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親愛なる勇者へ 親愛なる魔王へ  作者: 望月 幸
第五章【力は加速し、最悪の敵と相見える】
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九話【怪盗モンブラン】

 アキトと颯太、二人の目の前で黒い獣が動く。黒い霧が尾を引き、周囲の植物を枯らす。まさに黒い疾風。瞬きする間に獣は鎧との距離と詰め、その首を丸のみせんと巨大な口を開ける。

 しかし負傷しているとはいえ、黄金の鎧も黙ってはいない。半壊した大盾からゆらりと陽炎が立ち、それを地面に叩きつける。するとまるで地面に巨大なコンロでも埋まっていたかのように、いくつもの火柱が立ち上る。

 しかし、黒い獣は全く怯まない。その体に、青白い血管のようなものが浮かび上がる。

 グォン!

 そのまま腕を一振りすると、全ての火柱が呆気なく吹き飛ばされた。残された熱風だけが、茂みに隠れる二人を覆った。

 地面に手を突き、無防備になった鎧の首を獣の口が過たず捉えた。ガリッと固い音を滲ませ、すぽんと引っこ抜くような気軽さでその兜を咥えて放り投げた。夕日を浴びて煌めきながら、ガシャンと地面に叩きつけられる。

 しかし驚くべきことに、首を失った鎧は何事も無かったかのように立ち上がった。颯太の見た通り、やはりその中身は無かった。

 しかし、鎧の体力が限界なのは明らかだった。その脚は今にも崩れ落ちそうで、手にした槍と大盾は景色に溶け込むように消滅してしまった。

 落ちた兜に気を取られていた獣は、その気配を察して振り向いた。しかしその時には、鎧は自らの輪郭を曖昧にし、風に吹かれる白もやとなって消えていく。完全に破壊せんと拳を握り跳びかかる獣だったが、その拳が振り下ろされた時には、鎧はその場から消滅していた。

 後に残された獣は座り込み、金属がこすれ合うような不快な音で吠えた。アキトと颯太は急いで耳を塞いだが、手を通り抜けて鼓膜を、頭の中を小刻みに震わせる。

「……おい、大丈夫か」

「うげぇ……なんとか」

 猛烈な吐き気を堪えながら、二人は互いの無事を確認し合う。頭がグラグラするが、外傷は無い。

 しかし前方を見やれば、黒い獣は依然としてその場に座ったままである。細かく喉を鳴らしながら、頭上を仰いでいる。まるで、物思いにふけっているようだ。その姿に似合わない人間らしさを漂わせている。しかしその鼻が、ヒクヒクと細かく動いていることをアキトは見逃していなかった。

「――いいか? お前はこのまま隠れてろ。ここはあの鎧の炎で焦げ臭いから、臭いで見つかることは無い」

 颯太の耳元でアキトが囁きかける。その声が緊張感に満ちていたので、颯太も知らず知らずのうちに体を固くした。

「それはいいけどさ。アキト兄ちゃん、何する気だよ?」

「アイツを止めてくる。ほら、見てみろ」

 その言葉に促されて獣を見る。獣は空を仰ぐのをやめ、やおら立ち上がるとゆっくり歩き始めた。その目には暗い光が鈍く光っている。頬のあたりの肉が持ち上がり、笑みを浮かべているように見える。

「まずいな、登山者か誰かを見つけちまったみたいだ。早く行かねぇとな」

 何も言葉が出ない颯太の肩を掴み、その瞳をまっすぐ見る。その眼力に引き寄せられて、颯太は一瞬も目を離すことができなかった。

「信じられないかもしれねぇけどさ、あの黒いのは俺の友達なんだ。このままじゃ、あいつは人を襲っちまう。それだけは避けなきゃならねェ」

 颯太は無言でうなずく。

「だから、俺は今からあいつを止めに行く。それができるのは、今この場には俺だけなんだ」

「……ひょっとして、一緒にザリガニ捕ってくれた、あの兄ちゃんなの?」

 震える声で尋ねた。アキトは静かに、首を縦に振る。

「……じゃあさ、これを持ってってよ。僕のお守りなんだ。きっとアキト兄ちゃんを守ってくれるよ」

 そうして、颯太は首にかけていた勾玉のペンダントをアキトに渡した。それを見てアキトは軽く目を見開いた。

「いいのか? 大事なものじゃないのか?」

「いいんだよ。何が起きてるのかわかんないけどさ、僕も、あの兄ちゃんが人を襲うなんて嫌だよ。それをアキト兄ちゃんが止めてくれるなら、僕は応援したいんだ」

「――そうか。ありがとよ」

 アキトはペンダントを両手で受け取り、自分の首にかけた。ひび割れ、一部が欠けた青い勾玉が、アキトの首元できらりと煌めく。

 そして、右手で鈍く光る猫の指輪に軽く口づけをした。目を点にしている颯太の目の前で、足元からアキトの姿が透明になっていく。十秒とかからないうちに、その毬栗頭まで颯太の視界から消え失せてしまった。

「さあ、行くぜ。怪盗モンブラン様の一仕事だ」




 茂みが一度大きく揺れ、穴が開く。ちょうど人の歩幅で、下草が次々潰されていく。その音に反応して黒の獣は首を振ったが、そこには何も見えないからか、怪訝そうに首をかしげる。透明になったアキトが、一直線に獣に向かって走っているのだ。

 一瞬、獣の口角が上がり、にやりと邪悪な笑みを滲ませた。その視線は地面に向かい、突き出た鼻と尖った耳とが、ピクピクと細かく反応している。

 颯太にもわかった。獣はアキトの位置を完全に把握している。姿が見えないから、その透明の足に踏まれる地面と、隠しきれない音と匂いを感知しているのだ。

 まずいよ、アキト兄ちゃん! 透明になったのはすごいけど、アイツにはバレてるよ!

