33 紅茶をいただきつつ
「はい、紅茶」
「ああ、ありがとう」
ヘルマンはベッドから身体を起こし、アレシャからカップを受け取った。漂う香りを楽しんでからそれをすする。
「うん、美味い」
「わたしはまだまだだよ。お母さんの紅茶はもっと美味しいから」
「そうなのか。それは一度ご相伴にあずかりたいものだな」
ヘルマンはそう言いつつも満足そうにアレシャの淹れた紅茶を飲んでいた。弱り切っていたヘルマンの体調だが、順調に回復していた。今もベッドに寝てはいたが、ダリラが完全に回復するまで寝ているように釘を刺したので仕方なくで寝ているだけである。なので暇でしょうがなかった彼は、話し相手としてアレシャとダリラを呼びつけたのだ。
「そういえばダリラおば……ダリラさんはムセイオンに帰らなくても大丈夫なの?」
「別にダリラ“おばさん”って呼んでくれて構わないわ。ムセイオンについては多分大丈夫だと思うけども、ヘルマン君も回復しているようだし明日には帰るつもりよ」
近くの椅子に腰掛け、同じようにアレシャの淹れた紅茶をすすっていたダリラがそう答える。それを聞いたヘルマンはサイドテーブルに紅茶を置いて二人へと向き直った。
「なら丁度良かった。そろそろ今回の件についての話をまとめておこうと思いましてね」
ヘルマンは真面目にそう言うが、アレシャは首をかしげた。
「今回の件とは言うけども、何か話すことあるっけ」
「勿論、サーラを狙った者についての話だ。そいつの目的だとかそういう話だな」
「ああ、なるほど」
アレシャも納得する。サーラの話を聞ければいいのだが、彼女はその襲撃に関する記憶はなくしてしまっている。それに、サーラはダミアンの残り少ない時間を少しでも一緒にいたいと言ってダミアンの部屋に入り浸っていた。それを邪魔する気には到底なれない。
なので、ヘルマンは現在手に入っている情報から推理をしてみたと言う。中々に興味深い話であるので、アレシャとダリラは彼の話へと耳を傾けた。
「まずダレイオスに聞いてみたいんだが、サーラの身に張られている障壁についてどう思う?サーラが目覚めてから何度か顔を合わせているし、何か感じとったと思うが」
『ん、私か?障壁……というと、お前が『七色の魔物』と同じ強度とか言ってたアレだな』
ヘルマンに問われてダレイオスは少し考え込むが、すぐに答えを出した。
『率直に言えば、サーラの障壁は『七色の魔物』の障壁と比べるのもおこがましいほどの強度しかない。『七色の魔物』のそれが鋼鉄ならば、サーラのはガラスってところだな』
「え、そうなの?」
アレシャは驚きながらもダレイオスの言葉をヘルマンへ伝える。すると、彼はその言葉に同意するように頷いた。
「ダレイオスの感想は間違っていないと思う。俺も同じ印象を持った」
「私もそうよ。サーラさんの障壁はそれほど強くはないわ」
「え、じゃあヘルマンさんの言っていたのは何だったの?」
アレシャが不思議に思い尋ねると、そこからヘルマンは自分の推理へと導入していく。
「サーラの障壁は、十年前は『七色の魔物』と同じレベルの強度を持っていた。それは間違いく事実だ。だが、今は見る影もなく弱体化してしまっている。その理由は一つ。何者かが、サーラのその力を奪った」
『そう考える以外にないな。その“何者か”とは勿論、サーラに『深淵術式』をかけた人間だろう』
「そういえば、精神世界でその犯人の声聞いたよね。確か、『素晴らしい力』とか、『私に預けてみないか』とか言ってた。ヘルマンさんの言ってることで間違いないと思うよ」
ダレイオスとアレシャが同意を返した。ヘルマンもそれに頷きつつ、話を続ける。
「その襲撃者の言葉だが、他にも気になる点がある。そいつは、『これで更なる力を得られる』と口にしていた。サーラが襲われたのは十年前。つまり十年前に、サーラの力を奪って力をつけた者がいるということだ」
