62 ブレインウォッシュ
「まあ、『イナンナ』の思惑はともかく、そこで乱入してきたフェオドラに助けられて今に至る、というわけだ」
長々とした報告がようやく終わり、ダレイオスが長机に座る全員を見やると、もれなく全員が項垂れていた。デカン帝国周りに関して最も事情を知らないサーラでさえ、ぐったりしているのだから、相当なものである。大体の情報が、できれば知りたくないようなことばかりだったのだ。仕方が無い。
「ではなんだ?今は国を二つ敵に回してるということか?勘弁して欲しいんだが……」
「二つどころか、三つかもしれないぞ。その二国はロマノフ王国と懇意にしてるからな。……一度親父に連絡を入れたほうがいいかもな」
「『イナンナ』の目的が気になるところだな……」
「サーラ様、大丈夫ですか?お水をお持ちいたしましょうか?」
「私は大丈夫です。それより落ち込んでいる皆様に何かお出しした方が……」
「厄介なことになりましたわね……。ライラさん、紅茶のおかわりをお願いできますか?」
居残り組の面々がため息交じりに思い思いの言葉をこぼす。かなり落ち込んだ雰囲気だ。しかし残念ながら今は彼らに構っている余裕がそれほどない。相手側が彼らをわざと逃がしたということが判明している以上、危険が迫っているというわけではないが、安全というわけではないのだ。ダレイオスは一先ず本題に入ることにした。
「話し合っておかねばならないことは山ほどあるが、一番考えるべきはやはり、この一連の事件を仕組んだのが何者なのかということだろう。勿論、私がやったわけではないからな」
「それは話し合うまでもなく『イナンナ』だろう」
セイフの言葉に全員がうんうんと頷く。それはダレイオスも同じ考えだった。
しかし、そうなると気になるのは、どこまでが『イナンナ』の策によるものであったのかということだ。
「発端となった襲撃事件は『イナンナ』の仕業と見ていいでしょうね。以前話し合ったときは単なる予想でしかなかったけど、こうなると予想は当たってたのだと思うわ」
「後は長を殺したバートか。あれも『イナンナ』の仕業なんだよな?俺はその場にいたが、バートには怪しい点は見当たらなかったぞ。だから、俺もダレイオスも全く反応ができなかった。情けないことだが」
「過ぎたことだ、気にしない方がいい。ずっと事務所にいた俺たちが言うことじゃないだろうが」
「そう言って貰えると有り難い」
ヘルマンの慰めの言葉に、セイフが礼を口にする。しかしセイフの言う通り、あの時バートからは一切の殺気を感じなかったのだ。それで、あれほど思いきり首をはねることが可能であるのか。ダレイオスはそれが不思議だった。
「クリームヒルデ、どう思う?」
「そうですわね。そのバートとかいう男を知らないので何とも申せませんが、殺気を押し殺すこと自体は可能であるとは思いますわ。ただ、殺す瞬間は殺気を抑えることができなくなるはずですから、ダレイオスもセイフさんも全く殺気を感じなかったというのは、やはり妙ですわね」
ダレイオスは以前、アンブラという姿を消す敵を殺気だけを頼りにして圧倒して見せたのだ。そのダレイオスならば、多少なりとも殺気を感じているはずだった。なら、そこには何かしらの理由があると考えるのが妥当だろう。
「一番に思いつくのは、長の暗殺はバートの意志ではなかった、ということだな」
「それは、誰かに操られてたってこと?」
「ああ。それならば殺気が出ることもないと思う。あくまで殺意を持っているのは、その操っている人間だからな」
ヘルマンの考えをダレイオスも検討するが、可能性は十分にある話だと思った。ヘルマンの言うそれは、いわゆる洗脳というものである。そして、その洗脳という言葉にダレイオスは覚えがあるのだ。
「洗脳と言えば、やはり“死人”だな、わたしが思いあたるのは。あいつらも確か“主”とやらに洗脳されていたのではなかったか?」
「おう、俺もそう持ってた。けど、何かそれとは違う気もするんだよなぁ」