 颯太の心の中の悲鳴も空しく、獣はその腕を思い切り振りまわす。ゴキリという嫌な音と主に透明なものがはじけ飛び、近くの木が大きく揺れた。見えないにもかかわらず、颯太は思わず目を背けた。

 アキトはあっさりやられたのだ。獣の腕に易々と引っかかり、その太い腕でゴミのように吹き飛ばされて、叩きつけられたのだ。颯太は手で口を押え、悲鳴が飛び出さないように体を強張らせた。


 ドスッ!


 その颯太の目の前で、獣が急に首を横にそむけた。いや、まるでぶん殴られたように、首が弾かれたのだ。

 獣の煌々と光る眼が一瞬弱々しくなる。その隙を突くように、獣の首が、手足が、胴体が、次々に見えないモノに攻撃を加えられていく。その顔に苦悶の表情を浮かべながらも、獣は抵抗した。体を振り、腕を乱暴に振り回し、自分の体に纏わりつくものを振り落としていく。

 颯太はぽかんと口を開けて、ただただその様子を見ていた。何が何だかわからなかった。アキト兄ちゃん、一体何人いるんだよ?

 頭がこんがらがった颯太の元に、獣に弾き飛ばされた“何か“が飛んできた。「うわわっ!?」咄嗟に透明のそれを抱きとめて、颯太はその正体が何かおぼろげに把握した。子供の颯太の腕に収まる、その動物。颯太自身も、何度も触れてきた動物だけに、透明でも何となくわかった。

 それは猫だ。アキトではなく、透明な猫だったのだ。腕の中の透明な猫を抱えて、彼の腕は鉄のように固まっていた。しかしほどなく、その透明猫の体重が軽くなっていき、ゼロになった。手触りも無くなっている。消えてしまったようだ。


 えっと……つまり、今闘ってるのはアキト兄ちゃんじゃなくて、手下の猫たちってことなの?


 現代っ子の颯太だからか、受け入れるのは早かった。アキトには不思議な力があり、自分の姿を消すのはもちろん、手下の猫たちを召喚する力もあるのではと想像した。

 そう思って観察していると、確かに吹き飛ばされる透明なものは、ちょうど猫ほどのサイズだ。飛ばされても飛ばされても、新たに現れている(と思われる)猫たちが獣に跳びかかって行く。

 しかし、状況は一変した。獣を形作っている黒い霧が、ぶわりと広範囲に広がった。すると、黒い霧の中にくっきりと猫たちの姿が現れる。颯太は、アイスコーヒーに浮かぶ氷を思い出した。

 あれっ? 獣を覆う黒い霧の密度が薄くなったことで、颯太の目には“ソレ”が見えた。

 人間だ。体長三メートルはあろうかという、狼のような黒い獣。その内部に、四つん這いになった人間の姿がうっすらと見える。その人間も真っ黒なため、顔も服装もわからない。

 ただ、颯太と同じくらいの、子供の体型だとはわかった。


 なんだよ、あれ。あれが、獣の正体?


 その時、獣と目があった。颯太の心臓が一度大きく跳ねた。

 獣は呼吸を整えながら、一歩一歩確実に近づいてくる。気が付けば、颯太は茂みから突き出す形で前のめりになっていた。子供ならではの好奇心が、彼の体を無意識のうちに動かしていたのだ。

 ズドン!

 颯太は体を丸くした。獣が跳びかかってきたのだ! そう思ったからだ。

 しかし、獣はその場で足を踏ん張っていた。何か、重いものにのしかかられたように。

 飛び散っていた黒い霧が、徐々にその物体の姿を露わにしていった。

 それは、今度こそアキトだった。姿を隠す必要が無くなったからか、元の姿に戻っている。

 引き締まった腕が獣の首に絡みつき、力強く締め上げている。その手には、緑色の勾玉が煌めくペンダントが握られていた。颯太から受け取ったものとは別のものだ。

「おいコラッ、暴れるんじゃねェよ! 誰のためにやってると思ってんだ!?」

 何とか振りほどこうと、ロデオのように獣が首をねじり、体を揺らす。その度にアキトの体はあっちへこっちへと揺さぶられるが、その二本の腕が緩まることは無かった。筋肉が隆起し、万力のように首を締め上げる。

 獣の尾が針のように尖ったのは、その時だ。暴力的な剣山になったそれは、伸びて、曲がり、しがみつくアキトの背中に狙いを定めた。振り返る余裕などないアキトは、そのことに気が付いていない。


「アキッ――!」


 颯太の声も間に合わない。尾がアキトを貫く瞬間、颯太は初めて本気で、神様に祈った。

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