25 精神世界
ヘルマンの書いた手紙についてのレスポンスがあるまで早くても数日はかかる。それまでの間、アレシャとヘルマンは屋敷で過ごしていた。ダミアンの見舞いをしたり、アルノーの剣術訓練に付き合ったり、リーンハルトの勉強に付き合ったり色々だ。
アルノーとの稽古にはダレイオスが付き合ったが、アルノーの剣術の腕は名のある剣士と比べても遜色ないものに感じたとダレイオスは感心したように語っていた。
アレシャは大浴場での一件以来、なんとなく仲良くなったライラの手伝いをしていた。ライラは当然それを断ったが、「サーラのためにできることがあるならやりたい」とアレシャが言うと、その優しさを有り難く受け取ってくれた。
しかしそうやって過ごしていても気持ちは中々落ち着かない。彼らは日々をそわそわしながら過ごしていた。ただ、その時が来るのを待ち続けていた。
そしてヘルマンが手紙を出してから五日後、ついに待望の時が訪れる。全員で昼食をとり終え、その余韻に浸っている頃、慌てた様子のライラが部屋の扉を開け放った。それに対してアルフレッドが注意の言葉をかける。
「ライラさん。もう少しお静かに」
「も、申し訳ございません。ですが、ヘルマン様へ急ぎのお手紙です。差出人は、『魔導研究所ムセイオン』と……」
「来たか!」
ヘルマンが立ち上がりライラから手紙を受け取ると、封筒を乱暴に破り開けた。慌てた様子で文章に目を通していく彼の表情は明るい。どうやら、求めていた回答がそこには書かれていたようだ。しかし最後まで読み終えると、彼の顔が驚きに変わった。
「どうしたの、ヘルマンさん。何が書いてあったの?」
「協力を取り付けるのには成功した。……が、『この手紙が着く頃に到着いたします』と……」
ヘルマンがそう呟いたそのとき、窓の外に見える中庭。そこに突風が巻き起こった。その場にいた全員が外の光景に視線を奪われている中、巨大な影が上空からゆっくりと下りてきた。それはアレシャもヘルマンも見覚えがあるものだった。純白の鱗に凜々しい飛び姿の美しいドラゴン。アレシャの母の召喚獣、スヴェートである。当然アレシャはそれに大変驚く。そしてそのドラゴンの背に母が乗っているのではないかと思ったが、そこに跨がっていたのもまた、意外な人物であった。
「ヘルマン君、到着しましたよ。さあ、妹さんのところへ案内してくれますか?」
「え、だ、ダリラさん!?」
スヴェートの背から飛び降りたのは、頭に被っているつば広の帽子も緑。着ているローブも緑。全身緑の女性だった。彼女の名はダリラ。現ムセイオン戦術魔術塔所長であり、ヘルマンの元直属の上司だ。そして、アレシャの両親の旧友でもある。ヘルマンが協力を取り付けた人物とは彼女のことなのだろう。
アレシャたちは慌てて中庭へと飛び出し、ダリラを出迎える。
「ヘルマン君、お久しぶり。元気にしていたかしら?」
「ほどほどに元気ですが、まさかドラゴンに乗ってくるとは……」
「大至急と手紙に書いてありましたから、フェオドラからスヴェートを借りて飛んできたんですよ」
ダリラがそう言うと、スヴェートは得意げに鳴いた。アレシャはスヴェートに駆けより、その頭をよしよしと撫でる。アルノーたちは未だ正確に状況が飲み込めていなかったが、彼らの姿に気づいたダリラが帽子をとって一礼する。
「お初にお目にかかります。私、ムセイオン戦術魔術塔所長を務めております、ダリラと申します。今回はサーラさんの件で助力させていただきに参りましたわ」
「なんと、所長殿が……!私、ヘルマンの兄のアルノーと申します。こっちは三男のリーンハルトです」
アルノーに紹介され、リーンハルトが頭を下げる。どんどん勝手に進んでいく状況にヘルマンは置いて行かれそうになっていたが、かぶりを振って気を取り直すとダリラへ本題を伝えることにする。
「とにかく、来ていただいて感謝します。早速今からおねがいできますか?」
「勿論。他でもないヘルマン君の頼みですから。また今度お礼して貰えればそれでかまいませんよ」
ヘルマンの身体が硬直し、鳥肌が走る。だが、ヘルマンは自分の両頬を叩いてそれを吹き飛ばしダリラを屋敷へ招き入れる。アレシャはスヴェートに「ありがとう」とお礼を言ってもう一度頭を撫でた。スヴェートは甘えるように喉を鳴らしながらアレシャに顔をこすりつけると、再び大空へ飛び立っていった。それを無事に見送ってから、アレシャはヘルマンたちの後を追って屋敷の中へ入る。
ヘルマンは真っ直ぐにサーラの部屋へ向かい、ダリラを中へ案内した。ヘルマンがサーラの寝ているベッドを示し、ダリラはサーラの顔をのぞき込む。すると、彼女は眉間にしわをよせ難しい顔になった。
「ヘルマン君の手紙で大体は把握していましたが、確かにこれは面倒なことになっていますね。とにかく一度調べてみましょう」
