10 七色の魔物
凄まじい威圧感を持つ咆哮はそれだけで森の木々をなぎ倒す。遠くでそれを聞いただけのアレシャとペトラも怯んでしまうほどだった。
ただ一人、ダレイオスだけが冷静だった。
『アレシャ、代われ』
「え、うん。わかったけど……さっきのって何なの?」
アレシャが尋ねると、ダレイオスは極めて真剣な声音で答える。
『私の千九百年前の記憶が正しければ、これは中々マズい状況だ。悪いが、お前の体を危険に晒すことになるかもしれん』
「そ、それって逃げるっていう選択肢はないの……?」
『この前の大蛇と同じだ。私以外が対処するのは難しいだろう』
また危険な戦いに行かなければならない。アレシャは少なからず動揺する。
だからダレイオスに問う。
「今回も、街のため?人に危害が及ぶから?」
『そうだ。私は強い。強き者には弱き者を守る責務がある。私はやらねばならないのだ』
ダレイオスは即答した。その返しを聞いたアレシャは、少し驚いたような顔をみせる。その言葉に何か思うところがあったのだろうか。アレシャはゆっくりと頷いた。
「わかった。いいよ。ダレイオスさんならきっと大丈夫だし。むしろダレイオスさんになんとかできないなら人類的に相当ヤバい気がするし。でもわたし全くもって死にたくないから、そこんとこよろしくね!」
『ああ、もちろんだ。私も死にたくないからな』
その言葉とともにダレイオスが表へ出てくる。これまでの過ごしてきた中で、アレシャとダレイオスの間には確かな信頼関係が生まれつつあるようだった。
まだ少し気が抜けていたペトラにダレイオスが声をかける。
「ペトラ、大丈夫か?」
「うん、ちょっとびっくりしただけ。なんか男臭い方のアレシャはこういうときだと頼もしく感じるわね。あの声は東から聞こえたみたいだけど、拠点とは逆方向で助かったわ。さ、早く戻りましょ」
しかし、ダレイオスは首を横に振る。
「入り口は開けておくからペトラは洞穴へ戻っていてくれ。あれは私がなんとかする」
「え、は?ちょっと何言ってるのよ!あれはあの熊なんかとは明らかにレベルが違うわよ!きっと討伐隊とかが組まれるでしょうし、そっちに任せましょうよ!」
「ええ。ぜひそうしてもらいたいわね」
二人の会話に突然割り込んできたのは深紅の髪の女性だった。
突然現れた人物にペトラとアレシャは驚く。ダレイオスは監視されていたことに気づいていたようだが。
女性はその反応を気にせずそのまま話を続ける。
「本当は私たち試験官は受験者たちに接触しちゃいけないんだけど、非常事態のときはたぶん例外でしょ。私はヴェロニカ。一応Aランクの冒険者をやっているわ」
『Aランク……『魔劇』のヴェロニカ!今話題の冒険者だ!本物だ!』
「ほう……。で、何か用だろうか。私はあの咆哮の主に用があるのだが」
「悪いけどその用事はまたにしてもらうわ。あなた達は将来有望な冒険者の卵なの。こんなところで死なれたら困るのよ。私個人としてもね」
ヴェロニカがそう説得するが、ダレイオスは納得していない。腕を組み不機嫌そうにヴェロニカへ言い放つ。
「悪いが、お前にあれをどうにかできるとは思えない。仮にどうにかできるのだとしても、私という戦力があるに超したことはない。お前の提案には乗れんな」
「そうは言うけどね……」
ダレイオスの言葉に反対しようとしたヴェロニカだったが、そこで腕を組み何やら考え始める。
「いえ、そうね。……いいわ。一緒に行きましょう」
「そうしてくれ」
以外にもヴェロニカはダレイオスの主張を許可した。
この少女の自信は相当なものだ。なにかこの咆哮の主に勝てる確証を持っているのだろう。ヴェロニカはそう考えたのだ。そして、この少女の操る魔術を実践の中で見ることができるという打算もあった。むしろ、そっちがメインですらあった。
二人がそろってペトラへ背を向けると、その背をペトラが引き留める。
「えええ!ちょっと、ヴェロニカさん!止めてくれるんじゃないんですか!?アレシャも、死んじゃうかもしれないわよ!」
「大丈夫だ、問題ない。私は死んだりしない」
「らしいわよ。じゃ、問題ないわね。早く行きましょう」
「問題あるわよ!洞穴の入り口開けてくれてないって!」
ペトラがかなり重要なことを叫ぶが、既に方向が聞こえた東へと駆けだしてしまっていた二人にその声は届かず、ペトラはただ森の中でたたずむしかなかった。
森を駆け抜けながら、ヴェロニカは他の試験官に通信で応援を頼んでいた。試験官たちを一度集合させ、準備ができ次第合流するそうだ。それはつまり、応援がくるまでは二人だけで対処しなければならないということだ。
