72 第二回反魔術研究会
アレシャの翌朝のモーニングコールは、何者からかの魔法陣通信だった。寝ぼけたまま通信に出ようとしてダレイオスに止められ、代わりに彼がその通信に応じる。この通信が身内からのものではない可能性も当然存在するからだ。しかし、警戒の必要はなかったようだ。カードに書かれた魔法陣が起動した先から聞こえてきたのは、聞き慣れた男の声だった。
『ハンター商会長のランドルフだ』
「こっちはダレイオスだ。何も問題はない。こっちも連絡をしようと思っていたところだ。ダリラに取り次いで貰って以来、連絡を入れていなかったからな」
『お、そうだったか。なら丁度いいな』
畏まった挨拶で始めたランドルフだったが、すぐにいつもの砕けた話し方に戻る。通信先の相手が本当にアレシャやダレイオスであるか確認するためだったのだろう。
しかし、ランドルフから連絡してくるとは何事かあったのだろうか。ダレイオスは気になり問いかける。
『昨日の新聞記事は見たな?アレの通り、アルマスラ帝国が商会にお前らについての調査を依頼してきたんだよ。まあ、それもあってエルフたちに詳しい話を聞けたんだ。それを伝えておこうと思ってな』
「エルフの話か。あの事件にはまだ分かっていないこともある。聞かせてくれ」
『おう』
ランドルフは了解を返し、話し始める。
『フェオドラから一連の話の報告を受けて、俺はすぐにオル・オウルクスへ遣いを出したんだ。そのとき丁度オル・オウルクスからも情報が回ってきていたからな。とにかく情報を得て、状況を把握しなくてはならないと思ってな』
「じゃあ、アルマスラ帝国から要請があるよりも先に調査はしていたんだな。それで、何が分かった?」
『お前らの仕業になっている、“大樹の秘密”についてだよ。あの生命エネルギーの源流は、ある一人の精霊が生み出したものだった』
「精霊?」
『大精霊ドリアード。あの大樹の地下深くに眠る精霊だそうだ。長に近いところにいた古参のエルフから聞いた話だ』
曰く、そのドリアードはまさに大樹そのものであるとのことだ。ドリアードの持つエネルギーが大樹に命を宿らせており、その大精霊の存在こそが“大樹の秘密”として秘匿されているものだった。
『ペトラとメリッサさんがお姉ちゃんと出くわしたあの地下通路の先には、その大精霊がいたんだね』
「では、なぜ大精霊の生命エネルギーがばらまかれていたんだ」
『大樹がエルフたちの守り神だと言われているのは知ってるだろ?アレは別に崇拝の対象とかいう意味じゃなく、本当にエルフたちを守るための最終手段になってるんだとよ。その仕掛けが、例の地下通路の先にあったというわけだ。もしエルフたちの土地に何らかの甚大な被害が及んだとき、その仕掛けを動かすことで大精霊は自らのエネルギーをエルフたちへと還元するようになっていたんだ』
「なるほど、そうだったのか……」
ダレイオスが納得して頷く。エルフたちは大昔から引きこもり保守的な生活を貫いてきた。その地にこだわっていたのは、大樹という文字通りの絶対的な守り神が存在していたからなのかもしれない。
『デカン帝国がどこからその情報を仕入れたのかは分からねえが、あの大樹の巨大さを知っている者なら、そのエネルギーがどれだけ規模の大きなものなのか想像できるだろう』
「手に入れたいと思ってもおかしくはない、か。エネルギーが如何様に用いられるのかは未だ判明していないが、どうせ碌でもないことだろう」
『まあ、そうだろうね……』
ダレイオスとアレシャがため息をつき、ランドルフは苦笑して話を続ける。彼が持ってきた情報はそれくらいだったのだが、通信を入れてきたのは他の用件もあるのだ。
『俺がオル・オウルクスにすぐに遣いを出して詫びを入れたおかげで、向こうは俺がお前らとズブズブの関係だとは気づいていないみたいだ。誠意を見せたもん勝ちだったな』
「オル・オウルクスに私たちを紹介したのは、そもそもお前だったからな。お前も『魔王』の一派だと怪しまれてもおかしくはなかったが、新聞を読む限りではお前にはなんの疑いもかかっていない」
『それはよかった……。とりあえず一安心?』
アレシャはそのように言うが、ダレイオスはそれを否定した。
「残念だが、それも時間の問題だろう。スヴェートが樹海から私を助け出す光景は恐らくイシュタルに目撃されているはずだ。スヴェートはフェオドラが使役しているドラゴンだと知られている。そしてフェオドラは一応、俺の秘書だ」
『あ、そっか!や、やばいんじゃ……』
