二話【勇者の翼】
派手に砂を巻き上げながら、俺は砂浜をまっすぐに突き抜ける。
目の前には、一人分の足跡が伸びている。それはつい先ほど、父さんから離れるために走った時の、俺の足跡だ。自分が逃げ出したことを突きつけられるようで気分が悪い。しかし、この足跡の先に父さんはいる。空中に、魔界を生み出す存在として。
太陽の位置はまだ低い。城のほぼ真横から、朝の黄金色の光が差し込んでいる。その光を根こそぎ吸い取るように、漆黒の城壁はただただ黒かった。例えば黒曜石のような物体でも、光が当たれば面や輪郭がくっきりと浮かび上がる。しかし、その城は現世には無い物質でできているのか、のっぺりとした平面的な黒を見せるだけだ。実は、本当はハリボテなんじゃないかと疑いたくなるほどに。
随分と城に近づいた。ちょうど真上には、今も拡大する岩の大地の端がある。鈍い音と共に太い岩の棘が生え、その度にパラパラと小石が頭に降りかかる。時間が経てば、魔界の瘴気だけでなく岩の大地が空を覆ってしまうかもしれない。なんにせよ、一刻も早く決着を付けないといけない。
しかし、ここで一つ問題が生じる。
「……どうやってあそこまでたどり着けばいいんだ?」
城と大地は宙に浮いている。その高さは、目測で山一つか二つ分ほどの高さ。千メートル強といったところか。いくら俺の身体能力でも、この高さを跳ぶのは無理だ。猿の魔物との闘いみたいに、名枕で重力を一時的に消す方法もある。しかし、それではまっすぐ跳んで行くだけだ。訳も分からない巨大な相手に、無策で飛び込んでいくのは自殺行為に思える。
――ゃん!
声が聞こえて立ち止まる。足を前方に突っ張ると、一層派手に砂が舞った。
子供の声だ。こんな所に? それに、風の音でうるさかったのにどうして聞こえたのか?
――お兄ちゃん!
耳ではなく、頭の中が響いた。子供の声がびりびりと反響し、軽い眩暈が生じる。
(ああ、ごめんごめん。お兄ちゃん)
「お前……キョージか!?」
見えるわけも無いのだが、頭の中に意識を集中させる。
間違いない。キョージの声だ。直接頭の中に語りかけられるのと、耳で声を聞くのとは微妙に声色が異なるようだ。ダイレクトに知覚できるからか、白の空間で聞いた声より高く澄んだ声に聞こえる。
(お兄ちゃん。なんだかすごいことになっちゃったね)
「ああ。せっかく父さんとゆっくり話ができたのに……」
俺は黙り、頭を下げた。頭の中の、もう一人の自分に。
「悪い、キョージ。あの時逃げ出さずに何か手を思いついていれば、今頃父さんともう一度話ができていたかもしれないのにさ……」
上手く名枕を使えば、ひょっとしたら父さんの力の暴走を止められたかもしれない。そうすれば、こんな事態を未然に防げたかもしれないのに。
(何言ってんだよ、お兄ちゃん)
「なんだ。お前、怒ってないのか?」
頭の中で、「ふう」とキョージのため息が聞こえる。頭の中に風が吹いたみたいで、妙にこそばゆい。
(“剣の力”そのものでもあるぼくから言わせれば、あれはどうしようもなかったよ。それこそ、父さんを“鏡の力”もろとも消し去らないといけなかった。でもそんな選択肢は選べないから、こうなるのは必然だったんだ。この事態はお兄ちゃんのせいじゃなく、悪魔とやらのせいさ」
「まるで見ていたような言い方だな」
(今はお兄ちゃんと共存してるような状態だからね。お兄ちゃんが見聞きした物は、ぼくも同じように感じることができるんだ)
「なるほどな。しかし、負の感情のお前に励まされるとは。複雑な気分だな」
(そのうえ、十歳も年下なのにね)
「――うるさいなァ」
俺は子供っぽく唇をかんだ。
一つ咳払いをし、話を元に戻すことにした。
「さっき俺が走っている時、どうして急に呼び止めたんだ?」
(そうそう、それそれ! お兄ちゃん、あそこに行く方法も考えずに飛び出したでしょ)
図星だった。まあ、キョージは俺自身でもあるから、頭の中を読まれていたとしても不思議ではない。つくづく憎たらしい奴め。
「――それじゃあ、お前は何か策があるのか? 俺に思いつけないものを、お前が思いつけるとも思えないが」
(大丈夫。ぼくはお兄ちゃんの知らない情報をいくつか持ってるからね)
「なんで封印されていたお前の方がモノを知ってるんだよ。まあ、いいか。時間が無いんだ。ご教授願います」ペコリと一礼。
(え~っとねぇ。それじゃあ、あのお城に登って!)
