79 奮闘の七日間後半戦
やってきた四日目。
ダレイオスの定めた七日の研究期間も折り返しである。
しかしダレイオスは自分の研究をヘルマン(とメリッサ)に任せて、ひたすら資料を読みふけっていた。内容は『魔力から魂を生み出すことは可能か』。以前ダリラが用意した紙の塔のことである。ルーグが復活したり、精神世界探索組が帰還したりと色々とバタバタしていたせいで、まだ読み終えることができていなかったのだ。この七日が過ぎればゆっくりできる暇もなくなってしまうかもしれないので、今のうちに読んでおこうと考えたわけだ。
「……魔力はペルセポリス遺跡などの例から物質として……これを凝縮して高エネルギー体とするには、魔力の流れをコントロールし維持する装置が必要不可欠……。『七色の魔物』やサーラが持っていた障壁を張る能力のことか。……やはり確信的なことは分かっていないか……。実際に魂を研究するためにはサンプルも必要だろうしな。それでも短期間でゼロから理論を打ち立てたのはさすがと言うべきか……」
ダレイオスは順調に読み進めて残り少なくなった資料を手に、自分の隣にそびえる紙の塔を見つめる。そうは言いつつも、頑張って読んだのに成果はこれだけかと思ってしまっていた。
それでもやはり、材料が少ない中でこれだけのものを組み立てたダリラには感謝すべきだろう。これがイシュタルの正体を明かすことに繋がればいいと思いつつ、ダレイオスは残りを一気に読んでしまおうと、資料に再び目を落とす。
『魔力から魂を作ることが出来るか』。この問いに対するダリラの答えは、『否とは言えない』というものであった。魔力をはじめとする、様々なエネルギーを糧にしている生物に近しい存在はこれまでに何度も確認されているということもあり、意志を持つ高エネルギー体を作ることなら可能ではないかとしている。本当の意味での魂ではないが、それを模倣したものということだ。
『その、『エネルギーを糧にしている生物に近しい存在』ってわたしたち、というかヘルマンさんとヴェロニカさんが会ったやつかな。ほら、『冥界術式』がでっかい大蛇になったって言ってたでしょ?』
「そういえばそうだったな。ペルセポリスの地下で戦ったというアレか。更に膨大な魔力を用いて洗練させれば、それを私たちは魂と呼ぶことができるのかもしれない」
ダレイオスが顎に手を当てつつ呟く。話題に上がった大蛇は、術の発動者だった“死人”アングイスの手を離れ、自立した意志のままに行動していた。外見は異形であったが、獲物に食らいかかる姿は普通の蛇と何ら変わらないものであった。歪ながらも、あれは一種の魂であったのかもしれない。
ともかく、魔力を魂に近づけることは可能であるという結論は出たわけだ。それだけでも、この長く長い資料を読んだかいはあった。ダレイオスはそう思いつつ、持っている資料をパサリと置く。
『まあ、いい気分転換にはなったね』
「そうだな……。ふむ……」
アレシャの言葉に同意しつつも、ダレイオスは何やら考え込んでいた。どうしたのかとアレシャが問う。
「いや、今の内容が研究に使えそうな気がしてな……。いや、これはもしかすると使えるかもしれん。いや、使えるぞ、コレは!」
ダレイオスは椅子から勢いよく立ち上がった。その衝撃で書類の塔がぐらつき始める。しかし、興奮していたダレイオスはそれに気づかない。
『ど、どうしたのダレイオスさん』
「今言ったとおりだ。閃いたぞ。これを形にできれば、研究で挙がっていた問題は解決する。早速ダリラに話をしなけ——
ドシャァァという大きな音がダレイオスの言葉をかき消した。紙の塔が崩れ去った音である。紙片が部屋中に舞い散り、床一面を埋め尽くした。同じ部屋の中で真面目に研究をしていた他の面々の視線がダレイオスを突き刺す。
