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魔王と少女のヒロイック  作者: 瀬戸湊
第二部
156/227

67 母娘

 明朝、アレシャたちは屋敷の主であるアルノーに連れられて庭園を歩いていた。昨日、洗脳の反魔術を研究するための良い場所は無いかと尋ねたところ、丁度いいところがあるということで案内を受けているのだ。

 ダレイオスはとりあえず『アルケーソーン』のメンバー内の魔術師を連れてきていた。ヴェロニカ、ヘルマン、メリッサ、クリームヒルデの四人である。ペトラも魔術を使えるには使えるのだが、精霊魔術の一部を使えるに限ったものであるので今回は誘っていない。もし精霊魔術の知識が必要になれば、その時に改めて声をかければいいだろうとの判断だ。


「ああ、あれです。あの小屋なら好きに使って貰って構いませんよ」

「小屋……」


 アルノーが指さしたのは、庭園の隅の一画に建っている木造の一軒家だった。間違っても小屋というサイズではなかった。一般的な家庭の住居サイズである。不都合があるわけではないので、当然何も言うところはないのだが。


「ここは、懐かしいな。俺の母が存命の頃はここで一緒に庭園を眺めていた」

「え、そんな思い出の場所なんですか?もしかしたら壊れたりしちゃうかもしれないですけど……」

「いや、いいんですよ。もう十年以上ほったらかしにしていましたから。母との思い出がここにしかないというわけではありませんし、ヘルマンやサーラの同意もとっていますから」


 ヘルマンもそれに肯定して頷いた。そう言うなら、アレシャたちもこれ以上何も言いはしない。有り難く使わせて貰うことにした。アレシャが礼を言うと、アルノーは笑顔を見せる。


「何かあれば何でも言って下さい。私ができることなら何でも協力しますから。それでは」


 彼はそう残して屋敷へと戻っていった。父であるダミアンの後を継いで家の主となった彼は随分と忙しくしているらしい。それでも日々の剣術の稽古は怠っていないようだが。


『たとえ多くの人間が敵に回ったとしても、まだまだ協力してくれる者達は大勢いる。本当に有り難いことだな』

「ダレイオスさんのこれまでの善行の賜物だよね。情けは人の為ならず、だっけ?」

『善行を重ねる『魔王』か。面白い話だ』


 ダレイオスはそうは言うが、その口調は心底嬉しそうだった。手を貸してくれるアルノーたちの恩義に何としても報いよう。そう思い、アレシャたちは反魔術の研究のために小屋の中へと入っていった。


「えほっ!埃っぽいわね……」

「十年以上使っていないんじゃ仕方ないですね。さすがにちょっと片付けた方がいいかもしれないですね」

「ああ、先にやってしまおう」


 というわけで気合いとともに小屋へ入った彼らは、その気合いを掃除に当てることになった。雑多に放置されている家具を部屋の隅に並べてスペースをとり、窓を開け放って換気を行う。ゴミや埃を吐き出してから全員で拭き掃除だ。埃で白く煤けている床が綺麗な木の色を取り戻していく様は、何とも気持ちのいいものだった。


「よし、これで終わり!綺麗になった!」


 太陽がてっぺんまで登り切った昼過ぎ。アレシャは労働の勲章である、額の汗を拭った。その表情は清々しい笑顔である。他の四人も「よく働いた」と笑い合っていた。


「綺麗にしたらいい場所ですね、ここ。お日様の光もよく通りますし」

「ここで庭園を眺めつつ紅茶をいただけたら、さぞ気持ちの良いことでしょう」

「けど今は紅茶をより何か食べたいわ。お腹すいちゃって」

「そうですね、ヴェロニカさん。それじゃあ屋敷に戻って昼食をとるか」


 ヘルマンの提案は全会一致で受け入れられ、五人は小屋を出て屋敷へと戻っていった。彼らが自らの使命を思い出したのは、食後の紅茶のおかわりを頼んだ時だった。そのとき一緒に昼食をとっていたペトラの刺すような冷たい視線は、

彼らの心に深い痛手を負わせたという。


「と、いうわけでだ。これから洗脳への反魔術を生み出すための研究を始めたいと思う。よろしく頼む」


 小屋の一階に円机と椅子を用意して、ダレイオスが始まりを宣言する。それを聞いた全員が真面目な顔で頷いた。つい数分前の和気藹々とした食事風景とはまるで正反対である。彼らはしっかりと反省したのだ。掃除はいつも人の目的を見失わせる魔力を持っている。この場合の魔力とは魔術と何ら関係ないものである。


