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魔王と少女のヒロイック  作者: 瀬戸湊
第二部
158/227

69 『英雄』の意志

 そんなワケで、今から調査をしたところで捗らないのは目に見えている。それなら今の内にアレシャは別の用事を済ませておこうと考えた。今日の研究会議はそこで解散となり、アレシャはある人物の部屋を訪ねる。彼が剣の稽古を終えて部屋に戻ってきているのは確認済みだ。


「ブケファロスさん、いるんでしょ。開けなさーい」


 アレシャがドアをノックしながら呼びかけると、扉はすぐに開いて呆れた表情のブケファロスが顔を覗かせた。


「人の部屋に入れて貰うのに、そんなに横柄な態度を取れるもんなんだな、人間って」

「なかブケファロスさんって簡単に開けてくれなさそうなイメージあったから……」

「余計開けたくなくなるけどな、普通。ともかく入れよ」


 ブケファロスに招かれてアレシャは部屋にお邪魔する。部屋自体は何の変哲もない部屋だとアレシャは思った。といっても調度品は一流のものしか置かれておらず、部屋そのものもかなり広い。アレシャ、既に感覚が麻痺しつつあるようだ。

 とりあえずアレシャは促された椅子に腰掛け、無言で持参した紅茶を淹れ始める。話をする際、とりあえず紅茶を淹れるのは『アルケーソーン』では日常の光景である。ブケファロスもそれを当然のように見守っていた。ブケファロス、既に感覚が麻痺しつつあるようだ。血中の紅茶濃度が高まっている。

 軽く香りを楽しんでからそれを一口含むと、ブケファロスはアレシャに問いかける。


「で、何の用だ?」

「そろそろ聞かせてもらえないかなって。ブケファロスさんが何で態々ムセイオンに忍び込んだのかとか、色々と」

「……まあ、俺に用があるってんなら、それくらいしかねえよな」


 ブケファロスは軽く息を吐くと、少し離れた場所に立てかけていたリットゥを持ってきて座る自分の目の前に突き刺した。床に思い切り穴が空いたが、アレシャは見なかったことにする。雰囲気的に指摘しづらかった。


「いいぜ。こうなったらさすがに話すべきだろうと俺も思ってたしな」

『儂はもう少し早く話すべきでは無いかと思っていたのだがな。相棒が話したがらなかったのだ』

「うるせえ」


 リットゥの補足にブケファロスが舌打ちする。どうやらブケファロスの持つ『英雄』の宝剣、リットゥも話に参加するようだ。ブケファロスはそこで一度言葉を切り、アレシャの方を見やる。聞いてこいと言っているらしい。なのでアレシャは、まずは樹海での発言についての確認をとることにした。


「わたしは聞いてなかったんだけど、ブケファロスさんとリットゥはお姉ちゃんを見て、『魔力に覚えがある』って言ってたんだよね?それについて聞いておきたいんだけど」

「そうだな。最初にリットゥが気づいた。相棒に言われて俺もその後に気づいた。俺も相棒も、お前の姉貴の中にある魔力の正体を知っている」


 ブケファロスから飛び出したのは想像以上に確信的な言葉だった。アレシャは思わず立ち上がってしまう。


「正体って、お姉ちゃんの中にいる魂について知ってるの!?なんで、っていこうかリットゥは記憶を失ってるんじゃ無かったっけ!?」

『落ち着け、アレシャ。今は聞きに徹しろ』


 ダレイオスに諭されて少し血が下りたアレシャは申し訳なさそうに椅子に座り直す。アレシャが深呼吸して頷くと、ブケファロスは続きを話しはじめる。


「先にズバリ確信を言っておくとだな、お前の姉貴の中には別の存在がいる。俺たちはそいつを“イシュタル”って呼んでる」

「イシュタル……。ダレイオスさん、知ってる?」

『いや、初めて聞いた名だな』


 ダレイオスはそう答えるが、ダレイオスの覚えがある魔力の持ち主は、そのイシュタルなのだろう。しかしやっぱりイシュタルのことは知らない。ダレイオスが不思議に思っていることをアレシャがブケファロスへ伝えると、ブケファロスは当然だろうと言う。


