31 お目覚め
アレシャはいつの間にか寝かせられていたベッドからむくりと身を起こす。なんだか頭がぼうっとするが、この部屋の天井には見覚えがあった。ここはどうやら現実世界らしい。無事、精神世界から帰還できたようだ。
「お目覚めですか?」
「あ、ライラさん……」
アレシャの右に置かれたベッドで同じように寝かせられていたライラがアレシャへ声をかけてきた。アレシャはベッドから這い出ようとするが、なんだか身体が自分のものではないような不思議な浮遊感に陥り、上手く動けない。諦めてまたベッドに横たわる。
「無理をしなくていいわ。魂だけだったときの感覚が抜けていないのよ。直に元に戻るでしょう」
近くの椅子に腰掛けていたダリラがそう告げた。どうやら、アレシャたちが目覚めるまで見守っていてくれたようだ。外は既に真っ暗で、夜遅くまでそうしてくれていたのだと思うと頭が下がる。なのでアレシャは素直に言うことを聞き、ベッドに寝転がったまま話をすることにした。
「サーラさんの様子はどうですか?」
「まだ目を覚ましてはいないけれど、禁術の反応は消え去っていたわ。目を覚ますのも時間の問題でしょう」
「そっか、よかった……」
アレシャが胸をなで下ろす。横にいるライラがずっとニコニコしているので大丈夫だとは思っていたが、確信が持てるとやはり安心するのだ。
しかしそこでアレシャは、部屋の中にヘルマンの姿がないことに気づいた。
「ヘルマンさんは?精神世界の中では、ものすごく疲れた様子だったけど……」
「ヘルマン君は自室でアルフレッドさんに看病されているわ。魔力の過度な消耗による身体への異常が見られたのよ。でも私がすでに治療したわ。魔力と体力が戻れば何の後遺症もなく元通りよ」
ダリラが中々に重要なことを口にしたが、心配いらないと聞いてアレシャはまた胸をなで下ろす。彼には十年ぶりの妹との対面が待っているのだ。早く元気になってもらいたいとアレシャは思った。ともかく、これで全員の安否が確認できたわけだ。
『私への心配とかは無いのだな』
そこでダレイオスが少し拗ねたように、ぼそりと呟いた。アレシャはつい、「あっ」と小さく声を漏らした。はっきり言って忘れていた。が、それを悟られないようにアレシャはダレイオスへ誤魔化しの、いや、心配の言葉をかける。
「い、いや、ダレイオスさんなら無事で当たり前かなって……」
『……まあ、確かに大丈夫だ。自分の元の身体で行動できていたのが少しばかり恋しくはあるがな。まあ、この身体も悪くない。女体だしな』
「ああ、うん。元気ならいいんだ。聞かなかったことにしとく」
やっぱり心にも無い心配の言葉などかけなければよかった。アレシャはそう思いつつ、ため息をつく。ダレイオスとそんな会話を交わしていると、アレシャへ向けてライラが一つ問いかける。
「アレシャ様。その、ダレイオス様という方について詳しくお話していただいてもよろしいですか?精神世界で助力して下さったあの男性は、やはり伝承にある『魔王』ダレイオスなのでしょうか……?」
そういえば、ライラには適当に誤魔化しただけでダレイオスという人物については何一つ話していなかった。だが、ライラは精神世界でダレイオスという明らかに怪しい存在を否定することなく、寧ろ信用して協力してくれた。そんな彼女には、ちゃんと真実を話しておくのが道理だろうとアレシャもダレイオスも思う。
というわけで、アレシャはダレイオスと交代し、本人の口から語って貰うことにした。
ライラは驚きつつも時折相槌を打ちながらダレイオスの話を真剣に聞いていた。そして一通りの顚末を話し終えたとき、ライラががばっと身を起こした。
「そ、そんなことがあっただなんて……!しかも、ダレイオス様は悪の象徴に仕立て上げられ後世に語られる……。そんな、そんな悲劇がまかり通ってよいのでしょうか!いや、良いわけがありません!」
「お、おおう?」
拳を握りしめ語るライラに、ダレイオスが少しばかり呆気にとられていると、ライラはベッドから飛び出しダレイオスの手をがしっと握った。その目にはたっぷりの涙が溜まっている。
「世間がなんと言おうとも、私はダレイオス様の味方でございます!ダレイオス様が真実へたどり着かれることを、私、切に願っております!」
「あ、ああ。ありがとう。頑張らせて、いただきます」
ダレイオスがひとまずの礼を言うと、ライラはダレイオスの手をぶんぶんと振って喜びを表した。が、ふらりとよろめくとライラはその場に顔面からぶっ倒れた。やはりまだ動くのは難しいらしい。ダリラは苦笑しつつ、ライラをベッドに寝かし直して垂れていた鼻血を拭いてやると、ライラは心底申し訳なさそうにぺこぺこと頭を下げてから、再びダレイオスに声をかける。