「確かに、“更なる”ということは元々力を持っていた人物であるとも考えられるわね。推測の域を出ない話だけれど、態々口にするということは何か判明したことがあるのでしょう?」
ダリラがヘルマンへ問えば、彼はその通りだと答えた。勿体ぶるような話し方にアレシャは待ちきれず、前のめりになってヘルマンの話を催促すると、ヘルマンは引き出しから一枚のメモ書きを取り出した。
「すでにアルフレッドに頼んで簡単にだが調べて貰った。十年前、サーラが眠りについてから舞台に出てきた実力者、権力者についてな。まあ当然かなりの数がいるわけだが、一人の人物が少し目についてな」
「ほうほう!で、それは一体……」
アレシャがぐいぐいと食いつく。目についた、ということは、勿体ぶっているが犯人の目星が付いているということだ。気になるどころの話では無い。ダリラも興味を示す中、ヘルマンが一人の人物の名を口にする。
「現デカン帝国皇帝、ルーグだ。彼が王座についたのは、およそ十五年前。そのときのデカン帝国は大して強くもない平凡な国家だった。しかし彼が国力増強政策を執りデカン帝国を強国へと作り変えたのが、九年ほど前。サーラが封印された丁度一年後のことだ」
「で、デカン帝国って……!」
『アンブラや“死人”に関係していると思われるあの国か。……しかも皇帝とはな』
アレシャとダレイオスはその話にそれぞれの反応を見せる。しかし、ダリラは何故そこでデカン帝国に目をつけたのかが分からなかった。別に台頭し始めた時期が、サーラが襲われた時と一致する人物はルーグ以外にもいるだろうと思ったのだ。なのでアレシャは、以前モロクであった事件についてダリラに掻い摘まんで話した。ダリラはそれを聞いて納得する。
「それは何とも面白い話ね。それならルーグに目をつけたのも分からなくはないわ。……確か、ルーグは十年前に皇帝近衛師団という自分直属の組織を作ったはずよ。そして自らそれを率いて周辺の小国を次々と攻め落とし併合していったわ。その近衛師団の強さは凄まじいものであったそうよ」
「近衛師団、皇帝直属ねぇ……。モロクの式典のときに後ろに控えていたマントの集団がたぶんそれなんだろうね」
アレシャが思い出すように呟く。とは言ってもデカン帝国についてはランドルフが目下調査中。未だデカン帝国と“死人”の関係ははっきりしたものにはなっていない。しかしそれでもルーグは十分に怪しいと言えた。
サーラとルーグが関係している根拠の一つとしてヘルマンが挙げたのは、“死人”事件の際にヘリオスによって生み出された、『七色の魔物』の模造品達である。
その魔物達は不完全とはいえど、障壁を張る力をその身に宿していた。それはつまり、ヘリオスがその力の仕組みについての知識を持っていたということ。そして、ヘリオスはデカン帝国と関係していると思われる“死人”の大将であった。ルーグがサーラを襲って力を奪い、それがヘリオスへと伝わった。十分に考えられる可能性である。例え襲撃者がルーグでなかったとしても、デカン帝国か“死人”に関連する人物である可能性は高そうだ。
それでもある程度他の可能性も考慮するべきだと考えたダリラは、アルフレッドが調べた中でルーグ以外に他に怪しい人物はいなかったのかと尋ねる。ヘルマンはその問いに答えようとするが、ダレイオスがアレシャと入れ替わり、それを遮った。
「どうかしたか、ダレイオス」
「……いや、サーラの強固な障壁を張る力を奪ったのは分かるが、それを具体的に何に利用したのかが分かっていないと思ってな。それが私は気になる」
