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魔王と少女のヒロイック  作者: 瀬戸湊
第二部
179/227

90 剣帝トラヤヌス

 剣戟の音が鳴り響く。次第に白熱していく斬り合いは文字通り火花を散らし、並の手合いでは最早、その攻防を目で追うことすら難しい。


「これならどうだ、はあっ!」

「甘い!」


 キーラの突きは常に正確無比。例え遮る物があろうとも、それすら纏めて貫いてしまおうとする鋭さと破壊力がある。しかし、その突きをセイフはそれを容易く弾く。セイフはキーラの攻撃に対して向かい合おうとはしない。相手の突き絡め取るようにいなす。正面衝突ならば極限まで鍛え上げられたキーラの剣技に部がある。だが、セイフはキーラの攻撃を受け止めようとはしてくれない。

 剣と剣は打ち合っているのにヒラリヒラリと攻撃を躱し続けられているような、戦っているはずなのに逃げ回られているような、奇妙な感覚にキーラは陥る。相手と愚直なまでに剣を交わし、その上で勝利をつかみ取る。これまでずっと、そのような戦いを経験し、それこそが自身にとっての戦いの形である彼女には、セイフとの透かされ続けるような斬り合いは酷くじれったいものであった。

 だが、ここで勝利を焦ってはいけない。攻めに傾倒しすぎてはいけない。これまでの仕合の中で、そうして相手のカウンターを何度か貰いそうになっている。だからキーラは右へ左へとステップを踏みセイフへ攻撃を仕掛けつつ、攻め込むための隙を探す。しかし、キーラが反撃を恐れて大胆な攻めに出れなくなっているこの状況が既にセイフの思惑通りであった。


 戦いにおいて最も重要であるものは、戦いの技術や戦闘能力である。それは当然のことだが、セイフは一対一の状況においてはそれと同じくらい重要な要素があると考えていた。それは、自分と相手の間における精神的な優位性だ。

 相手がどう出るのか、こう来るのではないか、そう頭を回転させ続けるのは一対一の戦いにおいて必要なことであるが、それだけ神経をすり減らす。今のキーラがその状況に陥っている。手痛い反撃をくらいそうになった経験から、セイフの動きの一つ一つに注目するようになり、剣を振るいつつも常に思考を巡らせている。対するセイフは、大胆さ熾烈さが弱まり慎重になっている相手の攻撃を流れ作業で弾いていくだけでいい。なんてことのない牽制の攻撃を躱すことなど造作もなかった。余裕のあるセイフと対照的に、キーラの気力は少しずつ消耗していく。そしてこれが、やがて両者の間に大きな差を生むことになるのだ。


「はっ、はっ……。おのれ……!」


 攻撃の手を緩めて距離を取り直したキーラがセイフを睨みつけ、その頬を汗が伝う。相手に悟られたくないと思いつつも、呼吸は上がり始めてしまっている。戦う為の体力としては問題ないものの、疲れが出始めているのは事実だ。決着を急ぐ焦燥感が彼女の心に浮かんでくる。

 対峙するセイフは冷静にキーラを見つめている。さすがに汗はかいているものの、呼吸は落ち着いたものだ。必死な自分との差に、キーラは苛立ちにも似た焦りを感じてしまう。


「どうした、息が上がっているようだが」

「私は呼吸が乱れれば乱れるほど剣の鋭さが増すんだ」

「……そんなどうしようもない嘘が吐けるのなら、本当に余裕なのかもしれないと思ってしまうな」


 セイフが呆れたようにボソリと呟くが、キーラの未だ衰えぬ鋭い眼光には舌を巻いていた。身体的疲労が増し、明らかに不利な状況となっているにも関わらず、まだ彼女から闘志は消えていない。寧ろ更に強く燃えているようにすら感じられた。


「さすがは『剣帝』か。その不屈の心が、お前が剣士の最高峰の一角たらしめている所以であるのかもしれないな」

「我が主、アルカディー二世陛下の盟友に仇成す『魔王』を許すことはできない。お前は我々にとって紛れもない敵だ。だが、剣士としてお前には敬意を表したい」


 今すぐ殺してやるぞ、という目つきをしながら、キーラはセイフを認める言葉を口にする。セイフは相手の意外な発言に目を丸くするが、自分もこの若き『剣帝』の事を気に入り始めていると気づいた。自分の意志に則った、ただひたすらに真っ直ぐなキーラの剣は、剣士ならば誰もが憧れる一つの到達点であった。搦め手のような剣術を使うセイフは、余計にそう思う。

 しかしキーラの言う通り、二人は敵同士なのだ。彼らに出来ることは、相手を討ち取ろうと愚直なまでに剣を打ち合わせることだけだった。互いに無言で剣を構え直す。


「先ほど呼吸が乱れるほど剣が冴えると言ったが、アレは嘘だ」

「知っている」

「何だと!?……ああ、えっと、いや、とにかく、あの言葉は嘘だが、私にはまだ奥の手が残っている。我が剣の最奥をお目に掛けよう」

「いいだろう。『剣帝』の技、全て捌ききってみせる」


 そうして、会話は途切れる。これ以上の言葉は必要ない。あとは、己の力を信じて剣を振るうだけだ。

 先に動いたのはやはりキーラ。しっかりと距離を保った状態から、一歩踏みだす。セイフが警戒するのは次の二歩目。キーラの踏み込みは多少の距離ならば、それこそ瞬間的に詰め寄ることができる。これまで通り、一気に接近してきて突きを放ってくるだろう。そう予測を立てるが、その二歩目はなかった。

