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親愛なる勇者へ 親愛なる魔王へ  作者: 望月 幸
第六章【勇者の内側を見てごらん】
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六話【鏡治の真意】

 ふわりとミルク色の霧が晴れ、俺を閉じ込めていた白の空間は跡形も無く消え去った。

 目をこすり、俺は元の世界を見回した。太陽が覗いている。山の稜線を黄金色の光で縁取りながら、じっくりと昇って行く。観覧車に乗った時から数時間は経っていたようだ。一時間も経っていないはずだったが、あの空間は時間の流れが異なるのかもしれない。そういえば、小鳥たちのさえずりが近くから聞こえる。

 目の前には『青夏サマーキングダム』の看板が見える。左右が反転していないから、どうやら鏡の世界からも抜け出してきたようだ。

 とりあえず歩き出した。

 遊園地の門の前には、海を臨むように木製のベンチが備え付けられている。

 そこに父さんが座っていた。腕と脚を組み、石になったかのようにまっすぐ海を眺めている。鈍くうねる群青の海に、黄金色の光が一本の道のように伸びていた。

 そのベンチの後ろに立ち、俺も無言でその風景を眺めた。キラキラと無秩序に煌めく水面を眺めていると、海の中に吸い込まれるような錯覚を覚える。


「――ねえ、父さん」


 自然と口が開いた。

 父さんは俺に背を向けたまま、ゆっくりと立ち上がった。改めて見る父さんの後ろ姿は、なんだか小さく見えた。少なくとも俺の目の前にいるのは、世界を侵略する魔王などではなく、一人の父親だった。今になって気が付いたが、今では身長も俺の方が高い。

「おかえり」

 短い一言を言い終えると、父さんはようやく振り返った。朝日の眩しさと逆光で、父さんの表情は良く見えない。だけど、その表情は笑顔だったはずだ。


 柵を乗り越え、俺と父さんは裸足になって砂浜を歩き出した。踏みしめる砂はほんのり温かく、踏みしめる度に足が包み込まれて心地いい。

「――キョージとは、決着は着いたんだな?」

 父さんが、恐る恐るといった様子で話しかける。こんな弱気な父さんは、父さんが魔王になって以来初めて見た気がする。

「まだ、決着が着いたとは言えないんだ」そう言って、俺は自分の胸を叩く。父さんは怪訝そうな表情でそれを見ていたが、ようやく合点がいったらしい。

「お、お前……キョージを倒さずに、帰ってこられたのか!?」

 砂に足を取られながら、父さんは少し大きな声を出した。やはり父さんのプランでは、俺がキョージを消滅させ、過去のしがらみを消し去ってしまうつもりだったようだ。

「まだ保留の段階だよ。父さんを倒すのか、許すのか。キョージを消すのかどうか。だから、今はキョージとは休戦中だ」

 俺は、白の空間でのことを話した。さすが魔王というだけあって、荒唐無稽な話をしても驚かない。しかし、この世で唯一の俺の父親だ。“自分の息子”と“息子の分身”との闘いの詳細を聞いて、動揺を隠しきれないでいた。

「――随分無茶な戦いをしたものだな」

「そうなるように仕組んだのは父さんだろ」

 俺たちは同時に、大きなため息をついた。そして、再び無言で歩き出した。太陽はすっかり昇り、その真ん丸な姿を山の上に浮かべている。


「――それで、父さんと戦うのか?」

 次に口を開いたのは父さんだった。足を止め、俺を輪郭のはっきりした瞳で見つめている。俺も足を止めた。振り返れば、二人分の足跡がまっすぐ伸びている。遊園地は小さくなり、寂しそうに朝日を浴びていた。

「さっきも言ったけれど、まだわからないんだ。本当に、父さんと闘いたいのかどうか。もう少し、時間が欲しいんだ」

「そうか……」父さんの眉が落ちる。落胆しているのか?

「――そうだよ、父さん。家に帰ってこいよ!」慌てて俺は、取り繕うように言葉を繋げた。

「なんで魔王なんかになったのか知らないけどさ、そんなのやめちゃえよ! とっくに死んでいるからって、世間に目を付けられてるからって、それがなんだよ! 魔王なんだから、それくらいどうとでもなるだろ!?」

「…………」父さんは無言で、自分のあごひげを撫でている。

「母さんも彩音も、別に怒っちゃいないよ。四人でゆっくり話し合おう! それでも闘うことになったら……それはその時考える!」

 自分でも驚きながら、懸命にしゃべり続けた。まるで自分の口だけが別の意思を持って、勝手に動いているようだった。ひょっとしたら、俺の口はキョージの意思も乗せて動いているのだろうか。