「……早く片付けて」
「……はい」
誰が口にしたか分からない小さな呟きに静かな怒気を感じたダレイオスは、そそくさと書類の海から塔を建築する作業を始めた。
五日目。
多少の事件を起こしはしたが、昨日のダレイオスの思いつきはダリラたちの研究に大いに貢献することになった。ダリラが自分の持つ知識を動員して簡単な魔法陣を構築してみると、それは見事に求めている効果を発揮した。荒削りだが、これを基盤とすれば研究は大きく進展することだろう。
光明が見えたダリラ班。一方のダレイオス班は、目を見張るような進歩は無いものの、コツコツと研究を続けていた。元々ダレイオスの中にある程度の理論が存在していたこともあり、躓いたりすることもない。問題があるとすれば、それは時間だけだ。しかし、まだ五日目。二日以上時間がある。大丈夫。そう想って焦らず着実に理論を組み立てていく。ただ、「大丈夫」という言葉が頭の中に浮かび始めたときは総じて大丈夫でない時だったりするのだが、今回がその限りであるかは定かではない。
所変わって、屋敷内の広間。そこでは珍しくヤスケが声を荒げていた。
「だから、親父は引っ込んでろって言ってんだ!俺たちが何とかするから!」
『嫌だね!こないだは俺も冷静じゃなかったから、大人しく引き下がったが、今日の俺は違うぜ!恩人の危機に指くわえてたら、ご先祖様に申し訳が立たねえだろうが!』
「どこが冷静だ、どこが!それに、俺たちは自分の身は自分で守れるが、親父はそうはいかねえだろ!」
『へっ!元々アレシャの嬢ちゃんがいなけりゃ、俺は生きていやしねえ。この命、預けてやるって言ってんだ。天下の鍛冶屋ギンジロウ様の命だぞ?何が不満だってんだ!』
「不満だとかそういう問題じゃないだろうが、馬鹿親父!」
『誰が馬鹿だ、この馬鹿息子!』
通信の魔法陣越しに喧嘩する親子を、他の面々は生暖かい目で見守っていた。尤も、その喧嘩の内容はさっぱり暖かくないのだが。
ヤスケの父、ギンジロウはロマノフ王アルカディー二世お抱えの鍛冶師である。しかし、そのロマノフ王国はデカン帝国側についた。ロマノフ王国関係者であるギンジロウは必然的に敵であるということになる。
ただ、ヤスケはロマノフ王国の立ち位置が明らかになる以前からギンジロウに、アレシャたちとは縁を切ったというスタンスでいるように言いつけていた。ギンジロウに危険が及ぶのを避けるためだ。
しかし今になって、ギンジロウが「やっぱりじっとしてられない。俺にも何か役立たせろ」とヤスケへ怒鳴りかけてきたのだ。最初は落ち着いて諭していたヤスケだったが、いつしかヒートアップ。ご覧の有様になった。
「まあ、ヤスケくんも一旦落ち着け。冷静にならないと話もできない」
「俺は冷静だが」
「いきなり真顔になっても駄目だ。額に汗がにじんでいるぞ。少し変わってくれ」
アステリオスが魔法陣の前にやって来て代わりに話始める。アステリオスもモロクでの事件の折りにギンジロウと面識があるのだ。ギンジロウも相手の声を聞いてそれが誰か分かったようだ。気さくに言葉を返してくる。
『久しぶりだな。元気か?お前にも随分と助けられたなあ。というわけで、今度は俺が助ける番なわけだが』
「いや、それが——」
『そうだな。いっちょ俺がロマノフ王国まで行ってアルカディー陛下に謁見してくるのがいいな』
「いや、そうではなく——」
『なに、心配すんな。俺も長年客商売やってきてんだ。話術には一家言持ちだ。陛下を見事に説き伏せてやるよ』
「話を——」
「ストップだ、アステリオス。このままだと押し切られる」