「ダレイオス様、よろしければ千九百年前がどんな場所だったのかお話いただいてもよろしいですか?先ほどの話を聞いて、気になってしまって……」
『あ、いいねそれ!わたしも聞きたい!』
「……ああ、いいとも。そうだな……。では、アレクサンドロスとの出会いから話してやろうか」
ダレイオスは遠い記憶を呼び起こしながら、ゆっくりと話し始める。ライラはおとぎ話を読み聞かせてもらっている子どものような表情で、それをじっと聞いていた。どうやらもう見守っている必要もなさそうだ。そう判断したダリラは静かに部屋を出て、アルノーに用意してもらった部屋へと向かう。彼女ももうそれほど若くはない。「やはり疲れには勝てない」などとぼやきつつ、小気味よい靴の音を立てながら廊下をまっすぐに歩いて行った。
アレシャとライラが元通り自由に動けるようになったのは、翌日の夕暮れ時だった。丸一日ほど寝たきりで動くことができなかったので、アレシャは凝り固まった身体をバキバキとほぐしていく。ライラも隣でぐっと大きく伸びをしていた。
「それでは、私は早速仕事に戻らせていただきます。もう二日もお休みをいただいてしまいましたから」
「え、もう?もう少しゆっくりすればいいのに……」
「いえ。サーラ様がお目覚めになられたら、やることが沢山あるでしょうから。今のうちに準備しておきたいのです」
ライラは心からの笑顔でそう言う。サーラのために働けるのが嬉しくてたまらないというようだった。なら、それに水を差すのは野暮であると思ったアレシャは激励の言葉を贈り、ライラと別れた。
一人になったアレシャは、ひとまずヘルマンのお見舞いへ行くことにした。が、ヘルマンの部屋の場所がてんで分からずに廊下で立ち尽くしていると、そこへダリラが通りかかる。
「あら、アレシャちゃん。もう身体は大丈夫のようね」
「はい!おかげさまで!……で、ヘルマンさんのところへ行きたいんですけど迷ってしまって……」
「なら丁度いいわ。私も今から行くところでしたから」
「助かった!それじゃあ、一緒に」
ほっとしたアレシャはダリラについて、とてとてと屋敷を歩いていく。ダリラはこの数日の内に屋敷の構造を把握していたようで、特に迷うことも無く進んでいく。しかし屋敷は広く、ヘルマンの部屋へはすぐには到着しないようだ。なので、アレシャはこの機会にダリラと少し話をしてみたいと思った。
「ダリラさんもお父さんのギルドに所属していたんですよね?」
「ええ、そうよ。アレシャちゃんは小さかったから余り覚えていないのでしょうけどね」
「えっと、それで聞いてみたいんですけど、ダリラさんから見たお父さんってどんな人だったんですか?」
アレシャがそう尋ねた。アレシャは自分の父親がどんな人物かはよく知っているつもりだ。しかし、意外と家族以外の人から父の話を聞いたりする機会がなかった。父親としてではなく、純粋な冒険者としての父親の姿はあまり知らないのだ。だから聞いてみたかった。
アレシャの質問に、ダリラは顎に指をあてながら考える。そして一言、こう答えた。
「“面倒くさい人”かしらね」
「え、そんな感想!?」
アレシャが驚くとダリラは面白そうにクスクスと笑った。
「なんだかその反応もどこかアレクセイに似ている気がするわね。……面倒くさいっていうのは、別に悪い意味じゃ無いわよ?人間面倒なことは極力避けたいと思うものよ。それでも、アレクセイはその面倒なことに自分から首をつっこんでいったわ。私たちはいつもそれに振り回されていたわね。私やランドルフが彼を説得しようとすると、いつも決まってこう言うのですよ。『ここで手を引くなら俺は冒険者を辞めてやる』ってね。そんなこと言われたら私たちも折れるしかないでしょう?」
「えっと、それは何と言うか、ご迷惑をお掛けしまして……」
アレシャが困惑しつつ小さく頭を下げた。ダリラは気にすることはないと、その頭を撫でた。
「確かに振り回されてはいたけど、不思議と嫌ではなかったわね。寧ろ楽しいくらだったわ。彼はどこまでも真っ直ぐな人だったから、私は心から彼を尊敬できた。色んな依頼を受けて、一緒に旅をして。……正直、惹かれるなという方が無理な話だったわ」
「……ん?」
ダリラの口から、思わぬ言葉が飛び出した。惹かれる、というのはつまり、
「え、えっと、その、もしかしてダリラさんはお父さんのことがその、す、す、しゅきだったんですか……?」
「ええ、そうよ。フェオドラに取られてしまった時は、ランドルフやタイタスと一緒に一晩中飲み明かしたものよ」
「あ、ああ、ええ!?」
