七話【最悪の敵】
ザッザッと音を立てながら、無動山を上へ上へと進んでいく。時々地面を見下ろすが、薪になりそうな木材は見つからない。手ごろなサイズの木材は、水分を吸ってズシリと重い。しっかり乾燥した枯れ木は、指先で簡単に折れそうなほど細々とした枝だけだ。
チチチチという小鳥の鳴き声に顔を上げる。ここに来た時のような日差しはもう感じられない。既に陽が傾いてきたようだ。キャンプファイヤー(の練習)後の後片付けも考慮すれば、早めに帰らないといけない。さすがに泊まり込みの用意はしていなかった。テントはあるが、寝袋やシートなどは持ってきていない。
「おっ、これはいいんじゃないかな」
人の腕程の太い枯れ枝が落ちていた。小突いて見ると乾いた音が響く。満足してリュックに入れるが、まだまだ量は足りなさそうだ。汗を拭って、また歩き出す。シャリシャリとした落ち葉のこすれ合う音だけが涼しげに聞こえる。
気が付いたらかなり没頭していたようだ。ずっと地面を見ながら歩いていたからか、時間が経つのも忘れていた。額から垂れた汗がちょうど目に入って沁みた。顔を上げて、首にかけていたタオルで汗をぬぐい取る。
「――なんだ、あれ?」
夕日に照らされて、紅葉に染まったかのような無動山の木々。その山頂へ向かう方向に、白いもやのようなものが見えた。霧かな? と思ったが、こんな時間に霧が発生するとも思えない。それになにより、範囲が狭く、濃い。
ひょっとして、山火事か!? だったらヤバいぞ! 逃げようかと思ったが、まだ消火できるかもしれない。意を決して、そのもやに駆け寄った。
ブワッ
風に吹かれたかのようにもやが広がり、瞬時に取り囲まれた。もやは無臭で、ひんやりと冷たい。冷房が効きすぎた部屋に入ったかのように、体中の熱が吸い取られる感覚に襲われる。
(――ここまでです)
風切音のようなノイズ混ざりの、どこか優しげな声が聞こえた。少年のようなその声は、しかしどこか冷たい。
突然の出来事に狼狽する俺に構わず、謎の声はさらに言葉を紡ぐ。
(叶銘さん。あなたは少し、強くなり過ぎた)
声の位置は常に変わっている。目の前から聞こえたと思ったら、耳元を通り抜け、背中から聞こえる。それでわかった。声の主は、このもやだ。包み込み、絡まりながら、ただ声だけを投げかけてくる。
(僕たちの主人が、ついにあなたを邪魔ものだと認識した。だから――)
ウエストポーチの謎空間から名枕を取り出す。リュックを下ろし、バンドを手で握る。
(死んでください)
「ふざけるな!」
白いもやが殺気を込め、濁流のように俺を巻き上げようとする。その奔流を、リュックをぶん回してかき消す。まるで、川の中でもがいているようだ。振りほどいても振りほどいても、途切れることなく襲い掛かる。もやは肉体など持っていないはずなのに、体中が軋むように徐々に締め上げられていく。
早くここから抜け出さなければ!
