一話【開戦の砂浜】
藤間先生は、俺に説明してくれた。
――自分と父さんが教授とゼミ生の関係だったこと。父さんが先生に協力を求めたこと。魔界の素材を加工し、数々のアイテムを作ってくれたこと。チャップマンに姿を変え、俺を陰から何度も助けてきたこと。
「あとは、君に勇者のなんたるかを教え説くこともな。だから、この襤褸を着て、別人になり切っていたのだ」
チャップマンがフードを取ると、そこには白いひげを蓄えた藤間先生の顔が現れた。案の定それは付け髭で、面倒そうに外すとボストンバッグにしまい込んだ。体は長身のままなのに、顔は真ん丸なのだからバランスが悪い。
「しかし、大変なことになったな……」
先生は目を細め、空中に浮かぶ漆黒の城を睨みつけた。俺たちが見ている目の前で、城とそれを支える大地が徐々に広がっていく。
「……あれは何ですか!?」
城の内部には細長い棒のようなものが何本も生えている。その先から、赤黒い煙が噴き出した。それは勢いよく空に伸び、城の上空で徐々に広がりを見せていく。煙突だろうか?
先生は顔をしかめ、酷く苦いものを口にしたような声で答えた。
「あれは、魔界の瘴気だ」
「瘴気?」
「鏡治君から聞かなかったかね? 魔界には瘴気が満ち満ちている。こちらの世界からしたら毒だが、魔界に住む者にとっては無くてはならないものだ。それが無ければ、こちらの世界では長くは生きられない」
「つまり、あの城はこの世界を魔界の環境に作り替えようとしているわけですか?」
「そうだ。そして……あれこそが悪魔の棲む城なのだ!」
先生の芝居がかった大声が足元の砂を揺らす。
あそこには、父さんがいる。いや、あの城そのものが父さんというべきか。父さんの言っていた、悪魔の“強硬手段”とはこのことだったのだろう。
父さんとの会話を先生に話すと、ふむなるほどと大きくうなずいた。
「鏡治君の話によると、悪魔は一年かけてゆっくり瘴気を現世に行き渡らせ、時間が来たら現世を一気に転覆させるつもりだったらしい。
しかし、鏡治君の本当の狙い、そして叶銘君の成長を恐れ、事を急いだのだろう。まずは無理やり自分の城を現世に召喚し、力づくで世界を侵略する――そういった腹積もりだろう」
こうして話している間にも、瘴気の雲は空を覆っていく。よく見ると、その雲の付近から何かが落ちていた。今の俺の視力ならわかる。海鳥の死体だ。直接触れたわけでもないのに、突如眠りに落ちたかのように苦しむことなく落下していく。
幸い、この近辺に街は無い。しかし、人や動物が全くいないわけでもあるまい。それに、相手は地球全体を侵略するつもりの悪魔だ。このまま放置すれば、世界を魔界に染めるまで決して侵略の手を緩めることは無いだろう。
俺は両手で自分の頬を叩いた。
「――俺が行きます。俺が世界を守って見せます!」
こんな俺が、あんな巨大なものを相手にどこまでできるか分からない。しかし、放っておけるわけも無い。世界中には、魔物たちと戦う組織が続々現れていると聞く。しかし彼らの出撃を待っていれば、その間に一体何千……いや、何万の人々が被害に遭うだろうか。
それに、あの中には父さんがいる。ここで逃げたら、父さんに失望されてしまいそうだ。父さんは世界を敵に回してまで家族を助けようとしていたのに、その息子が、自分の身可愛さに世界を見捨ててどうするのか。
横で黙っていた先生が、くつくつと肩を震わせた。
「何がおかしいんですか?」
「いやあ、すまんすまん」先生は呼吸を正すと、目に浮かんだ涙を拭った。その涙は笑いによるものなのか、どうなのか。
「儂が鏡治君に君を任されたとき、確かに了承したさ。だが、正直に言うと君にはあまり期待していなかった。君の目には、光が無かったからな。もっと言うなら、濁っていた」
「なんですか、それ。失礼な」俺は唇を尖らせた。
「まあ、そうむくれるな。今では、儂の見解がどれだけ甘かったか身に染みてよくわかっておる。講義を通して様々な勇者の生き様を君に説いたが、今の叶銘君は、その勇者たちに引けを取らない輝きを放っておる!」
藤間先生の性格もあるのだろうが、ここまでまっすぐ褒められたことが無いので照れてしまう。
「自信を持て、勇者よ! 君なら勝てる! この世界を救える! 君の勇姿を、君の父親と、この老いぼれに見せてくれェ!!」
そう言って、俺の背中を渾身の力で平手打ちする。なんとか倒れず踏みとどまったが、体の中の空気を絞り出すようにむせてしまった。
何が老いぼれだ、この馬鹿力め!
