74 皇帝と彼の近衛師団副団長の会話
「全く、とんだ茶番だ」
そう吐き捨て、彼は自室で紅茶をすする。空になったカップに、横に控えていた女性が次の一杯を注ぎ足す。
「あなたが立てられた計画だと言うのに、何をおっしゃいますか」
「我が国民ながら呆れるという意味だ。信仰というものは人をあれほどまでに盲目にするか。尤も、そうであってもらわねば私の計画も上手く進まなかったのだがな」
そうして紅茶の香りを遊ぶ彼こそ、つい先ほど蘇ったばかりのデカン帝国皇帝ルーグに他ならない。
王城前の広場、というより王都中から未だ歓声が聞こえている。どこもかしこもお祭り騒ぎだ。この大騒ぎもルーグが手配したサクラによるものであるのだが。人々の心を誘導するのに、周囲の環境を操作するのはよく使われる手である。
「『英雄』の復活祭とでも言ったところでしょうか」
「いいではないか、復活祭。これから毎年催すことにしようか」
ルーグが笑みを浮かべつつ、そう口にする。といっても、彼は死んでから生き返ったわけではない。元から死んでなどいなかった。自分と似た体格の近衛師団員の顔を偽装させて身代わりにしただけである。死を確認するのも、その遺体を運ぶのも、葬儀の準備を進めるのも、全て帝国の身内の者ばかりだ。ルーグの生存を隠すことも容易であった。
加えて、その策の失敗の可能性を皆無にする最高の安全装置をも、ルーグは持ち合わせていた。横に立つ一人の女へと視線を向ける。
「お前は本当によくやってくれた。褒めて使わす」
「ありがたきお言葉」
そう言って深々と頭を下げるのは、皇帝近衛師団の副団長『イナンナ』——いや、ルフィナである。彼女の持つ洗脳能力。それがあれば、例え謀反を起こそうとした者がいたとしても簡単に服従させられる。ルーグはこれまでも、その能力を行使させて幾人もの人間を自分の思うがままに動かしてきた。つくづく良い拾い物をしたものだと思い、彼はニヤリと笑う。
「お前が被験者となったのは、もう十年近くも前か。あれが運命の出会いであった。私にとっても、お前にとってもな」
「ええ、仰る通りです。ルーグ陛下のおかげで、わたしはこれだけの力を得られたのですから」
「ああ。今のお前を生み出したのは他ならぬ私だ。お前の父親同然であると言っても良い」
無表情を貫いていたルフィナの表情が僅かに険しくなる。瞑目して紅茶を楽しんでいたルーグはそれに気がつかない。
「しかし、お前の紅茶は絶品だな。これもまた、拾い物だ」
「わたしの淹れるものなどまだまだです」
「そう謙遜するな」
ルーグはそう言うが、彼女の他ならぬ本音であった。いつまで経っても自分の思うとおりの味を生み出すことができずに、苛立ちを募らせている程である。彼女の部屋のティーセットは何度も叩き割られ、既に何代目であるか分からなくなっている。
「それで、これからどうなさるおつもりで?」
「これで私は晴れて『英雄』となったのだ。ならばやるべきことは一つしか無かろう」
「……『魔王』の討伐ですか」
ルフィナの確認の問いに、ルーグは今日一番の笑みで頷く。
「『魔王』の討伐という栄誉をもって、私の権威は絶頂となる。『英雄』アレクサンドロスと並び称される程の伝説の男として歴史に永劫名を刻むのだ。聖槍の『英雄』ルーグ。何と素晴らしい響きだろうか」
世界中の人々から称えられ、崇拝される己の姿を思い浮かべ、ルーグは恍惚の表情を浮かべる。先ほど宗教信仰を非難するような発言をしておきながら、自分も『英雄』に憧れている。そんな姿が横に控えるルフィナには酷く滑稽に見えた。だから、彼女は仕える主君に一つ問いかけてみる。
「陛下は神を信じておられるのですか?」
「神?アリア神か?信じていた、というところだな。今となってはそんなもの、存在しないとすら思える。もはや私には何でもできる気がしてくる。この世に神と呼ばれる者は私一人だ」