 父さんはやれやれと言った表情で、鼻で嘆息を漏らした。

「……やれやれ。割と無口なお前がそんなにしゃべるとはな、驚いたよ」

 頭をポリポリと掻いて、父さんは海の方は向きなおした。俺もつられて、父さんの横に並ぶ。


「もう、時間も無さそうだからな」


 ポツリと、そんな言葉が聞こえた。

「そうだな、今さら隠し事も無しにしよう。

 父さんが魔王になった最大の理由は、お前の予想通り、キョージを消し去るためだった。お前の憎しみを増幅させ、確実に名枕に“カミキキョウジ”と刻ませる。そして最後の最後、私に向けられた全力の力を、キョージに跳ね返して存在を消滅させる――そんなプランだ。

 残念ながら、これは失敗したようだがな。まさか、お前がキョージと和解するとは思わなかった。正直、私の予想以上の結果かもしれないがな」

「そうか、やっぱり……」

「珠恵の力も限界が近づいていた。母さんまで命を落とし、キョージが最悪の形で復活する恐れもあった。しかし、もうその心配はなさそうだ」

 横目で父さんの横顔を盗み見る。こんなに穏やかな表情、お釈迦様でもなければ無理だろう。

「でもさ、父さん。たったそれだけのために、世界中を巻き込んだ、こんな騒動を起こしたの?」

「まあ、ここまで事を荒立てるのは私の本意ではなかった。しかし、そういう契約だったからね」

 契約? あの廃ビルで聞いた、悪魔との契約のことか?

「だがな、叶銘。この騒動が町内会レベルだろうが、宇宙規模のものだろうが、私にはどうでも良かったんだ」

 もう一度父さんの横顔を見る。その目は自信に満ち溢れていた。自分の行動に一点の後悔も間違いも無かったと、雄弁に語りかけている。


「大事な家族のために、一家の大黒柱が立ち上がる。素敵なことじゃないか!」


 ガッハッハと豪快な笑い声を上げた。俺は目頭を熱くしながら、つられて笑い声をあげていた。父さんの笑い声がさざ波を揺らしている。何て恥ずかしくて、迷惑で、豪快で、家族思いの男なのだろう。

 ようやく父さんが笑い終えた後、俺は一言だけつぶやいた。

「愛情が重すぎるよ。父さん」

「でも、悪くないだろ?」


「だがな。私は謝らなければならないことがある」

 父さんの声の温度が下がる。俺は、自分の体内がサッと冷えていくのを感じた。寒気がする。嫌な予感がする。

「まず一つは、たくさんの人を傷つけたことだ。お前の目の前でも、友人を傷つけてしまったな。本当に、すまなかった」

 父さんは俺を正面に頭を下げた。

 今思えば、あれも父さんに対する憎しみを高めるための演出だったのだ。しかし、俺もアキトも怪我を負い、美津姫に至ってはあと数秒遅ければ命を落としていた。

「謝るなら俺じゃなくて、被害に遭った人たちに直接謝ってこいよ。だからそのためにも、こっちの世界に留まってくれよ」

「……そう。もう一つは、そのことだ」

 いよいよか。俺は心を決め、まっすぐに父さんの目を見つめる。

「……父さんが魔王をやめられない理由だ。

 私があの世からこの世へ干渉するためには、ある悪魔との契約が必要だった。その悪魔は強大な力を持っているが、他者を通してしかその力を行使することができない。つまり、優秀な駒を欲していたんだ。

 利害の一致した私たちは契約を交わした。私は現世に干渉するため。悪魔は私を通して現世を侵略するため。しかし私は侵略する気など全く無かったから、現世に流す魔物を最小限に留め、それも唯一対抗できる叶銘にぶつけるしかなかった」

 あの廃ビルで、父さんは「娯楽として、息子と魔物を戦わせている」という趣旨の説明をしていた。しかしその実は、魔物による被害を最小限に留める意図があったのだ。

「そんな私に、悪魔は次第に不信感を抱いていった。そして、無理やり自分の手先をねじ込んできた。あの猿の魔物や、黄金の鎧も、悪魔の直属の部下だった」

「そういうことか……」戦ううちに気が付いた。明らかに人間に敵意をむき出している魔物と、そうでない魔物とがいた。前者が悪魔の送り出した魔物で、後者が父さんの魔物だったのだろう。


 ゴホッ!

 

「と、父さん!?」突如、父さんが片膝を突いた。口からは血が漏れ、脚の間に血の水滴が垂れ落ちている。

「そ、そして……悪魔は、ついに、痺れを……切らし……」

「今はしゃべるなよ! 早く病院に飛ばないと……ああ、でも魔王だってバレないか……」

「いいから、話を……聞きなさい」

 俺に肩を抱かれながら、父さんは努めて気丈に振る舞っている。ヒューヒューと、口からか細い息が漏れている。

 俺は父さんの気迫に押され、次の言葉を待つしかなかった。

「悪魔は、強硬手段に出た。このままでは、自分の目的を……達成できないと思ったんだ……」

「強硬手段?」それが、父さんのこの状態と関係しているとしか思えない。悪魔の力は、父さんの力を通して行使される。その反動が、父さんに甚大な負荷を掛けているんじゃないか。

 ゴハァッ!?

