十一話【三者三様】
叶銘はクラクラする頭の中で、母親の話を要約した。
神木家は古くは平安時代から、その特殊な力で要人や国の財を守護してきた。不思議な力に対する畏怖が、今より遥かに大きかった時代だ。その力は“神の如き力”とも謳われ、それはやがて彼らを“神の器”と呼ばれるにまで押し上げた。“神木”とは、神器から来たのだ。
そんな神木家も、時代の流れと共にお役御免となっていた。特殊な力は、頼りにもなるが恐怖にもなる。当時の神木家の頭領は、そんな時勢を察したのだろう。神木家はその素性を隠して、遠く離れた地に移り住んだという。
力を隠す内に、それはやがて消滅していった。しかし先祖がえりとも呼ぶのか、ある日全盛期の叶銘家を超える力を持つ子供が生まれた。それが、神木鏡治。叶銘の父親にして、現代の魔王だ。
その強大な力は、嫁いできた珠恵にも影響を与えた。長男の叶銘にも遺伝した。鏡治には“鏡”の力が、珠恵には“勾玉”の力が、叶銘には“剣”の力が宿っているのだ。幸か不幸か、彩音にはそのような力は見られないらしい。
珠恵が頻繁に旅行に出かけていたのも、その勾玉を作りに行っていたためらしい。それはなぜか? 叶銘の内に眠る、あの黒い獣を封じるためだ。
「信じられないでしょうけど、そういうことなの。私も鏡治さんに教えてもらった時は、なにがなんだかチンプンカンプンだったわ」
努めて明るい声で話す珠恵だったが、その胸中がいかに不安だったのか、叶銘は何となく理解していた。自分も数か月間、ずっとそうだったのだから。
「いいんだよ、母さん。こんな状況だと、むしろ説得力があるよ」
そうして、ふと笑みがこぼれた。
やっと、腹を割って話せた。特殊な家庭環境ではあったが、不思議と不安は無くなっていった。
そもそも、おかしいと思っていたのだ。自分の夫が魔王となって地球侵略に繰り出しているのに、動揺している様子はほとんど無かった。始めの内こそ「何かの悪戯だと思い込んでいる」と叶銘自身も納得しようとしていた。しかし、種明かしすれば単純なものだ。自分の夫が、特殊な力を持っていることを知っていたのだ。
それでも母親への不信感を完全には拭いきれなかった。しかし、これぐらいで十分だと思った。珠恵には、自分の子供に対する悪意のようなものが全く感じられなかったのだから。
それに、最も辛い思いをしているのは間違いなく彼女だから。夫が地球侵略に乗り出し、息子は得体のしれない化け物に侵されようとしている。玉枝の小さな肩には、どれだけの重荷がのしかかっているのだろうか。
「ありがとう、母さん。迷惑かけたね」
自分は場違いではないかと考えていたアキトが、おそるおそる口を開いた。
「まあ、神木家に特殊な力があるのはわかったよ。実際に見たし、俺も守られたしさ。でも、あの黒い獣は結局何なんだ? その、叶銘の“剣の力”って奴なのか?」
それは叶銘にとっても、最大の疑問だった。ご先祖様の話より、今直面している問題が優先だ。
叶銘は直感していた。もう一度黒い獣に変身したら、今度こそ誰にも止められないのではないかと。誰かの血に染まった自分の姿が頭をよぎり、口元を手で押さえた。
「それについては、誰よりも詳しい人がいるわ。私が話すこともできるけど、その人から聞くのが一番いいから」
そう言って、珠恵は一枚の紙を差し出した。叶銘が受け取ると、そこには電話番号が書かれていた。どこかで見たような番号だなとぼんやり思った。
「電話して訊けばいいの?」
「そうよ。ただ、今すぐは止めておきなさい。ちゃんと体を休めて、心を落ち着かせて、万全の状態で電話しなさい」
