87 混戦
明らかに高すぎる崖。普通に考えて無事に飛び降りられるわけはないのだが、ランドルフは足を地面にめり込ませてドスンと着地した。その足を引き抜きながら、彼は声をかける。
「お前がこの場の連合軍の指揮を執っているってことでいいか?『剣帝トラヤヌス』さんよ」
セイフとの二人きりの仕合を邪魔されたことを不快に思いつつも、増援は非常に有り難いことである。停滞したこの場を再び動かす潤滑油となってくれるに違いない。その期待を持って、キーラはランドルフの言葉に応じる。
「いかにも。私が『剣帝トラヤヌス』であるキーラだ。『鉄血』のランドルフ殿とお見受けするが、増援に感謝する。丁度目の前のこの壁の内に『魔王』がいる。しかし、守りが中々に強固で破れんのだ。助力を頼みたい」
「助力、な。了解だ。シバ!」
ランドルフが頷いて呼びかけると、その相手はようやく崖から下りられそうな場所を見つけて、引き連れてきた冒険者たちと共にそろそろと戦場にやってくるところだった。そしてランドルフに対して手を振る。了解の合図のようだ。ランドルフもまた、それを受け取ると再びキーラへ向けて声をかける。
「とりあえず俺たちは、この停滞した戦況を変えればいいんだな?」
「その通りだ」
「よし、なら、取って置きの手があるぜ」
ランドルフがニヤリと笑う。その言葉に含みがあるように感じたキーラは訝しげな視線を向けるが、その真意はすぐに明らかになる。
キーラの後方、『魔王』陣営拠点の壁と反対方向の場所から悲鳴が上がり始めたのだ。そんな場所に敵はいない。敵は全て壁近くの障壁の内に守られているのだから。だったら何が起きているのか、キーラはすぐに察しが付いた。その考えの裏付けをとるために伝令の兵が駆けよってくる。
「キーラ殿!先ほど戦場に下りてきた冒険者たちが連合軍兵を襲い始めました!」
「貴様……ランドルフ!」
キーラが剣の切っ先を、目の前にだらりと立つ男へ突きつける。しかし『剣帝』に剣を向けられているというのに動じた様子も見せない。
「裏切ったのか。最初からか。我らを愚弄しおって……!」
「裏切った、か。さあ、何のことやら。俺が肩入れしているのは元より『魔王』だけだ。自分たちを正義だと呼ぶ気はないが、少なくともお前らは悪だ。俺はそう思ってるぜ。そんな奴らに味方するわけがないだろ」
「『魔王』にほだされたか!ならば私が今、この場でうち捨ててくれる!」
キーラの神速の突きがノータイムで放たれ、ランドルフの胸へ突き立てられた。間違いなく、相手の胸へ突き刺さった、というのに、人体を剣で打ったとは思えない金属音が響いた。
「悪いが、俺に剣を通したければ全力で来ないと無理だぞ」
「な、に?貴様、胸に鉄板でも仕込んでいるのか?」
「その答え合わせはまた今度だ。セイフ!後は頼めるか」
「了解」
ランドルフの背後からセイフが剣を構えて転がり込んできた。キーラは側面に回ることでそれを回避し、セイフと再び対峙することになる。そしてランドルフは二人を見送りつつ、連合軍の本陣の方へ向けて戦場をかけ始めた。彼に飛びかかってくる連合軍をはね飛ばしながら。
突如現れた冒険者の集団。数としては決して多くはないものの、一人当たりの戦闘力は冒険者たちの方が上であった。ランドルフが信用を置き、また相手もランドルフの事を信用しているような選りすぐりの冒険者たちである。訓練の中だけでエリートと呼ばれた兵士たちとは大きな経験の差があった。戦場は揺れに揺れ、ハンター商会の裏切りという大スクープは瞬く間に戦場を駆け巡る。
「さあ、こいつはどうだ!」
「まだパワーが上がるのか!?くそっ!」
タイタスが一歩踏み込むと、アステリオスもまた力強く地面を踏み抜き、両者の拳が付き合わされた。作用と反作用がぶつかり相殺され、衝撃波となって周囲に波及し、少し離れて様子を窺っている他の兵たちは、それに巻き込まれて地面に転がる。攻撃をした二人は一度距離を取って、自分の拳の感触を確かめている。
「ふう、また互角か。中々譲ってくれないな」
「既にかなりの力を解放しているんだがな。それで互角など、化け物としか思えんのだが」
