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1899年12月 清国 天津 1/2

1899年12月 清国 天津


 天津は首都北京を海へつなぐ重要な港街であり、多くの外国人が居留する国際的な都市でもある。各国の駐屯軍が置かれているここには多くの情報が行き交っていて、もしある外交官ないし軍人が諜報活動を行うのであればここは絶好の拠点になるだろう。

そんな町に、しかも世界ではクリスマスイヴという重大な日にちにボリス海軍中尉と同じく駐在武官のイリダル・ウスペンスキー陸軍大尉の2人はコートを着込んで冬の街灯の側に立っている。ボリスは地図を片手に目的地の場所と自分達の位置関係を探っている。


 「はあ、なんたってここまで来て道に迷うなんてことがあるんだ」

イリダルがそう愚痴を言った。

「ウスペンスキーさんが変に道をはずれてショートカットしようとするからですよ」

「あの時は絶対にあってると確信してたんだ、そしてその思いは今も変わっていない。ならなぜ今我々は無様に路頭に迷っているのか、間違いなくボリス君のいらぬ忠告を聞いて道すじを変更してしまったからだ!」

「・・お言葉ですがあのままだと方角的に目的地より遠ざかってしまうことになっていましたので」

「あのなあボリス君、ひょっとしたら道のすぐ横に目的地に直接続く道があると私は踏んでいたんだよ。それをさあ、無下にしちゃって、部下として恥ずかしいとは思わないの?」

これは反論するだけ無駄だと思ったボリスはそれ以上イリダルに突っかかるのはやめたが、一つだけ譲れないことがあり、それだけは声に出して主張した。

「私はあなたの部下ではありません。同じ駐在武官ですから。隊に所属している副官のように扱うことはできませんよ」


 そんな会話をしつつボリスは大方の進路方向を特定し、イリダルとともに進む。

そもそも彼らは何の目的でここに来て、どこに行こうとしているか、それはある書類をロシア天津駐屯部隊の指揮官に渡すためである。その書類とはなにか。

今後の満州における陸軍の展開配置の計画書だ。つまりミリタリーシークレットに類されるものである。

先日、極東総督府の人間から北京の大使館にこの計画書を渡された。その計画書を天津の陸軍部隊に届けてほしいというのが先方からの依頼だった。その伝達任務を2人は行っている。


 2人は道を進んでいる。途中から白人を多く見かけるようになり、進んできた道が確からしいことを感じた。機嫌を良くしていると露店の1つに清国人が葉巻を売っていた。

「おい、2つくれよ」

イリダルは店先の男にそう告げる。ロシア語で。

「1ルーブルだよ」

店先の男はイリダルにそう告げる。ロシア語で。

イリダルは何の問題もなしに50コペイカ硬貨を2枚渡して葉巻を受け取る。

「まいど」

店先の男は各国の様々な貨幣がごちゃ混ぜになった箱のなかに50コペイカ硬貨2枚を投げ入れる。

「マジかよ・・」

あっけにとられるボリスを見てイリダルが葉巻を一本ボリスに渡しながら話す。

「なんだよ、そんな珍しい事でも無いさ。」


 葉巻を吸いながら2人のロシア人が街路に立っている。

ちなみにロシアにはロシア暦という独自の暦があり、世界標準ではクリスマスイヴのこの日でもロシア人にとっては特別な日でもなんでもなく、2人は普段通りの仕事に臨んでいる。


 「やあ、お二人サン、今日は白人達にとったら重要な祝日だってのに仕事をしてるのかい?」

葉巻売りの清国人が問いかける。当然ロシア語で。

「ああ、ロシア人は勤勉だからな」

イリダルは一見、真面目そうにそう言っているが本心では心にも思っていないことだろう。

「へえ、そりゃいいことですな。わしらも見習わねばならんねえ」

「ああそうだ、ロシア人と同じ意識で仕事に臨めばどんな国も一等国間違いなしさ」

この会話いる?と思ってしまうボリスだがこのロシア語を話す清国人と会話してみたいのも事実だった。どこでロシア語を覚えたのか、この場所で白人相手に商売をしてどれほど儲かるのかとか言ったことを聞いてみたかった。

 「しかし、軍人さんがた、たまには息抜きするのも仕事をする上では大事ですぜ」

「ほう、まあそれは一理あるな」

「へえ、そこでですよ、ちょいとここらに息抜きができるいい場所があるんで、そこはわしの紹介がないと入れないとこなんですが、お二人さんはきっと信用できそうだからぜひ紹介させてくだせえ」

男は2人に囁くような小さな声でそう言う。

どうやらこの男、タバコ屋とは別に、息抜きとは名ばかりの体力を使い、引き換えに凄まじい快感を得る行為の斡旋で商売をしているらしい。

「おい・・テメェ、オッサン・・」

男の言葉を聞いたイリダルは血相を変えて怒る。

「どういうことだってんだ!俺達に汚ねぇシナ女を抱けってか!あまつさえ金を取ろうとはどういうことだこの野郎!」

ボリスは終始黙っていたが誇り高きロシア軍人たろうとするイリダルを見て少し彼を見直した。

「まあまあ落ち着いて、もちろん旦那達ほどのご身分の方に清国人が相手につとまるなんて思ってませんぜ」

「じゃあなんたってんだ!日本人だとか言ってみろ!ぶちのめすぞ!」

「ッ!・・・実はわしが案内を務めるところは訳ありの西洋人の夫人達が集う場所なんです。この世には仕事ばかりの旦那に愛想がつきて不埒な行いに走る人妻がいるわけでして・・・」