「とりあえず順を追って話すか。大前提としてだが、俺が『英雄』アレクサンドロスの末裔だってことは知ってるよな」

「そりゃ勿論」

「なら、その『英雄』の血筋の人間には代々『英雄』の意志が受け継がれていっているってのは知らないだろう」

『『英雄』の意志?アレクサンドロスの思い、ということか……』

「聞かせて」


 ブケファロスから久方ぶりに『英雄』の末裔らしい言葉が出始めた。アレシャは自然と前のめりになる。千九百年前の話を聞ける機会はそうないのだ。その期待にブケファロスも応える。


「まず『英雄』の死因だが、前にお前とその話になったとき、俺は知らないと言った。だが、それは嘘だ。悪かったな。あのときはお前を信用できていなかったから」

「それは別に構わないけど……『英雄』の死に何かあるの!?」


 アレシャは驚きを見せるが、ダレイオスは反応を見せない。あくまでダレイオスは聞きに徹するようだ。その心中は穏やかではないだろうが。アレシャも口をついて飛び出しそうな質問たちを飲み込み、ブケファロスに話を促す。


「で、その死因ってのは?」

「なにせ千九百年も前の話だ。そこまで詳しい状況は伝わっていない。だが、俺が前についた嘘のように名誉ある戦死、なんてものじゃない。『英雄』は何者かの謀略によって殺されたんだ。そして『英雄』の意志とは、いずれ襲いかかって来るその何者かを退けることだ」

「いずれ?って、えっと……あれ?」


 アレシャは眉間に皺を寄せて首をかしげる。千九百年前に『英雄』を殺した人間が、いずれまた襲ってくる。普通に考えれば意味が分からない。だが、普通に考えるべきではないのだろうとアレシャは思い直す。今自分を取り巻いているものは粗方常識では考えられないものだったからだ。


「もしかして、その何者かってのがイシュタルなの?」

「ああ、そうだ。いつになるかは分からない。だが、必ずイシュタルは蘇る。それは必ず止めなければならない。これが、俺が幼いころから聞いてた『英雄』の意志の内容だ」

「蘇る……。それって一回は死んだってこと?ちょっと気になるワードだけど、とりあえず『英雄』を殺したそのイシュタルが復活したんだね。でも、ブケファロスさんはどうやってそれを知ったの?」

「『英雄』の意志と共に伝わっているものがもう一つだけある」

『他でもない、儂のことだ』


 そこでリットゥが自ら名乗りでた。『英雄』の宝剣であるリットゥはブケファロスの家系に代々伝わっているものであると、アレシャは以前にも彼自身から直接聞いたことがある。リットゥが受け継がれると同時に、その『英雄』の意志も伝えられていっているのかもしれない。


「話の流れからして、リットゥがイシュタルの復活を知らせてくれたってことかな」

「そうだ。リットゥが目覚めたとき、イシュタルもまた復活を遂げていると俺は聞いていた。俺の家系は『英雄』の意志を語り継ぎながらリットゥの目覚めを待ってたんだ。そんなある日、突然リットゥが話し始めたんだ。驚いたなんてもんじゃなかったぜ」

『今から七年か八年ほど前のことだった。あのときのお前の驚きようは今思い出してみても笑える』


 リットゥがクックッと笑うが、ブケファロスは面白くなさそうな顔だった。サッサと話を元に戻す。


「伝えられている『英雄』の意志とは、あくまで「イシュタルを討ち取ってくれ」というものを伝えるだけのもんだ。俺もあまり多くは知らされていなかった。詳しいことはリットゥが語ってくれると聞いていたんだ」