二人はそう言って再び腰を落とす。タイタスは腹の底から息を吐き出し、アステリオスは息を吸い込んで力を溜め、筋肉を膨張させる。傍から見れば、圧倒的パワーファイターの二人が互角に拳を交わしているように見えるが、実際はタイタスがアステリオスを相手に力比べをしているだけである。結果タイタスが裏切っているとは誰も思っていないのだから、良いのだが。ただアステリオス一人がしんどいだけで。
その場に命知らずにも一人の兵が転がり込み、タイタスの元へ駆けよって何やら耳打ちする。アステリオスは特に手出しをすることもなく、それを見ていたが、タイタスの表情が驚きに染まるのは誰の目にも分かった。タイタスはその兵に礼を言うと、他の者への連絡の為に送り出す。
「ランドルフが、な。あいつがこの事を俺に教えてこなかったのは、俺にはあくまで敵役となってもらうためか?まあ、細かく考えるなってことだろうな。間違いなく。なら、俺がやることは一つだ!」
タイタスはもう一度気合いを入れ直して、アステリオスと対峙する。
「さて、続きだ!お前の全力を引き出させるまで続けるからな!」
「……だったらいっそフルパワーでぶん殴ってやろうか。いや、駄目だ。こんなエキシビションのような事で力を浪費するわけには……」
ぼそぼそとした呟きをため息で隠しながら、アステリオスも仕方なし拳を固めた。
そうしてタイタスの元を離れた伝令兵が次へ走るのは、彼らの指揮官であるナラシンハの元だった。既に戦場の異変は感じているはずだ。いち早く伝えねばと伝令兵は戦場を駆けるのだが、目的の人物の周囲は更に近づくことが困難な状況と化していた。
「おおおおおお!」
金色の闘気を纏うブケファロスが全力で振りかぶったリットゥを振り下ろす。対するナラシンハは剣を同じく上段に振りかぶり、ブケファロスの剣とタイミングを同じくして振り下ろした。両者の斬撃がぶつかり合うが、ナラシンハはそこから左方向に剣をずらすことでブケファロスの剣を右へ流した。重量のあるブケファロスの剣は地面に深く突き刺さり、巨大な亀裂を生む。だが、ナラシンハの剣は自由だ。隙の出来た相手の背を貫かんと剣を素早く振りかぶるが、そこにペトラが飛び込んできた。両手の短剣を交差させ、威力で勝るナラシンハの剣を防ぐが、体重差で押し切られて地面に投げ出される。
「二人まとめて両断してくれる!」
ナラシンハは剣を下げると切っ先で地面をガリガリと擦りながら走り、その勢いを乗せた切り上げを放った。ペトラは未だ倒れたままだ。ブケファロスも剣を引き抜いたところで体勢が整っていない。しかし、自立した剣であるリットゥには体勢など関係なかった。ブケファロスの手から離れてナラシンハの一撃を正面から受け止めた。
『こ、これは強力……!』
「面妖な剣だ!だが、押し切る!」
ナラシンハが剣を握る腕に力を込めるが、そこにペトラが手をかざす。
「精霊魔術『カザカベ』!アンド、『カザナミ』!」
発動した精霊魔術によって、リットゥの目の前に緑の壁が出現する。それに加えてナラシンハの足元に風が渦巻いた。次の瞬間、そこに身を切り裂くほどの烈風が巻き起こる。普通の人間ならあっという間にズタズタにされてしまうだろうが、ナラシンハは逆にその風を剣で切り落としていったのだ。風の刃を斬るなどという常識外れな技に血の気が引きつつも、ナラシンハの猛攻を止めることはできた。距離を取って仕切り直す。ナラシンハもまた、肩を回して剣を構え直した。
「魔術が使える剣士とは反則だな。普通の剣士とは不測の状況への対応力が段違いだ。うらやましい限りだ」
「あんたの強さの方がよっぽど反則だっての!」
ペトラが舌を出してブーイングを送るが、ナラシンハは素知らぬ顔でペトラを睨みつける。しかし、伝令兵はそこが報告のチャンスだと判断してナラシンハへ駆けより、タイタスにしたものと同様の報告を行う。ナラシンハの表情は大きくは変わらなかったが、漂う殺気が一段と増したのをブケファロスとペトラは感じ取った。
「……そうか、ハンター商会が。ランドルフ会長は嘘で固められた男だったか。それを見抜けなかった私の落ち度だ。だが、戦況はまだこちらの有利なのだろう?」
「私にそこまでは判断できませんが、相手は少数。数では圧倒的に有利です」