「・・・・・・」

急にイリダルが黙った。ああ、やっぱりこの人はダメだとボリスは思った。確実に誘惑に負けようとしている。

「・・・・それは本当か!?」

食いつく。

「ええ、長年ここで商売をさしてもらってるもんで、嘘は申しませんぜ・・・」



・・・・そんな会話から10分後、なんとも間抜けな2人のロシア人が1人の日本人スパイを追っかけている。スパイは清国人のふりをして軍事機密を輸送中のロシア軍人に接触、嘘八百を駆使し、まんまと目当ての計画書を盗んだのだ。

ひとつ言っておかなければならないが、盗むための過程は重要ではない。そこにはスパイの綿密な計画と愚かな被害者の甘い考えが混在しているのだが、何事も問題になるのは、次の場面が結局どういった局面になるのかと言うことを正確に映し出すことなのだ。だからここで過程の推移は必要ないものであるし、なにより2人の名誉を守るためにこの処置は必要なのである。


とは言え、もちろんこんな失態をしておいて2人に処罰がないわけがない。何としても計画書を奪還し、何事もなかったかのように目的地まで行かなければ、いわゆる軍法会議モノである。ともかく、イリダルとボリスはこれからの人生を円滑に進めるため、ついでにロシア帝国存亡の危機を救うために日本人スパイを追っている。

「うおおおおおおおおお待てええええええいい!!」

ボリスが血相を変えてスパイに迫る。

「走れ!ボリス!我々の未来は今まさにあのスパイのために潰えようとしている!何としても止めろおおおおおおおお!!」

「うおおおおおおおおでも元々あんたのせいでしょおおおおおおおおおおおおお!!」


 三人の男が天津の街を疾走している。ロシア人たちは何とか機密を奪還しようと日本人に追いすがる。ついには2人の執念が悲劇に打ち勝ち、スパイを捕らえることに成功した。

「おっしゃあ!ボリイィィィス!書類確保!」

「や、やめておくんなはれ!俺には郷里に病気のかーちゃんがいてまんねん!こんなとこで殺さえるわけにはいかんのです!」

「やああかましい!お前を殺す殺さずなんて、例えるならイギリス人が今日の晩飯をクリスマスツリーの木くずにするか自分の工場で働くインド人の生き血にするかってことぐらいどーでもいいんだよ!」

イリダルがイギリス人を何だと思っているのかは別として、ボリスが最後のセリフを補う。

「大事なのは、何よりも大事なのは!・・・この書類だ!!」

ついに書類は2人の手に戻り、スパイをちょっと叩いたりしてから急いでこの場を去ろうとした。その途端、2人は眼前に物々しい軍人の一団を見た。制服から推測するにイギリス人の一団らしい。


 「おや、これはこれは。ロシア軍人と日本人が、まあなんとも仲よさげにじゃれあっているじゃないか」

イギリス人たちがボリスたちを見ながらそうあざける。どうもこちらに突っかかってくる気が満々のようだ。

「なんだよこいつら、おいボリス、なんて言ってる?」

「ちょっと黙っててください」

ボリスは体勢を立て直すと一団に向かって、決して怖気づくこと無く言い放つ。

 「あなた達には全く関係のないことです。どうぞお気になさらず」

言い終わるやいなやイリダルを促しすぐにこの場から立ち去ろうとする。しかし一団は2人を逃すまいと2人に言葉を投げかける。

「どうも一部始終を拝見させてもらったところ、あんたらはなかなか責任に関わるようなことをしでかしてるようで。未遂で終わったとはいえ、このまま水に流せるような問題ではないと思いますがね」

ボリスはなんとなくのニュアンスでしか英語を聞き取れないが、自分たちの不始末をダシに責任がどうのと言っていることはわかる。

「ロシアでは官僚にかぎらず、あらゆる場所であらゆる階級の人間が不正に手を染めているとは聞き及んでますが、どうも、よもやあなた方もそういう腹づもりで?」

「それは、どうも、この紳士の国たる大英帝国で生を受けた我々の見る前で」

「自分たちの不始末をもみ消すことができると、どうも、お思いで?」

「・・・・」


 これはどうやら、一難去ってまた一難ということだなとボリスは思った。イギリス人は自分たちが保身に走り、機密を危うく盗まれそうになったことをもみ消そうとすることを予想し、こうして自分たちに詰め寄っている。大事にさせたくなくば、自分たちの言うことを聞いてもらおう、ということらしい。

(これは・・・やばい。さすがに、というかよりによってイギリス人居住区まで来てたなんて、あまりに迂闊すぎる。)

ボリスは混乱していた。もともと喧嘩腰での討論なんて得意では無い彼にとっていまの状況は絶望的だ。

 「おい、ボリス」

イリダルがいままでの説明を求める。

簡単にボリスが説明するとイリダルはこともなげにイギリス人の一団に向かって

「てめえら、よもやこの俺が・・神聖なる祖国に対して隠蔽をするとでも思ってんのか?ふざけるな・・!」

と言い放った。腹の中はなんにせよ、ここは虚勢でもなんでもつかって相手にペースを握られないようにしようと言うのがイリダルの考えだ。

「へいへい、ロシア語で言われても何言ってるかわかりませんのですよ」

「そこのカタコト英語クン、お連れの男が何を言ってるのかもう一度、カタコトの英語でいってみてごらん?」

 嫌な嘲笑と笑みが自分たちに向かってくる。こんな嫌な気分になったのは久しぶりだとボリスは思ったが、なんとか言い返さなければならない。しかしこのままこの状態が続いても突破口はあるのか?なければいったい自分たちはどうするべきか、頭のなかが一杯一杯になろうとしたその時、対峙するイギリス兵たちの向こう側から女性のかん高い大きな声が聞こえてきた。


 

 「こら!あんた達、また何かしでかしてるの!?」


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