先生のボストンバッグには、各種アイテムが入っていた。残り少なかったものを、すべてかき集めたらしい。それらを全て自分のウエストポーチに入れた。
「おお、そうだ! これを着ていきなさい!」
そう言って手渡されたのは、黒く光沢のある革だ。広げてみると、それはいわゆるレザーアーマーと呼ばれる類のものだとわかった。古めかしさはなく、地味なレーシングスーツのようにも感じる。
一見すると墨のように真っ黒だが、光に当てると銀河のように複雑な光の反射を見せた。まるで、手の中に宇宙が広がっているようだ。
「儂の自信作じゃ! 鏡治君が魔界で食糧にしていた魔物の皮から作った。肉は不味かったが、皮の質は超一級品じゃ。まさに、この世のものではないほどにな!」
食べたのか、魔物を……。
苦笑いしながら袖を通していく。まるで、戯流堵の制服を初めて着た時のようだ。広げてみた時は自分の体より一回り小さく見えたが、俺の体に合わせて柔軟に形を変える。まるで全身タイツでも着たかのようなフィット感だ。試しに体を捻ったり曲げたりして見ても、自分の動きを阻害するような感覚が無い。服を着ているのを忘れてしまいそうなくらいだ。
「それと、ほれ。こっちの充電も終わったぞ」
先生の皺だらけの手には、俺のスマートフォンが握られている。ここからの戦いはネイサの力も不可欠だろう。ネイサは起動させると急速にバッテリーを消費するため、その充電を頼んでいたのだ。
「チャップマン、もうオワカレか……」
「もうちょっと嬢ちゃんと話したかったがなぁ。残念じゃが、時間が無いんじゃ」
ネイサは、春ごろにチャップマンからもらったアプリだ。つまりこの二人は親子みたいな関係にある。この戦いが終わったら、ゆっくり二人で話をさせてあげるのもいいだろう。二人に俺は随分サポートされているのだから、それぐらいの恩返しはすべきだ。
スマートフォンの画面には、ネイサのいつもの仏頂面が映っている。最後の最後まで、表情のない奴だ。
「ホラ、カナメ。チャッチャと終わらせて、茶でもシバクぞ」
このぶっきらぼうな話し方もいつも通りだ。深刻な事態にあるというのに、なんだか気が抜けてくる。しかし、だからこそ、俺は適度にリラックスしながらここまで戦ってこられたのかもしれない。もしもそうなら、もうちょっとだけネイサに感謝してやろう。
全ての準備が整った。勇者としての、おそらく最後の戦いになる。
「しかし、なんだか寂しいものですね」
「む? 何がじゃ?」
「だって……」そう言って、俺は周囲を見回した。
空には漆黒の城が浮かび、頭上では赤褐色の瘴気が空を埋めている。海は静かに飛沫を上げ、その遠くでは山々が控えめに並んでいる。俺の他に、人間は年老いた藤間先生一人しかいない。
「勇者の最後の戦いにしては、殺風景すぎないですか?」
俺の一言に、藤間先生は顔をトマトのように赤くして怒鳴りつけた。
「バカモン! 華々しい生き方をしたいなら、勇者ではなく貴族にでもなればいいのだ! そもそも、こんな危険地帯に他に人がいないことを喜ばんかい!」
俺は耳を手でふさいだ。
「わかってますよ、ちょっと贅沢言ってみただけですから……」
「フンッ! やっぱりまだまだ頼りないのう」
そう吐き捨て、先生は俺の尻を思い切り蹴った。前のめりによろけ、砂浜にダイブしそうになる。
「ほれほれ! さっさと言って、チャチャッと世界を救ってこんかい!」
「わかりましたから、子供のお使いみたいに言わないで下さいよ……」
勇者の最後の戦いが、こんな始まり方でいいのかな……。
そんな不安もよぎったが、悪魔の城を視界に捉えた瞬間、急速に集中力が高まる。まるで、自分の体が鉄になったかのように冷静さを取り戻す。一度大きく深呼吸した。
少しだけ待っててよ、父さん。
俺は駆け出した。城を正面に、ただまっすぐに。




