22 お帰り
ヘルマンの実家はギルド事務所と同じラインデルク帝国内にある。ラインデルク帝国の領土は然程広くないため、そこまでの旅は長いものにはならなかった。アレシャ、ヘルマン、アルフレッドの三人は早朝に事務所を発ち、転移魔法陣を使って移動する。
ヘルマンの実家が治めているのは郊外の領地だ。耕地が広がるのどかな道を彼らはゆったりと歩く。ヘルマンの父の事を思うと心中穏やかではなかったが、その風景は彼らの心に僅かな安らぎとゆとりを与えてくれた。
「ここの風景も変わらないんだな。まあ、十年ではそこまで変わらないか」
「坊ちゃまは随分と変わられましたよ。この立派なお姿を見られれば、旦那様もきっとお喜びになるでしょう」
「だったらいいんだがな」
ヘルマンは少し不安そうな顔をしていた。妹のためとはいえ、彼は身勝手に家を飛び出し十年も戻らなかったのだ。家族が自分の事をすんなりと受け入れてくれるかどうか分からない。彼はそれが心配だった。
「大丈夫ですよ、坊ちゃま。旦那様も、アルノー様も、リーン坊ちゃまも、再開をお喜びになるはずでございます」
「……そうか、ならいいんだ。……それより、坊ちゃま呼びは止めて貰えないか?俺ももういい年だ」
「おっと、申し訳ございませぬ。それでは、ヘルマン様とお呼びすることにいたしましょう」
アルフレッドは、ほっほっほと嬉しそうに笑った。ヘルマンも肩をすくめながら小さく笑う。互いに再会を喜び、久方ぶりにこうして会話するのがとても楽しかった。少し後方を歩くアレシャはそれを微笑ましく見守っていると、前方に焦げ茶色の屋根が小さく目に入った。
「あ、もしかしてアレ?」
「左様でございます。あれが、私がお仕えしているダミアン様のお屋敷でございますよ」
「……懐かしいな。ここも、十年前と変わらない」
ヘルマンが感慨深げに呟いた。遠景では屋敷がどのようなものなのか良く分からなかったが、近づくにつれてその輪郭が確かなものになっていく。そしてアレシャはその全貌を見て驚愕に目を見開いた。
「おおおお!で、でかっ!でっかっ!これがヘルマンさんの実家ってわけ!?」
「だからそうだと言ってるだろう」
アレシャは口を開けてその屋敷を見上げる。自分たちのギルド事務所も中々立派だと思っていたが、それよりも二段階くらいスケールが大きかった。とりあえず屋敷を表す正確な形容詞を選ぶなら、デカい、である。ダレイオスは『私の王宮にくらべれば芥子粒みたいなものだな!』などと中々腹の立つ自慢をし始めていたので、アレシャは無視した。
アルフレッドが鍵を取り出し、門を開けると敷地内へと招き入れる。
「さあ、中へ。皆様首を長くして待っておいでですよ」
「あ、ああ。分かった」
「お、お邪魔しまーす」
三人は綺麗に刈り込まれた植え込みが印象的な庭園。その中央にある大きな噴水から噴出する水が太陽の光を受けてて光をまき散らしている中を歩く。すると、庭木を苅っていた初老の庭師が彼らに気づいた。そして今にも叫び出しそうな表情を浮かべる。
「ア、アルフレッドさん!も、もしかしてそちらの男性は……」
「ええ。他でもないヘルマンぼっちゃ——失礼。ヘルマン様ですよ。まずは旦那様の元へ向かうので、また後ほど」
ヘルマンはその庭師に会釈すると、庭師は帽子をとり深々と頭を下げて〜らを見送った。
「今の人も知り合い?」
「俺が子どもの頃からウチで働いてくれている方だ。……そうか、あの人にも心配をかけたんだな……」
「……後悔してたりする?」
アレシャがヘルマンに尋ねると、ヘルマンはきょとんとした顔でアレシャを見る。
「後悔って、家を出たことか?まさか。この十年で得た経験は、家を出なければ絶対に得られなかったものばかりだ。ここ最近は特にな」
「そっか、ならいいんだ」
そして二人は立ち止まる。屋敷の正面の大扉、その目の前に立っていた。緊張からか、ヘルマンが唾を飲み込む音がする。アルフレッドは扉に手をかけると、ゆっくりと開いた。入ったそこは高い天井のホールであった。ぱっと見たアレシャの第一印象は「ドアが多い」である。そのホールには人の姿は無く、掃除をしている若い女性が一人いるだけだった。黒髪を肩口で切りそろえ、黒いロングスカートのエプロンドレスを着ているその姿は、まごう事なきメイドである。彼女は入ってきたアルフレッドの姿に気づき、頭を下げた。