アレシャとヘルマンら兄弟、そしてライラが見守る中、ダリラは手に魔法陣を展開してサーラにかざす。するとサーラの身体から小さな光の粒子が散らばり、ダリラの魔法陣へ集まっていった。その一つ一つを読み解こうとするようにダリラは瞑目し、その手に意識を集中させていく。少ししてから魔法陣を解くと、ダリラは立ち上がってヘルマンたちへ向き直った。
「ヘルマン君の分析に間違いはなさそうです。通常の手段では手を出すことはできません。ですが、私がいればそれも問題ありませんわ」
「さすが魂のエキスパートですね。詳しい説明をお願いできますか?」
ダリラはヘルマンに了解の言葉を返し、自身の考えを述べ始める。
「まず魂というものについてお話ししましょうか。魂は生物の本質とも言えるものでが、それは物質でない、どちらかと言えば概念的な存在です。ですから、魂単体ではこの世に存在することはできない。なので、肉体などの依り代が不可欠なのです」
「つまり、肉体とは完全に別に存在しているものということか。ふむ」
アルノーは腕を組み頷く。リーンハルトはその話がとても興味深いようで熱心にメモを取っていた。しかし、アレシャはそこで一つ疑問を呈する。
「それは分かったんですけど、肝心の魂への干渉はどうやるんですか?概念、なんて接触しようが無いと思うんですけど……」
「そう、話の核はそこよ。サーラさんに手を出した人物は恐らく、『精神世界』を利用したのでしょう」
ダリラの言葉から聞き慣れない言葉が飛び出した。皆一様に首をかしげる。ただヘルマンはそれが何を差すのか知っていたようで、納得したように頷いていた。それは一体何なのかとアレシャが説明を求めると、ヘルマンが代わりに話し始めた。
「人間は常に何かを思い考え生きている。誰もが心の内に持つ心象風景。それが精神世界だ。言わば心の世界というところか。そして、魂とは概念だ。人間の思考によって生み出された精神世界もまた、概念と言えるもの。故に、精神世界からならば魂に接触することもできるというわけだ」
ヘルマンは少しばかり得意げにそう語る。しかし、その場にいた殆どがその話を理解できていなかった。心象風景が一つの世界になる、なんて荒唐無稽な話を簡単に受け入れることなどできやしない。理解できたのはダレイオスだけだった。
『アレシャ、こう考えてみろ。お前が肉を食べたいと思ったとき、お前の頭の中にはどんな光景が浮かんでいる?』
「そりゃ、わたしが肉を食べている時の光景じゃないの?」
『そうだろう。精神世界というのはそれの規模を大きくしたものだ。例えばアレシャの思考の基となる信条、好み。無意識の内にある感情。そして自分を形作る記憶や思い出。そんなものが全部組み合わさってできたお前の根底にある世界。それが精神世界というわけだ』
「うーん……。分かったような分からなかったような……」
アレシャはなおも首をかしげるが、分かったことが一つだけ。アレシャはそこへ行く手段を持ち合わせていないということだ。もっとも、ダリラはそんなことは百も承知。彼女は自分を指し示し、サーラを救うための方策への話へと入る。
「私の術ならば、人間の魂を精神世界へ送ることができます。サーラさんを狙った人物は、きっとそのサーラさんの精神世界の中で『深淵術式』を発動したのでしょう。ですから、同じように精神世界へ侵入し、そこにある『深淵術式』の発動を止めるのです」
「それしか方法はないでしょうね」
『ほう、なるほどな。面白そうだ』
ヘルマンとダレイオスはダリラの策にそれぞれの感想をこぼしていたが、未だ精神世界のイメージが自分の中で確率されていない他の四人は、相変わらず唸っていた。ダリラもヘルマンもこれ以上どう説明したものかと悩むが、結局説明する必要もないと結論づけた。
「余計なことは抜きにして、体験してもらうのが一番早いな」
「え、いきなり?大丈夫?」
「特に気負う必要はないわ。精神世界といっても、結局は現実で見聞きしたことを基にした思考によって作られた世界。行動する上で現実と大きな差異はありませんよ」
そうは言うものの得体の知れないものに飛び込むのは中々に勇気がいる話だ。だが時間は余りかけたくない。アルフレッドによると、ダミアンの体調は日に日に悪化していっているそうだ。サーラに会わせることが間に合わなくなってしまってはマズい。それに、今のアレシャには自信を持てるだけの実力がある。余計な逡巡は必要ない。むしろギルドの団長として引っ張っていかなければ。アレシャは決断した。
「分かった。行こう、今すぐ。わたしとヘルマンさんが、その精神世界に入るってことでいいんだよね」
「そうだな。それじゃあ善は急げだ。早速——」
「お待ち下さい」
ダリラに準備を頼もうとしたヘルマンを制止する声。声を発したのはライラだった。これまで発言していなかった彼女が、突然どうしたのだろうかとアレシャが疑問に思っていると、ライラはアレシャの側まで歩み寄り、バッと頭を下げた。