「目的は、黒幕——まあ、『イナンナ』でいいか。『イナンナ』の使う洗脳を解く方法を確立することだ。被洗脳者であるリリから術を解析し、その糸口を得る」

「それはこの話を持ちかけられた時にも聞いたが、それが難しいというのは承知しているだろう?何か具体的な案があるのか?」


 ヘルマンがダレイオスに問いかける。それは皆同じように思っていたようで、ダレイオスの回答を待つ。ダレイオスもアレシャもこういう時に平気で「これから考える」とか言ってしまう時があるが、今回はそういうこともない。ダレイオスはちゃんと策を持っていた。


「実は、とある人物の協力を既に要請してある。できる限り早い方がいいと思って昨日の内に連絡を入れてある。近日中にここへやってくるだろう。本格的に始めるのはそいつが来てからになる」

「誰なんですか?その人は」

「ああ、それは——」



 そのとき、ドスンという大きな音が響いた。地面に重いものが落下してきたような音だ。五人は反射的に外へ飛び出す。まさかこの場所に隠れていることが嗅ぎつけられたのだろうか。そんな不安を胸に音の元へ急ぐ。そして彼らが目にしたのは——


「スヴェートの本気はさすがの速度ね。あっという間についてしまったわ」

「私の相棒だもの。それくらいは当然よ。ねえ?」

「ギャオッ!」


 庭園の真ん中に立っていたのは二人の女性。片や美しい銀髪をなびかせ、片や全身を緑の衣装に包んでいる。そしてその二人の後ろには凜とした居姿の白龍が佇んでいた。アレシャの母フェオドラと、彼女の旧知の仲である魔術師ダリラであった。

 ダリラはダレイオスたちの姿に気づくと手を振ってみせる。


「お久しぶりね。意外と元気そうで安心したわ」

「まあ、サーラの件以来だからな……。というか、来るのが早すぎないか?」

「ダ、ダリラさん……。ダレイオス、まさか協力を要請したというのは……」

「ああ、彼女だ。今回の研究には彼女の力が必要になる」


 ダリラは帽子をとって光栄だとばかりに頭を下げる。ヘルマンも反射的に頭を下げた。ダリラはヘルマンの元直属の上司であるのだ。組織内の上下関係が染みついているらしい。


「けど、なぜフェオドラお姉様までいらっしゃってるのかしら?」

「私がランドルフ様に連絡差し上げた時、側でお話を聞かれていたようでしたので、その件で参られたのでしょう」


 その件、というと『イナンナ』の正体がルフィナであるということについてだろう。クリームヒルデの報告ではそれほど詳細な話はできなかっただろうし、ダリラを送るついでに詳しい内容を聞きに来たと見える。

 しかしそれにしても到着が早い。ダレイオスがランドルフ経由でダリラへ連絡をとったのは昨日だ。連絡が来るなりスヴェートに乗って飛んで来たらしい。前と全く同じパターンである。どうやらダリラは迅速な行動を売りにしているようだ。仮にもムセイオンという重要組織の重要人物であるのにそのフットワークの軽さは何なのか。


「まだどこも『魔王』相手に大きな動きは見せていない。ドラゴンに乗って移動するなんて大がかりなことができるのは今の内だけですから」

「まあ、確かにそうだ。早くて悪いということも無いからな。丁度話し合いを始めるところだったんだ。ダリラは一緒に来てくれ。……フェオドラはどうする?」

「残念だけど、私はすぐに戻らなければいけないのよ。ランドルフさんと商会としての身の振り方を話し合わなければいけないから。だから、できれば研究を始める前にアレシャと話をしたいのだけれど」

『そっか……。あの、ダレイオスさん、いい?』


 アレシャがダレイオスに了解を得ようと問いかける。ダリラの到着は予定よりもかなり早かった。研究もスムーズに進みそうだ。少し話すくらいの時間は何の問題も無い。ダレイオスが行ってくるように言って交代すると、アレシャは仲間達に一礼してからフェオドラの元へと駆けよる。丁度そこに敵襲かと思ったアルノーやギルドの仲間達が駆けつけてくるが、アレシャは何も問題ないと簡単に事情を説明してから、フェオドラを屋敷内の自室に案内した。フェオドラは部屋につくと、いつものように紅茶を準備してくれる。


