12 不測
「日も暮れた。いよいよだな」
宿の一室でベッドに腰掛けるダレイオスがそう呟くと、アステリオス、ギンジロウ、ヤスケの三人が頷きを返す。クリームヒルデはその場にいない。彼女はすでに行動を開始し、準備を始めている。
『提案したわたしが言うのもなんだけど、本当に上手くいくのかな……』
「知らん。だが、きっと上手くいく。これまでもそうだっただろう?」
『……うん、そうだよね。きっと大丈夫』
アレシャは気を持ち直し、ただ待つことにする。窓の外の街並みは相変わらず数多くの魔力灯によって照らされている。空は雲に覆われ月も星もないというのに、それを感じさせないほどに明るく光るそれらは街を行き交う人の心も明るくさせているようだ。周囲からは常に人の騒ぎ声や笑い声が聞こえている。しかし彼らの耳にはそれも届かず、ただ動き出す機会を窺っていた。
しかし彼らが行動するより前に、突如として事態は動き始める。
ダレイオスが自分のガントレットを取り出して眺めていると、瞬時に部屋が暗闇に飲まれた。いや、部屋だけではない。街中の魔力灯が一斉に光を失ったのだ。月明かりもないため、まさに暗闇。周囲をまともに探ることもできない。
「あ、明かりが……!くそ、先手を打たれたか!」
「気をつけろ、何か仕掛けてくるぞ!」
立ち上がり焦りを言葉にしたダレイオスへ、ヤスケが注意を呼びかける。二人が警戒を強め背中合わせに構えたとき、ガタンという大きな音がした。そしてその音の方向からふわりと風が流れてきたのをダレイオスは感じ取る。どうやら何者かによって窓が開け放たれたようだ。思考よりも先に事態が進んで行く現状にダレイオスが舌打ちしつつ、彼は掌に火の玉を浮かべて窓の周囲を調べ始める。
しかし、そこには何も変わった様子はなかった。開け放たれた窓の側に立っているアステリオスも辺りを見渡しているが黙って首を横に振る。ダレイオスは油断せずに次いで部屋の中を探ると、すぐに重要なことに気づいた。
「おい……ギンジロウはどこにいった?」
「な、なんだと!?」
大きな声で驚きを露わにしたヤスケが部屋中を見渡し探るが、あれほどの大男を見逃すわけがない。部屋からはギンジロウの姿が忽然と消えていた。
「くっそおおおお!」
ヤスケが部屋の壁を力任せに殴りつける。誰も言葉を漏らさない。窓の外から聞こえる人々の戸惑いの声だけが部屋に響いていた。
「落ち着け」
ただダレイオスは冷静であった。少しの間を開けてヤスケへそう告げると、ヤスケはダレイオスの胸倉を掴み上げ睨みつける。
「落ち着けるわけがないだろう!親父が、親父が……!」
「ギンジロウは殺されたわけではないだろう。あいつは姿を消しただけだ。態々その場で殺さなかったのには何か理由があるはずだ。今ならまだ間に合うかもしれない」
その状況把握にアステリオスも同意するように頷いた。ダレイオスはヤスケの目を真っ直ぐに見つめ返すと、自身を掴むヤスケの手にそっと手を添えた。少しずつ頭から血が下りてきたヤスケは、掴む手を離し頭を下げた。
「悪い。お前の言う通りだな。今は親父を探そう!」
「ああ。今のところ手がかりはないが、じっとしているわけにもいかんか……。とにかく外に出るぞ!」
そしてダレイオスはヤスケとアステリオスを連れて宿を飛び出していった。
その成り行きを闇に潜んで見守る男達がいた。影からずるりと這い出した、黒いタキシードに身を包んだ男は眉間にしわをよせる。
「リーダー、どういうことなんでしょうか」
「……さあな。とりあえず部屋の中を調べろ。後は二人ほど、あいつらの後を追え」
「了解」
素っ気ない指示を出しつつ、レイヴンは思考する。
ターゲットが何やら想定外の事態によって消失した。部屋の中まで侵入していなかったので中で何があったのか詳しく知ることはできないが、『アンブラ』が手を出す前にターゲットが何者かによって消しさられたのだ。単純に考えれば、『アンブラ』とは別の何者かがターゲットをさらったということになる。しかし冷静に考えれば、ギンジロウが消えたのは相手の何かしらの策だろう。そもそもターゲットが消えたという騒ぎの前に、ターゲットが本当に部屋にいたかどうかも怪しい。見張らせていた構成員によればターゲットは今日一日外出していないとのことだが、その報告を鵜呑みにすることはできない。レイヴンはそう考えた。
