26 彼女の心の中
「その声……。もしかして、ダレイオスさん!?」
「いや、今そう言っただろう……」
ダレイオスは呆れてため息をつくが、アレシャはダレイオスの周りをうろちょろしながらしげしげと全身を眺めていた。ヘルマンもまたダレイオスの姿を興味深げに見つめる。
「へー!やっぱり全然黒くないんだね!伝承ってやっぱり嘘っぱちだったんだ!信じてはいたけど、今初めて確証が持てた!」
「……それはよかった。どうだ、中々いい男だろう?」
ダレイオスはドヤ顔でそう言うが、アレシャは曖昧な笑顔をみせる。確かに顔立ちは整っているが、中身が割と残念だと知っていたからだ。アレシャはそんなどうでもいいことよりも、なぜダレイオスが自分の身体を取り戻しているのかが気になってしょうがなかった。アレシャはヘルマンにその疑問をぶつけてみる。
「ダレイオスは復活とか言っていたが、別に肉体を取り戻したわけではないぞ。現実世界では肉体という依り代がなければ魂は存在できないが、精神世界では魂だけで独立して存在できる。だから、魂だけのダレイオスもこうして自由を得ているわけだな」
「なるほど。……でも、わたしもヘルマンさんも見た目は現実にいたときと全く同じだね。今、自分が魂だけの存在っていう実感が全然ないね
「ここではそれぞれが最も意識する自身の姿が象られる。装備も愛用のものを身につけているはずだ」
「なるほどなるほど……」
アレシャが納得してポンと手を叩く。ダレイオスも本気で復活したと思っていたわけではなかったようで、ヘルマンの説明にうんうんと頷いていた。
しかしただ一人、話を理解できずにいた。ライラは目の前の全く見覚えの無い鎧の男をぽかんと見つめている。
「……えっと、頭が追いついていないのは私の理解力が乏しいせいなのでしょうか?『魔王』って、ダレイオスって……」
「あ、そっか忘れてた……。うーん、ちょっと説明は省くけど、このおじさんは別に害はないから気にしなくても大丈夫ですよ」
「誰がおじさんだ。私はまだお兄さんだ」
自分の父親でもおかしくはない年齢の男をお兄さんと呼ぶのは無理だとアレシャは思ったが、口には出さなかった。ライラは、ダレイオスのことを害はないと言われてもすぐには信用できなかったが、ヘルマンにも大丈夫だと説得され渋々了解する。
というわけで一行は早速行動を開始することにした。ダレイオスは周囲の景色を見回し、どういう場所か観察していく。
「なんというか、随分と可愛らしい場所だな。それが逆に不気味だが」
「サーラが封印されたのは八歳の頃だ。そんな年端もいかない少女の思考が基にできた世界なんて、こんなものだろう」
「それにしては、なんというか、ひどい空の色だね……」
アレシャが空を見上げると、他の三人もつられて見上げる。自分たちが雲の上に立っているので、雲は一つもない。ただ、その空は清々しい青とは真反対の毒々しい赤色だ。八歳の少女の考える空の色がこんな色だというなら、相当心を病んでいるに違いない。
「恐らくだが、サーラの精神世界に何かが影響を与えているのだろうな。まあ、間違いなく『深淵術式』だろうけどな」
「では、その『深淵術式』はどこにあるのでしょうか」
ライラが尋ねるも、誰も見当すらつかない。となると、今はとにかく探索が必要だ。アレシャが先頭で、もこもこした雲の上をぽふぽふと歩いて行く。ファンシーな雲海はどこまでも広がっていた。雲の下はどのようになっているのかと気になるが、雲は一寸の切れ間もなく、ただだだっ広く広がっていた。
彼らは歩きながら手がかりを探していくが、あるのは可愛らしい動物の形をした雲ばかりだった。それ以外と言えば、お菓子の形をした雲だけだ。手がかりはさっぱりない。ダレイオスは足を止め、ため息をこぼす。
「くそ、こいつは闇雲に歩いていても駄目そうだ。だが、さすがに妙だな」
「ああ、そうだな。もしここがこの景色が続いているだけの世界なら、サーラの頭の中には動物とお菓子と雲しかないってことになる」
「サーラ様の頭の中がそんなわけがありません!」
ライラはぷりぷりと怒るが、皆言われずとも分かっている。何か理由があるのだろう。考えられるとすれば、『深淵術式』による影響というところだろうが、一切手がかりがないのだから考察すらしようがない。
