52 探剣
『だからと言って、何故儂がこんなことをせねば……。それに盗み聞きなど、武人のすることではないというのに』
そう愚痴をこぼすのは、人ではない。物陰に隠れて様子を窺っているのは燃えるように赤い刀身の大剣だった。彼の名はリットゥ。ブケファロスの愛剣であり、『英雄』の宝剣、そして自律した意志を持った謎剣である。
彼に与えられた使命はただ一つ。デカン帝国の人間から情報を得ることだ。元々呼吸器系など持っていないが、気持ち息を潜めて男達の会話に耳を傾ける。文句を言いつつも手抜かり無く仕事をこなすあたり真面目な人間、もとい剣なのだろう。
そんな彼の持ち主であるブケファロスと、同行しているヴェロニカは二人で大樹の警備についていた。といっても自主的な警備なので持ち場などもなく、仕事に当たっているエルフたちに適当に挨拶しつつぶらぶらと歩いているだけだ。散歩と何も変わらないが、これも一応考えてのことである。
「あなたの剣は上手くやっているかしら。でも、剣に探りを入れさせるなんてよく考えたものだわ」
「剣が独りでに動くってのも中々不気味だが、人間が直接動いて調べ物をするより絶対に目立たない。しかもその間、俺たちはこうして他の人間の目にとまるように行動していればアリバイを作ることができる。完璧な作戦だろ?」
「ええ、本当に素晴らしいわ。まるでサボっているだけみたい」
ブケファロスはヴェロニカの直球の皮肉に口を尖らせるが、ヴェロニカ自身も良い考えだと思っていた。ブケファロスとリットゥにしかできない芸当故に、悟られることもまずない。多少剣が動いたところで、気のせいで済まされるだろう。ヴェロニカは単身奮闘するリットゥに「頑張れ」と心のエールを送り、ブケファロスと二人、散歩に近い警備活動に戻るのだった。
そしてその頑張る剣は、その薄さを活かして棚と棚の隙間におさまっていた。彼が張っているのは、デカン帝国兵が集まっている部屋の一室だ。デカン帝国の人間に割り当てられた休憩室だと推測し、隙を見て侵入したのだが、彼らは絶賛仕事中で雑談をする気配もなく、聞こえてくる会話はもっぱら事務的なものばかりだった。休憩中の雑談の方がうっかり情報を漏らすと考えての行動だったが、上手くいかなかったようだ。
「こいつは国軍第六隊所属……ああ、あったこいつだ」
「帝国軍第十三隊所属……。こっちのヤツもそうか」
「おい、こっちのリストは確認取れたぞ。後で再確認頼む」
棚に挟まっているが故によく見えないが、会話から察するに兵士達は何かを確認しているようだ。そしてリットゥは一つ思いあたる。彼らが先ほどからペラペラとめくりながら確認しているのは、昨日の会談で長が提出したというデカン帝国側の被害者のリストだろう。どうやらそのリストの内容に誤りがないか確認しているようだ。
『リストを確認している者たち以外の声が聞こえん……。怪我人ではなく死人の確認のようだな。ふむ』
リットゥはそこで少し考える。ルーグの遺体は既に移送されたと聞いたが、どうやらルーグ以外の死者はまだデカン帝国へは送られていないようだ。つまり、態々ルーグだけ先にデカン帝国へ送ったということだ。
葬儀のためにルーグだけでも先に帰したという考えもできるが、ルーグの生死が怪しいなんて話をしていると、影武者であることがバレる前に送り返したという見方もできてしまう。一応信憑性を高める根拠にはなるかと心に留めつつ、リットゥはこの部屋で得られる情報はそれほどなさそうだと判断した。一人の兵士の背にくっつくようにして部屋を後にし、部屋を出るなり浮き上がって廊下の天井にピタリと張り付いた。
『人の視線が上へ向くことは少ない。これで移動させて貰うとするか』
リットゥはそのまま、すすす……と天井を這うように移動する。その動きは黒光りする昆虫を彷彿とさせなくもない。目指すは今度こそデカン帝国関係者の休憩室だ。
手がかりを求めて廊下を歩く人々を上から観察していると、肩をコキコキとならしながら歩く二人のデカン帝国兵を見つけた。見るからに「あー、ようやく交代の時間だよ。つっかれたぜえ」という雰囲気を漂わせており、今から休憩に行くのだと推測を立てたリットゥはその二人の後を追う。そして彼らが入っていったのは、大樹内五階にある一室だ。部屋の入り口には『休憩室』と明確に書かれており、普段から休憩室として使用している部屋をデカン帝国が借り受けているのだろう。リットゥは背中に大剣を背負った兵士が部屋に入るときに、背後に隠れるようにして部屋の中へ潜入した。
