四話【黄金の龍】
悠然と空を泳ぐ黄金の龍。これが敵でなければ、手を合わせて拝みたいくらいだ。
しかし残念ながら、この龍は俺たちの敵なのだ。無視して通り過ぎることはできそうにない。そんなことをすれば、背後から呑みこまれそうだ。
「ネイサ、念のため名前を検索しておいてくれ。たぶん今回も見つからないと思うけど」
「オッケィ。試してミル」
龍の顔をスマートフォンで撮影し、ネイサに検索を依頼した。以前、鎧状態のジョンさんを撮影した時、名前は見つからなかった。自分の正体は名無しの権兵衛であり、誰でもあって、誰でもないと。俺の最大の武器である名枕を完全に無効化する、最悪の相性の敵だ。
「キョージ。“剣の力”としての、お前の意見はどうだ?」
頭の中の、もう一人の自分に問う。
(もしも名前が見つからないなら、「鱗」とか「脚」とか、体の部位を指定して攻撃するしかないと思う。だけど相手がこの巨体だから、長期戦は避けられないと思うよ)
「やっぱり、それぐらいしかできないか……」
簡単な作戦会議を終えたところで、龍は鼻先を上空へ向けた。鼻の穴がぷくりと膨らみ、轟音を立てながら空気を吸い込む。スリムな蛇腹が、風船が膨らむようにメリメりと張りつめていく。
やがてピタリと止むと、ワニのような鋭い口を大きく開いた。嫌な予感がして咄嗟に自分の耳を塞ぐ。
グオオォォォォォーーーーーッ!!
例えるなら、爆発だ。その怒号と共に空気が弾け、俺は危うく吹き飛ばされそうになる。翼を目いっぱい開き、なんとか空中で姿勢を保つ。
一体何をする気なんだ? その疑問に、落雷の雨が答えた。雲の天蓋が光に包まれたかと思うと、何百という雷が地面を突き刺した。灰色の石畳は吹き飛び、漆黒の建造物は崩壊し、地面は抉り取られた。
俺はと言えば、直撃は避けられた……いや、運よく直撃しなかっただけだ。落雷を避けるなんて人間業ではない。不可能だ。
しかし、落雷を呼び寄せた怒号と破裂するような雷鳴で、すっかり感覚が麻痺してしまった。とても飛んでいられる状況ではなく、やむなく近くの建物に降り立つ。雨の中だというのに、焦げ臭い煙がもうもうと立ち込めている。それほどの衝撃だったということか。
(お兄ちゃん、来てるよ!)
ぐらぐらする頭を押さえていると、正面から龍が土埃を上げながら突進してくる。巨大な口を開け、地面を抉りながら突き進むその姿は、龍というより貪欲な大蛇にと言った方が正しそうだ。
しかし、地上での闘いならこちらにも分がある。龍の口が俺を建物ごと呑みこむ刹那、跳び上がって上顎に手を掛け、そのまま勢いを受け流す。眼下では龍の鱗が濁流のように流れていく。
まずは、背中から切り裂く!
名枕を取り出し「鱗」とつぶやく。たとえこの魔物に本当の名前が無かったとしても、鱗を切り裂くことなら可能になったわけだ。両腕に力を込める。その無防備な背中、まずはお前の鱗を引っぺがしてやる――!
キンッ!
「……あれっ?」気の抜けた情けない声が出た。
間違いない。俺は「ウロコ」と刻まれた名枕を、龍の鱗に突き立てたはずだ。しかし、名枕の切っ先が触れた瞬間呆気なく弾き飛ばされた。名枕が、通用しない……?
(いけない! 防いで!)
キョージの声で現実に引き戻される。
ビッチリと隙間なく龍の体を覆っている鱗。それらが、蓋が開くようにパカパカと開いた。出来上がった無数の隙間から、白い煙が俺を包み込むように噴出した。
「熱ッ!?」
煙じゃない。高温の蒸気だ! ローブで体を覆うこともできず、翼をがむしゃらに羽ばたかせて上空に上がった。体中が擦りむいたようにヒリヒリと痛み、赤く腫れ上がっている。
俺がつい先ほどまで立っていた場所は瓦礫の海に変貌し、その中を黄金の龍が蒸気を噴出しながら優雅に泳いでいる。ぐねぐねと、上機嫌のようにすら感じる。
そんな……。
何も……できなかった……?
(お兄ちゃん、落ち着いて! まだ最初の一発が防がれただけだよ!)
