34 いざ、さらば
翌日、ダミアン邸の前にだいたい全員集合していた。今回の件の大功労者、ダリラを見送るためだ。行きはスヴェートに乗って大々的に登場したが、帰りは普通に歩いて帰るらしい。彼女は相も変わらず全身緑の服装で鞄を持って立っていた。
「前から思ってたんだけど、緑以外の服ないの?」
アレシャが素朴な疑問を持ったが、ダリラは逆にその緑を誇るように胸を張る。
「良いでしょう、緑。木の妖精みたいでしょう?」
『木の妖精というか、木だな』
ダレイオスの率直な感想にアレシャは苦笑する。ダリラはその反応に首をかしげつつ、ヘルマンら兄弟へと向き直った。すると、アルノーが深々と頭を下げる。
「ダリラ様。此度は本当に、本当にありがとうございました!今回の恩、今生忘れることはございません!」
「僕からもお礼を!サーラを助けて下さって、本当にありがとうございました!」
次いでリーンハルトが頭を下げ、彼の後ろに控えていた使用人達も同じくダリラへ向けての最敬礼を見せた。さすがにこれだけ畏まられてはダリラも少したじろいでしまう。
「ヘルマン君は研究者時代に私の研究を色々と手伝ってくれたので、その恩を返しただけですから。そうお気になさらず」
「いえ、紛れもなくダリラさんのおかげですから。言わせて下さい。ありがとうございました」
ゆっくりとダリラへ向けて歩み寄ってきたヘルマンがそう口にした。彼の横にはライラの押す車椅子にはサーラが座り、ダリラへと笑顔を向けた。
「ダリラさん、ありがとうございました!私、とても嬉しいです!」
「私からも、心からお礼申し上げます」
サーラに続きライラが礼を言い、最後にアレシャがダリラの肩を軽く叩いてこくこくと頷いた。ユー、いいから受け取っちゃいなよ!と言いたいらしい。ダリラは小さくため息をついて頷き、彼らからの礼を有り難く受け取ることにした。
「なら、またの休みにでも遊びに来てもよろしいでしょうか?ここののどかな風景が気に入ってしまいました」
「ええ、ぜひ!いつでもおいで下さい!」
アルノーが爽やかな笑顔を浮かべ、手を差し出した。ダリラがそれをしっかりと握り、全員に一言ずつ挨拶をしてから、最後にアレシャの頭をポンと叩く。
「それじゃあ、頑張るのよ。応援しているわ」
「うん!それじゃあね、ダリラおばさん!」
アレシャが元気に手を振る中、ダリラは振り返ることなく穏やかな道を歩き去って行った。
ダリラが自然の緑に溶け込み視認できなくなってから、彼らは屋敷の中へと引き返し、使用人一同は仕事へと戻る。最後まで見送っていたアレシャも遅れて屋敷の中へ入ろうとするが、そこへダレイオスが声をかけた。
『それで、お前はこれからどうするんだ?』
「わたし?そうだなぁ。ライラさんのお手伝いとかしようかな。ちょっとサーラちゃんとお話もしたいし」
『いや、そうでなくてだな。依頼は解決したのだから、事務所に帰らなくていいのか?』
「……はえ?」
ダレイオスの問いにアレシャが間抜けな声を漏らす。そしてしまったというように口をあんぐりと開けた。どうやら、ここでの生活に慣れて「帰る」ということを完全に忘れてしまっていたようだ。
「あ、ヤバい、帰らないと!事務所ずっと任せっきりだ!」
『全く……。で、どうするんだ?』
ダレイオスが再び問い直すが、何を尋ねることがあるのかとアレシャは思った。帰らなければならないのだから、帰る以外に何があるというのか。アレシャがそう口にすると、ダレイオスはそうではないと言う。
『私が言いたいのは、ヘルマンのことだ。あいつがこれからどの道を選ぶのか、本人に聞かなければならない』
アレシャは意味が分からず首をかしげるが、その言葉を自分の頭で咀嚼してようやく理解できた。ヘルマンが再び冒険者としてアレシャと一緒にやっていく道を選ぶのか、それともこの家に残ってサーラを支えつつ家族と共に暮らす道を選ぶのか。その話をダレイオスはしているのだ。