『口伝であまり多くの情報を伝えるのも賢いやり方とは言えないからな。当然のことだろうな』

「あれ、でもリットゥって……」

『面目ない。アレシャ殿の考えておる通り、儂は記憶を失っていた。儂自身が何者かも分からぬ。相棒に情報を与えてやることもできなかったのだ。だが、全てを失ったというわけではなかった』


 ブケファロスは頷く。もしリットゥが何も覚えていないなら、彼がこうして何かしらの行動を起こしているはずがない。リットゥは自分の僅かな記憶について話し始める。


『儂が覚えておるのは、二つの大きな魔力の存在だ。一つはイシュタルの物。もう一つは、お前だ』


 この部屋にいる人間は二人だけだ。リットゥがお前と呼ぶ人間は、アレシャ以外にいなかった。しかし当然アレシャには覚えが無かった。明らかな戸惑いを見せるが、リットゥが言うお前はアレシャの事では無かった。


『ダレイオス。儂が覚えておるのはお前の魔力だ。それもイシュタルのものより鮮明に覚えている』

『私か……?だが、私はお前のことは全く知らんぞ』

「ダレイオスさんはリットゥのことなんか知らないって言ってるけど……。ていうか、交代した方がよさそうだね」


 アレシャとダレイオスが交代する。ダレイオスは再び自分の口から同じように言葉にするが、それについてはブケファロスも首をかしげていた。


「そこは俺にもリットゥにも分からねえんだよ。まあ、こいつは『英雄』の宝剣なんだ。『英雄』はお前の親友なんだろ?だったら何かしらの接点があったのだとしてもおかしくはないだろ。お互いに覚えていないだけでな」

「それはそうかもしれないな……うむ……」


 ダレイオスは心当たりがないか考えるが、やはり覚えは無かった。ダレイオスは話の続きに思考を移す。だが、ただ魔力に覚えがあるというだけではブケファロスの行動の理由が付かない。彼らは危険を冒してムセイオンに侵入したという過去がある。相変わらずその理由が見えない。ダレイオスがその疑問を問う。


「『英雄』の意志として伝わっていることはもう一つあるんだ。もしリットゥが目覚めたなら、最初に急ぎ行わねばならないことだと聞いていた。だから俺は真っ先にそれを実行した」

「それは何だ?」

『ペルセポリスに赴き、ダレイオス、お前の魂を回収することだ』


 リットゥの言葉は少なくない衝撃をもたらした。ダレイオスは黙ってただ目を見開いていた。アレシャも上手く言葉がでないようだ。その反応を予想していたブケファロスは聞かれずとも続きを話し始める。


「イシュタルはダレイオスの事を狙ってるらしい。まあ、“死人”のときからそれは明らかだったがな」

「ああ。ヘリオス率いる“死人”たちは私の魂が宿っているガントレットを手に入れるような計画を立てていた。あれはやはり、イシュタルの指示だったということか」


 今の話で“死人”の裏にいる黒幕=『イナンナ』が確実なものになったわけだ。しかし、今はその事実がそれほど重要でないように思えてしまうほどにダレイオスはブケファロスの話の先が気になって仕方が無かった。


「それでお前はペルセポリスでガントレットを回収したのか?」

「そうだぜ。ガントレットに宿っているってことは知らなかったが、お前の魂がペルセポリスで眠っているというのは聞いていた。リットゥが知っているお前の魔力の反応を頼りに探し当てたんだぜ」

「そうだったのか……。では、感謝しなくてはならないな。もしお前がガントレットごと私の魂を持ち出してくれなければ、私は今頃イシュタルとやらの手に落ちていたかもしれん。礼を言う」


 ダレイオスは深々と頭を下げた。この話が真実であるならば、ブケファロスは疑いようも無く命の恩人である。ブケファロスは照れくさそうに頭を掻く。


「やめてくれ。礼なんていらねえよ。お前に素直に礼を言われると、なんかむず痒くなってくる」

「ふっ、そうだな。私には似合わんな」

『……あれ、でもさ。ブケファロスさんがガントレットを手にしたなら、そこからどうやってムセイオンにまでガントレットは移動したの?わたしがガントレットを手に取ったのは間違いなくムセイオンなんだから』