なんと傲慢な考えだろうか。神の権威に頼って人心を集めておきながら、己だけが神であると主張するとは。ルフィナは心中で呆れかえるが、その思いを無表情で覆い隠す。
『全くだ。神は他ならぬ、わらわであるというのに』
ルフィナの考えを察した声が彼女の内から聞こえてきたが、聞こえないフリをする。ルフィナはその声の主が神であるなどと、そんなこと微塵も思っていやしない。当然ルーグが神であるなんてこともない。神などこの世のどこにも存在していない。
もし神がいるというのなら、自分は今もきっと幸せに暮らせていただろう。少なくとも今のような不幸な境遇ではなく。アリア神は平等を重んじるというのだから、それくらいしてくれてもいいだろうに。自分の願う幸せは誰にでもある、ほんの小さなもの。神様なら、それくらい叶えて欲しい。
ルフィナは一人自分の運命を呪った。無表情に全てを押し隠して。
そこに部屋のドアをノックする音が響く。現在、二人のいる部屋の周囲は人払いがしてある。とても他人には聞かせられない話をしているのだから、当然の対応だ。故に、この部屋のドアを叩く人物は限られる。
「皇帝近衛師団団長、ナラシンハ。ルーグ陛下にお目通り願いたい」
「お前か。構わん、入れ」
「はっ」
ルーグの許可を得てから、男はドアを開いて部屋へ入り、丁寧にドアを閉めた。ルフィナと同じく近衛師団共通の緑のマントを羽織り、背に長剣を担いだ彼の容姿を一言で表現するならば、“獅子”だろう。たてがみの様に逆立った髪と鋭い眼光はまさに百獣を束ねるが如き雄々しさだ。並の者なら、対峙しただけでそのプレッシャーに屈してもおかしくない。
「何か用か?」
「近衛師団を束ねる者として、皇帝陛下のお考えをしっかりと把握しておきたいと思いまして。ルフィナと陛下の間で認知され、私には知らされていない事があったりはしないかと」
ルフィナは常に『イナンナ』という名で活動しているが、ナラシンハは彼女の本名を知っている。何を隠そう、最初にルフィナを拾ってきたのは彼なのだ。ルーグの遠征に同行中、行き倒れていた彼女を見つけ、助けようとしたところをルーグに見つかった。ルーグは彼女を捨て置くように命じようとしたが、ルフィナの持つ魔力量に目をつけ、使い道があるやもと思い国へ連れ帰ったという経緯がある。故にナラシンハはルフィナのことを密かに気に掛けていた。
だが、ナラシンハは近頃のルーグとルフィナの巡らせている策謀について深く知らされてはいなかった。彼が知っているのはルーグが死を偽装したことと、『魔王』を討とうとしていることだけである。つまりナラシンハは、中心人物である二人に程近い人物でありながら、その計画に荷担していない複雑な立場の人間なのだ。
しかし、ルフィナが近衛師団長である自分よりも遥かに多くルーグと何かについて話し合っているのを彼は知っている。自分には知らされていないことがあるのではないかという疑念を彼は常に持っていた。なので、ルーグが再び姿を見せたこの機会に思い切って問いかけてみようと思ったのだ。しかし、ルーグにはナラシンハに対して隠し事を明らかにする気はなかった。
「ナラシンハ。私がお前に与えた役割は私が不在の間の国内の治安維持だった。そしてこれからは『魔王』の討伐隊の指揮を執って貰おうと考えている。それほどの責務を課している者に私が隠し事をしているとでも?」
「……いえ、滅相もございません。陛下のことを疑うような発言、ご容赦頂ければ幸いです」
ルーグの反応で向こうに話すきがないのだと悟ったナラシンハは、素直に引き下がる。ルーグは瞑目して、そこから続けて言葉を紡ぐ。
「お前がそう思うのも尤もだ。私は既に国民を欺いているのだからな。死からの復活などという大それた虚言で」
「ですが、それは『魔王』討伐のために国民をまとめ上げ、他国の助力を得るためには仕方の無いことです。あまり自身を卑下なさらず」
「すまないな、私はよい臣下を持った」
「有り難きお言葉」
