63 話して貰おうか?
とりあえず目の前のコレを放っておくワケにいかないので、一旦机から下ろす。リリが転がっていたところのテーブルクロスが湿っていたのは多分気のせいだろう。両手足は縛ったままで目隠しだけ解く。
「ああ、ヒルデ様!お待ちしておりました!ご褒美を……あれ?」
「久しぶりだな、リリ。一月ぶりくらいか」
跪いた体勢で涎を垂らしたリリが顔を上げると、極めて冷たい目のダレイオスが見下ろしていた。その視線を浴びた時にリリがビクンと震えたのは多分気のせいだろう。
「おい。ダレイオスもクリームヒルデも、とにかく説明してくれ。どういう状況か全く分からん」
「それと、サーラ様の目隠しはもう解いてもよろしいでしょうか」
「サーラの事は知らんが、説明は勿論するさ。一月前、リリが事務所に尋ねてきたことを覚えているか?」
ダレイオスの問いかけに皆頷く。オル・オウルクスからの依頼の詳細についてを伝えるために、リリは『アルケーソーン』の事務所までやってきたことがあった。そのとき、リリは最低限の伝達とオル・オウルクスからの手紙を渡してそそくさと帰って行った。
「確か、そのときは何事もなく帰っただろう。最後はアレシャとダレイオスが見送ったはずだが、もしかしてその時か?」
「いや、その時は何もしていない。ただ、クリームヒルデに頼んで、リリの後を追って貰ったんだ。なあ?」
「ええ、そうですわ。ダレイオスから、『リリが怪しいから、尾行してくれ。お前の判断で拘束も許す』と頼まれたので、その通りに行動いたしました。先日まで出ていたのが、その仕事ですわ」
「はあ、いつの間に……。そういえば、オル・オウルクスの出発前の会議の時、クリームヒルデの姿が見えなかったな」
ヘルマンが思い出すように呟いた。他の皆も、そういえば、というように頷いていた。
「で、何故リリが怪しいと思ったんだ?根拠があるのだろう?」
「ああ。リリには一年前にドゥルジの街で会ったことがあったわけだが、その時感じたリリの魔力と、一月前に感じたリリの魔力がまるで別物だったんだ。具体的に言うと、一月前の方が遥かにデカい魔力を持っていた」
「一年で魔力が別物になるほどに変化したというのね?それは変な話ね」
「ああ。それに、こいつは事務所に尋ねてきた別れ際、私にデカン帝国に関する情報を尋ねてきた。それで少し気になってな。ヒルデに頼んだんだ」
何もないなら、それでいい。そう思って仕事を頼み、クリームヒルデはリリの後をつけ、ダレイオスたちはオル・オウルクスへ向かった。クリームヒルデは仕事に出てから連絡を送ってこなかったが、リリに何かあったかどうかはオル・オウルクスでバートの話を聞いて分かった。彼は、リリは一月前から戻ってきていないと言った。それでダレイオスは、リリが何かしらの理由でヒルデに拘束されたのだろうと確信したのだ。
「なるほど。お前、というかアレシャが“デカン帝国が怪しい根拠はある”って言ってたのはこれが理由だったのか」
『この状況の中で近づいてきた怪しい人間が、デカン帝国と無関係って考えにくいからね』
「まあ、私から話せるのはこれくらいだ。後はヒルデに聞いてくれ」
「分かりましたわ。リリは余計なことは話さなくていいです。私が聞いたときだけ答えるように」
「かしこまりました、ぁ……」
最後のぁ……は何なのかと思ったが、誰も何も言いたくなかった。そんな微妙な視線を無視して、クリームヒルデは話し始める。
「事務所を後にしてから、リリは何事もなく、とある場所を目指して移動していましたわ。ただ、それは間違いなくオル・オウルクスのある方向ではありませんでした。方角にして南東。デカン帝国のある方角です」
「何?では、リリはデカン帝国へ向かっていたのか?」
アステリオスが反射的に尋ねるが、ヒルデは首を横に振った。転移魔法陣も使わず徒歩で移動し続け、二週間ほど。アルマスラ帝国内の郊外にある廃屋に、リリは入っていったそうだ。
「廃屋ぅ?そんな場所で何しようってんだ」