黙って聞いていたセイフがそこで話を切り上げさせた。なおも魔法陣の向こうで喋り続けるギンジロウ。スイッチが入ってしまって簡単には止まりそうにない。酒でも入っているんじゃないかとヤスケは思った。いや、これは間違いなく入ってると確信する。なんと言ったって、彼の父親は大の酒好きだ。酔いの勢いで連絡を入れてきたに違いない。と言っても、元々そのような不満は持っていたのだろうが。
「はぁ、仕方ないわね。どうせこのままじゃ収拾がつかないし、ここはあたしに任せて」
今度はペトラが何とかするらしい。アステリオスと交代する。
「お久しぶり、ギンジロウさん。あたしの事覚えてます?」
『ん?んんー……おお、あのエルフの嬢ちゃんか!『剣帝』のとこで修行してるって聞いたが、戻ってきたんだな。元気そうで何よりだ』
「はい。それで協力の件だけど、今アレシャたちが寝る間も惜しんで準備をしてるんです。それが終わったら必ず連絡しますんで」
『……ホントか?ヤスケにも前に同じようなこと言われたが、嘘っぱちだったみたいだぞ?』
「今度こそホントのホント。嘘なら針でも毒でも何でも飲むし何でもするわ。……アレシャが」
『そうか、嬢ちゃんがそこまで言うなら信じるか。ホントに何でも言ってくれて構わねえからな?俺は絶対にあんたらの味方だからよ。それじゃあ、団長さんにもよろしく言っといてくれ』
ギンジロウはペトラの言葉で素直に引き下がった。通信がブツリと切れる。ペトラが「ふぅ」とため息をつく。
「いや、『ふぅ』じゃないだろ。駄目だろ。親父がまた嘘をつかれたと知ったら、今度は暴れるぞ?」
ヤスケが頭を抱えつつペトラにそう言うと、彼女はケロリと言い放つ。
「嘘なんかついてないわよ。ギンジロウさんの協力は多分必要になると思う。今すぐじゃないけどね」
「そうなのか?」
「表だって動ける協力者は必要だもの。勿論、その時が来たらギンジロウさんに危険がないよう誰かがサポートにつくべきだとは思うけど」
「……それはアレシャや他のやつらの判断か?」
「いえ、あたしの独断よ。だから言ったでしょ、嘘なら何でもするって。……アレシャが」
平気で親友を売る目の前の少女を、恐ろしい物を見る目で他の面々は見つめていた。親友であるから、信頼関係があるからこそなのかもしれないが、それでも中々できることではない。勿論、褒めてはいない。
そんなやり切れない思いを抱えてしまった彼らにできること。それは、中庭で鍛錬に励み余計な思いを吹っ切ることである。ヤスケを先頭に、彼らは中庭へと駆け出していった。残されたのはペトラとサーラの二人である。
「……冗談よ」
「ペトラちゃん、しっかりと言わないと分からないと思いますよ」
「……そうね。……あれ、いつの間にあたしは“お姉様”じゃなくて、“ちゃん”になったのかしら。前は“お姉様”って呼んでたわよね?」
「ギルドの先輩ということでそう呼ばせていただいていたんですけど、やっぱり歳が近いなら、そう呼んだ方が仲良くなれるかと思って……。え、ご、ご迷惑でしたか……?」
歳が近い。ペトラは今、十六歳。もうじき十七歳になろうとしている。サーラの精神年齢は、だいたい十歳。ペトラは静かに机にぶっ倒れた。
そして六日目。
研究もいよいよ佳境である。しかしダレイオスたち、さりげなく切羽詰まっていた。研究は順調である。順調であるのだが、やはりそもそもの七日の期間設定が短かった。ダレイオスたち、さりげなく寝ていない。すでに二徹である。だが、まだ心の余裕があった。着実に研究を進めることが第一だ。適当に魔術を作り上げたところで、役に立たないものができあがるだけ。それでは何の意味もない。
情報収集班の面々も、今日は鍛錬を休んで研究班のサポートに回っていた。具体的には、引きこもり下での引きこもりという人間らしさを諦めた生活を少しでも人間らしくさせるために食事を持ってきたり、必要な文献があれば屋敷の書庫から関連した本を持ってきたりとかそういうことである。ランドルフからの連絡が来たときの対応役を除いて、総出で研究を進める。