ヘルマンとダリラは確かにそうだと思った。しかし、犯人が誰なのか判明してすらいないというのに、そんなこと知りようがないとも思った。犯人が分かれば、奪った力をどう利用したかも自ずと判明するだろう。ヘルマンはそうダレイオスへ言うが、ダレイオスは適当な返事をするだけで一人考え込んでしまった。
「障壁を張る力、か……。そのまま用いて強固な防御として利用するのが普通の考えだが……。ヘルマン、十年前に難攻不落の要塞が建造されたとか、そういった話は無いのか?」
「いや、そんな話は無いな。もしあったなら、そんなあからさまなものを俺が見逃すはずが無い」
「私も知らないわね」
『わたしも』
全員が首を横に振るので、ダレイオスは再び思考へと沈む。となると、サーラの力を奪った人物は、その力をまた別のもののために利用したのだろう。障壁を張る力。それは即ち『大量の魔力を正確に自動でコントロールする機能』と言い換えることができる。『七色の魔物』もサーラも先天的、突然変異的にその機能を有して生まれてきたのだ。確かにその機能はダレイオスにも中々に魅力的なものに思えた。魔術の研究に持ち込めば、膨大な魔力を利用する分野において、かなりの効果を発揮するだろう。
「……研究に持ち込む、という線は強そうだな。別の力を研究し生み出すための材料の一つとして、サーラの力が必要だったということか」
『なるほど。納得できる理屈だけど、その研究が何なのか皆目見当つかないよね』
アレシャの言うことはもっともである。ヘルマンもダリラも自分の知識を引っ張り出して思い当たるものを探してみるが、それらしいものを見つけることはできなかった。
しかし、ダレイオスは自分の言葉に何か引っかかりを覚えていた。障壁を張る力を用いる研究、膨大な魔力を利用する研究、そこがどうしようもなく気になっていたのだ。
そして気づいた。それは記憶。自分の内にある記憶が、その思考の端に僅かに引っかかっているのだ。ダレイオスはそれを掴んで必死にたぐり寄せる。自分の記憶、千九百年前のことを呼び起こす。
そして彼が手にしたのは、かつての親友と語り合った、とある夜の記憶だった。
「一つだけ、ある。サーラや『七色の魔物』の力を必要とする研究だ」
ダレイオスの静かな言葉。それにアレシャたちは黙って耳を傾ける。ダレイオスはこの中で唯一古代魔術を知っている人物だ。彼ならば、ヘルマンたちが知らない研究についての知識も持ち合わせているはずだから。そしてダレイオスが口にした言葉。それは想像通り、その場にいる誰も知りはしないものだった。
「『精神生命体』。私はそれが怪しいと睨んでいる」
『せいしんせいめいたい……?』
アレシャがオウム返しでそう尋ねる。ヘルマンとダリラは息をのみダレイオスが次を話すのを待っていた。ダレイオスはその期待に応え詳しく話し始める。
「千九百年前、ムセイオンで行われていた研究だ。当時のムセイオンは独立した機関ではなくアレクサンドリア王国の管理下にあったのだが、その研究は王であったアレクサンドロスに隠れて行われていた。その内容は単純明快、『精神生命体』を作り出す。それだけだ」
「いや、その『精神生命体』が何かを聞いてるんだが……」
ヘルマンが少し拍子抜けしたようにダレイオスへ問いかけた。ダリラもうんうんと頷く中、ダレイオスはゆっくりと口を開く。
「私も、よく知らん。分かっているのは、それが尋常で無い魔力を生み出す存在であるらしいということだけだ」
ダレイオスがそう言い切った。それにヘルマンとダリラは思わず「え?」という顔を浮かべてしまう。アレシャがその場にいたならば、彼女も間違いなく同じような表情を浮かべていただろう。だが、「そんな顔をされても困る」という表情をダレイオスもまた浮かべていた。
「仕方ないだろう。アレクサンドロスは魔術師ではない。あいつから私へ伝わってくる魔術に関する情報はふわふわとしたものばかりなんだ」
