64 わたしのために
朝。窓から差し込む柔らかな光によって、アレシャはゆっくりと目を覚ます。包み込むように沈む高級ベッドから身を起こし、大きく伸びをした。ふと窓の外に目をやると、まだ空は白みがかかっている。夜が明けてから、まだそれほど時間が経っていないようだ。早起きの起きる時間である。
『……ようやく起きたか。寝過ぎだ』
「……おはよう。寝過ぎた」
しかし、アレシャはその早起きではなかった。丸一日ほど寝ていた。オル・オウルクスであれほどの事件に巻き込まれたのだから、それも仕方がないことなのかもしれないが。
窓の外の景色は、のどかな田園風景だ。いつも事務所の窓から見ている景色とは全く違うものである。それもそのはず、今アレシャがいるのはヘルマンの実家であるのだから。
アレシャたちはオル・オウルクスから帰ってきた夜の会議で話し合った通り、避難場所としてここを選んだのだ。メンバーたちの引っ越し準備が終わってからスヴェートの背に乗り、ひとっ飛びだ。荷物も十二人分となればかなりの量があったが、さすがはドラゴン。それらの荷物を強靱な足でガッチリと掴み、この場所まで運んできた。なので、拠点の移動はかなり楽に行うことが出来た。
夜の闇に紛れて突如飛来した白龍に、館の主にしてヘルマンの兄であるアルノーは大いに驚いた。しかしアレシャが事情を説明すると、アルノーは二つ返事で受け入れてくれた。
「恩人の危機に手を貸さぬなんてことをすれば、死んだ父に叱られてしまう」
アルノーはそう言って笑っていた。アレシャたちにとっては、その笑顔が紛れもない救いになった。
それからフェオドラとはランドルフへの報告のために別れ、『アルケーソーン』のメンバーはアルノーによって一人一人に部屋が用意された。アレシャは自分の部屋に入ると、着替える間もなく泥のように眠りについた。それが丁度、夜明け頃の話だ。アレシャは本当に丸一日寝ていたわけだ。
「まだみんな起きてないかな」
『他のやつは昨日の昼間に起きて昨日の夜に眠りについたからな。そりゃ、こんな早朝ではまだ寝ているだろう』
「ならダレイオスさん、ちょっとお話ししない?……わたしのお姉ちゃんについて」
『……それは私も聞いておきたかったからな。ぜひ、聞かせてくれ』
アレシャの姉。『イナンナ』の正体。ダレイオスが話を聞きたいと言ったのは『イナンナ』の情報を得るためではある。だが、アレシャの家族の話をちゃんと聞きたいとも思った。他意など無く、純粋に相棒のことを知っておきたかったのだ。
ダレイオスの返事を聞いて、アレシャは話し始める。
「お姉ちゃんの名前は知ってたよね?ルフィナっていうの。わたしが家を出るよりも前に家を出て行ったんだけどね。わたしが七歳の頃。お姉ちゃんは七つ上だから、十四歳の頃かな」
『それなりに年齢が離れているのだな』
「うん。お母さんが冒険者を辞めたのは、わたしがお腹の中にいるときだから、お姉ちゃんはお父さん達と旅をしたこともあるんだって。『羨ましい』ってよくお姉ちゃんに言ってたなぁ。そしたら、『アレシャも大きくなったらいっぱい旅ができるさ』って頭を撫でてくれた」
『仲は良かったのか?』
「良かったと思うよ。年が離れてる分、小さい頃からお世話してくれたんだ。わたしの家が結構街から離れた場所にあったから、遊び相手もずっとお姉ちゃんばっかりだった」
昔を思い出しながら、アレシャは語る。しかし昔を思えば思うほど、言葉にすればするほど、アレシャの顔は暗く陰っていく。ダレイオスは様子を窺いながらもアレシャに尋ねる。
『何故、ルフィナは家を出たんだ?話を聞く限り、家族仲は良好だったようだが……』
「お姉ちゃんが出て行ったのは、お父さんが死んだすぐ後。詳しい理由は分からないけど、それが原因だと思う。あのときのわたしってもの凄くふさぎ込んでたから、気づいたときにはもうお姉ちゃんはいなかった」
『そして十年ぶりに再会してみれば、アレだったというわけか……。そもそも、あの『イナンナ』は間違いなくお前の姉だったのか?十年も会っていなければ……』
「確かに背格好は変わっていたけれど、アレはお姉ちゃんに間違いないと思う。妹なんだから、それくらいは間違えないよ」