アレシャがオロオロとし始める。落ち着いてはいるがダレイオスも同じように思ったようで、ランドルフに大丈夫なのかと尋ねた。ランドルフはいつもの軽い口調で答える。
『なに、心配いらねえよ。こっちもそれくらいの覚悟はできてる。お前らを売る気も毛頭ねえしな。それに、スヴェートの姿を見てるのはイシュタルだけなんだろ?だったら上手く躱して時間くらい稼いでやるさ。その代わり、例の反魔術。よろしく頼んだぜ?』
「ああ、勿論だ。任せておけ」
『うん!わたしも頑張るから!』
状況は芳しくない。しかし、これ以上悪くなりようもないだろうとダレイオスは考えていた。それに、逆転のための手はずは着々と進みつつある。二人のやる気を受け取り、魔法陣の向こうから満足げな声が聞こえてくる。
『結構なことだ。で、話は昨日の新聞に戻るんだが、今日はルーグの葬式があるだろ?シバにそこに潜り込んでもらってる。何か動きがあれば、こっちから連絡を入れる。新聞に頼るよりも確実だろ?』
「ああ。私も、葬儀の場に人員を送り込んでくれと頼もうと思っていたんだ。ぜひ、よろしく頼む」
『おう。ルーグの立ち位置についてはこれでようやくハッキリするかもな。結局あいつは死んでるのか否か……』
ランドルフは少し思案する素振りを見せるが、すぐに元に戻る。
『何にせよ、必ず連絡は入れる。夜中になるはずだ。悪いが、そろそろ切るぜ。こっちも色々忙しいんだ』
「分かった。それでは、また」
「またね、ランドルフおじさん!」
『おう、またな』
最後にダレイオスと交代したアレシャが言葉を残し、魔法陣は光を失った。すっかり目の覚めたアレシャはベッドから立ち上がり、テキパキと着替えて身支度を整える。今日はダリラの協力を得て、反魔術の研究の第二段階を行う予定だ。反魔術の開発の進展を願い、アレシャは仲間の待つ広間へと向かう。
朝食の場で、先ほどランドルフから聞いた話を簡潔に伝えたアレシャは、昨日と同じメンバーを引き連れてダリラの部屋へと向かう。一昨日に魔力から魂を作ることができないか調べてみると言ってから、ダリラとは碌に顔も合わせていない。食事もメイドに持ってこさせているようだ。それほどに研究に集中してくれているのだろうが、今日は本題である反魔術研究に協力して貰いに来たのだ。
部屋の前まで来て、アレシャは軽くドアをノックする。
「ダリラおばさん、アレシャだけど、今大丈夫?」
「ええ、入ってちょうだい」
許可を得てアレシャ達がドアを開くと、彼らはつい驚きの声を上げてしまう。部屋の中は紙が散乱していた。いや、散乱などという生やさしいものではない。部屋中全てが紙に覆われているといってもいい程だった。大量の紙の塔がいたるところに築かれ、床には脚の置き場もないほどに紙が溢れている。壁一面にもびっしりと紙が貼り付けられている。当然それらは白紙ではなく、一枚一枚にびっしりと文字が書き詰めてあった。
その光景を見てヘルマンがやれやれとため息をつく。
「相変わらずだな。この人は研究に没頭するとこうなるんだ」
「そうなんだ……。ちゃんと返事は聞いたし、話しかけても良いんだよね?」
アレシャが恐る恐る歩み寄り、ダリラの横に腰掛ける。
「ダリラおばさん、例の反魔術の研究の話だけど進展があったんだよ。だから、協力をお願いしたいんだけど……」
「ええ、勿論いいわよ。ちょっと待ってね」
ダリラは返事をしつつもアレシャへ視線を向けない。彼女のペンは止まることなく文字を生み出し続けていた。アレシャは念押しとしてもう一度お願いしてみるが、似たような言葉が返ってくるだけで手答えはサッパリなかった。
アレシャは肩を落として他の四人の元へ戻ってくる。
「とにかくキリのいいところまで研究を進めてもらうしかないな。そうすればこっちに参加してくれるだろう」
「これだけ没頭しているってことは何か掴めたのかもしれないしね。期待して待ってることにするよ。それじゃあ、先に説明だけしておこうかな」
アレシャはダリラに向けた書き置きを目に付くところに残してから、いつもの会議場所の小屋へと向かった。円テーブルに全員がついてからアレシャは今後の方針を詳しく話し始める。
「一応話だけはしたことがあると思うんだけど、皆は『精神世界』って知ってる?」
「えっと……確か、サーラちゃんを『深淵術式』っていう禁術から助けるために利用したんですよね。その人の心の世界とかっていう……」
顎に手を当てたメリッサが記憶を引っ張り出しながら答え、アレシャとヘルマンは頷く。