「我が儘は承知でお願いいたします。どうか、私も連れて行って下さい!」
「え、ええ!?」
突然の頼みにアレシャは困惑する。困惑はするが、答えは当然、
「だ、駄目ですよ!何があるかも分からないんですから、連れて行けないです!」
「いえ、これでも腕には覚えがございます。足を引っ張るなんて事は絶対にないとお約束します。ですからサーラ様をお助けするために、私もお手伝いさせて頂きたいのです!どうか、お願いいたします!」
ライラは更に深々と頭を下げた。彼女の意志は固いようだ。説得するというのは難しそうだった。ライラはずっとサーラを崇拝して真摯に仕えてきた。アレシャもその思いは尊重したいところである。ただ、危険な目に遭わせるわけには絶対にいかなかった。どうしたものかと悩むアレシャだったが、そこでライラへ救いの手を差し伸べたのはアルノーとリーンハルトだった。
「アレシャさん、連れて行ってやってください。ライラが腕に覚えがあるというのは本当だ。単純な強さで言えば、私と同じくらいだろうか。寧ろ役に立つと思うが。なあ?」
「はい!ライラは我が家の自慢のメイドですから!」
二人の言葉にダレイオスは驚く。手合わせをした結果、アルノーはBランク冒険者程度の実力は十分にあると感じた。それと同じくらいの強さというのだから驚くのも当然である。言われてみれば、ライラから漂う魔力は中々のものだとダレイオスは気づく。恐らく優秀な魔術師か何かなのだろうとダレイオスは推測しつつ、悩むアレシャに助言する。
『アレシャ、どうせライラは折れやしない。仕えているアルノーたちが止めれば話は別だが、あの二人も連れて行くことを勧めている。ここはもう同行を許すべきじゃないか?』
「……まあ、そうだよね。アルノーさんが嘘言っているようにも見えないし。じゃあ、ライラさん。お願いできるかな?」
アレシャがそう問いかければ、ライラは表情を輝かせ、何度も頭を下げながら感謝の言葉を述べた。精神世界へ行くメンバーが固まり、これでようやく始めることができる。アレシャはダリラへぺこりと頭を下げた。
「じゃあ、よろしくお願いします」
「了解したわ。三人とも、私の前に集まって」
言われた通り、ベッドの横に立つダリラの前へ三人が並ぶと、彼女は懐から一枚の紙を取り出しヘルマンへ手渡した。
「この紙に魔力をこめれば、精神世界の中から私へ信号を送ることが出来るわ。帰るときはこれを使って下さい」
「了解しました」
ヘルマンがそれをポケットへしまい入れてから、ダリラは右手にぼんやりと明滅する魔法陣を展開した。そして、アレシャ、ヘルマン、ライラの頭に次々と手を置いていく。すると彼らの頭上にもまた魔法陣が展開した。そしてダリラは次にサーラの額へ右手を伸ばす。
「さあ、行きます。準備はできて?」
「勿論!」
アレシャが力強く頷き、他二人も同じように頷いた。ダリラはそれに笑みを浮かべると、右手の魔法陣に意識を集中していく。すると、弱々しい光を放っていた魔法陣が閃光を発した。アルノーとリーンハルトは思わず目をそばめると、ドサッという何かが落ちる音がした。何の音かと思ったアルノーが視線を向けると、そこには地面に倒れるアレシャたち三人の身体があった。魂が抜け、身体が自立出来なくなったのだ。彼らの魂は、サーラの精神世界へと旅立った。
アレシャが目を覚まして最初に目にしたのは、真っ赤な空だった。それは明るさを感じさせない赤。血の赤に見えた。むくりと身体を起こすと、目に入った周囲の景色にぎょっとする。彼女が倒れていたそこは、ふわふわもこもことした雲の上だったからだ。ところどころにウサギや犬を模した、可愛らしい色つきの雲なんかも浮かんでいる。しかし、空の色はただただ不気味な赤色だった。
何か噛み合っていない違和感を不快に思ったアレシャは、とりあえず一緒に精神世界へ入ってきたはずのヘルマンとライラを探す。その二人はすぐに見つかった。アレシャからほど近い場所に二人とも同じように倒れていた。アレシャが声をかけると、ゆっくりと起き上がる。
「アレシャか。……ここが、サーラの精神世界か。だが、なんだこれは……」
「何と申しましょうか、ひどい違和感を感じます」
「そうだな。私の思っていた精神世界というものとは中々かけ離れているな」
「そうだね。……うん?」
アレシャはいつものように、その知った声へ返事を返す。しかし、それはいつもと違って自分の内から聞こえてくる声では無かった。間違いなく外部から、もっと言えば自分の背後からそれは聞こえていた。
アレシャがくるりと振り向くと、そこには鎧を着た一人の男が立っていた。後ろへ撫でつけた髪に、然程手入れされていない髭。しかし歴戦の戦士を思わせる鋭い眼光は、その男が紛れもない強者であることを物語っていた。口をあんぐりと開けたアレシャに、その男は腕を組んでふんぞり返る。
「ふははははは!待たせたな!『魔王』ダレイオス、ここに復活せしめり!」