「それはマサカドさんのことを言っているのか?確かにあの人はそれほど強い洗脳下にあるようには見えなかったが」
「マサカド、というと確かセイフさんのお師匠様だったかしら?“死人”になって洗脳されていたのよね」
「ああ、そうだ。だがあの人は、何というか、もっと自由に戦っていた」
「……なら、その二つには違いがあるということですわね」
ダレイオスは洗脳の仕組みについて、かつて“死人”を統率していたヘリオスから話を聞いていた。それを思い出しながら、その違いを考える。
「あの“死人”たちを洗脳していたのは、ヘリオスだ。今回とはそもそも洗脳の術をかけている人間が違う。『イナンナ』がどれほどの人間かは知らないが、樹海で相対したとき感じたプレッシャーを考えても、ヘリオスより実力は上だ。なら、当然扱う術にも違いが生まれる」
「つまり、『イナンナ』の術の方が強力な洗脳ってことね。だから、バートも意のままに動かせた」
「あとは一部のデカン帝国の兵士達もな。あいつらも自分が『魔王』の配下であるみたいに行動してた。洗脳の賜物だろうぜ」
『イナンナ』と実際に戦ったペトラとメリッサは大きく頷いていた。あの強さなら、それくらい強力な洗脳ができてもおかしくないと思ったのだ。そこまでの話を聞いていたヘルマンは難しい顔で問いかける。
「ということは、俺たちも下手を打てば洗脳されてしまってもおかしくないということか?」
「いや、そこは少し事情が違うかもしれない。ヘリオスも同じように『イナンナ』の術にかけられていた。しかし、あいつは三つの制約を課せられはしたが、それ以外には自分の意志をもって行動することができていた。あれを洗脳とは呼びがたい」
ヘリオスの語った洗脳術は、人の恐怖の感情という心の隙につけ込むというものだった。“死人”は“主”に生殺与奪を握られている恐怖を利用されることで洗脳されていた。しかしヘリオスの持っていた恐怖は、忠誠を誓うダレイオスへの裏切りに対しての恐怖であった。そこに心の隙はなく、『イナンナ』も洗脳仕切れなかったのだ。彼の存在が、『イナンナ』の洗脳が誰にでも通用するわけではないということを示している。
「敵の洗脳に関しては、十分すぎる程に警戒する必要があるだろう。ただ、確たる意志さえあれば、そう簡単に洗脳されるわけではない」
「寧ろ警戒しすぎると、かえって心の隙を生みかねないわね」
「確たる意志と言われても、どうすればいいのか分からんが……」
「私は大丈夫です!確たるアレシャちゃん一筋ですから!」
「私も問題ございません。確たるサーラ様一筋でありますから」
全員が最後二人の宣言を軽く流す。サーラだけはライラの言葉に律儀に礼を述べていた。純朴なお嬢様であった。その横に座るクリームヒルデは眉間に皺をよせて紅茶をすする。またサーラに敵対心を燃やしているのかと思いきや、そうではないようだ。ダレイオスに視線を向け、口を開く。
「少しよろしいでしょうか。その洗脳について確認しておきたいことがあるのですが」
「なんだ?」
「『イナンナ』の洗脳はどの程度詳細なところまで操れるのかということです。バートやデカン帝国兵の例を聞く限り言動と行動は指示できるようですが、その指示は人形のように操っているものなのか、それとも一度指示を出して後は放置しているのか。指示は直接出さなければならないのか、遠隔でも行えるのか、ということです」
クリームヒルデの出した議題は重要なことだ。それによっては『イナンナ』を本格的に相手にすることになったときの対応が変わってくる。ハッキリとした答えが出なくても、ある程度の予測は立てておくべきだった。
「“死人”を例に挙げて考えてみるなら、主への忠誠心は常に持っているようだったな。だが、確か主にとって余計なことをした“死人”がいたはずだ。確か……」
「ヨーゼフね。聖地アルバンダートで私たちを殺そうとしてきた“死人”。あいつのせいで計画に支障が出たとかってヘリオスは言っていたんでしょう?」
「ああ、そうだ。そして、そのヨーゼフを洗脳していたのもヘリオス。常に操り続けているのなら、そんなことは起きない」