「そこに特別何かがあるというわけでなければ、人目のない場所で誰かと落ち合うためだったんじゃないか?」
「その通りですわ。リリはそこで、一人の男性と言葉を交わしました。内容は、『確認した。情報はなし。行動に移して問題なし』ということでしたわ。相手の男性が何者かそのときは判断できませんでしたが、少なくともエルフの身内の者には見えませんでした。なので、話が終わったころを見計らって拘束させてもらいましたわ。できれば、その男性もふん縛ってやってやりたかったのですが、さすがに危険だと思って自重しましたが」
そこでクリームヒルデがリリに視線を送ると、リリは僅かに身を震わせる。お願いだから、そいつを刺激するようなことをしないでくれと誰もが思う中、ヒルデはゆっくりと紅茶を口に運ぶ。
「リリ。ここからはあなたが話すべきですわね。さあ、皆にお話してあげなさい」
「はぁい!」
リリがワンと吠え、意気揚々と話し始める。
「私が暗闇から解き放たれたとき、床に無様に転がる私をヒルデ様が見下ろしていました。いえ、目隠しされていたので見えなかったのですが、私には分かります!あのときのヒルデ様のゴミくずを見るような目を!そしてそれからヒルデ様は私の顎を持ち上げ、その手に魔力が籠もったかと思うと、突如として私の身に衝撃が走り、それと共に私のハートを貫くような衝撃が……!」
「ストップ!黙れ!ライラ!」
「ご安心下さい、ヘルマン様。サーラ様の耳は塞いでおりました」
「ライラ?どうしたのですか?何も聞こえないですよ?」
「それでよいのです、サーラ様。それでよいのですよ」
「ああ。それでいいんだ、サーラ」
「そうなのですか?」
食堂内がどうしようもない雰囲気につつまれる。ダレイオスがリリの顔面をガッシリと掴んで持ち上げた。メリメリという音が気のせいではなく、確かに聞こえていた。
「今の切迫した状況を少しくらい理解してくれると助かるんだが、分かるな?」
「あ、あああ、はい、はああい!分かりましたぁ!」
ダレイオスが手を離すと、リリはドサッと地面に落ちた。オル・オウルクスの危機的状況から解放されたことで忘れかけていたが、今はそれほど余裕がない状況だった。ダレイオスの言葉で少し緊張感が高まり、全員がリリに鋭い視線を向ける。リリもこのままでは頭を潰されかねないという危機感を抱いたのか、真面目に話す気になったようだ。
「では、何をお話すればいいでしょうか?」
「まず前提を確かめるためとして、お前の主は誰だ」
「ヒルデ——」
「クリームヒルデ以外でだ」
「それは……『イナンナ』様です」
リリの答えで、場の空気が確かに変わった。ダレイオスは更なる質問をぶつける。
「それは、お前がもとより仕えている相手ということか?それとも魔術による洗脳によるものか?」
「そんなことは分かりません。ただ、私の主は『イナンナ』様だというだけです」
「そんなことは分からない、か……」
分からないとリリは口にしたが、素直に話す姿勢を見せている以上、それは本当に分からないのだろう。そんなことがあり得るとすれば——
「どうやらこいつ、既に洗脳下にあるみたいだな。なるほど、これがさっき言ってた証拠ということか」
リリがクリームヒルデに捕獲されてから既にかなりの時間が経っている。もし『イナンナ』がリリの行動を監視できているのなら、相手も当然それに気づいているだろう。遠隔でリリに命令するなりして、何かしらの対処を講じてきているはずだ。例えば自害を命じるなどだ。しかし、そのリリはこうして話せる状況にあっても舌をかみ切る素振りも見せない。
「リリには餌——食事も定期的に与えていましたが、何という素振りも見せずに食べていましたわ。『イナンナ』から口封じの為の指示が飛んできていないと見てよいでしょう」
「はい、とっても美味しい飼料でございました!」
折角クリームヒルデが濁しきれていないながらも言葉を濁したというのに、リリが何か口走った。誰も意識して意識しないようにしていたが。