そしてついに、ヘルマンとともにひたすら紙面に文字を書き連ねていたダレイオスのペンが止まった。両手でそれを手にとって掲げる。
「できたぞ!完璧だ。これなら上手く行くに違いない!」
「ああ、俺の現代魔術の理論とダレイオスの古代魔術の理論の調和が上手くとれている。俺としても大満足だ」
「わ、私の、私の功績は……」
『メリッサさんの功績は……字が、字を書くのが、綺麗だったかな』
アレシャの毒にも薬にもならないフォローはさておき、ダレイオス班の研究は無事に完了した。しかし、ここで終わりではない。その理論を持ったまま、ダレイオスはダリラたちの班へと走る。途中で足がもつれてこけた。しかし、倒れたまま、ダリラへそれを渡した。
「お前らの術にこれを組み合わせられないか?洗脳を解くと同時にコレを発動させたい」
「そう言うと思っていました。その分のリソースは割いて研究を進めていますよ」
「そうか、何よりだ!」
「では手が空いたのなら、ダレイオスたちの班もこちらの研究に加わって貰えますか?ラスト一日。全員でとりかかれば、きっと完成するはずですわ」
「ああ、勿論だ。ヴェロニカさん、現状の研究の進度が分かる資料は何かありませんか?」
「それなら、コレに目を通してちょうだい」
ダレイオスとヘルマンがそれを受け取って読み始める。そして、最後の研究が始まる。ダリラの研究資料から得た発想を元に理論を組み立てる。誰かが組み立てた理論を誰かが打ち崩し、そこからまた別の誰かが作った理論をまた別の誰かが打ち崩す。以前と何も変わらないように見える。しかし、それはもう積み木遊びではない。何度も叩いて洗練される鋼のように、彼らの研究は確固たるものになっていく。
そして、そのまま七日目へとなだれ込む。
研究はついに大詰め。そしてついに三徹目である。彼らの疲労は最高潮に達していたが、わき出す脳内麻薬が全身に染み渡り彼らの頭と身体を動かす。
しかし、それはあくまで肉体に働くもの。彼らの心にまではとどかなかった。
故に——
「おい、あの資料はどこにやった!」
「知らないわよ!ちゃんと自分で管理しておきなさいよ!」
「全く、使えない『魔王』だな!」
「ダレイオスちゃんに何て暴言吐くんですか!」
「うるせえ!お前はサッサと資料を纏めやがれ!それしか能がねえんだから!能なし!」
「なんですと!?」
「おい、踏むな!」
「いいから静かにしてちょうだい!集中できないじゃないの!」
そこには罵声と怒号が飛び交う光景が広がっていた。これがいわゆる、修羅場というヤツである。いつのまにかクリームヒルデが持ち込んでいた酒により、感情がストレートに口から飛び出しているのも原因の一つである。ちなみに、一番口が悪いのがクリームヒルデである。酒は彼女のお嬢様キャラを容赦なく引っぺがす、魔法の飲料であるのだ。
「私も何かお手伝いしなくてよいのですか?」
「なりません、サーラ様。あのような醜悪な場所へは行ってはならないのです」
小屋の外ではサーラがライラとともに閉め出されていた。彼女らの役目は持ってきた食事を小屋の扉の前にそっと置くことである。まるっきり引きこもりの母親の立ち位置であった。手づかみで食べられる軽食をライラが用意してドアを軽くノックすると、中からペトラが顔を覗かせる。
「食事をお持ちいたしました」
「精の付くものですので、皆様で楽しく食べて下さいね!」
「ありがとう、助かるわ。……サーラ、あたしのことは何て呼ぶのかしら?」
「えっと、ペトラ……お姉様です」
「よろしい。何で今首を傾げたのか問い詰めたいところだけど、今は不問にしておくわ」
ペトラが頷きながら食事を手に取った。この質問、この二日の内に両手で足りぬほどしている。ペトラのプライドを保つ上で非常に重要なことらしい。