「仕方が無い、強硬手段をとるか。少し離れていろ」
「え、うん。わかった」
ダレイオスの言う通りにアレシャたちはダレイオスから距離をとると、彼は息を吸い込み、拳を高く振り上げる。そして、力一杯地面へ殴りつけた。圧倒的な破壊力を持った一撃は風を生み、雲を吹き飛ばし、地面に風穴を開けた。ダレイオスの拳の持つそのパワーに、アレシャたちは驚嘆する。それは普段アレシャの身を借りて行動しているダレイオスの攻撃とは明らかに桁が違う威力を持っていたからだ。
「ほう、意外と感覚は覚えているものだな。魔力が減っている分衰えてはいるが、中々悪くない」
ダレイオスは自分の腕を叩きながら頷く。やはり彼にとっては元の身体の方が遥かに扱いやすいのだろう。寧ろ、これまで全く違う少女の身体であれだけ動いていたのかと感心する。かつての『魔王』の誇る実力の片鱗を見たアレシャはダレイオスへと駆けより、彼の腕を掴み激しく振る。
「すごいね、ダレイオスさん!見直したよ!」
「そ、そうか?……そうか!すごいか!思えばアレシャも私のことを尊敬していたのは最初だけだったな。でもそうか、すごいか!ふはは——」
「ご機嫌なところ悪いが、強硬手段の結果はどうだったんだ?」
言葉を遮ったヘルマンとライラが二人へ歩み寄ると、ダレイオスは我に返り空いた穴の下を指さした。
「どうやら当たりのようだ。中々ハイセンスな世界が広がってるぞ」
ダレイオスの言葉で三人は穴をのぞき込む。するとそこには空と全く同じ、どろどろとした赤色が広がっていた。見るからに異質。とてもサーラの内面を現しているとは思えない。
「明らかに何かに浸食されているな。この先は危険が伴うかもしれないが……」
「それくらい問題ございません。行く以外の選択肢など元から存在しないのですから」
「え、ちょっと待って!」
アレシャが慌てて制止するも、ライラは微塵も躊躇することなく雲の上から飛び降りてしまった。仕方が無い、と三人も続いて穴へ飛び込む。
風の魔術で落下速度を抑え、彼らは真っ赤に染まった地面へ降り立つ。着地とともにバシャッという音がした。地面には何かの液体が満ちているようだ。先に下りていたライラは地面に立ち周囲を観察しているが、上空の雲が原因で中々に薄暗く何があるかははっきりしない。ライラは下りてきたダレイオスたちに気づくと、足首まであるその液体を手ですくう。
「この地面、何が赤いのかと思ったらこれは……血、ですかね?」
「血……。いや、赤いが血ではないようだな。不気味なことに変わりは無いが」
同じように液体を手ですくったダレイオスがそう言う。アレシャとヘルマンも液体をすくって確かめるが、血の持つ独特の鉄臭さが感じられなかった。だったらこの液体は何なのかということになるが、それは誰も見当がつかない。だが、これからの行動の指針は立つ。
「さっきとは雰囲気が全く違うが、この場所明らかにサーラの元々の精神世界の場所ではないな。ここは間違いなく何かあるぞ」
「そうだね。この液体の原因を探るのがいいんじゃないかと思うんだけど、どうかな?」
アレシャが他三人に提案すると、皆それに同意する。目の前に異質が転がっているのだから、今はそれを手がかりにするべきだろう。ダレイオスは魔力感知を張り周囲の様子を探ってみるが、何故か上手く扱うことができなかった。原因は分からないが、何かが魔力感知を阻害しているようだ。アレシャとヘルマンも同様に試みるが、やはり上手くいかず肩をすくめる。
「なら仕方ないか。とりあえず歩いてみよう。考え込むのはそれからでいい」
「いえ、お待ち下さい。ここは私に」
ライラが小さく手を挙げてヘルマンへ進言した。どうやら何か考えがあるらしい。アルノーが言っていたライラの実力。その一部をここで見ることができるかもしれないとダレイオスは思った。何より他に手立てもないので、断る理由も無い。
「分かった。よろしく頼む」
「かしこまりました」
ライラはヘルマンに一礼すると、瞑目する。そしてゆっくりと右目だけを開いた。アレシャたちは、そのライラの目を見て驚く。彼女の右の眼球は、まるで水晶のようなものに変貌していたからだ。ヘルマンはそれを物珍しげに見つめ、アレシャは何かを思い出そうと考え込む。