微笑むルーグに、ナラシンハは静かに頭を下げる。ナラシンハはルーグに対して確かに疑念を抱いている。しかし、彼のルーグに対する忠誠心もまた本物であった。主からそのように言われてしまっては、ナラシンハにはいよいよ追求の手立てが無くなってしまった。彼は再び深々と礼をする。
「それでは、私はこれで。自室に待機しておりますので、ご用命があればいつでも」
「ああ、分かった。頼りにしているぞ。『剣帝アントニヌス』の力を私に見せてくれ」
「お望みのままに」
ナラシンハは終始固い表情のまま、ルーグの自室を後にした。再び二人だけが残される。
「ナラシンハ。あいつは真っ直ぐな男だ。それがやつの太刀筋にまで現れている。故に余計なことは知らせないようにしていたのだが、それもさすがに難しいかもしれんな」
「……ですが団長が事を知った時、素直に協力してくれるでしょうか」
ルフィナがそんな疑問を口にすると、ルーグは呆れたようにため息をつく。
「そこでお前の出番なのではないか。もしナラシンハが我々に刃向かってくるのなら、洗脳して服従させてしまえ。タイミングはお前に任せる」
「……洗脳、ですか。かしこまりました」
慈悲のないルーグの言葉に、ルフィナは不服そうな表情を見せるが、それがルーグの目に映らないよう頭を下げる。。彼女がルーグに逆らうことはない。ただ静かに了承の言葉を返す。
『なんだ、一人前に恩義を感じているのか?確かに、あの男は命の恩人であるからな。お前が死ねばわらわも蘇りはしなかったのだから、わらわにとっても恩人であるのか』
何が可笑しいのかクスクスと笑う脳内の声がルフィナの勘に触る。なぜナラシンハを洗脳するのに少しばかり抵抗を覚えたのか、彼女自身にも分からなかったからだ。彼は確かに命の恩人であるが、彼に助けられなければ、自分が今この場所にいるなんてこともなかったのだから。自分に対して何かと気を配ってくれているようだが、それだけであるのに。ルフィナはそのように考えていた。これまでの長く短い付き合いの中で、彼女もまたナラシンハのことを気に掛けるようになっていたのだが、彼女自身にその自覚はないようだった。
ルーグがまた紅茶を飲み干す。ルフィナがすぐに次の一杯を注ぐ。
こうして紅茶を注ぐ度に、自分は一体何をしているのかという疑念にかられる。だが、それももう少しの辛抱だ。もうじき自分は解放される。ふつふつと煮える感情をなおも隠して彼女は紅茶を注ぐ。
「蘇るなり優雅なティータイム。いやはや、さすがルーグ陛下です。この俺も脱帽ものですよ」
部屋の中に突然声が響く。だが、ルーグもルフィナも特に驚きを見せはしなかった。その声の持ち主は、彼らの知る人物だったからだ。
魔力灯の明かりの届かぬ部屋の片隅から姿を現したのは、黒いタキシードの男だ。脱帽などと言っておきながら、真っ黒の帽子を被ったままニヤニヤと笑みを浮かべている。
「レイヴンか。相変わらずお前は私に対する敬意というものが感じられんな」
「残念ながら、私は人の下につくのが苦手なようで。ですが、私なりの忠誠は誓っているつもりですよ。私の力も、あなたが居てこそですから」
「その言葉、信じてやるとしよう。だが、今の主は私ではないのであったな」
ルーグが視線を向けたのは、自分の横に控えるルフィナだった。レイヴンは、今度は帽子を脱いで仰々しい礼をルフィナへ向ける。
「これはこれは我が主殿。ご機嫌いかがでしょうか」
「心にもない敬意など必要ない」
「おお、これは手厳しい」
レイヴンは帽子を被り直し、なおも笑みを浮かべ続ける。レイヴンは暗殺者集団『アンブラ』のリーダーを務める男である。影を操るという異様な術で、あらゆる仕事を完璧にこなしてきたが、ロマノフ王国首都モロクで鍛冶師ギンジロウの暗殺に失敗し、ダレイオスらと戦って敗北した。しかし彼は捕らえられた時に『冥界術式』を用いて自らの命を絶つことで、ダレイオスたちから逃げ出したのだ。
そしてルフィナによって“死人”として蘇らせられ、今に至る。故に、レイヴンの主はルフィナということになっているのだ。相変わらず敬いの心など持ち合わせていないようだが。