叶銘は訝しんだ。ただ話を訊くだけにしては、随分物騒ではないか。まるで、戦地に赴く人間への言葉じゃないか。その証拠に、珠恵の顔は真剣そのものだった。叶銘はもう一度紙に視線を落とし、丁寧に畳んでポケットに入れた。
外から寂しげな音楽が流れてきた。時計を見ると、もう午後六時になっていた。窓の外を見下ろせば、手を繋いだ親子が笑顔で家路についている。
「じゃあ、私はもう帰るわね。叶銘も、いつ帰ってきても大丈夫だから。アキト君に迷惑かけちゃダメよ」
「これ以上かけないよ」苦笑しながら叶銘が返事をすると、珠恵は満足そうな笑顔で立ち上がった。
「あっ。俺、送ってきますよ。叶銘、ちょっと待っててくれよ。鍵は掛けとくからさ」
慌ててアキトも立ち上がり、珠恵の横に連れ添う。
その後ろ姿を見送って、叶銘はもう一眠りすることにした。疲労が抜けきっていないのか、電源が切れたように、あっという間に眠り込んでしまった。
その時アキトは、珠恵の肩を支えながら、駅に向かって歩いていた。彼女の顔色はみるみる生気を失い、脚は痺れて力が入らなくなっていた。アキトがいなければ、一歩足を踏み出すことさえ敵わなかったかもしれない。
「ふふ……私の方が迷惑かけちゃったわね。ごめんね、アキト君」
「別に、大丈夫っすよ」
アキトは、自分が小柄なのを少し悔やんだ。なぜ自分には、体を大きくする魔法が無いのか――と。
「おばさんも、ゆっくり休んだ方がいいっすよ。俺も、神木家とは違う種類の力だけれど、魔法が使えるからなんとなくわかるんすよ。結構無理して、あの黒い奴を抑え込んでんでしょ?」
黙り込む珠恵。どこまで話すべきかと逡巡した結果、正直に話すことを選択したようだ。アキトを神木家の事情に巻き込み過ぎた罪悪感もあるのだろう。情報を出し惜しみするのはフェアではない。
「叶銘には、内緒にしておいてね。大丈夫。少なくとも、あと半年は耐えられるから」
「じゃあ、その半年過ぎたらどうなるんすか」
「…………」言葉は出なかった。
額をぽりぽりと掻き、アキトは前を向いたまま口を開いた。
「俺からは、あいつに何も言いません。それに、何も言う必要はないと思うんすよ」
「どうして?」
「あいつは、やるときはやってくれるからっす。まだ一年半くらいの付き合いっすけど、俺は知ってますから。叶銘は意外と、タフな男だって」
そこまで行って、アキトは照れくさくなって顔を珠恵から背けた。夕日にあたるその頬に、若干赤みが差していた。
「――叶銘は幸せ者ね。こんなにいい友達がいるんだから」
そう言って、珠恵はアキトの毬栗頭をわしわしと撫でた。一層照れくさくなったアキトは、ちょっと早歩きにしてやることでささやかな反抗をした。
引きずられる形になった珠恵の体は、男性としては小柄なアキトにとっても、マネキンのように軽く感じていた。
「申し訳ありません。神木叶銘を仕留めることはできませんでした」
「お前が失敗するとはな。情でも移ったか?」
「いえ。そのようなことは、決して」
「――どうした? 何やら、不満そうな顔だな」
「そのようなことはありません。ただ……」
「ただ?」
「ただ、気になったのです。少々、事を急ぎ過ぎているのではないかと」
「予定が狂いつつあるのだ。お前も今回のことで、わかったはずだろう」
「…………」
「あの男、何をするつもりなのだろうな。こちらの命令を聞いているようで、明らかに別の目的を持っている」
「しかし、彼の代わりはいません。あの能力の持ち主は、もうしばらく現れないでしょうし」
「わかっている。しかし、このまま奴の好きにさせ続けるわけにもいかん。神木叶銘は目障りだが、奴の成長を考えると、こちらも悠長にはやっていられんようだ」