精神世界は、ある人間の思考が形作る異世界のことである。実体は存在しない概念的なものであり、メリッサの言う通り心の中に入り込むという表現が最も相応しいだろう。
「今回ダリラ様をお呼びしたのは、この研究にもその精神世界を用いるつもりだからということでしょうか」
「うん。精神世界に魂を送り込めるのはダリラおばさんだけだからね」
精神世界は概念的な世界であるが、同じく概念的存在である魂ならば精神世界の中へ入り込むことが出来るのだ。魂研究のエキスパートであるダリラは、その方法を確立しており、今回もその技術を頼って彼女を呼びつけたのだ。
前提となる話をしたところで、アレシャは具体的な方法についての話に入る。
「これは皆承知してることだと思うけど、魔法陣を魔術なしで分析するのは凄く難しいこと。昨日の分析で得た情報はリリさんの中にいる魔力に関するものだけで、肝心の洗脳の魔術そのものの仕組みを解き明かすには至っていない」
「そうね。大きな手がかりになるだろうとは思うけど、ここから反魔術を作り出せと言われても無理ね」
アレシャの言葉にヴェロニカが同意する。その魔力の生む何らかの作用によって洗脳効果が発生していると推測できるが、根拠となるものは何もない。メリッサのようなタイプを除いて、魔術は理論があって生まれるものである。魔術を作り出すためには、その取っかかりがどうしても必要であるのだ。
「だったら、精神世界ならそれを見つけることができるんじゃないかなと思って。洗脳は心の隙をついてくるって言われてるし、心の世界である精神世界にも影響があってもおかしくないでしょ?」
「精神世界はその人間の心の内を物理的なものとして表現する。洗脳の術に直接干渉することも可能だろう」
ヘルマンの補足で、皆なるほどと頷く。洗脳の魔術の解析が難しい理由の一つとしては、炎や氷といった物質を生み出す攻撃魔術と違って目に見えるものではないということがある。精神世界ならば、その問題も解決するというわけだ。試してみる価値は十分にあるだろう。
全員の理解が得られた丁度そのとき、小屋のドアが開かれる。
「お待たせしたわ。ごめんなさいね、予想以上に捗ってしまって」
頭からつま先まで緑の魔術師ダリラが、ヨロヨロとした足取りで彼らの前に姿を現した。彼女の姿を見て、アレシャの表情が引きつる。ダリラは人の背丈よりも高く積まれた書類の塔を一本まるまる持ってやってきたのだ。ぐらぐらと揺れて今にも倒れそう。本当に倒れでもしたら、部屋中が紙で埋まることだろう。それはダリラも承知の上。慎重かつ大胆に書類の塔を円テーブルの上にドカンと積み上げる。
「ダリラおばさん、もしかしてコレが……」
「ええ。魔力から魂を形成できるか、という問いに対する私の回答です。論文に纏めるにはここからガッツリ削らなきゃならないのだけれど、とりあえず思いついた理論全部を書いて持ってきたわ」
それはつまり読めということか。これに全部目を通せということか。アレシャたちは戦慄する。なので一旦見なかったことにして、先に反魔術の話をすることにした。
昨日のダレイオスとメリッサによる分析結果を書面で渡して目を通して貰い、精神世界を使って詳しく調査するという方針を改めて説明した。一通り聞き終え、ダリラは頷く。
「いい策だわ。精神世界なら何かしらの手がかりは必ず得られるでしょう」
「ダリラさんのお墨付きを得られたなら自信を持てるので安心しました」
「それは少しばかり買い被りすぎだと思うけれど、そう言って貰えるのはありがたいですね。それで、誰が精神世界に行くのかは決まっているのですか?」
言われてみれば、まだ考えていなかった。アレシャは椅子に座る仲間達を見回してみる。それぞれにそれぞれの得意分野があり、できれば全員つれていきたいところだった。アレシャがその旨をダリラへ伝えると、彼女は少し考える。
「何か問題が?」
「精神世界に行っている間は身体から魂が抜けて、無防備になってしまう。今の状況を考えれば、できれば半分は残っていてほしいですね。『アルケーソーン』の全員が戦力ですから」
「そっか。なら……ヘルマンさんとメリッサさんに頼みたいと思うんだけど」
ヘルマンは精神世界に行った経験があり、研究者としての知識も豊富だ。メリッサは魔力を分析した本人なので、参加は絶対である。アレシャがそのように説明すると二人とも快く了解して頷いた。そして後の一人は——
「わたしが行くよ。精神世界に行った経験もあるし、わたしと似た魔力の話がある以上、行かなきゃいけないと思う」