そもそも、ヘルマンがアレシャと共に行動し協力していたのはサーラを助ける方策を得るためだった。しかし、その目的は達せられたのだ。
そして、サーラは家族の中でヘルマンのことを一番信頼している。突然放り出された十年後の世界や迫る父の死。サーラにとって不安なことが山ほどある中、彼女の側にヘルマンがいてやることはサーラにとって必要なことであるというのは自明のことであった。サーラのことを思うなら、ヘルマンはギルドを抜けてこの家で暮らすことべきなのだろう。しかし素直な気持ちで言えば、アレシャはヘルマンにギルドを辞めて欲しくなかった。その微妙な気持ちをダレイオスは感じとる。
『お前の気持ちは分かる。ヘルマンとの付き合いもそれなりに長くなった。別れたくないと思うのも当然だろう。だが、それを決めるのはヘルマン以外にいない』
「……そう、だね。やっぱり、ヘルマンさんとちゃんと話をしないと」
『ああ』
アレシャは自分の頬をパシリと叩き、屋敷の中へと戻る。ここでの生活もそれなりになり、最初は全く把握できていなかった屋敷の構造も今では一人で歩けるまでには理解できていた。アレシャは真っ直ぐにヘルマンの部屋へ向かう。しかし、彼の部屋の前の廊下についたとき、丁度部屋から出てきたヘルマンに遭遇した。
「あ、ヘルマンさん!」
「アレシャか。どうした。俺に用事か?」
「うん。私も早い内に事務所に帰ろうと思うんだけど、その、その前にヘルマンさんと話をしておこうと思って……」
少し言い淀んだアレシャを見て、ヘルマンはアレシャが何を話に来たのか悟った。丁度彼も同じことを考えていたからだ。
「よし、なら俺と一緒に来てくれ」
「え、うん。……どこに?」
「父上のところだ。帰るなら挨拶はしておくべきだろう?」
ヘルマンの言葉にその通りだと思ったアレシャは、素直に彼についてダミアンの部屋へと向かう。
ヘルマンがドアをノックして入室の許可を求めると、内側からライラが扉を開いた。ライラがいるということは、サーラも部屋の中にいるのだろう。二人はいそいそと部屋の中へ入る。
「お兄様!」
ダミアンのベッドの脇で車いすに座っているサーラが、ヘルマンの姿を見てニッコリと笑う。ヘルマンはサーラに笑顔で手を振ってから、ダミアンに軽く頭を下げた。サーラが目覚めてから不思議とダミアンの体調はよく、こうしてサーラと話をしていても問題なさそうだった。健康というものが身体だけのものではないという顕著な例だろう。
「どうしたんだ、ヘルマン」
「アレシャも直にここを発つということで、ご挨拶をと」
ヘルマンの横でアレシャがぺこりと頭を下げる。しかしヘルマンのどこか他人事のような言葉に、アレシャは少し不安になる。ヘルマンはやはりここに残る気なのではないかと。そんな気持ちを知ってか知らでか、ヘルマンが挨拶するようアレシャの背中を押す。
「長々とお世話になりました。こんな豪勢なお屋敷での生活なんて一生の間に経験できるかどうかというものなので、とても楽しかったです」
「そんな、お世話になったのはこっちですよ。ダリラ様もですが、アレシャさんにも本当に何とお礼申し上げてよいか」
ダミアンが深々と頭を下げ、それに合わせてサーラも「ありがとうございました!」という元気な声と共に頭を下げた。アレシャはサーラの中々に軽快な動きに今更ながら疑問を持つ。十年も寝たきりだったサーラが車いすに座ってではあれど、生活する上で問題ない程度に身体を動かすことができているからだ。普通なら要介護生活であるはずだ。
『おそらく身体強化魔術を使っているんだろう。無意識なものだと思うが。サーラは障壁を張る力こそ失われど、膨大な魔力は未だ健在だ。それを上手に活用しているんだな』
ダレイオスの補足説明でアレシャも納得できた。やはりこの少女、ただ者でないようだ。