 キーラは一歩踏みだすと同時に剣を後ろへ大きく引く。そして渾身の力を込めて地面を踏み抜き、前に進もうとする力を全て腕へ込める。空気の壁を打ち破るような高い音が鳴り、キーラの剣が突き出された。剣の刃渡りから考えれば、ある程度距離をとった位置にいるセイフに届くはずがない。しかし、セイフは見誤らなかった。剣で防御するという考えも捨てて慌てて横へ転がる。

 刹那、セイフの立っていた位置へ向けて閃光が迸った。魔物の身ほどもある長い白銀の刃が、空を突いたようにセイフには見えた。実際にそんなものがあるわけではない。キーラの放った突きをそう幻視したのだ。

 キーラは「ふぅ」と息を吐きながら剣を引き戻す。その顔はどこか得意げだ。


「どうだ。極限まで洗練された突きは、千里の先までも貫く。この技に穿てぬ物など存在しない。さすがのお前も捌くことはできなかったようだな」


 小鼻が膨らませて胸を張る姿が癪に障るが、セイフは今の技を脳内で分析する。まさか接近することなく、攻撃を仕掛けてくるとは予想していなかった。剣一つで遠距離攻撃をしてくる手合いを、かつての師、剛剣の申し子たる『剣帝マルクス』以外にセイフは知らなかった。キーラはこの華奢な体格に相当なパワーを秘めているらしい。頭の中に自分たちの団長の姿を思い浮かべて、そういう者がいても別に珍しくはないかと納得する。その団長と目の前の『剣帝』がかなり特殊な人種であるというとこには気づいていない。

 だが、相手の技がパワー主体のものであるというなら対処が出来ないわけではない。セイフはそう結論づけて剣を構え直す。


「よし、見切った。もう一度撃ってみろ。次は完璧に捌いてやる」

「ふん、やってみるといい」


 キーラが剣の切っ先をセイフへ向けると、それを後ろへ引きながら再び一歩踏みだす。

 来るか。セイフの剣を握る手に自然と力が入る。そしてキーラは踏みだした足に力を込め、二歩目を踏みだした。

 さっきの技ではない。そうセイフが判断したとき、既にキーラはセイフの懐まで入り込んでいた。そしてセイフの胸を狙って突きが撃たれるが、セイフは何とか剣で弾いた。

 キーラは防がれたと知るとすぐに右へ回り込む。次は足元へ向けた突き。それが弾かれるや否や、更に右へ回って今度は二段突きを放った。二撃とも、セイフが横へ流す。

 するとキーラは次に、剣を後ろへ引いた。更に力の乗せた突きを放つつもりだ。しかしセイフにとって、そこは反撃の隙だ。カタナを素早く横に構えて胴を狙いにいく。

 しかし、セイフの狙っていた箇所は彼の目の前から消えた。キーラはセイフが反撃に出るタイミングで左へ移動したのだ。あの隙はわざと見せたものだった。自分に攻撃を仕掛けてくるよう誘っていたのだ。そう気づいた時、キーラの剣は限界まで後ろに引かれていた。そして地面にめり込むほどに強烈な一歩が踏みだされる。セイフは自分の誘いに乗った。ならば剣は振り切っているはず。攻撃に気づいて慌てて剣を構え直そうとも、自分の攻撃の方が速い。


「終わりだ!」

「いや、やはり甘い」


 低く冷静なセイフの声が響く。キーラが技を放つその時、既にセイフは剣を完全な姿勢で構え直していた。キーラの予測が外れた。だが、無駄なことだ。自分のこの技は究極の突き技。破ることなどできやしない。その自信に後押しされ、持てる全てを乗せた至高の一撃が閃く。セイフの身体の中心を狙って剣が伸びる。白銀の光がセイフの胸に風穴を開けようとする。

 その刹那。キーラは月の光を見た。まだ日は高く昇っている。しかし、キーラは自分の目の前に現れた輝きを月の光だと思った。青みを帯びた光は正円の軌跡を描き、キーラの剣先がその円の中心に届くその瞬間、自分の視界が光に包まれる。それが晴れた時、自分の目の前から斬り合っていたはずの敵の姿が消えていた。いや、どうやら少し違うようだ。自分の身体が宙を舞っていたのだ。目に映る景色が縦横無尽に回転する。手にしていた愛剣もいつの間にか手放してしまっていた。視界の隅で自分と同じように、くるくると楽しく回転している。