「……それは、確かにそうだな。何故なんだ?」


 衝撃的な事実の前に埋もれて見えていなかったが、アレシャの言う通りだった。ダレイオスがそれをブケファロスへと問うと、ダレイオスに礼を言われて僅かに微笑んでいた顔が突然真顔になる。額にはじっとりと汗が浮かんでいた。


「そういや、いつだか会議をしたときにランドルフが言っていたな。ガントレットは、ペルセポリスの調査団を襲ってきた盗賊から押収したものだと。……その盗賊というのがまさか——」

「それは俺じゃねえよ!ガントレットは奪い取られたんだよ!襲われてな!」


 ブケファロスは心外とばかりに声を荒げて弁明する。奪い取られた、というのも十分に不名誉なことであるのだが。しかし、わざわざガントレットを強奪しようとする者たちなど一つしかないだろう。


「もしかして、イシュタルの手の者に奪われたとかじゃないのか?」

「う……そう、かもしれない。だが、それがどうにも腑に落ちねえんだよな。俺を襲ってきたやつは顔を隠していて誰かは分からなかったんだが、はっきり言ってとんでもなく強かったんだよ。圧倒されちまった」

『儂の目から見ても、あれは相当な手練れであった。あの男の拳、ただ者ではない』


 ブケファロスとリットゥは、その時の戦いを思い出して歯がみする。リットゥに歯はないが。ブケファロスはかなりの実力者である。そんな彼からガントレットを奪うことなんて、そう易々と成せることではない。その襲撃者が強者というのも納得できる。だが——


「それなら盗賊がガントレットを持っていたってのは何なんだ?それだけの強者が単なる盗賊だったとでもいうのか?」

「それはねえな。あの男はガントレットだけを持ち去った。身ぐるみ剥がれるなんてことも全くなかった。盗賊ではありえねえ」

「では、そのお前を襲った男が盗賊に襲われてガントレットを奪われた……?」

『だが、その盗賊はペルセポリスの調査団にやられたのだ。その盗賊はそこまで強くなかったのだろう。例え不意を突かれても、あの男は盗賊程度返り討ちにしたであろうしな』


 リットゥはそう言うが、ムセイオンにガントレットが運ばれるルートが他にあるとは思えなかった。その男は寝込みを襲われ、ガントレットを持ち去られたと考えるべきだとダレイオスは考える。


『でも、これってホント不幸中の幸いだったってことだよね。ダレイオスさん、ホントよく生きてたね』

「……ああ。ブケファロスに助け出されたのは有り難いことだったが、中々綱渡りをしてきたようだ」

「悪い。俺が不甲斐ないばかりに」

「謝るな。お前がいなければ、ペルセポリスで終わってたんだ」


 ブケファロスは頭を上げて、少し息を吸い込む。ガントレットが一度は奪われたことに対して彼も負い目を感じていたのだろう。本人から許しを得られて少しホッとした様子だ。過程に謎は残っているが、ガントレットが持ち出された経緯と『英雄』の意志については知ることが出来た。後に残っているのは、ブケファロスがずっと隠していたことだ。


「お前がムセイオンに侵入した理由だ。それを聞かせてくれ」

「……ああ。だが、結局はさっきの話と同じなんだ。俺がムセイオンへ向かったのは、ガントレットを取り戻すためだ。調査団によってムセイオンにガントレットが運び込まれたって情報を得てな。乗り込んで、今度は俺が奪ってやろうって思った」

『だが、儂と相棒よりも先にアレシャが見つけてしまったようだ。結果としてはそれによってダレイオスが“死人”の手に落ちることはなくなったわけだが、アレシャを巻き込むことになってしまった』


