56 一方その頃
ヴェロニカとブケファロスはのんびりと紅茶を飲んでいた。
“大樹の秘密”とやらに焦点を合わせて調査をすると決めたはいいが、どこから調べるかの見当すらつかなかったので、とりあえず落ち着いて相談することにしたのだ。ちなみに、相談場所はヴェロニカの部屋である。意気揚々と部屋を出た直後にUターンしてきたわけだ。全くもって締まらない。
「それで、どこが怪しいと思う?」
「そうね……。樹海の中に隠されているかもしれないといっても“大樹の秘密”なんだから、大樹内に何かしらの手がかりくらいはあると思うのよね」
そう言うヴェロニカがテーブルに広げているのは、大樹の見取り図だ。以前、警備の配置の説明のときに長からもらったものである。それを頼りに何か怪しげな部屋などはないかと探してみるが、こんな何と言うこともなく渡された見取り図にそのようなものが載っているワケも無く、二人はただ紅茶を飲むだけになってしまったのだ。ただ、こうしてダラダラとしているわけにはいかないとも当然思っていた。
「進展しないなら、一回考え方を変えるべきじゃねえか?」
「変えるといってもどう変えるのよ」
ヴェロニカに問い返されると、ブケファロスは考え込む。特に何か考えがあるというわけではなかったようだ。
『“大樹の秘密”とやらは大樹の生命エネルギーの源なのだろう?それがどこから来るのかの見当くらいはつかんのか』
「なるほど、生命エネルギーね。……確か、ここに初めて来たとき、ペトラちゃんが言ってたわね。大樹の生命エネルギーは大樹の芯を通ってるって」
「芯、か。そりゃつまり幹のど真ん中ってことだよな」
リットゥの言葉を基に二人は思考を進める。生命エネルギーが大樹の中心を通っているという話は正しいものだろう。ヴェロニカの広げている見取り図のどの階も輪のような構造になっていて中心がぽっかりと空いている。生命エネルギーの通り道であるここだけは手を加えないようにしているのだ。
ならばその生命エネルギーの源とやらも、大樹に一本通った芯のどこかにある可能性が高い。大樹全体にエネルギーを行き渡らせるのなら、中心にあるのが最も効率がよいからだ。
それを踏まえた上で、二人はもう一度テーブルの見取り図に視線を落とす。
「各階の中心近くに、不自然な部屋とか無いか?何か隠されてそうな……」
「かなりフワっとした注文だけれど……これなんかそれらしくないかしら」
ヴェロニカが指さしたのは四階にある一室。『対外界生息生物班第三室』だ。字面から察するに、オル・オウルクス周辺に生息する魔物などの生物の対応を任せられているのだろう。ただ、それにどんな不自然な点があるのかブケファロスには分からなかった。
「これがどうしたんだ?」
「ここに来る前にペトラちゃんが言ってたでしょ。樹海内に魔物はいないって。それなのにこんな班が第三室まで必要だと思う?」
「ああ、そういやそうだな。言われてみれば確かに」
眼鏡を変えてブケファロスは見取り図を見直してみる。言われてみれば他の部屋は第二室までしかないものも多くあるにも関わらず、第三室まであるのは些か妙に思えた。それでも根拠としては弱いが、考えるよりも実際に見た方が早い。二人は互いに頷き合って立ち上がり、大樹の四階へと向かった。
目的のフロアへ着いたところで、ブケファロスは周囲に誰もいないことを確認してからリットゥを抜く。
「よろしく頼んだぜ」
『あい分かった』
リットゥは持ち主の手を離れてふわふわと浮かび上がると、ピタっと天井に張り付いた。そしてまた這うようにして移動を始める。やっぱり虫みたいだと思いつつ、二人は何事も無いように振る舞いつつ警備のフリを始めた。
一方、そそくさと目的の第三室へ到着したリットゥはその部屋の扉を検分してみるが、調べるまでも無く部屋には大きな南京錠がかけられていた。ない耳を澄まし気配を探って見るも、部屋の中からは何者の動きも感じ取ることはできなかった。部屋には誰もいない。周囲の廊下にも人の影はなし。ならば余計な小細工は抜きで突破しようとリットゥは決めた。