『では、私も行こうか』
ダレイオスが進み出るが、アレシャは首を横に振る。
「わたしとダレイオスさんは、折角一つの身体に二つの魂があるんだから、それを上手く使わないとね。どっちかの魂が精神世界に行っても、もう一人が残れば無防備になるのは避けられるでしょ?」
『……ああ、なるほど。確かにそうだが……私がいなくて大丈夫か?』
「私だって団長なんだから!ぜったい大丈夫!」
アレシャは自信満々に宣言して、ペトラよりはある胸を叩く。アレシャのこれまでの努力はダレイオスが一番知っている。臆病だった彼女がどれだけ成長してきたのかもだ。そこまで言うならダレイオスはもう何も言うつもりはなかった。ダレイオスはアレシャの提案を受けることにした。
それに、ダレイオスには別にやらねばならないこともある。視界に嫌でも映り込んでくる書類の塔の処理である。これを読破するには、魔術に関する知識の豊富なダレイオスかヘルマンのどちらかが必要だろう。そのヘルマンが行ってしまう以上、ダレイオスがやらねばならないのだ。心の中で泡を吹きそうになるが飲み込む。
二人の間で話し合いが終わったことを察して、ダリラが声をかける。
「それでは、アレシャちゃんとヘルマンくん、メリッサちゃんの三人が行くということでいいかしら?」
「うん、それでいいよ。それじゃあ早速お願いしても良いかな?」
「ええ、わかったわ」
ダリラは了解して、アレシャ、ヘルマン、メリッサの三人を横に並ばせ、入り込む対象であるリリを近くに寝かせるように要求した。クリームヒルデは影からリリを取り出して床に放り投げる。いつもの緊縛スタイルである。ダリラは初めて見るリリの姿に一瞬表情が固まるが、すぐに無心になって手に魔法陣を展開し始めた。精神世界へ行く三人の頭に順に手を触れていき、最後に若干遠めにリリの額へ手をかざした。
「帰ってきたいときの方法は分かっていますね?ヘルマンくんに紙は渡してありますから」
「はい。それじゃあよろしくお願いします」
「頑張ってきてね」
淡い光を放っていた魔法陣が輝きに包まれる。そしてその光が消えた後に残されたのは地面に倒れ込んだヘルマンとメリッサの姿だった。リリも動きがない。どうやら精神世界に入り込まれている本人も意識を失ってしまうらしい。ただアレシャだけが変わらずその場に立っていた。いや、アレシャの魂が抜けたことで身体の主導権を得たダレイオスだ。
「どうやら上手くいったようだな。後は三人に任せるだけか」
「これでもう三人とも精神世界へ向かったのですよね?では、私たちは今のところやることはないというわけですわね。というわけで私は部屋に一度戻らせて頂きますわ」
クリームヒルデが早口でそう言って小屋を出ようとしたが、ダレイオスに肩をガッシリと掴まれる。
「逃がさんぞ。ダリラの研究報告を読むのに力を貸してもらう。拒否権はない」
クリームヒルデの思惑は完全に見通されていた。掴む手に入る力は思いの外強く、抜け出せそうにない。ダレイオスもそれだけ必死なのだろう。故にクリームヒルデ、諦めた。暗い表情で席につくと、高く積まれた書類を三山に分け、ダレイオス、ヴェロニカとともに黙々と読み進め始めた。ダリラは精神世界組に何かあったときのために待機。のんびりと紅茶を頂いている。それぞれの役割を忠実に遂行しているだけなのだが、三人の胸中にやり切れない思いが沸き立つのは仕方の無いことかもしれない。机を囲んで、ただただ紙面を睨み続けるだけの奇妙な光景は、夕暮れになっても終わることは無かった。
「さすがに、疲れてきたな……。結構読み進んだが……」
「まだ、あるわね。一旦切り上げたほうがいいんじゃないかしら」
「……そうですわね。いつのまにか昼食も食べ損なってしまいましたし」
疲労にどっぷりと浸かった表情の三人が、椅子にもたれかかってボソボソと話す。頭を回転させながらひたすらに文字を追うというのは、中々の重労働である。寧ろ、なぜ今まで休憩すら入れなかったのか。できる限り早く終わらせたかったのか。どうやら三人とも、嫌いなオカズは先に食べてしまうタイプらしい。
とりあえずお茶休憩にしようということで、クリームヒルデが紅茶を淹れるために席を立つ。そのとき、ダレイオスの懐が光を放った。
「あら、ランドルフさんからの通信かしら?」
「どうやらそのようだ。ルーグの葬儀に関する連絡をくれるという話になっていたからな。しかし、連絡は夜中という話だったが……」
少し不思議に思いつつ、ダレイオスは通信に応答する。