頭の中にキョージの声が響く。頭の中に直接語りかけられているはずなのに、ガラスの向こうから聞こえてくるように不鮮明で、くぐもっている。いけない。たったの数分で心が衰弱している。
ポケットが震えだした。どうやら、ネイサの検索が終わったようだ。しかしその結果は予想通りなもので、俺の心をさらに追い詰める結果になった。
「ダメ……。やっぱり、アイツの名前は無かった……」
落胆。いや、絶望というべきか。頭の中には、白旗を振っている自分の姿が浮かんだ。
「だから、前にも言ったじゃないデスカ。ボクは、叶銘さんにとっての天敵なんデスヨ」
体の半分以上を地面に残しながら、龍は首をもたげて俺を正面から見据えた。これほど威厳に満ちた姿に変貌しながら、その口調はジョンさんの時と変わらない。そのギャップが逆に恐ろしい。
「ボクの名前ではなく、各部位に絞って攻撃を仕掛けたのは良い判断だったと思いマス。だけど、ボクは自分の存在そのものはもちろん、各部位に関してもその存在を曖昧にできるんデス。わかりやすく言うと、さっきは一瞬だけ“鱗”を“鱗じゃないモノ”に変えたんデス」
そんな……。それじゃ、どうやって太刀打ちしろというのか?
酸の雨が一層強くなる。しかし、体の痛みが気にならないほど俺の心は体から離れていた。
気づいたら、正面から龍の尾に叩きつけられていた。小石のように呆気なく飛ばされ、翼を広げることすら適わない。背中に何度も強い衝撃を受ける。黒い建物を突き抜け、瓦礫に体をこすられ、数百メートルは飛ばされたところでようやく停止した。これほどの衝撃を受けても意識を保っていられるのは、藤間先生から渡されたレザーアーマーとローブのおかげだろう。
しかし、体がいくら無事だったとしても、心は簡単には立ち直れそうにない。
俺は、父さんの顔を思い出した。家族の顔を、友達の顔を、俺に関わってきた人たちの顔を思い出した。少しでも、自分を奮い立たせる“何か“が欲しかったのだ。
それは、いくらか成功したと思う。瓦礫に手を掛けながら、どうにか立ち上がった。膝はレザーパンツごと破れ、じんわりと血が滲んでいる。雨が傷に沁みるが、むしろ目を覚ますのにはちょうどいい。強がりだって? そう思わないと、やってられないんだ。
「ここで負けたら……いろいろ迷惑を掛けた人達に、顔向けできないよなぁ……」
誰にも迷惑を掛けたくない。それは、ゴンタとの一件以来俺が常に心掛けてきたことだ。脅迫観念と言ってもいい。そしてそのストレスは、キョージが肩代わりしてくれていた。
しかし今は、決して後ろ向きな想いじゃない。嫌われないために歯を食いしばるのではなく、認められるために奮闘するのだ。その方が、ずっとずっと誇らしいじゃないか。
確かに、俺の攻撃は簡単には通じそうにない。しかし、まだ一回失敗しただけじゃないか。粘り強く闘えば、活路が見いだせるかもしれない。そうだ。闘いはまだ始まったばかりなんだ。
「よしっ! まだまだ勝負はこれか――」
夜空に~たゆたう~ミルキーウェイ~♪
ガクッと力が抜ける。瓦礫から崩れ落ち、その場でずっこけた。
スマートフォンを取り出すと、ちょうど朝の七時になったところだ。スピーカーから流れてくるのは、つい昨日彩音に勝手に入れられていた、妹のオリジナルソングだ。勝手に朝のアラーム音(しかもスヌーズ機能付き)に設定されていたが、そのまま変更するのを忘れていたようだ。しかし、この緊迫した場面で女子高生たちの拙い演奏を聞かされるというのは誰が想像したろうか。
画面をタップして止めようとしたが、出し抜けにネイサが「チョット待って!」と叫んだ。思わず指が止まる。
「どうしたんだよ、ネイサ。今は大事な時なんだぞ!」
画面に唾を飛ばす。ワイプ画面に映るネイサは一瞬眉根を寄せたが、すぐに元の無表情に戻った。いや、その顔は、なぜだかいつもの能面顔とは雰囲気が異なるような……。頭の中で、キョージが息をのむ音が微かに漏れ聞こえる。お前も、何か気づいたのか?
「よく聞け、カナメ。ひょっとしたら、チャンスが“作れる“かもシレナイ」