空中でクルリと回転し、切っ先を下へ向ける。そして軽く勢いをつけてから、南京錠に真っ直ぐに突き立てた。さすがは『英雄』の宝剣。ごつい南京錠はその一撃で真っ二つに断ち切られてガランと地面に落ちた。今の音で誰かやってきたりはしないかとリットゥは身を隠して警戒するが、幸い誰の気配も感じられなかった。ただ二人、ヴェロニカとブケファロスを除いて。
「おい相棒、えらく手荒な手段に出たもんだな」
「周りに人がいないからよかったけど……」
『生憎と、儂にはこれしかできんのでな』
軽口を叩きつつも、彼らは南京錠を回収して部屋の中へと潜り込む。そこには一切の明かりがなかった。壁際に魔力灯が設置されているようだが埃を被っていて長い間使われていないのが見て取れる。
「明かり……はつけない方がいいか」
「そうね。それほど長居するつもりもないわ」
ヴェロニカがそう言って部屋の様子を調べ始めた。彼女は何と言うこともなく部屋の壁へ手を触れる。そのとき、眩い光が部屋中を包み込んだ。
「お、おい!明かりはつけないんじゃなかったのかよ!」
「私は何もしてないわよ!というかそもそも、これ魔力灯の明かりじゃ無いわ」
部屋を照らす神秘的な緑色の光を浴びながら、ヴェロニカは慌てふためく。その光は部屋の壁床天井あらゆる所から発されていたが、その原因には彼女の言葉の通り全く心当たりがない。いつものヴェロニカならば『美しい』と言って、その光に見とれていただろうが、さすがに今はそれどころではなかった。優先すべきはこの場から離れること。そう彼女は判断した。
「部屋を出るわよ!何かに巻き込まれる前に!」
「ああ、わかった!」
二人はつい先ほどくぐったばかりの扉へ向けて駆ける。が、そんな彼らを引き留めるかのように部屋の奥の壁がミシリという大きな音を立てた。反射的にその音の方へ視線を向けると、そこの壁にはさっきまではなかった大きな裂け目ができていた。あれは一体なんだ。ヴェロニカがそう思うよりも早く、裂け目の中から太い緑色の管のようなものがぬるりと這い出てきた。それは二人へ向けて伸びてくる。
「うわ、なんだ!?」
「ちょ、ちょっと!」
驚きと困惑の言葉を発しながら二人はそれをヒラリとかわす。しかし、その緑の管は彼らには目もくれず、扉の外へと飛び出していった。あまりにワケがわからず、二人は一瞬呆けてしまう。
「えっと……あの管を追うわよ!きっとアレが“大樹の秘密”よ!」
「おおう!分かった!」
二人はドタドタと管の伸びる先を追いかけるが、廊下に出てまたしても驚くことになる。
「ちょっと、この光ってさっきの部屋だけじゃないの?大樹全体が光ってるじゃない!」
「ど、どうなってんだ?」
「わ、分からないけど、とにかくさっきの管よ!」
気を取り直して、緑光に意識を奪われつつ管の行く先を追う。しかし、その管がどこへ行ったかは一目で分かった。管は廊下の窓から更に外へと伸び、オル・オウルクスの街の上空にまで至っていたのだ。しかも管はその一本だけではなく、大樹から他にも何本もの管が伸び始め、同じように街の上まで伸びていた。その奇妙な光景に、二人は窓から身を乗り出す。
「何だあれ……。守り神っていうわりに気味悪いな」
「あまりそういうことを言うものではないと思うけど……。あ、見て!管から!」
ヴェロニカが管を指さすと、何かがその中を流れているのが見えた。そして管の先端がぶくりと膨らみ、そこから緑色の霧がまき散らされた。他の管も同様に緑の霧を吐き出し、抜けるような緑がオル・オウルクスの街を包んでいく。
「霧……?相棒、アレ何か分かるか?」
『邪な気配は感じん。アレが守り神とやらの仕業なのなら、それも当然だろうが』