アレシャは断言する。そこまで言うならばダレイオスも疑いはしない。しかし、アレシャの様子が少しばかり気になる。
『えらく冷静じゃないか。言ってはなんだが、お前はもっと落ち着いていられないと思っていた』
「あはは……。実は、自分でも自分がよく分からないんだよ。実感が湧かないってのあるんだけど、何て言うか、お姉ちゃんを見たときは喜びみたいなのが大きくて……」
『喜び、か。それも仕方がないことかもしれないな』
たった二人の姉妹。その十年ぶりの再会なのだ。この十年間行方すら知れなかった。それが無事に生きていたと知れた時に、嬉しいという感情を抱くかないわけがない。ただ、その再会がこんな形でなければどれ程良かっただろうかとダレイオスは思わずにはいられなかった。
「だから、わたしは大丈夫。今度はダレイオスさんの話を聞かせて。お姉ちゃんと対面したとき、ダレイオスさん確か、『魔力に覚えがある』って言ってたよね」
『ああ、確かに言った。本能的にそう思ったんだ』
「それってどういうこと?もしかして、会ったことがあるとか?」
『そんなワケは無い。お前の姉に会ったのはこの間が初めてなんだ。ただ考えていたんだが、そもそもお前の姉が『イナンナ』であるということに幾つか疑問がある』
「え?それってどういう……」
アレシャがダレイオスに問う。アレシャは目の前に立っていた姉が『イナンナ』であるという事実を受け入れてしまっていたが、ダレイオスはそれすら確かではないと言いたいのだ。ダレイオスは整理しながら説明していく。
『そもそも私が『イナンナ』を追っていたのは、千九百年前に私を襲った事件の犯人が『イナンナ』である可能性があるからだ。お前の姉は千九百年前に生きていやしないだろう?』
「ああ、そういえば……。確かに変だね」
“死人”の裏にいる黒幕は、千九百年前に使われたものと同じ転移魔法陣を使う。歴史に残されていないダレイオスの副官、ヘリオスのことを知っている。そういった理由からダレイオスは千九百年前の黒幕も同一人物であると考えていたのだ。というのに、その黒幕である『イナンナ』はアレシャの姉だ。これは大きな矛盾である。
『この矛盾をなくせるとすれば、さっきから言っている黒幕が『イナンナ』ではないという可能性だな』
「お姉ちゃんは『イナンナ』だけど、これまで色々やってきたのは別人ってこと?」
『リリが『イナンナ』が主であると口走っていたので無関係ということはあり得ないが、私たちは『イナンナ』が黒幕であると断定した明確な根拠は持っていないんだ。元々はルーグが一番怪しいと見ていたくらいだったからな』
「なるほど……。あれ、でもダレイオスさんが『魔力に覚えがある』って言うのはなんだったの?」
『それなんだよな……』
アレシャの疑問にダレイオスは考え込んでしまう。結局ダレイオスと『イナンナ』ことルフィナの接点はないのだ。ダレイオスの感じた魔力の正体が見えない。その矛盾を解く答えを探す。
『すまない。あの魔力をどこで感じたのか思い出すことができないのだが、少なくともこの時代ではないはずだ』
「千九百年前ってこと?つまり、ダレイオスさんは千九百年前にお姉ちゃんに会ったことがある、と。意味が分からないんだけど……」
全くもってアレシャの言う通りだ。ルフィナが時間旅行でもできない限り、そんなことはあり得ない。なら、ルフィナが持つあの魔力は何なのか。ダレイオスとルフィナが初対面である以上、彼女自身が持っている物ではないと考えるのが自然な帰結である。と考えたところで、ダレイオスが『あ』と呟いた。アレシャがどうしたのかと尋ねる。
『いや、うっかりしていた。ルフィナに別人の魔力が宿っている、ただそれだけの事だったんだな』
「ん?そんなことがあるの?」
『お前が今会話をしているのは何だ?紛れもなくダレイオスという他人の魂だ。お前の身には、今現在ダレイオスの魔力も宿っているんだ』
「……つまり、今お姉ちゃんの身体には別の人間の魂が宿っているかもしれないってこと?」
『ああ。そして千九百年前、私はその魂に出会っている、ということだ』