「それで、何の用だ」
「いえ、無事にご復活なされたということで、改めてご挨拶に、と」
「私はずっとお前の影の中にいたのだ。今更だろう」
「おや、そうでしたね」
ルーグは自身の死を偽装してから、ずっとレイヴンの操る影の中に隠れていた。死んだことになっている以上、生きているルーグの姿が絶対に人目につくわけにはいかないが、どこに隠れたとしても姿を見られてしまう可能性は絶対にないとは言い切れない。しかし、レイヴンの影の中は言わば異次元。見つかることなど有り得ない最高の隠れ家だったわけだ。
なので、レイヴンが挨拶に来たなんて話はちゃんちゃらおかしい。さっさと本当の目的を話せとルーグが睨めば、彼は肩をすくめて今度こそ用件を口にする。
「これから本格的に『魔王』討伐に向けて動き出すのでしょうが、一人だけ俺に譲って欲しい人間がいます。放っておけば皇帝陛下が皆殺しにしてしまうかもしれないので、事前にお頼みしておこうかと」
「その人物とは何者だ?」
「『アンブラ』を逃げ出した裏切り者の小娘、クリームヒルデ。あろうことか、俺を死へと追いやったクソガキですよ。あの柔肌をこの手で引き裂いてやらねば、もう収まりがつかない。本当はダレイオスもこの手で殺してやりたいのですが、アレは陛下の得物ですから自重しましょう。ですから、あの小娘だけは」
逆巻く激情を隠そうともせずに、レイヴンはルーグへ頼み込む。その瞳に狂気感じたルーグはそれに小さく微笑みをこぼした。
「いいだろう。あの能力は元々厄介な代物だ。お前が排除してくれるというならこちらとしても好都合だ。そいつに関してはお前に一任する。だが、焦るな。お前含めた『アンブラ』の動きも私が指示する」
「ええ、ええ、了解しました。その時を楽しみに待っていますよ。それでは失礼」
レイヴンは脱帽して恭しく頭を下げ、影の中へと沈み込むように姿を消した。再度、部屋の中に二人だけが残される。
「いよいよだ。いよいよ、私の名が世界の歴史に刻まれるときが来たのだ。今から震えが止まらん」
辛抱たまらぬとばかりにルーグは立ち上がり、部屋の中をうろうろと歩き回る。
「ルフィナ、大樹のエネルギー利用はどうなった。どれくらい進んだ」
「少しずつですが進んでいるとの報告は受けています。形を成すまでには、もうしばし時間がかかるかと」
「全く、愚図な連中だ。私がいなくては研究すらまともにできんのか。……仕方ない、少し見てくるとしよう」
舌打ちしてルーグは椅子に掛けていた上着をひっつかみ、袖を通す。騒がしく動き回るルーグと対照的に、静かに佇むルフィナはルーグへ問いかける。
「明日の新聞記事への手回し、アルマスラ帝国とロマノフ王国への対応はいかがいたしましょう」
「クーにやらせておけ。あいつは既に洗脳済みだ。一任して問題ないだろう。何かあればお前が対処しろ。私の勅命だと言えば、誰でも動かせる」
「かしこまりました」
ルフィナは了承と共に最敬礼を見せる。ルーグはそのまま部屋を出て行こうとするが、ドアの前で立ち止まり、振り返るとルフィナの元まで真っ直ぐに歩み寄ってきた。そして彼女の顎を掴み、軽く持ち上げる。
「日が変わる頃にはこの部屋に戻ってくる。そのときまでに準備をすませておけ。今夜は久々に相手をしてやる」
「……承知しました、皇帝陛下」
「いい返事だ」
ルーグは口元をゆがめると「全く、いい拾い物をした」と呟き、踵を返して部屋を出て行った。
彼の足音が聞こえなくなってから、ルフィナはゆっくりと頭を起こした。そしてテーブルに残された紅茶を片付けていくことにする。そのとき、ティーポットにまだ紅茶が残っていることに気がついた。彼女は空いていたカップにそれを一杯だけ注ぎ、ゆっくりと口に含む。しかし、やはり彼女が求めている味とは違っているようで。彼女の眉間に深く皺がよせられる。手に持つカップの水面が僅かに波立つ。