 そうか、自分の技は破られたのか——。キーラがそう悟ると同時に彼女は背中から地面に叩きつけられた。


「ぐぇっふ!」


 平べったく落ちたせいで情けない声が漏れ出てしまうが、今はそんな事を気に留めはしなかった。反りのある美しい刀身。その切っ先がすらりとキーラの喉元へ当てられる。


「……見事だ。よく、あの突きを捌くことができたな」

「俺の師は剛剣を極めた男だった。俺もまた、つい最近まで剛剣を扱っていたんだ。剛の技の扱いは熟知している。相手の技を捌くには、まず相手の技の特質を知る必要があるが、そんな俺だからこそ、お前の技を見切ることができた」

「なるほどな。柔と剛を兼ね備えた剣か。厄介な相手なわけだ」


 キーラは太陽のまぶしさに目を細めつつ、僅かに微笑みをみせる。その笑みはどこか自嘲しているようにセイフは感じた。だからつい、彼はキーラへ励ましの言葉をかけてしまう。


「だが、お前が俺の反撃を避けたときは正直肝を冷やした。精神的に追い詰めていたつもりだったが、まさかそう出られるとは」

「……確実に攻撃を当てるための隙を作り出してやろうとやったことなのだが、お前はその隙すら与えてくれなかったがな。何故だ?私の誘いに乗ってしまったら防御は間に合わなかっただろうに」

「まあ、俺が反撃の剣を振る前に、お前が誘っているんだって気づいてしまったからな。咄嗟に剣を引き戻して、間に合った」

「……それはつまり、私の会心の頭脳プレイは読まれていたということか?」

「……まあ、そうなるな」


 キーラの目にじわりと涙が浮かぶ。キーラへフォローを入れるつもりが、逆に自分の勝利を確固たるものにしようとしている大人げない野郎みたいになってしまった。セイフは慌てて言葉を探す。


「あー、ほら、あれだ。お前のやる気は凄かった。よく、へこたれなかったな」

「……『俺は相手をへこたれさせるほど強い』と言いたいのか?」

「え、えっと、勝利への執念というか気迫は、さすが『剣帝』だと思ったぞ」

「……諦めの悪い粘着質な女という意味か?」

「…………」


 思考がネガティブモードに入っている。何を言っても無駄だった。というか、自分は敵の将に何を言っているんだ。何故励ましてやろうとしているんだ。馬鹿なのか。冷静になったセイフだったが、やはり目の前でぐすぐすと鼻を鳴らし始めてしまった女性を放っておくのは忍びなかった。その女性を泣かしたのは自分であるとか、今もその首元に刃を向け続けていることとかは気にしないようだ。そこでセイフはとりあえず目に付いた事を褒めてみることにした。


「えっと、そうだな。お前は、美しいじゃないか。ああ、そうだ。お前は綺麗な女性だ。うん。多分、世の女性たちが羨むくらいだろう。だから、そんな卑屈になる必要はないんじゃないか?な?」

「…………え?」


 地面に落下した際に兜が脱げて露わになったキーラの顔は中々に端正作りだった。十二分に美女と呼べるだろう。これなら良い感じに褒めれたのではないか、自信回復に繋がったのではないか。もう面倒くさくなったりしないのではないか。セイフは我ながら言い事を言ったと微笑みを浮かべる。するとそこでキーラの顔が紅潮した。


「……お、お前は、わた、私をどう思っているのだ?」

「お前を?相対して思ったのは——」

「愛して!?愛してると思ったと言ったか!?」


 言っていない。致命的に誤認している。セイフがそう弁解しようとする間もなく、キーラが起き上がってセイフの手を掴み、痛いくらいに固く握りしめた。いきなり動くので、うっかりキーラの喉を引き裂きそうになるが、構わず彼女はしゃべり倒す。


「そうか!これまで私の元に男がやってこなかったのは、今日このときお前と出会うためであったのだな!腕が立ち、私を受け止め、そして、ああああ愛してくれる!まさに運命の相手だ!敵同士?なに、一度剣を交えれば皆友だちだ!私はそうやって育ったからな!さあ、そうと決まれば善は急げだ!早速婚れ——」


 ゴスッという鈍い音共に、キーラがその場に倒れた。頭から血が流れているが、命に別状はないはずだ。セイフの手に必要以上に力が籠もっていたりしていなければ。

 セイフは大きくため息をついて立ち上がる。そこでようやく、周囲の兵たちもキーラが敗北したのだと気づいたようだ。混乱が徐々に広がっていく。誰もキーラが良からぬことを口走っていた事に気づいていないようだ。

 そう、セイフがキーラを気絶させた目的はそれだった。キーラが謀反を起こしたなどといって捕らえられたりしないようにするためである。キーラはまだ若い剣士。才能溢れる彼女はこれからも戦場で剣を振るうことで経験を積み、やがて『剣帝』としての名に恥じない至高の剣士に至る逸材であるのだ。こんな所で潰されていい存在ではないのだ。かつて師の誤りによって才能を潰されかけてしまったセイフだからこそ、余計にそう思うのかもしれない。

 間違っても、キーラが鬱陶しかったから黙らせただけだとかそういうのではない。断じてない。

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