勿論、ヘリオスの術と『イナンナ』の術に違いがあるのは承知している。だが、『恐怖につけこむ』という手法が同じである以上、似通ったものであるのは間違いない。一つの指標としては使えそうだ。
直接か遠隔かについては、「そりゃあ遠隔だろう」ということで話がついた。もし直接でしか行えないのだとしたら、あまりに不便な術である。警戒の度合いもぐっと下がるが、そんなことはまずないだろう。
「あと気になるのは、洗脳している対象が現在何をしているかの監視が行えるのかということなんだけど、どうかしら?」
「それについては多分無理だ。ヨーゼフの例から考えてもそう思えるし、これには証拠がある」
「ん?証拠があるのか、ダレイオス」
「ああ、そうだ。だろう?ヒルデ」
その言葉で全員の視線がクリームヒルデの元へ向かう。彼女は落ち着き払って紅茶をソーサーへ戻す。
「お前が確認しておきたかったのは、あいつのことだろう?」
「その通りですわ。今の話し合いで、洗脳下にある者と接触してもそれほど危険はないと確認したかったのです。確認するまでもないように思いますが、念のためですわ」
「それがどういう意味かは分からないが……それで、そのあいつはどうしたんだ?」
「誰も干渉できないようにしてありますわ」
『あいつ……。ああ、そうだった!』
黙って会議の進行を聞いていたアレシャも声を上げる。二人の間の意味深な会話に誰もが首をかしげていたが、ダレイオスは話すよりも見て貰う方が早いと思った。
「ヒルデ、連れてきてくれ」
「了解しましたわ」
クリームヒルデがそう言葉を返すと同時に、彼女の足元、テーブルの影がするすると伸び、真っ黒な塊となった。そしてそれがテーブルの上にドサッと置かれる。見た目は真っ黒な繭。そして繭らしい見た目に違わず、中に何かいるらしい。時折ゴトゴトと揺れる。目の前に鎮座するそれからは、何故か凄まじい嫌な予感が溢れ出していた。誰も触れようとしなかった。触れたくなかった。「中に何が入ってるの?」なんて聞いてもいいことが起きる気がしなかった。
「ヒルデお姉様。中に何が入っているのですか?」
聞いてしまった。少女の名はサーラ。純朴なお嬢様である。クリームヒルデはその問いかけにコクリと頷くと、繭を作っている影をするすると解き始めた。そしてその中から現れたのは——
「ああ、クリームヒルデ様……。いつまでお待たせになるのですか……。お早く、お次の、お次の褒美を私めに……私めにぃ……ああ、ヒルデ様ぁあ」
元冒険者にしてオル・オウルクスからの伝達役を務めていたエルフ、リリの変わり果てた姿だった。服が少しばかりはだけて頬が紅潮している彼女の両手足は縛られ、目隠しさせられている。時折ビクビクと揺れる。
「ライラ、サーラの目は塞いでいたか」
「はい、ヘルマン様。私の身に宿る『ワクト』の予見能力はこの時のためにありましたので」
それは間違いなく嘘であるが、純朴なお嬢様にアブノーマルな光景を見せることだけは避けられたようだ。突然ブラックアウトした視界にオロオロとしている。
「ライラ?どうしたのですか?何も見えないですよ?」
「それでよいのです、サーラ様。それでよいのですよ」
「ああ。それでいいんだ、サーラ」
「そうなのですか?」
サーラと彼女を取り巻く二人は置いておくとして。全員の視線はクリームヒルデに一心に注がれていた。いいから説明しやがれの視線である。しかし、クリームヒルデは落ち着き払って紅茶をソーサーから手に取る。
「少しお話しただけですわ。仲良くなっていた方が情報を聞き出すのも手っ取り早いでしょう?」
どう考えても仲良くなってはいない。寧ろ洗脳に近い。しかも、ある意味『イナンナ』よりもたちの悪いやつだ。
理解できていない状況が更に理解不能になった一同は詳しい説明を求めてダレイオスの方を見るも、ダレイオスも当然首を横に振るだけだった。そんな彼の心の内にあったのはただ一つ。
『……ヒルデには、逆らわないようにした方がいいね……今後』
「……そうだな」