「ありがと」

「どういたしまして。……それで、ルフィナが黒幕なんだって?」

「う、いきなり切り込んでくるね。……そうだよ。わたしがこの目で見たんだから間違いない」

「アレシャの目で見たって言っても信憑性に欠けるけど、まあそうなんでしょうね」


 フェオドラは落ち着いた様子で紅茶を飲む。アレシャはそれを少しばかり不思議に思った。


「えっと、あんまり聞かないんだね。お姉ちゃんがどんな感じだったかとか、何を話したのかとか……」

「もしそれだけ会話をしたなら、アレシャは自分から『聞いて』って話してくるでしょ?そうじゃないってことは、ルフィナと殆ど話もしていない。違う?」


 違わなかった。ズバリ言い当てられてアレシャは目を丸くした。こうやってアレシャの心を見透かされるのが最早恒例になりつつあるなとダレイオスは思った。


「何というか、さすがですなあぁ……」

「母親は娘のことは大体分かるのよ。……ルフィナの事は分かってあげられなかったんだけど」


 フェオドラは表情を曇らせ、自嘲気味に笑う。もし娘の気持ちが本当に全て分かるなら、ルフィナが何も言わず家を飛び出すなんてことはなかっただろう。当時のフェオドラは傷心のアレシャに付きっきりでルフィナの事に目を向けられなかったという事情もあるのだが、それでも彼女は娘を止めることができなかった自分を責めているように見えた。そんな母親にアレシャは何も言うことができず、別の話題を振るしか無かった。


「それでね、お母さん。わたし、お姉ちゃんが相手でも戦うんだって決めたんだ。ダレイオスさんや皆となら、わたし頑張れるから」

「そう、分かったわ。実は今日はあなたがこれからどうするつもりなのかを聞きに来たんだけど、先に言われちゃったわね」


 フェオドラは少し表情を明るくさせ、クスクスと笑った。そしてまた紅茶を一口飲むと、アレシャの眼を真っ直ぐに見る。


「その決意を否定する気はないし、頑張って欲しいと心から思ってる。けど、ルフィナと戦うっていうのはあなたが思っているより辛いことだと思うわ。あなたたちはたった二人の姉妹なんだから。それでもやるのね?」

「うん、決めたんだ。まだその実感が湧かないからこんな風に言えるのかもしれないけど、わたしはやるしかないと思ってる。だからもしここでお母さんが『やめて』って言ってもわたしはやるよ」


 アレシャはフェオドラの目を真っ直ぐに見返す。こんな風に娘の目を見て話をすることは、これまであまり無かったなとフェオドラはふと思う。そんな久しぶりに見た娘の蒼い瞳は、燃えていた。アレシャが家を出てからもうすぐ三年が経とうとしていた。長いように見えて実際はほんの少しの時間だ。しかし、娘はその短い時間で大きな成長を遂げていた。戦いの面ではそれは明らかだったが、心に関してはこの場でそれを強く実感できた。


「あなたが外に飛び出していったことが、あなたにとって本当に良いことだったのか、お母さんはずっと考えていたわ。でも、やっぱりそれは間違ってなかったのね」

「そりゃ勿論!ダレイオスさんと出会って、色んな人たちが仲間になって。こんなことは旅に出なけりゃ絶対に無かったんだから」

「そうね。お母さんが間違ってたかもしれないわね」


 母娘はそうして笑い合う。この場にもう一人の娘がいて一緒に笑うことが出来れば、どれだけ嬉しいだろうか。そう思わずにはいられなかった。二人とも、口に出すことはなかったが。


 ともかく、これでフェオドラ自身としての目的は達せたわけだ。娘の決意を聞いて彼女は満足した。なので後は商会の遣いとしての目的も達さねばならない。


「ヒルデちゃんから連絡を貰って、今商会では十年前からのルフィナの足取りを調べているところよ。あまり状況は芳しくないみたいだけれど」

「そっか……。仕方ないね。でもそんなに見つからないなら、かなり早い内にデカン帝国に所属したとかなのかな?国のお抱えになれば足取りも途切れちゃうだろうし……」

「そうは言うけど、ルフィナにデカン帝国とのコネなんて無いわ。私もアレクセイもね。別に何か理由があるのかもしれないけれど……。ところでアレシャ。この事件、ルフィナが自分の意志で起こしていると思う?」

「え、いきなりだね……」


 戸惑いつつもアレシャは考える。事件がルフィナの意志、つまり彼女が悪意を持っているか否か。彼女が、別の存在に操られてはいやしないか、ということが聞きたいのだ。アレシャとしては操られている説を押したいところだが、残念ながらどちらの可能性が高いかという判断を下せる情報をアレシャは持っていなかった。アレシャがその通りに伝えようとすると、そこにダレイオスが口を挟む。