「それで、アレシャさんはいつ発たれるのですかな。ダリラ様の出発は突然でしたので大したお見送りもできませんでしたが、お時間がお有りならば最大限の感謝を表させていただきたいと思っておりますが」
「あ、いえ、そんな、お気遣いなく!それより、出発の日取りですけど……」
アレシャが口ごもり、チラリとヘルマンへ視線を向ける。ヘルマンの選択を聞かない限り、予定も決めようが無い。それを、ヘルマンも分かっていた。その話をするために、彼はアレシャをここへ連れてきたのだから。
「父上、お話があります」
「……なんだ?」
「俺を、この家において頂きたいです」
ヘルマンは告げた。心の内を。それを聞いたアレシャは、顔に影を落とす。ヘルマンはアレシャと一緒に帰ることは無い。
「ですが、俺はギルドを抜ける気もありません。あのギルドが、俺にとっての新たな居場所になってしまったのですから。いずれは、また家を出てアレシャの元へ戻ろうと思っています。……勝手に家を出たばかりか、そんな中途半端な考えで、申し訳ありません」
暗い顔をしていたアレシャは一転驚きに顔を染め、ヘルマンの顔を見つめていた。もう諦めていただけにその驚きは一際大きい。
ヘルマンは頭を下げるが、ダミアンがそれを咎めることは無かった。
「何を今更。お前はもう、自らの道を歩み始めたんだ。お前の好きにすればいい」
「ありがとうございます」
ヘルマンが礼を言う。アレシャは、ヘルマンがすぐにではなくとも戻ってきてくれると知ってホッとした様子だ。これからも共に冒険者をやっていけるというのが素直に嬉しかった。しかしただ一人、心中穏やかでない人物がいた。
「お兄様、出ていってしまうのですか……?私を置いて行ってしまうのですか?」
サーラが今にも泣き出しそうな顔で、ヘルマンへすがるような視線を向けた。車いすから立ち上がろうとするサーラをライラが宥めるが、アレシャはそんなサーラを見て少しマズいと思った。最近のサーラは少しずつ落ち着きを取り戻すと同時に、父親の死を受け入れつつあるように見えた。しかし、心のよりどころであったヘルマンがいなくなってしまえば、彼女がそれを受け入れることができるかどうかは分からない。しかし、そうだからといってヘルマンにギルドを抜けて欲しいなんてアレシャに言うことはできなかった。ただ、ヘルマンもそれを分かってこの話をしていた。ヘルマンはサーラの元へ歩み寄り、目線を合わせる。
「サーラ、俺は別にすぐいなくなるわけじゃない。お前を蔑ろにする気も毛頭無い。安心してくれ」
「でも、結局いなくなっちゃうんですよね?私は、わた、しは、お兄様と、ずっと一緒にいたいです!」
ついにサーラはぽろぽろと泣き始めてしまった。ライラが慌ててハンカチで涙をぬぐうも、涙は止めどなく溢れ出してしまう。ヘルマンは困ったように笑うと、サーラの頭を優しく撫でた。
「心配するな。お前に寂しい思いはさせない。絶対だ。だから、泣かないでくれ。サーラは強い子だろう?」
ヘルマンがよしよしと撫でると、サーラはぐっと口を結んで涙を堪えようとしていた。ヘルマンが「絶対だ」と口にした。サーラはその言葉を信じようとしているのだ。どういうことなのかは分からないが、お兄様がそう言うならばそうなのだろうとサーラは思っていた。ヘルマンの言葉を余り盲信するのも良くないが、心の落ち着きを求めている今のサーラにはそれくらいが丁度いいのかもしれない。
ヘルマンが「偉いぞ」とサーラのことを褒め、また頭を撫でる。十年経っても失われない兄妹の絆。アレシャは少し離れたところから、それを羨ましそうに見守っていた。
『どうした、アレシャ』
「いや、わたしもお姉ちゃんにしばらく会ってないなと思って」
『姉?お前、姉がいたのか?』
ダレイオスが初耳というように驚くが、思い返してみればそれらしい話はこれまで何度か聞いていた。確かフェオドラが、アレシャよりも先に家を飛び出していったという話をしていたはずだ。
『名前は確か……ルフィナ、だったか?』