「でもこれを見る限り洗脳の影響ってそれほど高くないみたいだな。ここまでクリームヒルデに従順になるとは……」
「クリームヒルデちゃんの洗の——調きょ——説得の賜物ですね」
「『イナンナ』の洗脳の効果は、『イナンナ』を主と認識させ、ある程度の命令を強制させる、といったところか。それに触れないのならば、自由意志は持っていられるようだな」
「と言っても、まだ洗脳下にあるのだ。警戒はしておくべきだ」
セイフの言う通り、目の前の手足を縛られたエルフが危険要因(仮)であるのは間違いない。これに危険をもたらされたら一生の恥なような気もするが。ただ重要な情報源でもある。ダレイオスは更に質問を重ねる。
「お前が『イナンナ』から指示を受けるとき、それはどのように行われる?」
「そ、それも分からないです。ただ、『私はこうしなきゃいけない』って、いつの間にか思ってて……」
「ふむ……。『イナンナ』に直接会ったことは?」
「ない……あれ、あるのかな?よく覚えてないです……」
「覚えていない、か。自分の痕跡は残さないよう徹底しているようだな」
ダレイオスは腕を組んで椅子に深く腰掛けた。嘘をついているようには見えなかった。もしかしたら『イナンナ』から事前に「もし捕まったらこう答えろと」と命令されていたのかもしれない。それを確かめるためにも、ダレイオスは質問を続ける。
「後は、お前が一月前に我が事務所を訪ねてきた理由を聞いておきたい。覚えていないなんてワケはないだろう?」
「はい、それはもう鮮明に。私がここへ来たのは、オル・オウルクスの手紙を届けるためです。そして『アルケーソーン』が依頼を確実に受ける場を見届けて、デカン帝国に伝えるという仕事です」
『ヒルデが廃屋で見た会話は、その報告だったってことか。でも、仕事ってそれだけ?』
アレシャはリリの答えに首をかしげるが、ダレイオスはリリの仕事に重要な意味があると考えていた。
「オル・オウルクスでのデカン帝国の手際の良さはかなりのものだった。最初から私たちに罪を被せるために想定されていた計画だ。ただそれは、私たちがオル・オウルクスに雇われているということをあらかじめ知っている必要がある。それも確実な情報でだ。綿密に策を立てて、いざオル・オウルクスへ言ってみたら『アルケーソーン』なんていませんでした、となったら笑い話にもならんだろうからな」
「それで、オル・オウルクスの使者であるリリを洗脳して、デカン帝国に情報を横流しさせたというわけか。結果、この体たらくだがな」
ヘルマンが可愛そうなものを見る目でリリを見下ろす。リリの呼吸が若干荒くなったが多分気のせいだろう。『イナンナ』はオル・オウルクスが国交を結ぼうとしているデカン帝国において、それなりの地位も持つ者である。会談の事前にオル・オウルクスを訪れたことがあるとしても不思議はない。そのときにリリに、もしかしたらバートにも洗脳を施していたと考えられる。
「合点のいく話だな。ただその通りだとすると、リリの仕事は既に完遂されているのか。『イナンナ』にとってこいつは既に用済みということだな……」
「では、こいつから知られる情報はこれ以上ないのではないか?」
アステリオスがズバリ言ってしまった。全員の視線がリリへ注がれ、その本人はエヘヘと笑顔を浮かべる。そこにクリームヒルデが手をかざすと、リリは影に飲み込まれてその場から姿を消した。強制退場である。
「……ともかく、これで報告は一通り終わったな。これから今後の対策を練っていきたいところだが……ここで一度切ったほうがいいな。なあ、フェオドラ?」
「ええ。私もそのように思っていたところよ」
少し離れた席で、ずっと聞きに徹していたフェオドラがダレイオスに同意を返す。
「先ほど危険が迫っているわけではないと話をしたけれど、これからどうなるかは分からないわ。だから、この事務所を一度離れるべきだと思うのよ。ここに来る前にダレイオスさんと少し話してね」