ヴェロニカもアレが何か分からず首を捻るが、その答えは彼女の持ち物が教えてくれた。ヴェロニカの胸元が突然強い光を発し始めたのだ。突如乳が光り始めてブケファロスは狼狽えるが、その光はヴェロニカが取り出したペンダントから発されていた。以前にも見たことのある、紫の石があしらわれたものだ。
「スギライト、だったっけ。それって確か生命エネルギーの量に反応するんだよな?」
「そうよ。生命エネルギーが少ないものに反応して強く振動するの。でもこの光をは、それとは違うと思うわ。多分、逆……」
逆。それはつまり、このスギライトは大量の生命エネルギーに反応して輝いていると彼女は言いたいのだ。そしてヴェロニカのその考えを証明するかのように、大樹に異変が起こり始めた。窓から見える大樹の葉の美しい緑がどんどんくすんでいき、枯れきった茶色に変色したのだ。力強くそびえ立つ大樹の幹すらも、力を失って萎び始めていた。
「おいおい、これってもしかしなくても、大樹が自分の生命エネルギーをまき散らしてるってことか?なんでいきなりそんなことしてんだよ!」
「し、知らないわよ!私だって今の状況を理解しようとするので精一杯で……」
いつもは大人の対応を心がけているヴェロニカもさすがに余裕がなくなってしまっていた。しかし、目まぐるしく移り変わる展開は二人を容赦なく突き放そうとする。緑色に染まりつつあった窓の外景の色が変化を見せ始めた。そこら中に漂い広がっていた霧が一カ所に吸い込まれるようにして集中していく。その霧が集まる一点。そこに立っていたのは幾人もの人間だ。彼らの身につけているものは、皆同じ獅子の刻印が成された鎧。デカン帝国軍の者たちだった。集まった霧は彼らの中央にある巨大な球体に勢いよく吸い込まれていき、銀色に輝く球体は吸収した霧の色と同じ美しい緑色を帯びていく。それを見ていたヴェロニカたちは目を丸くした。
「あの人たち、大樹の生命エネルギーを集めているの!?まさか、デカン帝国の目的ってそれ……?」
「間違いねえだろ。こんな馬鹿でけえ木を生きながらえさせてるエネルギーなんて、それこそ化けもんみてえな量だ。利用方法はいくらでもある。とにかく下りるぞ!」
二人が慌てて下へ行く階段へ向かって駆け出す。何が起こってるのかは予想することしかできないが、大樹がこんなことになっている以上、碌でもないことに間違いないだろう。急ぎ階段に足を一段踏み出す。そのとき、デカン帝国の一団は周囲一帯に響く大声で叫び始めた。
「さあ、『魔王』様!『魔王』ダレイオス様!あなた様の仰せの通り、大樹の力を回収いたしました!これで、『魔王』様の復活の手はずは整いました!」
それを耳に入れるが早いか、ヴェロニカとブケファロスは窓から飛び降りた。四階なんて高さを気にしている場合ではない。無言で飛び降りる。彼らが放った言葉は、『魔王』を知る二人にとって到底看過しておけるものではなかった。それなりに身体能力に自信のある二人は地面に上手く着地し、デカン帝国軍の集まっていた場所へと全力で駆け出す。
そこは大樹前に憩いの場として設けられた美しい庭園だった。そこに鎧を着た無骨な軍隊が立ち並ぶ光景は異様以外の何物でも無い。ただ、そこへ到着したヴェロニカが見た光景は輪をかけて異様なものだった。その庭園では、デカン帝国軍同士が武器を持って睨みあっていたのだ。
「お前たち、何をやっている!『魔王』の復活だとほざいたか?この騒ぎを起こしたのはお前達か!」
「ああ、そうだ。全ては『魔王』ダレイオス様のため。ダレイオス様のご命令でやったことだ。偉大なる王の顕現の時は近い!ふ、ふはははっははは!」
高笑いする帝国兵の気は完全に触れているとヴェロニカは思う。このような事をダレイオスが計画して命令したなど、荒唐無稽にも程がある。どう考えても、『魔王』の復活などという幻想に囚われた狂人の戯れ言だ。