「私はどうすれば?」
「今は傷を癒せ。その時が来たら、もう一度闘ってもらうぞ」
「了解しました」
丁寧に一礼し、自分の主人に背を向ける黄金の鎧。空っぽの体の中には、自分の主人に対する不信感が満たされ始めていた。
「やあ、先生。こんな格好ですみませんね」
ベッドに横たわる鏡治は、目の前で椅子に座るローブの老人に弱々しい声を掛けた。老人は一度目を細め、おもむろに鏡治の腕を持ち上げた。
「なんじゃ、だらしない。儂より細い腕じゃないか」
「え、いやぁ……さすがにそこまで細くはないはずですが……」
老人は窓の外に顔を向ける。相変わらず、魔界の空は毒々しいほどに紅い。
「お主の御自慢の家庭菜園も、雑草で一杯になっていたぞ。しかし、魔界の雑草は呆れるほど生命力があるな。抜いた傍から、新しく生えてきおるわ」
「そんな、先生。そこまでしてもらわなくて結構ですよ」
「そうはいかんだろう。あれが無いと、叶銘君の道具を作れんではないか」
「それは、確かに困りますが……でも、もうそろそろ必要なくなると思いますよ。あいつも段々、痺れを切らしてきたみたいですから……」
「まったく。特別な力というのも考えモノじゃな」ハアと大きく老人がため息をついたところで、どこからか軽快な音楽が聞こえてきた。魔界では本来聞く機会のない、電子的な音楽だ。
鏡治がごそごそと布団の中で腕を動かし、それを引っ張り出した。携帯電話だ。その画面を見て、口元に笑みが浮かぶ。
「魔界でも電話がつながるのか。さすが技術大国日本じゃな」
「科学技術じゃなくて、僕の能力の応用ですよ。褒めてください」
「侵略者を褒める言葉は持ち合わせておらんでな……叶銘君かな?」
その言葉には答えなかったが、表情からおおよそのことが推測された。
鏡治は自分の体を重そうに起こし、ベッドから這い出た。敷布団には汗がじわりと染み込んでおり、背中は肌が透けて見えるほどの汗をかいていた。老人は声を掛けようとしたが、自分の体が冷えてきたことに気が付いた。魔物たちの毛で編んだローブが無ければ、普通の人間はあっという間に凍え死んでしまう。全身を魔界の毛織物で包んでいるが、それでも長くは滞在できない。呼吸をするたびに、体内に魔界の瘴気が蓄積してしまうのだ。
「一度シャワーを浴びてから行きます。先生も、そろそろ時間でしょう? また次回お会いしましょう」
「……次回があると、覚えておいていいんじゃな」
「ええ、もちろんですよ」
なかなか服を脱ごうとしない。努めて元気に振る舞っているが、その体はどうなのだろうか。背を向けると、ようやく衣擦れの音が聞こえてくる。
「最後に、一つ訊いていいか?」
「最後だなんて言わないで下さいよ。縁起でもない」
「そう意味では……まあ良い。お主、儂がチャップマンにならなかったら、どうするつもりだったんじゃ? 他の誰に叶銘君のサポートを任せたんじゃ?」
鏡治はポカンとした表情を浮かべた。脳みそがどこかに飛んで行ったような顔だ。
「――参ったなぁ、全く考えていませんでしたよ。先生がお人好しなのは、僕がゼミ生だった頃から知っていましたからねぇ。断られていたら……どうすれば良かったんだろうなぁ。古いバイトの先輩にでも頼んでいたかな?」
まったく、この男は。苦笑しながら、チャップマンは魔界から消えた。
全ての身支度を整え、鏡治は姿見に自分の姿を映した。思えば、この服を着るのは地球侵略宣言をしたあの日以来だ。
「短い間だったけど、楽しかったなぁ――」
そうつぶやいた時には、鏡治の姿は消え失せていた。
主人を失ったログハウスは炎に包まれた。全ての決着が着いた頃には、灰になり、魔界の風に身を任せていた。