その中はテーブルやソファが幾つか置かれた、まさしく休憩室という部屋だったが、それ故にリットゥが身を隠すための大きめの家具がない。彼はどうしようかと一瞬迷うが、速やかに壁の隅へ移動して、そのままもたれかかった。この部屋にいるのは皆兵士だ。大きめの得物を持つ者は武器を壁やソファに立てかけている。なら、剣であるリットゥもそれと同じようにしているのが一番自然だと考えたのだ。それに遮蔽物などないほうが諜報もしやすいに決まっている。リットゥは気を取り直して部屋の中の光景に意識を注ぐ。
『人数は十人余り。皆帝国の紋章とやらが入った鎧を着ておるが、どいつも下っ端のようだな』
もっとも、こんなところに地位のある者がいるとも思っていなかったので、とりあえずデカン帝国の内情についての話でも得られないかと考える。
兵士達は労働から一時解放された時を談笑をして過ごしていたが、どこかその表情は浮かないものであった。
「何か、ちょっとでも気を緩めるとため息が出ちまうなあ。ルーグ陛下がお亡くなりになるなんて、今でも信じらんねえよ」
「俺もだ。俺が帝国軍に所属したのも、陛下のお役に立ちたかったからだってのに、何でこうなっちまうんだよ……」
「くそ、エルフの奴ら……!」
「おい、やめとけ。エルフと友好的な関係を築きたいってのは陛下のご意志だろう。それに、陛下を襲ったのは保守派のやつだって話だ。エルフって種族に罪はねえだろう」
「あ、ああ、そうだな。すまねえ」
そこだけ聞いても、彼らが重要なことを知っていないことは察せられた。彼らの話の内容は表向きに知られていることばかりだったからだ。勿論、それが全て真実で裏向きの話がそもそも存在しない可能性もまだ捨てきれないのだが。
ただ、この会話が一般的なデカン帝国の国民の認識だと考えると、崇拝するルーグが殺された怒りがエルフそのものへ向くことはなさそうだ。あくまで全体の傾向としてであり、そういった輩が出てくることを避けるのは難しいだろうが、悪くない話だ。
「そういえば、近衛師団の連中はどこに行ったんだ?宰相閣下の護衛はいいのか?」
「半数くらいは護衛に残ってるはずだが、もう半数はエルフたちと一緒に樹海へ出て行ったぞ」
「樹海?何しに行ったんだ」
「知らねえし、関わりたくもねえ。近衛師団なんて関わらない方が身のためだ。あのルーグ陛下がお側に置いていたんだから信用できる連中なんだろうが、どうにも不気味だぜ」
「確かに不気味だよな、あいつら。仕事以外の事で口を開いたの見たことねえぞ。副団長なんて戦場で見たこともねえ。信用できるのは団長だけだ」
「ああ、ナラシンハ殿か。俺もあの人だけはマトモだと思うぜ。前王の時から前線で剣を振り続けている人だからな」
『……なるほど、近衛師団は随分と嫌われているようだ』
リットゥは聞いた情報を心のメモに書き記していく。近衛師団の評判やナラシンハなる人物のことも気になるが、この会話の中で一番重要に思われるのは、皇帝師団が樹海へ向かったということだ。
『昨日の会談内で事件現場の調査と行方不明者の捜索向かったという話を聞いたが、そのことと見ても良いだろうか。それとも別の何かがあるのか……』
リットゥは考えるが、もし裏がないのであるなら何故、樹海へ向かったのが近衛師団だけなのかが気にかかった。事件現場の調査にしても行方不明者の捜査にしても、人手があったほうがいい。バンダーラビットの数にも余裕があるのに、デカン帝国軍の人間を連れて行かない理由が見当たらない。
『やはり引っかかる。ともかく、もう少し聞いてみるか』
リットゥが再び耳を傾けると、帝国兵たちは始めて来たオル・オウルクスについての話に花を咲かせていた。するとそこに、別のデカン帝国兵が部屋に入ってきた。部屋にいた兵たちがその男に声をかけると、彼はきょろきょろと部屋の中を見渡してから適当な言葉を返して椅子に腰掛けた。
