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魔王と少女のヒロイック  作者: 瀬戸湊
第二部
143/227

54 力の差

 『イナンナ』。

 その名だけで、ペトラとメリッサの武器を握る手に力がこもる。自分たちとそれほど年の変わらないこの女性が、『イナンナ』なのだ。追い続けていた人間にようやく巡り会ったわけだ。なら、やるべきことは一つ。


「メリッサ、逃げるわよっ!」

「了解ですっ!」


 まさに脱兎。二人は高速の回れ右とともに全速力で駆け出した。『イナンナ』の実体を掴んだだけでも大収穫だ。今はこの情報を持ってオル・オウルクスへ戻るのが先決である。この重要そうな場所については、長に聞けば教えて貰えるかも知れない。なら、ここにこれ以上いる必要も無かった。穴を出て樹海に出てしまえば、地の利はエルフであるペトラに向く。ただ来た道を真っ直ぐに戻るだけだ。


「逃げられると困る、と言ったと思うんだが」


 その声は何故か二人の前方、入り口の方向から聞こえた。いつの間にかイナンナは二人の行く先に立ちはだかっていたのだ。全く動きを感じ取れなかった。瞬間移動と言ってもおかしくない移動速度に二人は驚きを隠せない。そして簡単には逃げられない相手だと悟った。


「……やるしか無いわね。相手の得体が知れないけど、二対一なら希望はある」

「そうですね」


 ペトラは再び武器を構え、戦闘態勢に入る。メリッサも何とか震えを抑えて戦いの意志を見せていた。イナンナも二人の様子に満足した様子で頷く。しかし、さっぱり戦いの構えを取らない。目の前の敵から放たれるプレッシャーとは対照的に、殺意というものをペトラは感じなかった。

 それを不可解に思いつつ、全く手の内が分からない相手に攻めを急ぐのは悪手だと考えたペトラは隙を窺う意味をこめてイナンナに語りかける。


「なんで近衛師団がこんなところにいるのよ。ここはエルフの施設よ。よそ者が入って良い場所じゃ無いわ」

「よそ者はキミたちも同じじゃ無いか。それに、キミたちはここが何かも知らないんじゃないかい?」


 少し強気に出てみたペトラだったが、悲しくも切り捨てられてしまった。イナンナはペトラたちの事情をある程度知っているらしい。だが、そうであるならば無知をさらけ出しても問題は無いだろう。ペトラは、今度は正直に疑問を口にすることにした。


「ここは何がある場所なの。あんたたちはここで何をしていたの。教えて」

「ああ、別に構わないよ。この先にあるのは、“大樹の秘密”と呼ばれるものだ。オル・オウルクスの守り神である、あの大樹の生命エネルギーの源。それがこの先にあるんだよ。そして先ほど、その仕掛けを作動させた。今ごろ大樹では面白いことが起きていると思うよ」


 イナンナはペトラの質問にペラペラと答えてくれた。「あれ、こいついいやつなんじゃね?」と思うほどには親切にだ。しかし、話の内容はあまり穏やかなものではないように聞こえる。“面白いこと”が、その言葉通りの意味ではないというのは容易に想像できた。


「その“大樹の秘密”を暴いて何をする気?オル・オウルクスでは何が起きてるの!」

「……それは、キミが知る必要は無いかな。キミたちが知っておかなければならない最低限の情報は伝えたからね」


 イナンナはペトラの質問に答えようとはしなかった。知っておかなければならない、という言葉に引っかかりを覚えるが、答えてくれないなら仕方が無い。ペトラは精霊魔術で短剣に再び風を纏わせた。メリッサも矢を絞っていつでも一撃放てそうだった。ペトラは最後にもう一度問いかける。


「あたしたち、もうそろそろ帰ろうかと思っているんだけど、そこをどいてもらえないかしら」

「残念だけど、そうはいかない。キミにはここにいて貰わなくてはならない。キミたちが大人しくしていてくれるのなら、わたしも手を出す気はないのだけれど……どうする?」

「「押し通る!」」


 メリッサが静かに魔力を込め続けていた矢を放った。矢は一直線にイナンナへと飛び、ペトラもそれと同時に駆け出す。どういう理由か分からないがイナンナはここから二人を出す気はないようだ。なら、相手の思い通りにさせてはならないだろう。ここを出てやるしかない。いつまでも様子を窺っているわけにはいかない。そう考えた上での先手だ。


