1899年9月 清国 北京
歴史的事実とフィクションを織り交ぜて(4:6くらい?)作ってありますが、明らかに引用した歴史的事実が誤りだと見受けられる場合は報告していただくと幸いです。見直して今後の創作に役立てようと思います。
あ、あと初投稿です(大嘘)
1899年9月 清国 北京
「 肌寒さが感じられる季節になりました。
とは言え、あなたが暮らす本国はきっと本格的な冬の到来に入っている頃でしょう。
思えばここに来てからというもの寒さが非常に恋しいものでした。
ここの暑さはいかんともしがたく、どうも湿度が高いため気温以上の暑さを感じるのだそうです。 」
露国大使館の一室、綺麗に資料がまとめられた本棚と机、1つのランプの灯りがある部屋でボリス海軍中尉はこう始まる文章をしたためている。用紙に綴られた彼の懐郷の言葉はシベリア鉄道をわたって彼の母のもとに届けられるのだろう。
彼が若くして清国への駐在武官という大役を受けたことに大した理由はない。彼の出自がもともとフランス貴族の出でその関係もあってフランス語を使えるというのが唯一の理由であろう。
詳しく話すと、ロシアに住むスラブ人がタタールのくびき、つまりモンゴル人の支配から開放されて何百年と立つにも関わらず、ヨーロッパの一部ではロシア人を野蛮なアジア人と同類に見る人がいる。ゆえにロシアとしても外交官にはドイツ系、フランス系等の出自がしっかりとしたロシア貴族を据える必要がある。
理由はそれだけだったし、それだけでも良かった。ロシア宮廷は彼に外交官としてのスキルを要求していない。
帝国主義の時代である。
とりわけ今のロシアはそうである。外交は片手で握手をし、もう一方の手で拳を握りしめ...ということがよく言われるが、ロシアが世界とコミュニケーションを取るとき、列強以外の非文明国への外交態度は両手で小銃を持ち、銃口を相手の口にねじ込んでいると言えば的確だろう。
弱き者に対して対話の余地など与えない、おとなしく言うことを聞かなければ容赦なく引き金を引く、というのがロシアの新領土獲得における基本戦略だった。しかしこの時代その事自体にたいした違法性はない。イギリスのように狡猾な手段で自らの欲望を満たすことと、ロシアのように直接的な暴力手段に訴えること、目指すところは植民地の獲得ということで大した差はない。
清国に対してロシアは軍による威圧で交渉を行う。
だからロシアにとって清国に外交団を派遣するというのは清国を相手に想定せず、中華を蝕む他の列強との対話を想定している。列強同士が利害を調節しあい、戦争を起こさずに効率よく清国領を切り取っていく。この、被害者から見たらいやというほど不気味で凶悪な連携を見たからこそ、日本で急速な文明化がすすんだと言えるだろう。白い、凶悪な津波に飲み込まれた国の運命は悲痛だった。
ボリスは手紙を書き終わるとそれを封筒に入れ、一息ついた。とはいっても彼が一日にする仕事はとても少ない。彼が駐在武官としてするべき仕事には、その国の戦力分析やその国に対する戦術の研究などがある。しかしその職務は満州に置かれたロシアの極東における軍事すべてを司る"極東総督府"が一任している。いわば名ばかりの職務に置かれた自分がでしゃばった所でどうにもならないことを彼は知っていた。
しかし彼は軍人として能力に劣るわけでは決して無い。士官学校の成績も悪くなかったし、駐在武官に任命されるまでは黒海艦隊の幕僚の末端として経験とキャリアを積んでいる。どちらかと言えば彼は軍政や作戦畑に身を置くより現地での実行係の方が向いていたかもしれない。だから彼に外交官をやらせるなど本当は人選ミスなのだ。
しかしロシア宮廷は人事管理を個人の能力を基準に考えるのでなく、官僚的な人事管理を軍人に対しても行っていた。ロシアでは軍人もれっきとした一官僚なのだ。
不意にドアが開き、外からボリスの見知った顔が見えた。
「やあ、ボリス。仕事は順調?」
「・・・フロル、皮肉を言いに、わざわざここに来たのかい?」
「まさか、おれは日々忙しいんだ」
「それも皮肉じゃあないか」
「はは、いや悪い悪い」
そう言ってフロルと呼ばれた男が部屋の中に入ってくる。彼は書記官という役職でこの大使館に籍をおいていて、ボリスとはここで出会ってから親しくなった。
「まあ、飲もうや」
「いちおう、執務室ってところなんだが」
「だれも構いやしないよ、お客さんが見るような所はまだしも」
そう言ってフロルは空いている椅子にどかっと座り、持ってきたブランデーをグラスに注ぐ。行動だけ見ると彼は規則に無頓着な男のように思うが、外見はまさに外交官といった感じで普通にしていても一つ一つの所作が計算された紳士のように見える。初めて彼を見た人は彼を英国人と思うかもしれない。
結局二人は仲良く酒を飲んでいる。
「・・・何て言ったっけか」
ボリスがフロルに問いかける。
「ん?何が?」
「清国の・・ビスマルクってよばれるあの・・」
「李 鴻章かい?」
「ああ、そうそう。最近大使館の誰もがよく口にするから、一体どんな人物なのか気になってね」
「・・はあ・・ボリス、君は何をしにはるばる極東に来てるんだい?そんなことは知ってて当然だぜ?」
「清国人の名前なんか知らなくたって今まで仕事はできてたさ」
「あーそうかもな、例の・・極東総督府に列強との外交状況を知らせるだけでいいもんな、君は」
「ああそうさ」
「・・開き直るなよ」
「で、どんな人物なんだい?」
「どんなもなにも、今度君もお目にかかる人物だよ。清国の宰相さ」
「ふうん・・・え?会うの?」
「なんで君はそう情報の収集ができてないんだ、今度、清国主催の大規模な晩餐会があって俺達も大使閣下のお供として出席するんだよ」
「そんなことは聞かされてない」
「そりゃまだ先の話だから、仕事の伝達はきてないだろう。だが、あの東洋のビスマルクが顔を出すんだ、誰もが興味を持つさ」
「ふうん、俺はそこで何をすれば?」
「何も、ただ各国の外交官やその連れの高貴な方々と会話をして君とロシアの社交性を高めればいいのさ」
「また面倒な」
「まあ難しく考えるなって、うまい料理と酒にありつけるんだから、しっかりやれよ?」
その後、もう少し2人で飲んだ。
フロルが部屋から出て行くとボリスは少しため息をついた。自分が社交界に顔を出すことは不安だった。ここに来てからというものフォーマルな場で人と話すことが少なく、ひょっと緊張してろれつが回らなくなるのではと心配だった。