「それじゃあ、そっちはよろしく。ヤスケとセイフさんも何ともない?」
「はい。重要な情報は入ってきていないと聞いています。何かあればすぐにお知らせいたしますので」
「うん、分かった」
ヤスケとセイフが現在の連絡が来たときの対応係である。速報が入れば小屋へ駆け込んでくることになっているが、今のところソレもないようだ。ならば、まだ研究を続けるしかない。悪報でもいいから何か情報があれば、研究を中断して地獄から抜け出せるのにとペトラは思いつつ、暗い顔で食事を手にドアをゆっくりと閉めた。
「引きこもりども!食事が来たわよ!メニューは……ちょっと、押さないで!やめて、かじらないで!それ、パンじゃ無くてあたしの!あたしの耳だから!耳だからあぁぁぁぁ……」
「皆様、元気そうですね。何よりです!」
「そうですね、サーラ様。私はサーラ様が幸せそうで何よりです。さあ、お屋敷に戻りましょう。ここにいては汚れてしまいますからね」
穏やかな笑顔を浮かべる二人が屋敷に戻っていくが、小屋の中は修羅場というか、もはや戦場となっていた。
ダレイオスの定めた期日は七日間。実のところ、それを律儀に守る必要性はない。ただダレイオスが勝手に決めただけなのだから。しかし彼らは総じて負けず嫌いであった。ここまで来たら何としても期日内に完成させてやるという意地に近い信念の元、一心不乱に研究に打ち込む。
人間の感情というものには波が存在している。七日目が終盤に差し掛かると、彼らの負の方向にヒートアップしていた感情は落ち着きを取り戻していた。単純に脳内麻薬が切れて、はしゃぐ元気がなくなったとも言う。誰もが俯き気味に黙々と紙にペンを走らせていた。日は既に山の向こうへ消え去ろうとしている。
「ダレイオス、書けたわ。確認してちょうだい」
「俺も書けた」
「私もですわ」
「ああ、見せてくれ」
仲間たちからそれぞれの研究成果を受け取り、ダレイオスは目を通していく。そして彼が書いていた文章に、それらから得られた情報を付け足していった。そして、アレシャが両手を広げたときほどの大きさの一枚の紙面に、びっしりと文字が書き連ねられた。
『これが……』
「ああ、そうだ。ダリラ!」
「はい」
「お前に任せた。最高のものを描き上げてくれ」
「勿論よ」
ダレイオスからそれを受け取ったダリラは、全員が見守る中、バサリと広げた一枚の紙にペンを走らせ始める。紙一杯に広がるだけの円を描き、くみ上げた理論を基に文字や記号を書き足していった。
情報収集班(仮)の面々や、出入りを禁じられていたサーラとライラもいつしか小屋に集まり、その作業を見届ける。ダリラの筆は迷い無く軽快に紙面を走り回る。
日が完全に沈み、真っ暗な部屋の中を魔力灯の明かりがぼんやりと照らし始める。ダリラの筆先が紙面を離れたのは、丁度そんな時だった。
「完成。これが、私たちの七日間の成果です」
そこに描かれていたのは、びっしと文字が書き記された円の中央に五芒星を象った魔法陣だった。ヴェロニカではないが、アレシャはそれを見て本能的に『美しい』と思った。洗練された美というのだろうか、名工によって掘られた彫刻のような貫かれた美しさをアレシャは感じた。アレシャでさえそう感じたのだから、彼女は一体どんな感じになっているのかと思いアレシャがヴェロニカを見やると、彼女は口を手で覆っていた。ぽたりと滴が床に垂れる。鼻孔から出血していた。
「本来なら実証実験を行うことで完成と言えるのだが、俺の少ない研究者としての経験から言わせて貰うと、この魔法陣は本物だ。間違いない」
「魔術のことがよく分からねえ俺でもすげえもんだってのは分かる」
「これまでの研究の過程をしっかりと論文に纏めたら、相当な注目を集める程の魔術だと思いますわ」