 申し訳なさそうに言うものの、アレシャは巻き込まれたなどと微塵も思っていなかった。アレシャは自らムセイオンに侵入したのだし、ダレイオスと出会って幸運だったとさえ思っている。それによって苦労は山のように増えたが、これまでの人生ではあり得なかった充足感に今のアレシャは満ちている。寧ろ一人感謝の言葉を口にしたのだが、相手の耳には届かなかった。


「正直ガントレットを手に入れられなくて、その時の俺はそりゃあもう落ち込んださ。俺の身体に流れる『英雄』の血の使命を貫くことができなかったと思ったんだからな。けど、商会で偶然ランドルフさんと出会って話したときに、ランドルフさんがアレシャとダレイオスの事をぽろっとこぼしてな。そこで俺のやったことは無駄にならなかったと、ようやく安心できたんだ」

『それからは『黄金の魔物』の事件のときにお前と初めて会い、紆余曲折はあったが今に至るというわけだ』

「……なるほど、だいたいは分かった」


 そこでようやく一通り話終わった。ダレイオスもブケファロスも大きく息を吐き出す。色々と衝撃的な事実の連続であった。精神的な疲労感はかなり大きい。

 整理すると、ブケファロスは『英雄』の意志という、血の宿命のままにダレイオスを救おうとしてくれたということだ。それも、ペルセポリスへ乗り込む、ムセイオンに侵入するという危険を冒してまで。これまで極力聞きに徹していたダレイオスだったが、その点には疑問を抱いていた。


「ブケファロスよ。お前は、なぜそれまでして私を助けようとした。千九百年も前の先祖の意志を律儀に貫き通そうとする、その理由を聞かせて貰えないか」

「……俺はガキの頃から『英雄』の血に誇りを持てと教えられてきた。だから、絶対にやらなきゃならないことだって思い込んでたのかもしれねえな。元から俺に選択肢なんてなかったんだ」

「なら私を助けたのは、お前の意志では無かったということか?」

「そういうわけでもないさ。イシュタルの手にお前の力が渡るのは阻止しなければならなかった。もしそうなれば、世界規模でのヤバい事態が巻き起こる。お前を助けたのは、他ならぬ自分自身のためでもあるんだ。だから、やっぱり礼なんていらねえよ」


 ブケファロスがヒラヒラと手を振ってそう言う。世界規模のヤバい事態なんてものを引き起こせる程の相手なのかイシュタルは、とアレシャは少し引き気味だった。今現在、相当ヤバい事態であるのには既に慣れてしまっている。

 ブケファロスの回答にはダレイオスも納得だった。そういうことなら、ダレイオスがブケファロスの立場であっても無条件に行動を起こしただろう。それでもブケファロスの使命感の強さには脱帽する。彼もまたひとり感謝の念を抱く。礼はいらないと言われたので、言葉にはしなかったが。


「……しかし、イシュタルか。そいつが“死人”の裏にいる黒幕で、ルフィナの中に巣くう『イナンナ』の正体で、この一連の事件の糸を引いていた者というわけだな。加えて、千九百年前に私の国に害をなし、アレクサンドロスを殺めた者でもあるだろう」

『大分明らかになったね』

「ああ。だが、あのアレクサンドロスを討ち取ったほどの相手か。これは厳しい戦いになるな


 ダレイオスは些か消極的な言葉を口にする。しかし、その拳は硬く握られていた。彼がずっと追いかけてきた、千九百年前の真実と、その仕掛け人。その人物が親友の仇でもあると判明したのだ。彼の瞳に宿るのは燃えたぎる闘志。イシュタルをこの手で打ち倒すのだという、鋼よりも固い意志だ。

 そのとき、彼の心が大きく脈打つ。


「——っ!……何だ?」

『どうしたの?ダレイオスさん』

「……いや、何でも無い」

『い、今のは……?』


 ダレイオスは自分の握った拳を見つめながら首をかしげ、今まで得たことのない妙な感覚に疑問を抱く。そして何故かリットゥもダレイオスと同じように驚きを見せていた。しかし、またダレイオスと同じようにその理由は分からないようだ。ブケファロスに大丈夫かと声をかけられ、何でも無いと誤魔化す。ダレイオスもその疑問を振り払うように、ブケファロスへ言葉を投げかける。


