59 逃走劇
未だ騒然としているオル・オウルクスの街。そこに住まうエルフ達は無残にも枯れ果てた大樹の姿に涙を流し、いったい何者の仕業であるのかと怒りを露わにする。彼らの長が既にこの世にいないことは知らされていないが、それを知ったときの混乱の大きさは想像に固くない。
ただ、それとは別に、人々を混乱に陥れているものがあった。ダレイオスが街に放ったバンダーラビットたちである。騎手もなく、野生のままに駆け巡る巨大なウサギは一般市民にとっては十分に恐ろしく見えた。バンダーラビットは人間に従順で大人しい性格。特に人を襲ったりすることはないのだが、民家に勝手に入ってきたり、畑を荒らしたりと、商品を食べたりと、そういった意味での災害をまき散らしていた。『アルケーソーン』を追っていたはずのエルフたちもその対応に追われ、ダレイオスの想定以上の陽動効果を生んだというわけだ。
しかし、それも時間の問題。所詮は兎畜生である。ウサギたちは次々に捕獲されていき、街を駆けるバンダーラビットの姿もほとんど見えなくなってきた。ウサギの回収に追われていたエルフたちも、「ようやく一息つけるか」と思い腰を下ろす。しかしその時、彼らの視界の隅に二頭のバンダーラビットが入り込んだ。エルフの一人が暗い顔でため息をつく。
「なんだ、まだいたのか。さっさと捕まえるぞ」
「ああ。……いや、見てみろ!」
もう一人がそのバンダーラビットを指さす。これまで捕まえていたウサギとは違い、その背には人間が跨がっていたのだ。そしてその姿は紛れもなく探している大罪人、『アルケーソーン』のメンバーだった。エルフたちは捕縛していたバンダーラビットを何匹か解放してその背に跨がると、後を追って走り始める。先頭のエルフが手に魔法陣を呼び出す。
「連絡!『アルケーソーン』の者を発見!バンダーラビットで南東の壁を超えるつもりのようだ!応援頼む!」
『了解した!すぐに向かう!』
仲間に通信を入れ、彼らは更にスピードを上げる。自分たちの信奉していた長を殺し、守り神である大樹に害をなした『魔王』を決して逃してはならない。その焦り、怒りのままにウサギを駆る。
「くそ、気づかれたか。急ぐぞ!」
「分かったわ!」
ウサギに跨がっているダレイオスが、もう一頭に跨がるペトラに指示を飛ばして速度を上げ、その勢いのまま壁を飛び越える。絶対に逃すまいと、背後からはエルフたちが追いかける。
ダレイオスとペトラが目指すのは帝国襲撃の事件現場。ヴェロニカとブケファロスが待つ場所だ。そこで合流し次第、一気に樹海を抜けるつもりであるが、このまま敵を引き連れていくわけにもいかない。
「後ろの敵、頼んだ!」
ダレイオスがどこへともなく呼びかけると、次いで背後から悲鳴が上がり始める。チラリと後ろを見やると、追っ手のエルフたちが血を流して次々と倒れていっていた。
『さすがメリッサさん!この揺れの中で正確に射貫いてるよ!』
「ああ、たいしたもんだ」
「ついさっきまではバンダーラビットに乗る度に吐きそうになってたのにね。人間って慣れる生き物ね」
その話題のメリッサは、彼らから少し離れて並走していた。騎手はセイフに任せ、彼女は弓を打つことに専念している。そしてメリッサとセイフは乗っているバンダーラビットもろとも『無彩』の魔術で姿を消している。エルフたちからすれば、敵の居所すら掴めず仲間が次々と射貫かれていっているのだ。人は見えないものには余計に恐怖を抱くもの。混乱しているエルフたちの士気はみるみる下がっているように見えた。
しかしそれでもダレイオスたちにとって芳しくない状況であるのは変わらない。
「おい、大丈夫か!応援に来たぞ!」
「助かった!目の前のあいつらだ!それと、隠れている狙撃手がいる!気をつけろ!」