「えっと、確か本で……。あ、思い出した!『ナザル』だ!」
「『ナザル』?」
ダレイオスはその言葉を聞いたことがないようで首をかしげた。というわけでアレシャが本から得た知識を披露する。
「『ナザル』は亜人の一種だよ。確か、肉眼では見えないほど遠くのものや小さいもの、速いものを見ることができるんだって」
「……要するに、凄く目の良い人ってことか」
「うん。言い方はアレだけど多分そんな感じ。って言ってて違ってたら恥ずかしいけど……」
アレシャがそう言ってライラの方へ視線を送ると、彼女は頷きを返した。
「アレシャ様の言っていることで間違いありません。私には半分だけ『ナザル』の血が流れています。所謂ハーフというものですね」
ライラが説明を加えると、アレシャは得意げに胸を張る。それを聞いたダレイオスは、その話に納得するところがあった。ライラは幼い頃に特殊だったせいで虐められていたと言っていた。それは彼女が亜人由来の人と違う力を持っていたからということなのだろう。とは言うが、ライラはその力を意識して使わなければ、人間と何一つ変わらない。外見が人間とは違っている亜人であるが故に迫害されたしまったアステリオスの種族とは違う。そんなライラが虐められる理由が、アレシャにはてんで思い当たらなかった。アレシャは少しばかり機嫌が悪くなる。
ライラはその間も目を使って遠くを観察していたが、その目がある一点で止まった。
「周囲には何かの建造物が幾つもございますが、この方向の先に何か他と少し違うものが。さすがに光が乏しいので何かの判別はつきませんが……」
「いや、手がかりとしては十分だ。そっちへ行ってみよう」
ダレイオスの言葉に三人は頷き、ザブザブと音を立てながら歩き始める。アレシャが魔術で明かりを灯し、周囲を観察しながら進むが、周囲に立つ建造物らにヘルマンは見覚えがあった。
「ここにあるもの……。サーラの記憶にあるはずの場所ばかりだ。これはサーラが通い詰めていた図書館。こっちはヴォルムスにある別宅に美術館だな。あれは、ベータ王国に観光に行ったときに見た博物館だ」
「……でも、なんか凄い荒れ果ててるというか、朽ち果ててるというか……」
アレシャはそう呟きながら、それらの建物を眺めていた。彼女の言う通り、どの思い出の場所も見事なまでに荒廃しきっていた。サーラにとっての思い出さえも、何者かによって踏み荒らされていた。ヘルマンは憎々しげにその荒廃した風景を見つめる。
「そんな顔をするな。サーラが目覚めたら、この精神世界もきっと元に戻るさ」
「……ああ、そうだな。今は急ぐとしよう」
ダレイオスに励まされ、ヘルマンは再び前方へ視線を戻す。アレシャが照らす明かりを頼りにライラは目を活かして周囲を探りつつ、朽ち果てた建物を横目に真っ直ぐ進んでいく。
そして足元の液体に足を取られつつ歩くこと一時間ほど。ライラが小さく声を上げた。
「ああ、見つけました。私が先ほど目にしたのはアレに間違いございません。……ですが、これは……」
ライラは眉をひそめる。一体何を見つけたのか気になるが、そう思うまでもなく、答えはすぐに分かった。
彼らの目の前に現れたのは巨大な門。しかしそれはこれまで見た建物とは違い朽ちているということもなく、とても綺麗な状態でそこに存在していた。そして四人とも、その門には見覚えがある。それは紛れもない、数日前にくぐったダミアンの屋敷の門だ。そしてその門の奥には先ほどまでいた屋敷と庭園がまるごとそのまま広がっていた。それらにも門と同じように、全く荒廃した様子はない。しかし、明らかに異様な点がある。それは、屋敷の窓や庭園の噴水から赤い液体が止めどなく溢れ出していることだ。ダレイオスは確かめるようにその門へと触れる。
「これは、かなりの魔力を感じるな」
「ああ。どうやら、サーラの精神世界の核がこの場所のようだ。……サーラにとっては、どの思い出よりも我が家が一番ということなのだろうな」
ヘルマンはどこか悲しげに小さく笑みをこぼす。そして、その目に強い使命を燃やした。今こそ、最愛の妹を救うときだ。