ヴェロニカは一抹の不安を抱えつつも周りを警戒しながら走る。しかし、彼女の横を駆ける少女は真っ直ぐに前だけを見ていた。その表情には一切の迷いも不安も無い。ヴェロニカはその姿にまるで歴戦の猛者を見ているかのような感覚を覚える。すると、不思議と心が落ち着いてくのを感じた。
東に向かいはじめてから数分。ついにそれは現れた。
さきほどと同じ、激流のような咆哮が二人の右方向から轟く。咄嗟に回避すると、一瞬遅れて木々をなぎ倒すほどの衝撃波が飛んできた。木が吹き飛んだことで出来上がった道の先から一つの巨大な影が二人へ向かって歩み寄ってくる。
その姿にダレイオスは顔をしかめ、その姿にヴェロニカは息をのむ。
現れたのは、獅子の顔に大きな角を持った魔物だった。その全身は七色に輝く鱗に覆われ、その一枚一枚が鋭く尖っていた。尾は蛇のような形をしており、まるで一つの生物に二つの命があるようだった。それは今のダレイオスも同じようなものだが。
そんな魔物の姿を目にしたヴェロニカがはぁ、と息をこぼし呟く。
「なんて鮮やかな輝きなのかしら。美しい……」
「まあ、そこは同意するがな」
ヴェロニカの言う通り、魔物の鱗はまるで宝石のような美しい輝きを放っていた。その魅力に心奪われてしまうのもおかしいことではない。だが、ダレイオスはそれに気をとられず、油断なく魔物を見据えていた。
『確かに綺麗……だけど、ダレイオスさん、こいつがさっきの?』
魔物を観察しつつ問いかけるアレシャにダレイオスが頷きを返す。
「ああ、間違いない。お前も知っているはずだ。千九百年前にもこの大森林に現れた『七色の魔物』。それがこいつだ。だが、こいつは……」
「待って。それって『英雄』の伝承にある『七色の魔物』のこと?確かに、角の生えた獅子の頭に、七色に光る鱗の身体。どちらも伝承の通りだけど、まさか本当に実在していたなんて……」
『ええええ!そそそそれってやばいんじゃ!』
ヴェロニカもアレシャも驚きを露わにする。
『七色の魔物』は『英雄』の伝承の最初に登場する魔物だ。その圧倒的な力に追い込まれる『英雄』だが、最後の魂を込めた一撃で見事それを討ち取った。という話になっている。
『『英雄』でもこいつを倒すのにギリギリだったのに、勝てるの?』
伝承の内容を当然知っているアレシャはダレイオスへそう尋ねるが、ダレイオスは呆れたようにため息をつく。
「おい、忘れてないか?その伝承は偽りだと言っただろう。こいつは私とアレクサンドロスの二人で倒したんだ。」
『あ、そうだった。ダレイオスさんが『魔王』って忘れかけてた。……あれ、でもそれって二人がかりだったってことでしょ?余計ヤバいんじゃ……?』
「心配するな、見てろ。おい、ヴェロニカといったか。お前は魔術が使えるのだろう?少し確認したいことがある。先制攻撃は任せた」
ダレイオスの呼びかけにヴェロニカは頷く。
なぜこの少女はこんなにも偉そうなのかとか色々言っている場合ではない。自分よりもこの魔物のことを知っていのなら、今はその言うことをきくのが最善手だ。
二人が構えると、魔物は姿勢を低くして戦闘態勢に入った。
一瞬の静寂。
それを破ったのは、再びの咆哮だった。叫びは衝撃波となって二人へ襲いかかる。凄まじい衝撃に身体の芯が震えるが、それを二人は横に飛んで退けた。
「美を追う者にとってこの魔物を傷つけるのは抵抗があるけど、今の私はただの冒険者。全力で行かせてもらうわ!」
ヴェロニカはそう叫び、着ている深紅のローブを脱ぎ捨てる。その下から現れたのは、肌色だった。彼女の美しい肢体が惜しげもなくさらされていた。
いや、要所は布地やプロテクターで隠されているのだが、衣服と呼ぶには抵抗があるレベルの代物だった。彼女に男性ファンが多いのも納得である。
そして、ダレイオスは巨乳派である。彼の視線がそれに釘付けだったのは言うまでもない。
ヴェロニカはそんなことは気にもとめず、両の手をかざした。すると魔物を取り囲むように、いくつもの魔法陣が展開する。
「前弾発射でいこうかしら?消し飛びなさい!」
ヴェロニカが展開した全ての魔法陣から激しい火炎が放射される。それは、魔物を瞬く間に包み込み、巨大な火の塊と化した。生物に定義づけされるものならば、一溜まりもない火力である。しかし、その火は咆哮と共に消し飛ばされた。魔物の体表には、焼け焦げた痕など一切残っていない。
「そんな馬鹿な!ダメージすら与えられないなんて!」