「ともかく、そのイシュタルを目指せばいいわけだ。そのイシュタルがルフィナの中にいるのは間違いないんだな?」

「ルフィナってのは、アレシャの姉貴だな?それは間違いないぜ。相棒がそう言うんだからな」

「それでは、ルフィナはやはり操られているだけなのか?」

『……それは正直なところ分からぬ。だが、相手がこれまで洗脳という手法を用いてきているのだ。その可能性は高いだろう。お前とアレシャの様に友好的な関係を気づけるとはとても思えぬしな』


 リットゥの言葉は曖昧なものだったが、アレシャにとっては大きな希望だ。ルフィナの中に別の存在がいるのは確定的になった。洗脳されているか否かに関わらず、ルフィナがイシュタルの影響を受けているのは間違いない。イシュタルを何とか出来れば、元の優しい姉に戻ってくれると期待せざるを得ない。


「そのイシュタルについての情報とかはないんだな?そいつが何者なのかとかだ」

『……すまぬ。儂の記憶があれば、それも分かったやもしれん。現状ではそれは全く判明しておらん』

「そうか。仕方がないことだ。これまで通り地道に情報を集めていくとしよう」


 新たに得た情報は多かったが、あくまでこれまで得たものを補完するようなもので今後の方針を変えることになるようなものではなかった。それでも貴重な話であったのに変わりはないが。だが、ここまでの話を聞いていてダレイオスは一つ不思議に思っていることがあった。


「最後にもう一つ聞きたい。何故お前はこの話をしたがらなかったんだ?特に問題があるようには思えなかったんだが」

「……あー、それはだな。まあ、なんとなくというか——」

『お前達に嫌われたくなかったそうだ』


 言いづらそうに口ごもるブケファロスに被せるようにしてリットゥが代わりに答えた。ブケファロスは慌ててその口を塞ごうとするが、残念。リットゥは剣なので口はない。


「嫌われたくない、とはどういう意味だ?」

『お前達は何の疑問もなく信じてくれたが、儂らが今話したことはお前のガントレットを盗もうとした話だ。見ようによっては、儂らがダレイオスに危害を加えようとしていると考えられる。それに、儂らは結局ガントレットを守り抜くことができなかった。それを責められたくなかったらしい』


 ペラペラと喋るリットゥを放置して、ブケファロスは一人項垂れていた。ダレイオスとアレシャの知っている彼の姿からは想像し辛い理由だった。おそらく彼の顔は今真っ赤に染まっていることだろう。

 だが、ダレイオスとアレシャは寧ろ話してくれなかったことを嬉しく思っていた。それは結局、信頼の裏替えし。出会った当初、ブケファロスは二人のことを信用していなかったから話してくれなかった。だが今は、二人のことを信用しているからこそ話し辛かったらしい。そんな事で嫌いになるなんてことはあり得ないのに。あまりにも不器用な目の前の男に、ダレイオスはつい吹き出してしまう。


「笑うな!」

「いや、すまん。だが、ふはは!これは面白い!」

『いやー、意外な一面が見れたねー』

「わ、笑うのはまだいい!だが、あの女だけには絶対言うなよ!絶対だぞ!」

「メリッサのことか?さて、それはどうだろうな」

「くそ!やっぱり言わなきゃよかった!」


 ブケファロスは頭を抱えてかきむしる。ダレイオスもアレシャもリットゥも、そんな彼の様子が更におかしくて声を上げて笑う。ダレイオスはそんな会話をしながら、昔のことを思い出していた。千九百年前を、親友と過ごした時間のことを、思い出を。笑いながら彼は人知れず拳を握りしめる。

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