「あ、ああ……そうなのか。まあ、知らないのなら仕方が無いが、ダレイオスはどうしてその研究を思い出したんだ?」
「理由は簡単だ。その研究には『七色の魔物』が不可欠な存在であったからだ」
それからダレイオスは千九百年前の思い出話を始めた。親友であったアレクサンドロスの頼みで『七色の魔物』の討伐に向かったこと。その理由は、ムセイオンの『精神生命体』の研究を阻止するためであったこと。アレクサンドロスが、その研究を恐ろしいものであると言っていたこと。当人の口から語られる千九百年前の話は実に興味深く、ヘルマンたちは黙ってその話を聞いていた。
「——その後は多少の改変はあれど伝承通り。私たちは『七色の魔物』を無事討伐した。そしてアレクサンドロスとの約束通り、私は『七色の魔物』の死骸を預かった。だからムセイオンの手に渡ることはなかったのだ」
「じゃあ、結局『精神生命体』が生み出されることはなかったんだな」
「ああ、少なくとも私は知らない。しかし、『精神生命体』には『七色の魔物』が必要だとアレクサンドロスが言っていたのは間違いない。なら、サーラの力が同じように『精神生命体』に利用できるとも考えられるはずだ」
『へえ、なるほどね……』
確かにダレイオスの言うことは理解できる話であった。が、結局『精神生命体』が何かなのは判明していない。それが分かればサーラを狙った襲撃者が何者か、それが予想通りルーグであるのか。知りたいことが全て明らかになるだろう。だが、それについてダレイオスは一つ宛てがあった。
「ダリラ。お前に頼みがある」
「来ると思っていたわ。一応聞いておくけれど、何かしら?」
「ムセイオンの有力者であるお前なら、ムセイオンの書物を調べるのも容易いだろう。千九百年も前のことであっても、同じムセイオンだ。もしかすると研究の痕跡が残っているかも知れない。それを調べてみて欲しい」
ダレイオスがダリラへ頭を下げる。しかしヘルマンはそれは難しいだろうと思った。ムセイオンには凄まじいまでの蔵書があり、二千年の間のあらゆる研究成果が収められている。だからこそ、その中からあるのかどうかも怪しい一つの研究を見つけ出すのは生半可なことではないのだ。しかし、ダリラはダレイオスの頼みに首を縦に振った。
「ええ、わかったわ。私に任せておきなさい。折角持っている権力なんだから、こんなときくらいはね」
「え、ダリラさん正気ですか!?」
ヘルマンが驚きの言葉を漏らすが、ダリラは当然だと答える。
「世界でも強い影響力を持つ大国に何やら怪しい影がある。それを知って放っておけるほど碌でなしになったつもりはなくってよ。確約はできないけれど、できる限りはやってみるわ」
「すまない、頼む」
『よ、よろしく!』
ダレイオスとアレシャがダリラへ再度頼み込む。ダリラは頼れる笑顔を浮かべて自分の胸を叩いてみせた。そして彼女は椅子から立ち上がると、軽く伸びをする。
「なら、予定通り私は明日帰ることにするわ。早めに身支度を済ませておこうかしら。ヘルマン君の体力をあまり使わせるわけにもいかないわ。それでは」
ダリラは二人へ向けて手を振ると、そのままヘルマンの部屋を後にしていった。慌ただしく出て行ったダリラにヘルマンは苦笑すると、残していた紅茶を再びすする。が、すでに冷めてしまっていて、それほど美味しくなかった。ヘルマンはカップをソーサーへ置いてアレシャへ差し出す。
「アレシャ、悪いが紅茶を淹れ直してくれないか?」
「はいはい。了解ですよー」
ダレイオスと再び交代したアレシャが茶葉を準備し始める。アレシャと出会ってからもう一年以上。こうした日々にもすっかり慣れてしまった。互いの間には確かな信頼関係が築かれているとヘルマンは自覚していた。しかし、自分はこれからどうするべきなのか、今一度考え直すべきかと彼は思った。




