである。だが、戦場ではそれは止めて欲しい。そう小言を言いたくなるも今言うべきでないと飲み込み、ヴェロニカは打開策を練る。
「やはり何かしらの防御手段がないと厳しいわね。完全に防ぎきれなくても構わない。少しの間、私の代わりに攻撃を受けてくれる壁が欲しいわ」
『壁、ですか……アステリオスでも連れてきましょうか?』
「メリッサちゃんの肉壁でも十分なのだけれど」
『す、すいません!でも、壁ですか……ちょっと、聞いてきます』
「聞く?ちょっと、メリッサちゃん!」
言っている意味が分からずヴェロニカが呼びかけるも、メリッサから応答はなかった。そうしている内に、ルフィナがヴェロニカへ向けて接近してきていた。その手には魔力が渦巻き、握りしめた拳と共に振り抜いてきた。ヴェロニカは自前の反射神経でそれを避ける。
「近接戦闘も得意なあたり、やはりアレシャちゃんのお姉さんってところかしら?」
「だから、その名前を口にするな!」
ルフィナが振りかぶって右ストレートを繰り出す。大味の攻撃をヴェロニカは軽く躱し、ルフィナの左脚を蹴り飛ばした。たまらずバランスを崩すが、そこにヴェロニカが魔法陣無しで火球を打ち込んだ。この至近距離なら躱せまい。ヴェロニカがそう思った通り、火球はルフィナに直撃する。しかし、ライラから通信が飛んできた。
『ヴェロニカ様、お逃げください。後方へ二跳びほど』
半ば反射的にヴェロニカは地面を蹴る。するとルフィナの身体に着火していた炎が瞬時に沈下した。いや、違う。彼女の魔力の性質を考えれば、炎が溶かされたのだ。それに付随して、さっきまでヴェロニカが立っていた地面も溶け出している。
「くそ、少し燃えたな。焦げ臭い」
「ほんと何でもありね。ただ特殊な性質の魔力とだけしか思っていなかったけど、使いこなせばそこまで厄介になるなんて」
距離を取ったヴェロニカが汗を拭いつつボソリと呟く。予備動作無しで撃てる火球ならば相手に一撃加えられると踏んだのだが、効果は殆ど無し。相手の服を痛ませただけに終わった。
やはり強力な攻撃を当てなければ意味が無い。それでも、ただ攻めるだけでは先ほどのように全て川されきって終わりだ。なので付け入る隙を生みたいが、悔しくもその為の防御手段に欠けていた。
「そろそろ終わらせる時が来たかな」
「いえ、まだよ。まだ終わらせない」
静かに告げるルフィナに対し、ヴェロニカはきっぱりと言い返す。だが、それも虚勢でしかない。どうこの場を切り抜けるのかの光明は見えていなかった。
そうしている内に、ルフィナは再び黒い球体を出現させていた。ヴェロニカは、その球体の全てが自分の事をじっと見つめているような感覚に襲われる。その僅かな恐怖が彼女の身体を一瞬だけ縛り付けた。そこに黒い球体が飛んでくる。
『ヴェロニカ様!正面から攻撃来ています!』
声を荒げるライラ。やっぱり大声出るんじゃないの。そんな場違いな事を思っている内に、彼女の身体に黒球が直撃した。そして、乾いた破裂音が響き渡る。