両親を取り巻く恋愛事情を突然知らされ、アレシャは分かりやすく混乱していた。知れてよかったような、できれば知りたくなかったような、不思議な心持ちであった。が、知ってしまったのならばもっと色々聞いてみたくなるのがアレシャである。
「じゃあ、ダリラさんはお母さんと仲が悪かったりしたこともあったの?」
「いえ。恋敵とはいっても、やはり同じギルドの仲間ですから。今でも良い友人関係を気づいているという自信があるわね。……でも、やはりアレクセイのことは諦めきれていなかったのかもしれないわね」
「……どうしてそう思うんですか?」
その目にどこか憂いをはらんだダリラに、アレシャはそう尋ねてもいいのかと躊躇しながらも、知りたいことを率直に尋ねた。ダリラはその目をしたまま、アレシャの瞳を見つめる。
「アレクセイが死んで、私たちのギルド『ナディエージダ』は解散。私は冒険者を引退して本業だったムセイオンの研究者に戻ったわ。それからよ。私が“魂”の研究に没頭し始めたのは」
『魂の研究……か。なるほどな』
ダレイオスが察したような言葉を口にするが、アレシャもダリラの言いたいことは理解していた。ダリラは魂の研究から、アレクセイを蘇らせる方法を探していたのだろう。それほどに、彼女はアレクセイに恋慕していたのだ。
アレシャはそれを何とも言えない思いで聞いていた。自分の父を恋い慕っていた女性に何と声をかければいいのか分からない。そんなアレシャの微妙な感情は表に出ていたようで、ダリラは困った顔でアレシャの頭を撫でた。
「そんな顔しないの。確かに少し前まではアレクセイにもう一度会いたいと思って研究に打ち込んでいたわ。でも、“死人”の事件のときに成長したあなたに会って、その思いもいつの間にか消えてしまったのよ」
「どうして?」
「あなたがアレクセイにそっくりだからよ。あなたはアレクセイの魂を受け継いでいる。きっと、立派な冒険者になれるわ。今の私は、あなたが元気に楽しく冒険者を続けてくれているのが一番嬉しいのよ」
ダリラは優しい微笑みを浮かべる。その目に憂いは見えない。そこにあるのは、過去ではなく未来を見るような澄んだ光だった。アレシャは自分の頭の上に置かれたダリラの手をきゅっと握る。
「わかった。わたし頑張るよ。もっと頑張る。まだまだだけど、お父さんに負けない、ううん、お父さんよりも凄い冒険者になるよ!えっと、ダリラ……おばさん」
「おばさんは余計よ」
ダリラはアレシャの額を指ではじき、アレシャは「うぅっ」という小さな呻き声を漏らす。しかし言葉とは裏腹に、ダリラはアレシャが“おばさん”と呼んでくれたことが嬉しかった。同じように“おじさん”と呼ばれているランドルフはアレシャととても仲がよいように思える。そんな彼と同じほどにアレシャの近しい存在になれたことが、ダリラは嬉しかったのだ。
「なんで笑ってるの?」
「なんでもないわ。さ、ヘルマン君のところへ行きましょう?もう、すぐそこの部屋よ」
ダリラとアレシャは再び歩き始め、ダリラの言葉に偽りなく、すぐヘルマンの部屋の前に到着した。ダリラがノックしようと手を挙げる。
と、そのとき。二人の背後からドタドタと何かが猛スピードで接近して来ていた。獣でも入り込んできたのか。アレシャはそう思って振り返るとと、その獣は清潔なエプロンドレスを着ていた。
「お、おおおおお、おお、おっお二人とも!サーラ様が、サーラ様が!」
「ライラさん!?サーラさんがどうしたの!?」
「目を覚まされましたあああああああ!」
「何だとおおおおおおおおお!」
最後に聞こえたその絶叫は、アレシャやダリラのものではない。ライラの叫び声に共鳴するようにして部屋の中からも叫び声が聞こえたのだ。そしてその叫び声の主が部屋の扉を吹き飛ばすが如き勢いで開け放った。扉の前に立っていたアレシャとダリラは、当然ドアの直撃を顔面にくらって地面に倒れ悶絶する。しかしそれには目もくれず、部屋から出てきた男、ヘルマンはライラの肩を掴み力一杯揺すった。
「ほんとか!サーラが目覚めたというのはホントか!ホントなのか!」
「ほぉんと、で、ございます!さ、きほど、声を、出され、目をぉお開けに!」
「そうか!ありがとう!」
首がぐわんぐわん揺れる中、何とか報告を終えたライラに一言礼を言うとヘルマンは一目散に駆け出す。しかし、志半ばで蹴躓いて転んだ。そしてそのまま動かなくなった。
よろよろと起き上がったアレシャとダリラは地面に倒れるヘルマンを無言で拾い上げ、落ち着きを取り戻したライラと共にサーラの部屋へと向かった。
投稿誌忘れていました。すいません。なので明日も更新します。