 ひときわ大きくせき込んだ。それと同時に、腕の中の父さんの体がゴツゴツといびつにうねり始める。

「とっ、父さ――」その体を検めようとして、父さんに思い切り突き飛ばされた。体中に砂がまとわりつく。

 砂を払いながら父さんを見ると、そのスーツの下で別の生き物が蠢いているかのように、体が大きく波打っていた。父さんはそれを苦悶の表情で抑え込もうとしているが、その勢いは徐々に激しくなっていく。

 やがて布が破れる音と共に、服の中から何かが飛び出した。それは岩に見えた。巨大な岩の棘だ。

「叶銘……離れ……ろ…………」

 次々と岩の棘が飛び出していく。棘と棘の間から、さらに新たな棘が現れ、父さんの体が隠されていく。

「カナメ! ボンヤリするな!」

 ネイサの声にハッとした。父さんが岩に呑みこまれていくのを呆然と見ていた。気が付けば、俺の足元にまで棘が伸び始めている。

 ごめん、父さん! 踵を返し、父さんに背を向けて走り出した。やっと、ゆっくり話し合えたのに。やっと、わかりあえそうだったのに――!

 歯がゆさを噛みしめながら、ただ走ることしかできなかった。破壊することしかできない、自分の能力の不便さを呪った。

 岩と岩が擦りあい、軋む音が聞こえなくなるまで、俺は走った。




「ハアッ、ハアッ、ハアッ――!」

 ドクンドクンと、鼓動が耳に響く。頭の中に心臓が入っているような気分だ。砂浜の端、切り立った崖の前まで走り込んでいた。岩の音は、もう聞こえない。

 父さんはどうなったのだろう?

 振り返るのが怖かった。そこには、俺の知っている父さんの姿は無いだろう。それを見るのが怖かった。できることなら、このままこの世の果てまで逃げ出したい気分だ。

 だけど、それは許されない。俺はキョージと約束した。“きちんと、父さんと話を付ける”と。それに、父さんを見捨てることはできない。命を落としても、世界中を巻き込んでも、家族のことを考えてくれていた父さん。一体、誰が見捨てることなんてできる?

 意を決し足を向ける。体を回す。視線を上げる――。

 自然と口が開いた。

 そこには、巨大な城が浮かんでいた。まるで、西洋の城を地面ごと引っこ抜いたようだ。大きさは、控えめに見積もっても山一つ分はある。

 その城は漆黒を映し、明らかに人間の城とは異質の存在だとわかる。城の下部には、幅を広くした松ぼっくりのように岩の棘が鱗のように塊を形成している。よく見れば、今でも主に横方向に増殖を続けている。城を支える大地が広がるにつれて、その上には漆黒の建造物が生えてくる。

「あれが、父さん……?」

“変わり果てた姿“そんな言葉では足りない。一人の人間が、一つの大地になろうとしている。悪魔の強硬手段とは、このことか?


「なんということだ、鏡治君……!」


 声!?

 咄嗟に振り返る。しかし、背後にも崖の上にも、いくら見回しても人の姿は見えない。こんな時に、新たな魔物か!?

「このやり取りも、何回目かのう?」

 その言葉にデジャヴを感じた。しかし、なんでこんなところに?

 俺は恐る恐る、視線を下げてみた。そこには、夏休みに入って以来一度も会わなかった、小さく太った老人が立っていた。

「まったく。君は相変わらず失礼だね、叶銘君」

「藤間先生!?」

 やはり、藤間先生だ。この人も不思議な人物であることに変わりないが、どのようにしてこんなにタイミングよく、この場所に現れたのだろうか?

「君も随分表情豊かになったな。とりあえず、その疑問に答えてやらんとな」

 藤間先生は、いつものボストンバッグを横に置いていた。そこに手を入れると、中から汚れきった襤褸ぼろが現れた。それを身にまとい、フードをかぶる。

 するとどういうことか。縦に引き伸ばされるように、みるみると身長が高くなっていく。ついには、俺の背丈を越えてしまった。

 その姿には見覚えがある。一回目は、最初の魔物であるスライムを倒した時。二回目は、ネイサをもらった時。どこからともなく現れて、俺に助言を与えてくれたあの人物。

「――藤間先生が、チャップマンだったんですか」

 その長身の老人は、コクリと首肯した。

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