「分かった!デカン帝国兵も人員をよこしてくれるそうだ。絶対に逃がすなよ!」
「くそっ、増えたか……」
悪化した状況にダレイオスが舌打ちする。しかも増援の言葉を聞く限り、これから更に増えるようだ。これでは、メリッサが幾ら排除しても焼け石に水というものである。
「デカン帝国まで来るとは、追っ手を振り切るのはもう無理かもしれんな」
「ならせめて樹海を抜けるまでは追いつかれないようにしないと……」
ペトラが苦々しい顔で呟く。そのとき、彼らの向かう先から地響きが聞こえた。次いで細く黒煙が昇り始る。
「あの場所、もしかしてヴェロニカらのいる場所か?となると、今のはヴェロニカの魔術か。どうやら向こうにも敵が来ているようだな」
『だったら急がないと!』
「ああ、その通りだ。ペトラ、セイフ!スピードを上げるぞ!こうなったら敵の排除は無視して、とにかく樹海を抜けることに専念する!」
「オーケー!」
ペトラが了解を返す。少し離れているセイフとメリッサは姿を消しているので返事が分からないが聞こえていると判断した。バンダーラビットに軽く蹴りを入れ、彼らは脇目も振らずに駆け抜けていった。
再び、樹海に火柱が上がる。それを取り巻く人々は巻き込まれないように慌てて火元から離れるが、彼らを遠ざけようとするように次々と爆炎は巻き起こった。炎の熱にあてられながら、先頭に立っていた男が歯がみする。
「くそ、これでは近づけん!氷魔術や水魔術が使える者を集めろ!一人で敵わないなら数で押せ!」
威厳あるその声は、エルフの兵を率いてる隊長のものだった。彼の号令に従って、魔術を得意とするエルフたちが目の前に立ちはだかる炎の壁の前に集結する。彼らは掲げた手に魔法陣を展開させ魔術を打つ準備を始める。と、その時。炎の壁がまるで一つの生き物のように形を変え始めたのだ。それは何本もの巨大な槍に変化し、その切っ先は一様にエルフたちの方を向いている。
「マズい、防御だ!」
焦りを見せる隊長の号令で飛び出したエルフたちが、魔術で防御用の障壁を素早く展開した。複数人で張った障壁ならば、大抵の魔術は防ぐことが出来る。隊長は安堵の表情を見せた。
「そんな壁……。俺の剛剣を舐めるなよ!」
上空から声がした。エルフたちの注意がその声の方へ視線を向けると、美しい赤い刀身の大剣を持った男が落下してきていた。その勢いに任せるまま、振りかぶった剣を障壁へ叩きつける。すると、あろうことか障壁の真ん中に一本の大きな亀裂が生まれた。
「どいて!攻撃行くわよ!」
エルフたちが呆気にとられている中、良く通る女の声が聞こえた。それは、エルフたちが先ほどから手を焼いている炎を生み出した魔術師のものだ。
「障壁張り直せ!急げ!」
「間に合わないわよ」
宙に浮いた状態で今か今かと出番を待っていた炎の槍たちが、エルフたちへ向けて掃射された。大剣の一撃によって耐久力を削られた障壁はあえなく粉砕。エルフたちの隊のど真ん中に炎の槍は突きささり、火炎を伴って次々に爆発してった。エルフたちの悲鳴が聞こえる中、女は纏っているローブをぱたぱたと扇いだ。
「ふう、さすがに熱いわね。ちょっと張り切りすぎたわ」
「ああ、そうだな。さすがの火力だったぜ」
ヴェロニカの言葉に受け答えするブケファロスは彼女のことをじっと見つめていた。ローブの合間から見え隠れする美しい白い肌。男の本能をくすぐるその光景から目を離せというのは中々に難しいだろう。多少の節操はあるのか、ずっと横目で盗み見るようにしていたが。いや、寧ろ後ろめたさを感じているものの見方だ。節操はない。
『相棒、色ボケている場合では無いぞ。アレを見てみろ』
リットゥの言葉で我に返ったブケファロス周囲を見回すと、ドカドカという地面を踏みならす音とともに、多数の騎兵が姿を現した。背負うは獅子の紋章。デカン帝国兵だ。