「私たちの本拠地がここであるのは周知されている。なら当然、今後ここを狙ってくる可能性は高い。だから夜の内にスヴェートに乗って移動しようと思ったんだ」
「……確かにそうだな。いつまでもここにいるのは得策で無いか」
ダレイオスとフェオドラの言葉に全員が静かに同意した。ようやく馴染み始めてきた事務所を離れるのは少しばかり名残惜しくはあるが、仕方の無いことと諦めるしかない。
「けれど、離れるにしてもどこへ行くつもり?宛てはあるのかしら?」
「それなら、俺の実家に来るといい。アルノー兄上はアレシャにいつか恩を返したいと言っていたからな。喜んで受け入れてくれるはずだ。それに、俺とあの家の繋がりは表に出していない。察知することは難しい」
「いいのか?ぜひそうさせてもらいたい」
ヘルマンの提案にダレイオスは有り難く乗っかった。ヘルマンの実家の屋敷の大きさならば、ここにいる全員を匿うことも難しくない。もし居場所が知られたとしても、デカン帝国が他国の一領主の屋敷に踏みいることは簡単ではないだろう。隠れ場所としては最適だ。
「ライラ、お兄様、お家に帰るのですか?」
「はい、そうですよ。アルノー様にもリーンハルト様にもお会いできますよ」
余計な心配をさせないようにと思ってか、ライラはサーラに優しく語りかける。サーラは戦いから一番縁遠い存在だ。置かれた状況くらいは理解していてほしいが、それ以上のことを背負わせる必要は無い。
「何か意見のある者はいるか?もし異論があるなら、今ここで言って欲しい」
ダレイオスが最終確認として全員に問いかけるが、誰も文句はないようだ。了解の意をこめた視線をダレイオスへと注ぎ、ダレイオスもまた視線でそれに応じる。
「ならば早速引っ越し準備だ。全員、必要なものだけを持って玄関ホールに集合しろ!」
ダレイオスの号令とともに全員が席を立ち、それぞれの準備をするために部屋を出て行った。部屋に残されたのはダレイオスとフェオドラだけになり、ダレイオスもまた、準備のために立ち上がる。
『ダレイオスさん、少しだけ代わってくれる?』
「ん?少しだけと言わず、ずっと代わっていても別に構わんが、ともかく分かった」
アレシャが表に現れ、フェオドラに視線を向けた。そのアレシャの瞳を見たフェオドラの表情が少し険しくなったようにダレイオスには見えた。
「どうしたの、アレシャ」
「ごめん、まだ言えない。でも、一言だけ言っておきたくて。……お母さんは、わたしが許されないような事、例えば人を沢山殺したりしたら、お母さんはわたしをどう思う?」
「…………」
フェオドラはアレシャの瞳を真っ直ぐに見据える。しばしの沈黙が過ぎてからゆっくりと口を開く。
「どう思うかと聞かれたら……そうね。多分怒りを覚えるでしょうね。勘弁してくれと言っても止めないくらいお説教してあげるわ」
「それだけ?」
「母親なんだから、それで十分だと思うわ。もし許されざるような事をしてしまったとしても、それほどまでに追い詰められてしまった理由があるのだと考えるわね」
「家族の縁を切るとか……」
「しないわよ。私の娘たちは良い子だから、ちゃんと話せばきっと分かってくれる。私はそう信じてるわ」
「……そっか。ごめんね、変なこと聞いて」
「別にいいわよ」
フェオドラは小さく笑みを浮かべると、残った自分の分の紅茶を飲み干して立ち上がる。
「私はスヴェートと一緒にいるわ。念のため、外を警戒しておくわね」
「分かった。お願い」
フェオドラは頷きを返し、部屋を後にした。ついに一人残されたアレシャもまた準備のために自室へ戻ろうと部屋を出る。
先ほどのアレシャの質問の意義。それは、フェオドラが『イナンナ』の正体が何者かを知った時、どのように思うかどうかを確認するためだ。どうやら、アレシャとしては安心できる回答が返ってきたようだ。
ただ、アレシャはあくまで自分を例に挙げて問いかけた。姉の話など全くしていない。にも関わらず——
『娘“たち”か。母親の勘ってのは鋭いもんだ』
ダレイオスはしみじみと呟くのだった。