「ふう、疲れたぜ。何もしてないのに気を張ってるだけで体力使うもんだな。で、何の話をしてたんだ?」
「オル・オウルクスについてだよ。今いる大樹も何気なくいるけど、とんでもなく凄いものだよなってよ」
「そうそう。どうやったらこんな馬鹿デカくなれるんだって話だよ。明らかに異常だろ」
「異常、ねえ……。そういや、最近何かそんな話を聞いたな」
新しく部屋に入ってきた兵がそう呟く。他の帝国兵たちも何の話かと気になり身を乗り出すと、その兵は記憶を掘り起こしながら話し始める。
「何だったか……。そうだ、近衛師団の奴らが話していたのをちょこっと聞いたんだよ。あの大樹には秘密があるんだってよ」
「秘密?秘密って何だ」
「大樹がここまでデカいのは何かの理由があるんだとさ。エルフにとっての守り神は大樹っていうよりもソレのことを指しているらしい」
「へえ、そりゃすげえ話だな。でも、何で近衛師団がそんなこと知ってたんだ?」
「んなこと知らねえけど、何か深刻そうに話してたぜ」
帝国兵たちは首をひねるが、リットゥはその話を聞いて一つの可能性を得た。近衛師団が深刻な様子で話していた大樹の秘密。そしてその近衛師団は今、調査と捜索という名目で樹海の中にいる。しかし、それも少しばかり不自然なところがあるのだ。ここから推測できることは一つ。近衛師団の者が大樹の秘密というものを求めて樹海の中にいるということだ。
『これが真実か否か……。ともかく、一度相棒と合流すべきかもしれぬな』
といっても、部屋を出る機会を窺うことしかリットゥにはできない。どうしたものかと考えていると、そこで後から入って来た兵士が立ち上がった。
「おい、お前らそういえば持ち場変更があったって知ってるか?さっき隊長が言ってたぞ」
「は!?聞いてねえぞ!?」
「え、マジか?お前らの持ち場は確認してなかったし、ちょっと一回見てきた方がいいと思うぜ」
「あ、ああ、そうする。ちょっと行ってくるぜ」
そう言って、元から寛いでいた帝国兵たちは慌ただしく部屋から出て行った。これが好機だと思い、リットゥは帝国兵たちが自分の武器を持って出ていく中、一人の背中にピトッと張り付いて一緒に部屋を出て行った。
そしてリットゥはそのまま天井に張り付くと、事前に打ち合わせたヴェロニカとブケファロスの待ち合わせ場所へ向かう。人には見つからぬよう、慎重にだ。
そしてリットゥが待ち合わせ場所であるヴェロニカの自室前まで来ると、すでに二人は待機していた。天井伝いで這うように音も無く近づいてくる大剣の姿に気づくと、ヴェロニカは飛び上がって驚く。
「び、びっくりした……。でっかい変な虫か何かかと思ったわ」
『…………』
「気にするな、相棒。誰にだってそう見える。俺も一瞬そう見えた」
全くフォローになっていないがブケファロスの言葉を聞き流し、リットゥはブケファロスの手におさまった。
『一応、バレてはおらんはずだ。情報も持ち帰ってきてやったぞ』
「私たちもよ。続きは部屋の中で」
招かれるままヴェロニカの部屋に入り、早速リットゥは先ほどデカン帝国兵から聞いた情報を二人へ伝えた。二人はそれに驚きを見せたが、それはただ情報の内容に驚いたのとは少し違うようだ。
「実は、その“大樹の秘密”ってやつは俺たちも聞いたんだ」
「警備中に会った近衛師団の男が話してたのよ。すぐに移動してしまったから詳しくは聞けていないけれど」
『なんと……』
今度はリットゥが驚く番だったが、そうなるといよいよ無視できない。“大樹の秘密”を近衛師団が、デカン帝国が狙っている可能性が現実味を帯びて浮上してきた。
「もしかしたらそれが、ダレイオスちゃんが言っていた『デカン帝国が欲しがっている何か』なのかもしれないわね」
「ま、そう考えるべきだろうな。今度はそれに焦点を絞って調査してみるか」
『賛成だ。それが今後の鍵になるやもしれぬ』
少しずつではあるが、着実に手がかりを手に入れている。これなら上手くいけば、ずっと欲していた『デカン帝国の疑惑の核心』を得ることができるかもしれない。それさえあれば、商会なり諸国なりに働きかけてデカン帝国を封殺することができるだろう。そんな朧気な光に希望を見出し、二人と剣一本は部屋を出て行った。