リュックを振り回しながら、同時に首も回す。すると、もやの密度の薄い箇所を見つけた、わずかではあるが、夕日の紅い光がじんわりと滲んでいる。
「そこだ!」渾身の力を籠め、その淡い光に向けてリュックをぶん投げる。ブワリと穴が開いたようにもやが晴れ、白いトンネルが出来上がった。
飛び込む! 穴を塞がれる前に、一息に跳んだ。坂を転がりながら後ろを振り仰ぐと、綿あめのような濃いもやが徐々に凝縮していく。それはやがて人型を成し、俺を見下ろした……ように思える。
そう断定できなかったのは、それが全身に鎧を纏っていたからだ。まるで現実的ではない、スリムすぎる鎧姿。その中に人が入っているとは到底思えず、まるで、鎧そのものが生きているかのようだ。
カチャリと音を立てて一歩踏み出す。太陽の色をそのまま映したかのような黄金の鎧は、悠然とした動きで足を踏み出す。その右手には、冷たい光を放つ白銀の槍。左手には鎧の色と同じ、滾る炎のような紋様の描かれた大盾を持っている。
今までの相手とは格が違う――違いすぎる。
冷たい汗をかきながら、ポケットからスマートフォンを取り出し、ネイサを起動させる。ネイサもただならぬ気配を察してか、いつもの軽口も叩かず真剣な眼差しを向ける。
「――ナニ、アレ?」
「わからないけど、強敵なのは間違いない。時間を稼ぐから、あいつの名前を探しておいてくれ」
「ウン、ワカッタ」
短いやり取りを交わし、俺は改めて黄金の鎧を見やる。既にいくつかの魔物の情報を仕入れてはいるが、こんな奴は聞いたことが無い。そもそもからして、雰囲気が違いすぎる。今までは獣のような魔物が多かったが、ここまで人間に近い姿の物は初めてだ。
それに何より、気がかりなことがある。
「主人って、俺の父さんのことか? それに、お前どこか――」
ガシュン!
俺の話を遮るように、鎧は槍を突き出し、弾けた。まるでボウガン、いや、大型弩砲のようだ。いくらスリムとは言え、武器を含めた総重量は100kgを軽く超えているだろう。それが獣のように跳びかかってきたのだ。
咄嗟に右に躱す。魔物との戦いに突入して身体能力の上がった俺でも、かろうじて避けるのがやっとだった。
しかし甘かった。視界の端から黄金の壁が迫っていた。あの大盾だ。体勢を立て直せないまま、俺は左半身でその大盾を迎え入れた。まるでトラックが衝突したようだ。骨にヒビが入っていく感覚と共に呆気なく吹っ飛ばされた。鎧は木々を発泡スチロールのように粉砕しながらスピードを落とし、再び体を俺に向けた。
桁違いだ。あのスピード、そして攻撃範囲。完璧に躱すのは至難の業だ。このままでは勝てない。負ける。死ぬ。
遠くから金属の音が聞こえる。それと合わさるように、地面から微かな振動が伝わってくる。それらは、徐々に大きくなっている。近づいている。とどめを刺すために力を蓄えているのだろうか。
どうすればいい? どうすればいい!?
思考を巡らせる俺の目の前に、テントウムシがちょこちょこと歩いてきた。俺に見られていることに気付いたのか、一度ピタッと止まり、羽を広げて飛び去ってしまった。
ズドンと、ひときわ大きい振動が響く。間違いない。さっきと同じ、バリスタの如き一撃だ。首をひねると、全身から光を放つ鎧が閃光のように森を貫いている。
煙幕を張っても、槍は避けられない。麻痺注射はあの体に刺さらないだろうし、その前に俺があの槍に貫かれている。相手の名前がわからなければ、名枕は大した武器にならない。
それなら、残された武器は自分の体だけ。両の手を握ったり開いたりを繰り返し、体の調子を確かめる。腰を落とし、真正面から突撃する鎧を迎え撃つ体勢を整える。
槍が眼前に迫る。その先が俺の胸を貫く――そのコンマ一秒前、体を捻り、槍の直撃を避ける。軽く脇腹を掠めたが、構ってはいられない。勢いそのままに、鎧に思い切り足払いを掛ける。その猛烈な勢いが災いし、鎧はなすすべなく転倒し、騒がしい音を立てながら転がり落ちていく。その途中で槍も大盾も手から離れ、鎧は完全な無防備になった。