「来るなら仕方が無い。予定通り相手をしようか。『クララアルマ』」


 魔法陣を展開すること無く呟いたその声と共に、『イナンナ』の手に光の剣が握られた。二人はそれに目を丸くする。その術の名も、その光の剣にも覚えがあったからだ。間違いなくダレイオスが使っていたものと同じ古代魔術であった。

 ただ、驚いてばかりいるわけにもいかない。メリッサの放った矢はイナンナ の眼前にまで到達したとき、閃光と共に炸裂してイナンナの視界を真っ白に染め上げた。その光に彼女は鬱陶しげに目を細めるが、その隙の内にペトラがイナンナに肉薄する。


「はあっ!」


 ペトラの剣が閃き、相手の脇を掠めた。そこから流れるような連撃が放たれる。イナンナはそれをするするとかわしていくが、スピードではペトラが圧倒し徐々に押し始めているように見える。チャンスだとばかりにメリッサが次の矢をつがえ、イナンナの頭上とへ放った。その魔力で作られた矢は再び空中で弾けると幾つもの小さな矢に分散し、敵へと一斉にに襲いかかる。頭上から雨のように迫る攻撃に、イナンナの注意が引かれる。

 そしてその隙を見逃すペトラではない。視線が一瞬空中へそれたイナンナの腕を狙ってペトラが刃を振り抜く。殺すつもりはないが故の急所を外した一撃。しかし、それが敵の身に届く前に、その姿はペトラの前から消え去った。ペトラの刃は空しく虚空を裂き、次いでメリッサの攻撃が誰もいない地面に次々と突き刺さった。


「少し危なかったよ。やはり慣れない近接戦はするものじゃないね」


 その声が聞こえたのは、二人の背後だった。またしても相手の動きを視認することができずペトラは内心冷や汗をかくが、相手が背中側に回ってくれたならやることは当然一つ。


「逃げるわよっ!」

「了解ですっ!」


 懲りずに逃げ出した二人。そしてイナンナがそれを見逃すはずがないのも当然だ。再び高速でペトラたちの前方へと回り込むが、ペトラたちも三回目ともなればもう驚きはしなかった。目の前にイナンナが出現するや否や、ペトラは相手を飛び越えるように跳躍した。その手には周囲の精霊から借りた魔力が集まっていく。


「精霊魔術『カゼナミ』!」


 ペトラの手から発されたのは荒れ狂う突風の波。イナンナはその風に飲み込まれていくが、その中でも彼女は平然と立っていた。実際、巻き起こる風は確かに強いが、風そのものに攻撃力はない。ただ、目的は攻撃ではなく、一瞬の隙を得るための時間稼ぎだ。先行しているペトラを追いかけてメリッサが走り、風で視界を奪われているイナンナの横を抜ける。攻撃を加える隙であったのかもしれないが、逃走が最優先である。背後を気にしながらも、二人は一目散に駆け抜ける。しかし、近衛師団の副団長などがその程度で止まるワケがなかった。


「逃がしはしない、と言ったはずだ」


 冷え切った声が聞こえると同時にメリッサの肌が激しく粟立つ。そして後方を確認するよりも先にメリッサはペトラを押し倒して地面に伏せた。その直後、紫電を纏った光線が頭上を一直線に通り過ぎていった。空気が震え、鼓膜が悲鳴を上げる。想定以上の威力に二人は静かに戦慄した。


「い、今の攻撃当たったら、無事か無事じゃないかなんてもんじゃないですよ!」

「ありがとう、助かったわ。けど、とりあえず立つ!逃げる!」


 二人は慌てて起き上がって駆け出す。しかしその目の前に、突如として両腕を広げた黒髪の女が出現した。その両手にはどす黒い魔力が渦巻いていた。ペトラが精霊魔術で咄嗟に壁を張ろうとするが、それよりもイナンナの攻撃が速い。凝縮された魔力の塊が二人腹へ叩き込まれた。筋肉を超え内蔵を突き抜ける衝撃に呼吸が出来なくなり、地面に崩れ落ちるようにして倒れ伏した。目立つ外傷こそないが、起き上がることができない。胃の中のものを吐き出しながら呻き、額からとめどなく汗が噴き出す。