そう頭の中で理解しているのに何故かヴェロニカの心はざわついていた。そこはかとない“嫌な予感”が、冷水のように彼女の身を足元からじわじわと凍えさせていく。
そう考えている内に緊張が限界まで高まったデカン帝国の人間達は、ついに斬り合いを始めてしまった。その人だかりの中で周囲の霧もどんどん謎の球体へ吸い込まれていく。
「おい、まずは止めねえと!」
「そうね、『魔王』とか言っていた奴らからタップリと話も聞かないとね!」
二人は乱戦の中央へと走る。特に焦っているつもりつもりはなかった。しかし冷静に考えれば、相手が態々『魔王』の名を出している理由は予想がついたはずだ。球体を守るように立つ帝国兵がヴェロニカとブケファロスの姿を目にしたそのとき、二人へ向けて声をかけてきたのだ。それはもう、満面の笑みで。
「ああ、『魔王』様の使徒様方!ご助力いただけるのですか!?心より感謝申し上げます!」
「お前たち、使徒様が来て下さったぞ!」
予想だにしない台詞が放り投げられ、ヴェロニカは目が点になってしまう。駆け出していた足もいつの間にか止まってしまい、戦いのど真ん中で立ち呆けていた。ブケファロスも隣で口をあんぐりと開けて帝国兵のことを見つめていた。
『魔王』の使徒とやらは間違いなく自分たちへ向けられている言葉だ。こんなにもいい笑顔で、真っ直ぐな目で見つめてきているのだから。しかし、そんなものになった覚えは微塵もない。確かに部下という意味では『魔王』の遣いのようなものではあるかもしれないが。そう考えたところでヴェロニカの中の“嫌な予感”がようやく形になるも、気づいたのが少し遅かった。
ヴェロニカの背後から剣が真っ直ぐに振り下ろされ、彼女は咄嗟にそれに避けて炎弾を放ってしまった。それが直撃したのは帝国兵。炎の勢いに吹き飛ばされて地面に叩きつけられる。それを見ていた他の帝国兵は腹が焦げた仲間を一瞥すると、ヴェロニカとブケファロスに強い敵意を向け始めた。しまったと思ったときにはもう遅い。隊長のように見える帝国兵は武器をつきつけ、ヴェロニカたちへ叫ぶ。
「貴様らも『魔王』なる者の手先か!……いや、待て。貴様らは確か、エルフたちに雇われた冒険者でなかった?なるほど、依頼という大義名分をもって潜り込んだというわけか!」
「いや、違うわ。私たちはこいつらなんかと——」
「あそこだ、いたぞ!」
ヴェロニカの釈明を遮って聞こえたのは、大樹の方から聞こえる怒気をはらんだ声。ヴェロニカが顔を上げると、多数の人間がその場へ飛び込んできた。彼らもまた一様に武器を手にしていたが、顔の横からひょこっと飛び出す長い耳を見て少しだけ安堵する。エルフなら自分たちの味方についてくれるはずだ。そんな期待は一瞬のうちに崩れ去ることになるのだが。
「『アルケーソーン』の者だな!我らが長、ラース=オルフ暗殺の罪で捕縛する!神妙に——」
「あそこだ、いたぞ!」
戦闘に立っていたエルフの宣告を遮って聞こえたのは、聞き慣れた、しかしいつもの余裕が見えない少女の声だった。その声はヴェロニカの目の前まで飛んでくると、着地と同時に地面を蹴り砕いた。辺りの地面が隆起し土煙が上がる。エルフも帝国兵も立っていられず地面に転がり、そこに頭上から更にもう一人の人間が飛び込んできた。
「全く、いきなり渦中に飛び込むなんて何してるんだ」
「様子を窺っているような状況では無かっただろう」
「セイフに、ダレイオス?これは一体、どういう状況なの?」
「おい、『魔王』だ!捕らえろ!」
よろよろと立ち上がったエルフたちがダレイオスを見て叫んだ。ダレイオスは彼らを一瞥すると苛立ちのままに舌打ちする。
「おい、今は逃げるぞ!とにかく走れ!」
有無を言わさぬダレイオスの言葉に、ヴェロニカとブケファロスは納得するよりも早く走り出した。背後から聞こえる怒声が迫るよりも速く、一目散に逃げ出した。