城に登れって、その城に登る方法を訊いているんじゃないか。
しかし、それが思い違いであることをすぐに悟った。キョージが言っている城は、宙に浮かぶ漆黒の城のことではない。その斜め下。』青夏サマーキングダム』の中央にそびえ立つ城のことを言っているのだ。あそこなら、俺の脚で三分もあればたどり着く。
「よくわからないが、あそこに行けば何とかなるんだな?」
「うん、お願い!」
キョージに指示されるまま、おれは再び『青夏サマーキングダム』に入園した。
入口の正面、この遊園地の中央には、おとぎ話に出てくるような城がそびえ立っている。目を細めれば、全体的に正三角形のような裾が広いシルエットをしている。元は白い外壁が美しかったのだろうが、風雨により所々が崩れ、黒い染みが汗のようにこびりついている。この遊園地で最も高い建造物であるが、その威厳は既に消え去っている。年老いた老人が、過去の栄光を誇示しているような湿っぽさを感じる。
「たしか、これを登るんだったな」
(うん。だけど、展望室までじゃないよ。正真正銘のてっぺんまで登るんだ)
「なに!?」
中央の尖塔には展望室があり、客は通常そこまでしか上ることはできない。しかしそこではなく、屋根の上まで行けと言うことらしい。
ここまで来て引き返すわけにもいかない。「ちょっと失礼します」一秒でも早く上るため、俺は外壁に指を突き刺し、蜘蛛のようによじ登った。
到着。周囲に遮るものは何もなく、ひときわ強い風が体を撫でながらすり抜けていく。真夏とは言え、朝の風は火照った体に心地いい。
全てのアトラクションが自分の視線より下にあり、まるでこの遊園地の王様になったような気分だ。残念ながら、民は誰もいないのだが。
しかし感慨にふけっている暇も無い。俺は自分の頭の中に問いかけた。
「言われたとおり登ってきたぞ。それで、次はどうすればいい?」
(ありがとう、お兄ちゃん。あとはぼくがやるから、お兄ちゃんはどこかにつかまっていて。ちょっと痛むかもしれないから)
痛む? 不安になるが、俺は言われたとおりつかむところを探した。当然屋根の上には何もないので、仕方なく屋根に指を食い込ませる。
(準備はいいね? じゃあ、行くよ!)
「フッ!」と、キョージが力を込める声が響く。
するとどうしたことか、急に背中が、左右の肩甲骨の辺りから締め付けられるような痛みが生じた。骨がギシギシと軋み合い、急激に熱を帯びていく感覚だ。
「くうっ!?」
(我慢して! すぐに終わるから!)
九歳児に気を遣われるなんて癪だ。俺は全ての歯を食いしばり、うめき声一つ上げないように顎に力を込めた。
キョージの言うとおり、その痛みは十秒と経たずに収まり始めた。ジンジンと鈍く痺れるような違和感があるが、痛みや熱は無い。
いや、違和感はもう一つあった。先ほどから背中が少し重い。風が吹く度、後ろに引っ張られる。まさか、いや、まさか……。
恐る恐る自分の背中へと首をよじる。
そこには、真っ黒な翼が生えていた。鳥の翼と蝙蝠の翼の中間のような、見たことも無い翼が生えていた。大きさは、自分の体をすっぽりと包みこめる程度。触ってみると表面はふわふわしているが、内部には引き締めた筋肉のように硬い弾力が感じられる。温度は感じられず、輪郭に沿って青白い光沢を放っている。
「な、なんだよ、これ……」
(ほら。ぼくって、お兄ちゃんを黒い獣にしようとしていたでしょ? 最終的には、この翼も生やす予定だったんだよ)
「お前、俺の体をどこまで改造するつもりだったんだよ……」ゾッとしないとはこのことだ。
(とにかく、これであの黒いお城まで飛んで行けるよ。最初はぼくが動かすから、その感覚をちゃんと覚えてね。ぼくだけじゃ、長くは動かせないんだ)
「ああ、了解。ここまで来たら、もう何でもアリだ!」
最初のスライムの戦いから驚くことばかりだった。感覚は既に麻痺している。
(わかった。それじゃあ、羽ばたくよ!)
バサァというビニールのような耳障りな音と共に、背中に生えた黒い翼が広がる。前方から吹く風を目いっぱいに受け、羽の一枚一枚がザワザワとはためく。本当に自分の体の一部になったように、風を受ける感覚が肩から伝わってくる。鳥になった気分だ。
十分に風を蓄えたところで、俺は尖塔の先から跳んだ。それと同時に、キョージが翼を上下に動かす。俺の体はふわりと浮き、観覧車を越え、砂浜を越え、海に出た。
全身に風を受けながら、俺は空から朝日を眺めた。こんなに美しく、気持ちのいい朝日を見たことがあるだろうか。しかし、視界の端には汚らしい瘴気が映り、眉をひそめる。人命もそうだが、この美しい風景まで悪魔などにくれてやる訳にはいかない。
俺は頭上を睨んだ。待ってろ、父さん。今行くから!