チャップマン印の痛み止めを飲み込み、鎧が立ち上がる前に跳びかかった。うつ伏せになっていた鎧に馬乗りになり、首と腕を締め上げた。槍で刺してやろうかとも思ったが、まだこいつを退治するわけにはいかない。この鎧は、明らかに重要な何かを知っている。思うに、その「主人」とやらの側近に違いない。何も知らない百匹の魔物を倒すより、この鎧一体の方が得られる情報は多いはずだ。
「おい、さっきの質問に答えろ! お前は父さんの命令で来たのか?」
「…………」
鎧は答えない。しかし、俺は半分確信していた。
こいつは、父さんとは違う奴の命令で動いているのではないか――と。父さんは、俺との戦いをエンターテイメントと言っていた。約束の日まで、まだ半年以上の猶予がある。こんなタイミングで、こんな強敵を差し向け、一気に勝負を決めようとしているとは思えない。この戦いを遊びだとは思っていない何者かが俺を仕留めようと刺客を差し向けた――そう思えてならない。
「ネエ、カナメ――」
ポケットからネイサの声が聞こえる。ようやく名前の検索が終わったようだ。
「さあ、準備が整ったぞ。俺は相手の名前がわかれば圧倒的に優位に立てる。今のうちに知っていること全部話せば、魔界にでもどこにでも帰してやれるぞ」
まるでチンピラのようだが、やむを得ない。相手は世界を狙う魔王たちなのだ。得られる情報は早いとこ手に入れなければ後手後手に回ってしまうだけだ。
「口を割る気は無いってことか。とりあえずネイサ、この鎧の名前を教えてくれ」
俺の腕の中で、鎧の兜が微かに回る。何かを言おうとしているようだ。罵声か、情報か、命の嘆願か。それは後でゆっくり聞くとして、ネイサの声に意識を集中した。
「無いンダヨ。いくら探シテモ、見ツカラナインダヨ……」
鎧の兜が百八十度回転した。その面に目は無いのに、目があったような気がした。
体に激痛が走った。見下ろすと、鎧の背中から棘が生え、俺の体を串刺しにしていた。
コホッと、鎧に血を吐く。鎧の腕が付け根から回転して、自分に付いた血を拭い、穴だらけになった俺を棘から抜いて放り投げた。地面に落ちた衝撃で、ほんの少しだけ薄れた意識が戻った。
その目に映ったのは、霧のように輪郭をぼかしながら、不自然な姿勢で立ち上がる鎧だった。見る見るうちに泥や俺の血が消え去り、最初に見た時のような曇りひとつない輝きを放つ。遠くから、例の白いもやが鎧の手元に集まってくる。それはやがて形を成し、あの白銀の槍と炎の大盾に戻った。
「自己紹介をしていませんでしたね。まあ、しても仕方がないんですが」
あの声だ。白いもやの中で聞いた、優しげな冷たい声。違うのは、ノイズが無く、くっきりと輪郭のある声だということだけだ。
「お前は……何なんだ……」
「『誰だ』じゃなくて『何だ』ですか。いいところを突いていますね」
鎧だから表情は見えないが、その声はどこか満足そうだ。
「僕の名前は“ジョン・ドゥ”です。日本風に言えば、“名無しの権兵衛”といったところでしょうか。ね? 意味なかったでしょう?」
大盾の炎の紋様が歪む。それは本物の炎のように揺らめき、周囲に陽炎を纏う。その盾から発せられる熱が、ジリジリとこの一帯を焦がそうとしている。
「だから僕は、誰でもあって、誰でもない。この鎧は本当の姿ではないし、そもそも本当の姿なんて存在しない」
鎧は、こちらに向けて大盾を地面に突き立てる。舞い上がった落ち葉は瞬時に発火し、灰になって朽ちていく。
「もうお分かりでしょう。僕は、あなたの“天敵”なんです。最初から勝ち目など無かったと、諦めながら果ててください」
爆ぜる轟音と共に、大盾から炎が発せられる。まるで巨大な赤い拳のようだ。灼熱の塊が周囲を蹂躙しながら、一直線に俺に向かってくる。きっと、灰すら残らないだろう。
まだだ……まだ間に合う。
名枕に手を伸ばし、口元に持ってくる。「ほのお」と三文字つぶやけば、それでこの攻撃を防ぐことができる。
しかし、口からはひゅーひゅーと、乾いた風が出るだけだ。もう、声も出せない?
「さようなら、叶銘さん。色々楽しかったですよ」
灼熱の騒音の中で、その声が微かに聞こえたような気がした。
太陽の如き火球が視界を覆いつくす。その光と熱を感じながら、俺の視界は黒く塗りつぶされていった。まるで黒い霧に包まれるのように、懐かしい温かさで――。