『そういえば、ブケファロスが言っていたな。ほら、お前が一人一人に話をしにいったときだ』

「え、ええっと、確かあのとき……」


 例の記事が載った新聞が届いた日、アレシャは仲間達に『イナンナ』の正体について告白した。その時、何人かはその場にいなかったのだが、アレシャはその後一人一人に自分の口からその事実と自身の決意を言葉にしていた。ブケファロスにも、彼が剣の稽古を終えて自室に独りで居るときアレシャはその話をしたのだ。彼はアレシャの話を黙って聞き、そして最後に真面目な顔でアレシャに声をかけた。


「お前の姉貴は悪くない。安心しろ、俺が保証する」


 その時はアレシャを元気づけようとしてくれていたのだとアレシャもダレイオスも思い、礼を述べてその場を後にしたのだ。しかし今になって、その言葉には別の意味があるのではないかとダレイオスは思った。


『樹海でルフィナと対峙したとき、ブケファロスとリットゥも私と同じような反応をしていたはずだ。ルフィナの持つ魔力に覚えがある、と』

「呆気にとられてて、わたしは覚えてないんだけど……。でもそんな事を言ってたんなら、本当に“保証”があるってことか……」


「何?どうかしたのかしら」


 フェオドラが不思議そうにアレシャの顔をのぞき込むので、アレシャは今の話をそのままフェオドラに伝える。すると今度は彼女が難しい顔で思考にふけり始めてしまった。


「そう、ブケファロス君が……。なら、やっぱり本当に……」

「お、お母さん?」

「いえ、何でも無いわ。でもそういうことなら一度彼に話を聞いておいた方がいいんじゃないかしら。何か知っているなら手がかりを共有しておくべきだと思うわ」

「うん、そうだね。早い内にブケファロスさんに聞いてみる」


 フェオドラの提案にアレシャは素直に応じる。彼がこれまで話してくれなかったことを改めて聞くいい機会かもしれない。後で必ず聞いておこうとアレシャは心に留めた。


「商会としては勿論、アレシャたちに協力するつもりよ。商会が“死人”の事件で失った信用を取り戻しつつあるのは、『アルケーソーン』が慈善的な活動を率先して行っているおかげでもあるのよ。身内など関係無しに商会にとって利益をもたらす冒険者を守るためだと考えてくれたらいいわ」

「ありがと。そういや、ランドルフさんと連絡を取る時はどうしたらいい?これまでと同じでいいのかな」

「日中は避けた方がいいわね。ランドルフさんの周りに人がいる可能性が高いから。そこはクリームヒルデちゃんに相談するのがいいと思うわ」

「分かった、そうする。何か分かったりしたら連絡するね。こっちは常に連絡がつくようにしておくから、そっちで何かあったらいつでも連絡ちょうだいね」

「分かったわ。ランドルフさんにもそう伝えておく」


 今はこうして直接会うことも難しくないが、いずれそうはいかなくなるかもしれない。連絡の取り方を打ち合わせておくことは、今後必ず必要になってくるはずだ。それが決められただけで十分だとフェオドラは思い、事務的な話はそれだけに終わった。これ以上は互いに様々な情報が集まってからでないと、大した意味もないだろう。フェオドラもあまり時間に余裕がないという話であったし丁度いい。

 二人は最後にもう一杯紅茶を飲んでから立ち上がる。フェオドラはこれから商会本部へ戻り、アレシャは待たせている仲間とともに反魔術の研究だ。それぞれがやらねばならない事の為に部屋を後にしようとするが、ドアに手をかけたフェオドラがアレシャの方へ振り向く。


「アレシャ、改めて言っておくわ。お母さんは何があってもあなたの見方よ。これまでも、これからもね。それだけは絶対よ」

「……うん」


 アレシャはこわばらせていた顔を緩めると、フェオドラの胸に飛び込んだ。アレシャはそれ以上何も言わなかったが、フェオドラは娘の気持ちを敏感に悟った。フェオドラも何も言わず、アレシャの頭をただ優しく撫で続けた。それで少しでもアレシャの不安や恐れが和らいでくれることを祈って。その時のフェオドラは酷く悲痛な面持ちであった。まるで耐えがたい何かを必死に堪えているような。アレシャもダレイオスも、彼女のその表情に気づくことは無かったが。

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