「貴様らが『魔王』の配下か……。我々の懐にまで『魔王』の手の者を忍ばせていたと聞いている。我がデカン帝国を愚弄した罪、その身で償って貰おうか!」
「エルフの次はこいつらかよ……。しかも手の者って、大樹の前で生命エネルギーを集めてた奴らのことだよな?全くめんどくせえ……」
「まだアレシャちゃんたちからの合図はないわね。ちゃっちゃと片付けるわよ!」
ヴェロニカが両手に魔法陣を展開、ブケファロスは腰を落としてリットゥを構える。それを見た帝国兵の隊長らしき男は、二人を睨みつけて腰に下げた剣を引き抜いた。
「聞かねばならんことが山ほどある。殺しはせんが、我らに刃向かったことを後悔させてくれる!かか——」
剣を掲げた隊長の号令は最後まで言い終えることができなかった。背後から跳んできたバンダーラビットの蹴りが直撃して彼方へ飛んでいってしまったからだ。
「何か踏んだか」
「紛れもなく人だと思うわよ。まあ、敵みたいだからどうでもいいけど」
ダレイオスとペトラが事も無げにそう呟く。ヴェロニカら二人も帝国兵も、突然のことに動きが止まってしまった。
「いたぞ、あそこだ!動きを止めている今がチャンスだ!捕らえろ!」
少し離れたところから聞こえてきた声で、皆動きを取り戻す。ヴェロニカたちは慌ててバンダーラビットに跨がる二人の元へ駆けよった。
「合図がなかったから心配したのよ!でもペトラちゃんたちと合流できたみたいで何よりだわ」
「ああ。だがそれより時間がない。エルフに追われてるんだ。早く乗れ」
ダレイオスの言葉に応じて、ヴェロニカはダレイオスの後ろに、ブケファロスはペトラの後ろに跨がった。バンダーラビットは付近にもう一頭用意してあるが、それを呼び寄せている余裕もない。ウサギの腹に蹴りを入れて再度駆け出す。デカン帝国の騎兵も逃すまいと後を追い駆けるが、その群衆の中に一本の光の矢が打ち込まれ眩い光を放った。一瞬にして視界を塗りつぶす閃光に、帝国兵と、合流したエルフたちが怯んだ隙にダレイオス達は一目散に逃げ出した。
「ナイスだ、メリッサ!」
「私にかかればこんなもんですよ!」
『無彩』の魔術を解いて姿を表したメリッサが笑顔を向ける。ここからはエルフであるペトラの案内なしでは樹海を抜けることも叶わない。援護射撃をしていたメリッサとセイフも乗るバンダーラビットもはぐれてしまっては敵わないので、ここからは離れず行動する。
「ペトラちゃん、案内よろしく頼むぞ!」
「勿論よ!はぐれるんじゃないわよ!」
「「「「「おう!」」」」」
全員が力のこもった返事とともに更にスピードを上げる。それでも背後から聞こえる怒声は止まない。少し期待したが、やはり振り切ることはできそうにないとダレイオスは諦めて前を向く。しかしそのとき——
「後方から強い魔力反応です!注意して下さい!」
メリッサが突然叫んだ。騎手以外の三人が振り返ると、数発の火炎弾が目の前にまで迫ってきていた。ヴェロニカが咄嗟に張った障壁がその軌道を逸らすことに成功するが、魔力反応はなおも止まない。よく目をこらしてみると、追っ手の集団の先頭を走っている人たちは皆同じ緑色のマントをはおっていた。
「近衛師団……!面倒な連中が来たもんだ」
「いや、どうやら更に面倒になりそうだぞ」
静かなセイフの声で全員正面を見ると、緑マントの集団が前方にも待ち構えていた。その傍らには数人のエルフが。どうやら近衛師団に力を貸しているらしい。エルフだけは、精霊魔術を用いることで樹海内でも通信が行える。ダレイオスを追っているエルフたちからの通信があれば、ダレイオスたちの行く先に先回りすることも可能だった。
ただの帝国兵やエルフなどは数にはならないが、近衛師団の相手は簡単にはいかないかもしれない。ダレイオスは眼前の敵を威圧するように手に魔力を集め始める。




