五話【キャンプの練習】
八月四日。
「兄ちゃん、何してんの?」
リビングで荷物の確認をしている俺を彩音が突っついてきた。その指を振り払い、メモと照らし合わせながらチェックしていく。
テント、ロープ、飯盒、チャッカマン、新聞紙……昨日の内に物置から引っ張り出してきた諸々のものを床に並べる。先日マスターからもらった腕時計は、既に着けている。
「何って、見ればわかるだろ。キャンプ用具をまとめてるんだよ」鬱陶しいので、そう早口に答えた。
「ふーん。兄ちゃんがキャンプとは、イメージと違うなぁ」
「俺のイメージって、どんなだよ?」
「クーラーの効いた自分の部屋で、ベッドに寝転がって漫画読んでるとか」
「大正解。ピンポンピンポーン」
「そんな兄ちゃんが、一体どういう風の吹き回し。アキトさんが関わってるのは、だいたい予想がつくけど」
「そこまでわかってるなら、説明なんていらないだろ?」
「いつもの無茶振り」「いつもの無茶振り」
二人で大きくため息をついた。もはやアキトの傍若無人ぶりは、我が家に知れ渡っている。
試験が全て終わった日のキャンパスで、俺・アキト・美津姫はキャンプに行く予定を立てた。最初はアキトがゴリ押しした計画だったが、いざ具体的に話を進めて行くと、三人とも乗り気になってしまった。アキトが人をその気にさせるのを得意にしているのを忘れていた。
その時は大体の日程と役割分担を決めるに終わった――はずだったが、ここでアキトの悪い癖が出てしまった。
それは、美津姫がオカ研の方に去って行った直後のことだ。その姿が見えなくなると、アキトはパンッと手を合わせ、土下座でもしそうな勢いで俺に一つの依頼をした。
「頼むっ! キャンプ“本番“の前に、予行練習に付き合ってくれ!」
「ほあっ!?」という変な声が出た。頭の中まで「ほあっ!?」で一杯だった。そんな、運動会や卒業式じゃあるまいし、“キャンプの練習”とはどういうことか。
「まあまあ。むしろあれくらい元気な子が友達じゃないと、叶銘は出不精のまま、体にカビが生えちゃうじゃない」
いつのまにか、彩音の後ろに母さんが立っていた。洗い物で濡れた手を拭きながら、満面の笑みで俺を見下ろしている。まるで小さい子供を見るような眼差しで、俺は居心地が悪くなってそっぽを向いた。
「照れなくてもいいじゃない」そう言われると、逆に照れてしまうのは俺がまだまだ子供だからなのだろうか。
二人が俺をいじるのに飽きた頃、やっと準備が整った。予行練習とは言え、持ち運びできる限界近くの量になってしまった。確かに一度は経験を積んでおかないと、当日は相当手際の悪い、つまらないキャンプになってしまうだろう。美津姫にもかっこ悪い姿を見せてしまう。アキトの発言は迷惑なようで、意外と的を射ているところがあることを今さら再認識した。
既に陽が高く上っている。遅刻なんてしたら、アキトがどんな意地悪をしてくるのかわからない。高校時代のジャージに着替え(汚れてもよく、動きやすいからだ)、顔を洗って髪型を軽く整える。短くなった髪は、軽く整髪剤を付けてわしわしかき混ぜるようにするだけでいい感じにまとまってくれる。
「それじゃ行ってきます」
「はいはい、行ってらっしゃい」「行ってらー。お土産待ってるよ~」
俺はパンパンに膨らんだ大型のリュックを背負い、ふらつきながら玄関扉を開けた。
「キャンプに土産なんて期待するなよ」
そう吐き捨てて、俺は駅へと脚を向けた。
そうして、再び大黒駅に降り立った。あの日以来だ。
高く上った太陽が容赦なく日差しを降り注ぐ。体中から汗がにじみ出るが、俺の体は震えだしそうだった。瞬きをするたび、あの夜の光景がよみがえろうとする。動物たちの血の臭い、猿の魔物の耳障りな声、空から落下する感覚。あの日の恐怖が、背中からおぶさるように忍び寄る。
俺はかぶりを振り、日陰のベンチに腰を下ろした。汗をぬぐい、持ってきた大きめの水筒からスポーツドリンクを一口飲む。そうしてやっと落ち着いてきた。一緒に駅に降りた乗客たちは、みんな既に改札の向こう側だ。
「ここで待つか……」
アキトとは駅のプラットホームで待ち合わせている。まるでご主人様を待つ忠犬のようだが、この得も言われぬ不安は拭い去ることはできない。汗を拭き、平常心を保ちながら空を仰いだ。
そうしているうちに、次の電車がやってきた。電車の中から、麦わら帽子をかぶった男が手を振っている。とても大学生の見た目とは思えない。これで半袖短パンだったら、俺は何も言わず帰っていただろう。電車から飛び出したアキトは、大量の荷物にも関わらず脚を弾ませてこちらに寄ってきた。
「アキト、遅かったね」
「何言ってんだよ。ちゃんと集合時間前に来てるぞ。それに、今日は珍しく来客も来たんだからよぉ……」
「こういうのは、言いだしっぺが先に来るもんだよ」
「かァーっ! この優等生ちゃんがっ!」
ポポイッと荷物を放り出し、アキトは一瞬の内に俺にヘッドロックを仕掛けてきた。アキトの汗まみれの腕にちょっと顔をしかめたが、いつの間にか俺の頭からはあの夜の残滓は抜け切っていた。
本当に、この馬鹿には敵わないな。