クリームヒルデはそう言うが、それも当然のことかもしれない。世界トップレベルの研究者と、魔術分野の最高峰である『魔王』が優秀な魔術師たちと共に作り上げた研究だ。素晴らしいものにならないわけがない。
『でも、この術は世間に公表しない方がいい気がする。いくらでも悪用できるし』
「アレシャの魔力が無ければ成り立たないのだが、応用はいくらでも利きそうだからな。今回の件が片付けば素直に破棄するとしよう。まあ、それはともかくとして……お前達!」
ダレイオスが突然声を張り上げた。その場にいた全員の視線がダレイオスへ注がれる。それを確認してから、ダレイオスは続けた。
「本当によくやってくれた!この術は間違いなく私たちが真実を手にするための大きな“楔”になるはずだ!私の胸の中に語りたいことは山ほどある。お前達への感謝や、これからの戦いへの激励、そして勿論この術を使った策についてだ。だが、あえて私はここで口を閉ざそうと思う!」
全員の意識がダレイオスの次の言葉へ集中する。そして、彼は口を開いた。
「なぜなら、私も含めて皆、寝たくてしょうがないだろうからだ!それでは、おやすみ!」
ダレイオスのその言葉は、下手な催眠の魔術よりも大きな効果を発揮した。『アルケーソーン』の面々は床に崩れ落ち、適当な場所で寝息を立て始めた。
「全く、すさまじい光景だな」
ため息をついたのはセイフだ。彼は急な連絡の対応係として、できる限り修羅場から離れた位置にいた。なので、中々に元気である。本来冒険者は多少寝なくても平気なくらいの精神力が求められている。毎晩安眠というわけにはいかない生活だからだ。ベテラン冒険者である彼はその点も他の面々とはひと味違うのだ。現に、同じく連絡対応係であるヤスケも壁にもたれかかってうつらうつらとしていた。
しかし、彼とは別にもう一人元気な人間が。
「私としても良い経験になりました。こんなに楽しい研究の現場は中々ないですから」
「それなら何よりです」
研究の中心人物であったダリラだ。一番疲れていてもおかしくないというのに、のんびりと紅茶をすすっていた。彼女は巨大な魔導研究所の優秀な研究者である。これくらいの修羅場には慣れっこだったのかもしれない。
「アレクセイやギルドの面々と一緒にいた時を思い出しました。こんな風に馬鹿やって騒いで、あのときは楽しかった」
「アレシャちゃんの父親の話ですか。噂でしか聞いたことはないのですが、どんな人物だったか聞いても?」
「噂とそんなに違わないと思うわ。でも、そうですね。違うところがあるとすれば、彼は優しい人間ではなかった、ということですかね。こうして事が起こって実感したけれど、彼は割り切ることはしはないが、割り切れる人間だった」
「……どういう意味ですか?」
「申し訳ないけれど、私の口からは。ただ、彼もまた、数奇な運命に翻弄された男だということです。セイフさん。アレシャちゃんのことをよろしくお願いしますね」
「……ええ、言われずとも」
ダリラは何を口にすることを拒んだのだろうか。セイフは気になってしまったが、問い詰めたりすることはなかった。いずれ嫌でも知ることになるだろう、そんな気がしたからだ。
それに、その時のダリラの酷く切なげな表情が、セイフの思いをかき消してしまっていた。その裏にある真意を無理に暴こうと思うほど、セイフは愚かな人間ではない。
ダリラは「さすがに疲れた」と言い残して小屋を立ち去った。屋敷の自室に戻るのだろう。それを見送ってから、セイフも適当に腰を下ろして、静かに目を閉じた。
こうして、奮闘の七日間は終わりを迎えた。そしてこの七日目を皮切りに、『魔王』陣営、そして『英雄』陣営、双方が大きく動き始めることとなる。激突の時は近い。