それなら辻褄が合うのだとダレイオスは語る。そもそも千九百年もの時を超える方法など、そうありはしない。魂だけとなり、肉体の崩壊という縛りから解かれ、千九百年の時を超えたと考えるのが妥当だ。そう、ダレイオスと同じように。これと同じような話を以前にもしたことがあったのだが、自分とアレシャの関係が当たり前のことになりすぎていて失念していた。しかし、これが最もあり得る可能性だろう。
『それに樹海でお前とルフィナが再会したとき、向こうは『魔王』である私に対しての挨拶だけを残し、妹であるお前に対しては何の反応も見せなかった。今思うと少し不思議でな。もしかしたら、あのとき話していたのはルフィナで無かったのかもしれない』
「じゃあ!じゃあ!暗躍していたのはあくまでお姉ちゃんの身体にいる別のヤツで、お姉ちゃんは何もしていないってこと!?」
興奮した様子でアレシャは立ち上がるが、ダレイオスが諌める。
『落ち着け。私が話していることは何の根拠も無いんだ』
「ご、ごめん。そうだよね。別人の魂がやったとしても結局はお姉ちゃんの身体なワケだし、そう簡単な話じゃないか。……それにあのとき話した感じ、絶対にお姉ちゃんだと思うんだよね……」
『未だ謎は多いか……。だが、『イナンナ』=ルフィナと結論づけるのは早計だな。別人の魂の存在。確定的ではないが、絶対に捨ててはならない可能性だ』
「そうだね」
アレシャは静かに同意を返す。そして、自分の拳をぐっと握りしめる。
これまでずっと朧気に浮かんでいた敵の存在。しかし、一気に動き出す事態とともに、ついにそれが明確な実体を持って現れた。向こうから動きを見せている以上、相手方の策が動き始めているのは間違いない。アレシャたちの知らないところで、良からぬことが起きようとしているのだろう。ただ、実体のある相手ならば戦うことができるのだ。そして戦うことのできる相手であるのならば話は簡単だ。勝てばいい。
そして今、アレシャには明確な目的が生まれた。
姉に宿る別人の魂、それが実在するのかどうなのか。姉、ルフィナが黒幕である、それが真実であるのかどうなのか。それを知ることは叶わない。だが、ずっと行方知れずであったただ一人の姉妹が、何者かによって苦しめられている可能性が存在しているのだ。そうなればアレシャにとって選択肢など、もとより存在していなかった。
「ダレイオスさん、わたし、お姉ちゃんを救い出す。これまでは“死人”事件みたいなことを起こさないためとか、ダレイオスさんが真実を知る手助けのためとか、立派な冒険者になるためとか、色々な理由でやってきたけど、これからはそんなんじゃない。お姉ちゃんのため、わたしのために、わたしは戦うよ」
『……『イナンナ』がルフィナか別人かということ関わらず、お前の姉の姿をした者とは戦うことになるぞ。それに、今ここで立ててきた仮説が偽りで、本当に『イナンナ』=ルフィナであったとき、お前は迷わず戦えるか?』
「何言ってるの。迷うに決まってるじゃん。でもその時、わたしの側にはダレイオスさんがいてくれるでしょ?それにそういう時は、皆がわたしの背中を守ってくれる。それなら、わたしも思う存分戦える!」
『……何というか、調子のいいことだ』
ダレイオスは呆れたようにため息をつく。しかし、そんなアレシャに反感を覚えることもなかった。ダレイオスは小さく笑うと、アレシャへ向けて宣言する。
『いいだろう。お前の目的のために、この『魔王』の力を貸してやる。お前は思う存分力を振るえ。背中は任された!』
「うん、任せた!なら、早速皆に今話し合ったことを伝えなきゃ!今後のことについても相談しなきゃだし!」
アレシャは決意の勢いのまま、扉を開け放つ。長く続く廊下を歩き、全員が集まるであろう広間へ向かおうとする。向かおうとするが、現在時の頃は夜明けすぐ。皆、熟睡中であった。
人気のない廊下で一人佇み、窓の外に広がる未だ白みがかっている空を、しばしの間ぼんやりと眺める。そして回れ右。自室へと引き返してアレシャはベッドに潜り込んだ。皆が起きてくるまで二度寝を決め込むと決意したらしい。