 そんな二人をイナンナが見下ろす。底冷えのする視線が二人の身を貫いた。天敵に睨まれた生物の本能が働くように、二人の身がピシリと固まってしまう。


「殺す気はない。しかし、腕の一本や二本くらいならもぎ取ってやっても構わないんだよ。あまりわたしを舐めない方がいい。言っておくが、キミたちの団長様などよりもわたしは強い。勝ち目があるように思えるか?」

「強い、ダレイオスより……?」


 ペトラにとって自分の知っている最も強い人間、それがダレイオスだった。それよりも強い存在など想像がつかない。しかし、それが真実か否かはともかく先ほどの一撃でイナンナが紛れもない強者であるという実感に飲み込まれてしまった。

 戦える力がある限り戦う。ペトラもメリッサもその矜持を持って冒険者をやっている。しかしそれでも本能が戦いを拒否してしまう。そんなことは彼女らにとって始めての経験だった。


「ペトラちゃん、こいつは私たちを殺す気はないんですよね?だったらこれ以上抵抗せずに決定的なチャンスを窺った方がいいんじゃないですか?」

「それは、そうかもしれないけど……でも、くそっ!」


 ペトラは地に這いつくばったまま拳を握りしめる。一年間修行して力をつけ、皆の役に立とうと精一杯行動してきた。だのに、彼女は今、己の力及ばず敵の前にひれ伏すしかないのだ。悔しくて、不甲斐なくて仕方が無かった。気を張らないと涙がこぼれそうだった。


「……いい加減分かっているよ。あの男は殺さない。殺さない、というだけだけどね。あの子の無念を、わたしが晴らすんだ」


 倒れる二人から視線を外し、イナンナが一人で話し始めた。誰かから通信が入っているのだろう。ペトラはそう思った。イナンナはそれから視線を天井、地上へ向けると、視線を彼女らへ戻す。


「……なんだ、もう終わりでいいのか。予想していたより速かったな。偶然近くにいたようだ」


 その言葉に疑問を抱きつつ、ペトラとメリッサはヨロヨロと立ち上がる。いつまでも寝ているわけにいかないと思ってだったが、その戦意は喪失しかかっていた。そんな二人を見ていたイナンナはなおも冷たい目で小さく微笑む。


「そんなに脅えなくてもいい。わたしはもう退散する。ただ、彼らはわたしのように甘くはないと思うよ」

「……は?何の話……」


 ペトラが尋ねるよりも早く、イナンナの姿は消え去った。何が何だか分からないが、あまりモタモタしている時間はないように思えた。イナンナの言葉を解釈すると、何かがここへ向かっているということだ。イナンナの目的は、それが到着するまでの足止めだったのかもしれない。何にせよ、急いでここから離れるべきだった。


「メリッサ、行ける?」

「大丈夫です。行きましょう」


 腹部の痛みを堪えて二人が走り出すと、前方から足音が聞こえた。それは複数人のもの。荒々しく踏みならすその音は、僅かに怒気をはらんでいるように感じられた。逃走が間に合わなかったことに舌打ちしつつ、ペトラが短剣を、メリッサが弓を構える。


「おい、いたぞ!あいつらだ!」

「間違いない、『アルケーソーン』に所属する冒険者だ。黒髪の女と、裏切り者のエルフの小娘!」

「逃げ場はないぞ!観念するんだな!」


 姿を表した怒声の主を見て、二人の武器を握る手がつい緩んでしまう。目の前で武器を構えている人々は、紛れもなくエルフの一団であったからだ。しかし、彼らの放つ強い殺気が何よりも雄弁に、彼らが敵対者であるということを物語っていた。一体何が起こっているのか。ペトラは衝動的に問いただそうとしたが、その答えは求めるまでも無く向こうから飛んできた。


「我らが長、ラース=オルフ様の暗殺の罪、覚えがないとは言わせんぞ。我らへ許されざる敵対行為だ。貴様らの身柄を拘束させて貰うぞ!」

今更ながら、R-15タグ外しました。

念のためにつけていたけれど、これまでそれらしい描写もなく、今後の予定もないので。

世の中のPG-12作品の方がよっぽどアレでした。



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