「お帰りなさいませ、アルフレッドさん。随分とお早いお戻りでしたね」
「ええ、ライラさん。中々に予想外のことがありましてね。アルノー様にお話があるのですが、お部屋におられるのでしょうか?」
「今は中庭で剣術の鍛錬を詰んでおられます。……それで、そちらのお二方はお客様でしょうか?」
ライラと呼ばれたメイドはアレシャとヘルマンへ視線を移す。二十歳そこからに見えるメイドはヘルマンのことを知らないようだ。ヘルマンが出て行ってから雇われたメイドなのだろう。
「ええ。後ほどご紹介があると思いますので、ライラさんはそのままお仕事を続けてください」
「了解しました」
もう一度頭を下げると、ライラは清掃作業へと戻っていった。彼らはアルフレッドの案内の元、アルノーという人物がいるという中庭へ向かう。
「アルノー様はヘルマン様の兄上にあたる方です。次期当主として、日々ご自身を磨くことに精を出しておられます」
「へえー。さっき剣術って言ってたもんね」
「俺が病弱だった分、兄上は立派な当主になるために色々なことに取り組んでいた。俺にとって自慢の兄だ」
ヘルマンがそう言って笑顔を見せる。兄弟仲は中々に良好なようだ。こういった名家では家族の仲が悪くてギスギスしているとアレシャは思っていたので意外にそうな表情を見せた。偏見である。アレシャの表情から何を考えているのか察したヘルマンはため息をつき、アルフレッドも苦笑いを浮かべた。そして彼は一つの扉を開く。
「さあ、こちらが中庭です。アルノー様は……あちらにおられますね」
陽光が降り注ぐ明るい庭園。そこに立つ一本の大きな木の側に一人の男性がいた。金混じりのブロンドの長髪を後ろで束ね、逞しい腕で一振りの剣を握っている。木にはロープが括り付けられ、それには丸太がぶら下げられていた。男は剣を手に、振り子のように迫る丸太を剣で華麗に受け流していた。驚きなのは、彼がそれを目隠しして行っていることだ。男はそこから剣を上段に構える。正面から丸太が迫る。それに合わせ男が剣を振り下ろすと丸太は綺麗に真っ二つになり、彼の背後にガランと転がった。そこにアルフレッドが拍手をしながら近づいていく。
「お見事です、アルノー様」
「ん、その声はアルフレッドか。……本当は父上のお側にいるべきなのかもしれないが、こうでもしていないと気が紛れなくてな。ところで、お前はヘルマンを探しにいったはずだが、どうしてここに……」
アルノーはそこで剣を収め、目隠しを解きつつアルフレッドの方へ振り返る。そしてアルフレッドの後ろにいる二人の人物が目に入った。一人は見覚えのない可愛らしい少女。そしてもう一人はどこか見覚えのある男。というか、
「へ、へ、へ、ヘルマン、か?ほどほどに似た別人だとか、そういうわけではない、のか?」
「アルノー様。正真正銘、ヘルマン様でございますよ」
「あ、兄上。ご無沙汰しておりました。ヘルマンです」
ヘルマンは静かに頭を下げた。アルノーはゆっくりと弟へ歩み寄る。そしてヘルマンの身体をぎゅっと抱きしめた。いや、がっしりと抱きしめた。いや、メリメリと抱きしめた。というか、メリメリという音がしていた。
「あ、ああ兄上!いぃぃい痛いです!し、絞まって!絞まってうぇ!」
「なんだ、兄上って!昔は兄様って呼んでいたというのに!ほら、兄様と呼んでくれ!」
「兄様ああああああああ!」
そんな絶叫で満足したのかアルノーはヘルマンを離し、ヘルマンはその場に崩れ落ちた。ゲホゲホと咽せてからヘルマンはヨロヨロと立ち上がり、兄へ正対する。
「改めまして、お久しぶりです、兄上。大変、ご心配をおかけしました」
「ああ、詳しい話は後で聞かせて貰うが、無事で何よりだ。……それで、アルフレッドから話は聞いているんだよな?」
「……はい」
「分かった、ついてきてくれ」
アルノーは汗を拭うと、三人を連れて屋敷内へ入る。その間、アルノーへ簡単にヘルマンの現在についての話をした。彼も『魔導姫』のアレシャの名は聞いたことがあるようで、それが目の前の少女であると知り驚いていた。何よりも驚いていたのは、ヘルマンが冒険者をやっているということについてだったが。
「あの、ヘルマンさんってそんなに身体が弱かったんですか?アルフレッドさんも、冒険者になるなんて全く思わなかったという話をされていたので」