『ちょ、ちょっと!ダレイオスさん、ピンチだって!エロ心に走ってる場合じゃないって!』
「んはっ!しまった、ヴェロニカ恐ろしい女よ……。いや、そうじゃなかった。退け、ヴェロニカ!私に策がある!」
その言葉でヴェロニカは魔物から大きく距離をとった。魔物はそれを逃さんと突っ込んでくる。ダレイオスは素早い動きでヴェロニカの前に回りこみ、相手の力を利用して魔物の体当たりを横へと受け流す。さすがの体術である。魔物は勢いそのままに横の木々へと突っ込んでいった。
「あ、ありがとう。魔術以外もいけるのね……。それで、あれとどう戦えば良いのかしら?」
「お前の攻撃で確認させて貰ったが、基本は私が知っているものと同じであると見て間違いない。あいつの鱗には魔術による障壁が七重にも張られている。攻撃と呼べるものはおおよそ全て通用しないはずだ。だが、私ならその障壁を解除できる。昔同じことをやったからな。お前は私がその作業をしている間、魔物の注意を引きつけていてほしい」
「……正直ツッコミたいことばかりだけど、分かったわ。任せて頂戴」
『っ!来た!』
アレシャの声でダレイオスが振り返ると、『七色の魔物』が再び二人に向かって突っ込んでこようとしていた。今度はそれを受け流さずに回避し、ダレイオスは魔物の背に飛びついた。
魔物は体を揺すってダレイオスを振り払おうとするが、そこにすかさずヴェロニカの魔法が飛ぶ。確かに直撃したが、魔物にダメージはない。しかし、魔物の気を引きつけるには十分だった。
魔物は息を大きく吸い込むと、ヴェロニカの魔術にも劣らぬ業火をはき出した。ヴェロニカも再び赤い魔法陣を展開し、火炎を放ってそれを相殺する。魔物は続けて業火を放つが、ヴェロニカの魔術と威力は拮抗しており、どちらの攻撃も届かない。時間稼ぎとしては上出来である。
ダレイオスはその間に自分の仕事をする。両手で魔力を練り上げ赤い魔法陣を展開させると、それを魔物の背に叩きつけた。魔法陣が砕け、魔物の鱗が赤く輝く。その光がおさまった後、魔物の七色の鱗からは赤い光がが失われていた。障壁の一つの解除に成功したのである。
『これで一つってこと?じゃあ、あと六つだね!』
「……。あ、ああ。そうだな、続けるぞ!」
ダレイオスは再び両手に魔力を集め始める。今度の魔法陣はオレンジ色だ。素早く展開し、再び叩きつける。魔物は忌々しげに背を揺らそうとするが、ヴェロニカの放った爆炎の勢いで魔物は動きを止める。ダメージはなくとも、爆風の衝撃による物理的な影響はあるのだ。その間にもダレイオスは次の黄色の魔法陣を展開していた。ヴェロニカの魔術は『七色の魔物』を上手く翻弄し続けている。『魔劇』。ヴェロニカに与えられたその二つ名は、次々と発動するその多彩な魔術によって翻弄される相手がまるで踊っているかのように見えることからつけられた。ダレイオスに任されたこの役割は彼女にうってつけだったのだ。
二人の卓越した技術によって魔物の障壁は次々と剥がされていく。残りはあと三つだ。
そこで問題は起きた。
魔力を手に集め始めたダレイオスが突然力を失ったのだ。
「っ!うっぐ……、そうか、しまった……」
『え、ちょっと!ダレイオスさん!?』
ダレイオスは魔物の背にしがみつくこともできず、地面へ転げ落ちた。なんとか体を動かそうとするが、まともに言うことを聞かない。ヴェロニカはそれを見て何が起きたのか察した。
「まさか、魔力切れ!?それはちょっとマズいわよ!」
魔物は地に伏すダレイオスを見て、大きく口を開いた。その鋭い牙がヌラリと光る。背に張り付いていた鬱陶しい虫が地面に落ちている。魔物にとって、それを仕留めるにはまたとない好機だった。
ヴェロニカが魔術で意識をこちらへ向けさせようとするが、ダレイオスを第一の目標に定めてしまった魔物は止まらない。ダレイオスは力を振り絞り立ち上がろうとあがく。魔物の剣のような牙が迫る。
もう、間に合わない。
『ダレイオスさん!手を伸ばして!早く!』
必死に叫ぶアレシャの声でダレイオスは反射的に右手を伸ばすと、それは何かに力強く掴まれ、思いっきり引き寄せられた。魔物の牙はダレイオスには届かず、虚空に突き刺さる。間一髪だった。
未だ心臓が強く脈打っているダレイオスが自分を抱える何かへ顔を向けると、彼の頭が強めに殴られ鈍い音がした。
「もう!死なないって言っておきながら、死にそうになるのやめてよ!バカ!」
エルフの少女はかなり本気で怒っていた。
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