部屋の調査を終えた部下が戻ってきてレイヴンへ報告をするが、部屋の中に不自然な点は一切見られなかったということだ。また面倒なことをしてくれたとレイヴンは舌打ちする。しかし、焦りは一切無い。ターゲットをどこに隠したとしても、相手には対抗手段はないと踏んでいたからだ。
これからどう動くべきかと考えていると、彼の感覚が一つの影を捉えた。それは彼意外には到底気づくことのできない程、闇に隠れきった存在。故にその影が何者かレイヴンはすぐに察しが付いた。
「あの小娘……。全く、あんなに急いでどこへ行く気だ?くくく……」
レイヴンは気味の悪い笑みを浮かべると、待機していた部下に指示を飛ばす。
「俺は北東へ行く。お前らはそれ以外の場所に散会してターゲットを探せ。何かあったらすぐに通信だ。いいな」
「了解」
『アンブラ』の構成員は揃ってそう答えると次々と闇の中に消えていった。そしてレイヴンも影を見失わぬ内に追いかけ始める。影は脇目も振らずに真っ直ぐに闇の中を移動していく。その隠密能力は大したものだとレイヴンは素直に感心する。彼以外の『アンブラ』の構成員では彼女を察知することはできないだろう。それだけの実力を持っているからこそ、自分からも隠れられるなどと思い上がったのだろうとレイヴンは思った。
「はん、所詮は小娘か。さて、『アンブラ』から逃げ出した落とし前はつけてもらわなきゃねえ」
レイヴンはべろりと舌なめずりをして目の前に感じる影を追いかけていく。
そして彼はやがてモロクの街の一角にたどり着く。なんてことの無い居住区域であるが、彼の追う影は一つの民家の屋根の上で動きを止めた。彼はそれに合わせて移動のスピードを緩める。すると、追いかけてきた影から人の姿が浮かび上がってきた。それはレイヴンの想定していた通り黒いゴシックドレスを身に纏った少女、クリームヒルデだった。彼女は懐から紙を取り出し、それに書かれた何かを確認し、周囲を見回していた。紙に何かしらの場所が記されているのだとレイヴンは察する。追跡者に気づかず無様に姿を晒した少女に彼は失笑し、その背後に音も無く忍び寄る。
ダレイオス、ヤスケ、アステリオスはモロクの街の西側を探していた。しかし、この暗闇ではまともに人を探すこともできない。募る焦りを少しでも紛らわせようとするかのようにダレイオスは舌打ちする。しかし、彼をあざ笑うかのように、何者も彼に手がかりを与えてはくれなかった。
そのとき、ダレイオスの懐に淡い光が灯った。彼はそれに気づくと懐からその光の元である紙片を取り出す。そして後方を走るヤスケとアステリオスにその紙片を見せた。しかし、それと同時にアステリオスが蹴躓き、派手に転んでしまった。その拍子に彼の兜が外れ、地面にガランと転がる。彼らの動向を見はっていた『アンブラ』の構成員は思わず驚きの声をあげた。
「お、おい、何やってるんだ!」
「すまねえ、さすがにもう走れねえよ……」
「いいから立て、親父!」
髭面の男が甲冑を纏った足をさすりながら立ち上がり、兜を被り直して再び駆けだした。『アンブラ』がずっとアステリオスだと思っていたのは、アステリオスの甲冑を着ていたギンジロウであったのだ。状況を理解した『アンブラ』構成員はすぐに仲間へ通信をやる。
『リーダー!ターゲットを発見!あの鎧の中身がターゲットだったんです!指示をお願いします!』
それを受け取ったレイヴンは小さく舌打ちする。ターゲットを鎧の中に隠すという考えに至らなかった自分に苛立ちを覚える。しかし、風向きは自分たちに向いているとレイヴンは思った。彼と同じように仲間からの通信を受け取った目の前の少女が動揺を見せていたからだ。
「ふん、俺たちにターゲットの居場所が知られるのは不測の事態だったということか……。おい、全員に連絡する。ターゲットを速やかに始末しろ。ただし白髪の女には細心の注意を払え。行け!」