「そうだな。確かに身体は強くはなかったが、それよりも性格の問題だな。こいつは幼い頃は優しくて温厚な性格でな。外で遊ぶよりも、ずっと家で本を読んでいる方が好きな子だったよ。だから、こんなに逞しくなって帰ってきたのを見たときは正直とても驚いたよ。背も私とそんなに変わらないしな」
アルノーはヘルマンの肩をぽんと叩き、ヘルマンは微笑む。アルフレッドはまたしてもハンカチで涙を拭っていた。濡れて変色していたそのハンカチはもはや絞れるんじゃないかとダレイオスは思った。
「そういえば、リーンハルトは元気ですか?あいつももう十八ですか」
「今は書庫に籠もって勉強に励んでいるよ。十年前のお前そっくりだ。後で挨拶させよう」
「はい。会うのが楽しみです」
リーンハルトというのは三男、ヘルマンの弟だとアルフレッドがアレシャへ補足する。アレシャはなるほどと思うも、目の前を歩く兄弟二人が妹の話をしていないことに気づいた。あえて話題を避けているのだろうと察しアレシャも問うことはなかったが、やはり回復したということはないようだ。
そのような話をしている内に、四人は大きな扉の前に到着した。ここが、ヘルマンの父親の部屋なのだろう。アルノーがノックをする。
「アルノーです。よろしいでしょうか」
それに対する返答はなかったが、内側から扉が開けられた。開けたのは中にいた中年の使用人だった。彼は深々と頭を下げると、彼らを中へ招き入れる。
ヘルマンはゆっくりと部屋の中へ足を踏み入れる。落ち着いた調度品で飾られた広い部屋の奥に大きなベッドが置いてあった。そこに横たわるのは一人の老いた男性だ。髪は半分ほどが白く染まり、顔色は青白く頬はやせこけていた。彼がヘルマンの父親、ダミアンだ。その痛ましい姿を見てヘルマンはぐっと口を結ぶ。アルノーはついていた使用人に後は任せてくれと言うと、ベッドの隣の椅子に腰掛ける。
「父上、具合はいかがですか?」
「ん、アルノーか。……すまん、少し呆けておった。剣の鍛錬は終わったのか?」
「はい。それよりも今日は父上に会わせたい人がいるのです」
「お客人か、こんな格好で不躾だが……アルノー、身体を起こしてくれ」
「はい」
アルノーはダミアンの肩を支えるように抱えてゆっくりと起き上がらせ、クッションで背もたれを作る。ダミアンは礼を言ってそれにもたれかかった。
「それでお客人は、どちらかな」
「……俺です」
ダミアンはその声の方へ顔を向ける。そして、柔和な笑みを浮かべた。
「なんだ、もう帰ってきたのか。……お帰り、待っておったぞ」
「……!?ち、父上、驚かれないのですか?お怒りにも……」
予想外の反応にヘルマンは驚きを見せる。ダミアンはまるでヘルマンが帰ってくることが分かっていたかのような口ぶりであった。ダミアンは当然だと言わんばかりにそれに答える。
「お前は何も言わなかったが、どうせサーラのために飛び出していったのだろう?お前は優しい子だったからな。だから必ず帰ってくると思っておったよ。こんなみすぼらしい姿でなく、明るい気持ちで向かえてやりたかったのだが、すまんな」
「いえ、寧ろ俺が謝らねばならないというのに……。本当に申し訳ありません。父上には本当にご迷惑を……」
「いいのだ。立派になったお前をこの目で見れたのが何よりの喜びだ。……もう少し近くで顔を見せてくれ」
ヘルマンはベッドの横に膝をつき、ダミアンの手を握る。ヘルマンにとっての父親の手は大きく、包み込むような力強さがあるものだった。しかしその手は今や骨と皮だけになり、ほとんど力も入っていないようだった。ヘルマンは両手でその小さな手をぎゅっと握りしめる。
「なんだ、お前の手は冷たいな。これでは暖まらんではないか」
「手が冷たい人間は心が温かいって言うんですよ」
「ほう、そうなのか。なら、その話も本当かもしれんな。お前は優しい子だからな」
ダミアンはそう言ってヘルマンの頭を撫でる。隣に座っているアルノーも、その光景に昔を懐かしむような笑みを浮かべていた。
アレシャとアルフレッドは少し離れたところから、その家族の団欒を見守る。アルフレッドはまたもハンカチで涙を拭い、仕舞いには鼻までかんでいた。アレシャは、そのハンカチはもう捨てたほうがいいのではないかと思った。