「あ、覚えてくれてたんだ。うん、そうだよ。お父さんが死んじゃった少し後に突然飛び出して行っちゃってね。……今、どこで何をしてるかも分からないんだ」
『そうなのか……』
ダレイオスはそう呟きを漏らす。父は死に、姉は行方知れず。母は仕事で忙しく、そんなに会えない。アレシャには意外と家族に甘えられる機会がないのだと彼は気づいた。だったら自分が家族代わりに、父親代わりになれないだろうか。ダレイオスはふと、そんなことを思ってしまうが、「ないな」と自分の内で否定した。自分はまだお兄さんでいたい、という彼なりの抵抗であった。
そうこうしている内にサーラも落ち着いたようだ。ヘルマンは「寂しい思いはさせない」と言うが、どうするつもりなのだろうかとアレシャは思った。しかし、ヘルマンがそう断言するからには何か考えがあるのだろう。なら自分が心配するのもお門違いだ。そう判断したアレシャはヘルマンに問いかける。
「それじゃあ、ヘルマンさんはいずれ戻ってくるってことでいいんだよね?」
「ああ」
「分かった。皆にはそう伝えておくね」
アレシャは努めて明るい笑顔で親指を立てる。ヘルマンの言う“いずれ”とはおそらく、ダミアンが亡くなってから、という意味だろう。それが、彼にとってもサーラにとっても大きな一つの区切りになるところだからだ。しかし、それを今ここで確認する気は無い。アレシャは最後にダミアンへペコリと頭を下げた。
「では、本当にお世話になりました。あ、さっきのお見送りの件ですけど、こんなでもギルドの団長でして、結構早めに戻らないと行けないんですよね。だから、お気持ちだけ受け取っておくことにします」
「そうですか、それは残念だ。……そうだ。では、せめてもの感謝の気持ちです。これをお持ちに」
ダミアンがライラに言いつけ、近くの棚からあるものを持ってこさせた。そして震える手でアレシャに手渡す。
「これは……」
「然程高価なものではございませんが、ラブラドライトという石を使ったブローチです」
それは黒みがかった銀の石がはめ込まれた、繊細な意匠のブローチだった。石は光に当てると虹色の輝きを放つ。アレシャはそれを様々な角度から眺める。
「ラブラドライトは持ち主に、信念を貫く力を与えるとされております。あなたは、きっと何かを成し遂げる人だ。私にはそう見える。そのブローチが、少しでもその助けとなりますよう」
「はい、ありがとうございます!大切にさせてもらいます!」
アレシャはそのブローチをぎゅっと握りしめる。彼と過ごした日々はそれほど長くは無いし、会話の回数も多くは無い。しかしアレシャは、ダミアンからのこの贈り物が、なぜだかとても嬉しかった。ヘルマンやサーラへ向ける彼の笑顔が、どこかアレクセイのものと被って見えてしまったからかもしれない。アレシャはすぐに自分の胸にブローチをつけてみせる。頭には父から貰ったカチューシャが。片耳には母から貰ったイヤリングが。胸にはダミアンが貰ったブローチが。それらが頑張れと自分の背中を押してくれているようで、アレシャはその温かさについ笑顔をこぼしてしまう。それを見たダミアンも満足そうに、何度も頷いていた。
アレシャはそれから荷物をまとめ、翌朝、ダリラと同じように全員からの見送りを受けながら屋敷を発った。ライラの手伝いをしている中でサーラにはえらく懐かれてしまったようで、サーラは涙を流しながら別れを惜しんでくれた。サーラはアレシャのことを「お姉様」と呼んでくれていたが、サーラは立ち上がるとおそらくアレシャより背が高い。実年齢も外見年齢もサーラの方が上だ。アレシャはどことなく微妙な心持ちになるが、慕ってくれるのは素直に嬉しいことだった。アレシャはサーラに「またね」と告げると、何度も振り返って手を振りながら心地よい風の吹く道を一人歩いて行った。
ヘルマンがギルド事務所へと戻ってきたのは、それから二月ほど後のことだった。