「了解!」
レイヴンは部下に指示を出してから、慌てた様子で通信先に状況を尋ねる目の前の少女を見据える。『アンブラ』の高い隠密能力に対抗できる存在はこの女だけだ。そして彼は今それを始末する格好の機会を得ていた。いくらあの白髪の女が強かろうと、姿すら捉えられない『アンブラ』の構成員の全てを退けるのは不可能だ。なら、唯一の懸念事項をここで消し去っておくのが最善手だとレイヴンは考えた。
彼は影に潜み、少女の背後にずるずると接近する。全ての意識を目の前の少女へ注ぐ。暗殺。それは一瞬の勝負。その刹那に一切の雑念を持ち込んではならない。ただ速やかに対象を処理するのだ。そしてついにレイヴンはクリームヒルデのすぐ後ろにまで接近した。彼は愛用のレイピアを手にし、潜んでいた影から瞬く間に姿を現し、ターゲットを一突きにする。
だが、それは叶わなかった。側方から矢にも勝る凄まじい速度で飛来した何かが彼の身体を打ち抜かんとしていたからだ。殺しの対象に意識を注いでいた彼は直前までそれに気づくことはできず、彼の横っ腹にそれは命中した。当たりは僅かにそれていたが、確かな痛みに彼は呻き越えを漏らして膝をつく。
レイヴンは咄嗟に顔を上げる。するとそこには自らを見下ろす二つの眼。先ほどまで彼が殺しの対象としていた少女が黒く染まったレイピアを大きく後ろへ引いていた。少女の放った研ぎ澄まされた突きを彼は間一髪ではじき、そのまま距離を取る。
レイヴンはレイピアの切っ先を自らに向ける少女の姿に戸惑いを覚える。先ほど不意の攻撃によってレイヴンは声を漏らしてしまったが、それをきっかけにクリームヒルデが彼の存在に気づいたのだとしたら、攻撃に転じるまでがあまりに速すぎる。それはつまり、
「お前、俺をはめやがったな……?」
「そうですわね、一つだけ言っておきますと、じっとしていると危ないと思いますわよ?」
「あ?」
レイヴンが眉をひそめた次の瞬間、またしても彼へ向けて何かが飛来してきた。今度は素早く反応してそれをレイピアで切り飛ばすが、真っ二つになったそれを見てレイヴンはまた眉をひそめる。
「これは……煉瓦?こんなもんがなんで……」
「こういうことだ」
レイヴンの頭上から声が響き、彼は咄嗟にその方へ視線を向ける。しかし、ここは屋根の上。そこにあるのは雲に覆われ真っ暗な夜空だけ。しかしレイヴンが目をこらすと、そこから夜空に溶け込む真っ黒な何かが落下して来ていた。反射的に転がってそれをかわすと、彼が先ほどまでいたところに轟音とともに何かが着地する。出来上がったクレーターからゆっくりと立ち上がったそれは、とても人間とは言えない巨体を持った大男だった。
「何だ、何者だ?」
「ほら、じっとしていると次が来るぞ?」
大男がそう告げると、レイヴンは背後に何者かの気配を感じる。素早く振り向くと、暗闇から姿を現したクリームヒルデの狙い澄ました突きが飛んできた。レイヴンがレイピアを振るいそれをはじくが、クリームヒルデはすぐさま後ろへ下がる。その行動に嫌な気配を感じたレイヴンが背後に意識を向けると、先ほどの大男が腕を大きく振りかぶっていた。その手にあるのは、煉瓦。それが振り抜かれると投擲物とは思えぬスピードで煉瓦が発射された。この近距離ではレイピアではじくのは難しい。反射神経に頼り間一髪それをよけると、彼は闇の中に潜り込んで二人から大きく距離を取った。次々と降りかかる不測の事態にレイヴンは額に青筋を浮かべる。
「面倒なことをしてくれやがって。黙って殺されてりゃいいののにねえ?本当に笑えねえクソどもだな……!」
レイヴンが殺気のこもった目でクリームヒルデを睨みつける。彼女はそれに一瞬びくりと身を震わせるが、自分の頬を力一杯叩き、レイヴンを正面から睨み返した。
「そんなクソどもにしてやられる貴方はどれほどのクソなのでしょうか?でしたら、私からクソ山の大将に相応しい最期をご用意させていただきますわね」
「……お前、やっぱり昨日の酒が残ってるんじゃないか?」