「あのお方がもうすぐ到着されるとの報告も来ている。私のやるべき事は変わらないか。ご苦労、もう行ってくれ」
伝令兵は一礼して走り去っていく。それを見送ってからナラシンハは構えを解くと、剣を相手二人へ突きつけた。
「これまでも別に遊んでいたわけではない。だが、どこか余裕のある戦いをしていた。戦いに身を投じる剣士として、その態度は詫びよう。故に、ここからは『剣帝ハドリアヌス』、その神髄を味わわせてやろう。瞬きすら許しはしない」
彼の眼光からその本気の程を悟り、ペトラとブケファロスは身震いする。だが、それで臆するような人間なら元よりこのような場所に立ってなどいやしない。
「悪いな、ナラシンハさんよ。俺もまだ本気じゃなかったんだわ。俺の剛剣を次のステップへと進める取って置きの技があるんだよ」
「奇遇ね、あたしもよ。ずっと使わずにいた、取って置きの剣があるのよ。ちょっと試したら強すぎて自重してきたんだけど、『剣帝』様相手なら丁度いいでしょ?」
ブケファロスはリットゥをぐるんと振り回して肩に担ぎ、ニヤリと笑う。ペトラは懐から取り出した一振りの短剣を腰に差し、引き抜いた。透き通る白色の金属が刀身を象る美しい剣である。かつてギンジロウに打って貰った、アダマント制の短剣だ。それを構えて、彼女もまた笑って見せた。
絶対的な強者を相手にしても、なおも戦意を失うことのない二人の若い剣士。これが戦でなく純粋な仕合であれば、一人の剣士としてこの上なく楽しい場であっただろう。ナラシンハは心中でそう思いつつも、険しい表情で剣を構えた。
こうしてまさに乱戦の様相を呈してきた戦場だが、未だ戦力差がひっくり返っていない。連合軍にはデカン帝国本国にて待機していた兵も合流し始め、倒せども次から次へと兵が投入されるという状況になりつつあった。しかし、場の空気は『魔王』陣営の方へ傾いていた。『魔王』側は個人の戦闘能力が高く、戦いに挑むには相応の覚悟と度胸が必要になる。故に兵たちは自分を奮い立たせて剣を振るうものの及び腰になってしまい、いまいち地に足がついていないのだ。そんな兵士を蹂躙するのが、先ほど戦場に乱入してきたランドルフとシバである。
ランドルフが持ち前の拳で連合軍の兵を片っ端から殴り飛ばしていく。負けじと兵も剣を向けるが、何故かランドルフには刃が通らない。兵達は混乱して冷静な思考を失い、無策に剣を振るうだけであった。そんな兵たちはシバにとって格好の獲物となる。気配を隠した彼のナイフが素早く適確に喉を使い物にならなくしていく。元々隠密に長けた彼の姿を、冷静でない者達が視認することなど不可能に近かった。そこに加えてヴェロニカの魔術砲撃とメリッサの精密狙撃が襲い来る。耐えられるはずもない。連合軍の兵たちは順調に数を減らしていった。
意外にも勝敗が読めなくなってきた戦況だが、それを打ち破る存在がついに姿を現す。突如として戦場の上空に無数の光の槍が出現したのだ。それらの切っ先は全て一点、『魔王』陣営の拠点の壁を向き、矢のように掃射された。それらも全て障壁に阻まれることとなるのだが、怒濤の攻撃に障壁が僅かに揺らいだように、見ている人間には感じられた。
燦然と輝く槍を掲げていた男はそれを下ろすと、ゆっくりと歩き始める。
「あの障壁、想定以上の強度だな。未だ我が道を築いていないナラシンハに文句の一つでも言ってやろうと思ったが、今回は容赦してやるとしよう」
「今はあの男に構っている必要もありませんから。わたしたちの目的は『魔王』ただ一人。それ以外はどうでもよいのです」
「ああ、違いない」
彼を見た連合軍兵は揃ってひれ伏す。相も変わらず緑色の軍服に身を包んでいるが、彼の羽織るマントはデカン帝国のものではなく、絢爛豪華な金の刺繍が施された、まさに『英雄』、あるいは神の威光が放つ輝きとも呼べる代物だった。それに付き従う者は皇帝近衛師団の緑のマントを纏う。しかし、発している覇気、そして怒気はとなりの煌びやかな『英雄』様よりも一段と重く暗く黒いものだった。
『英雄』ルーグと皇帝近衛師団副団長『イナンナ』が戦線に加わる。戦場に広がるその知らせは、連合軍の落ちかけた士気を再び高揚させることとなった。戦は新たな局面を迎える。




