四話【新手の講義】
四月二日。
あんな出来事の後とは思えないほど、大学は平和そのものだった。やはり昨日の魔王の声明は、ただの変なおじさんの悪戯か何かだと思われているのかもしれない。時々すれ違う学生たちがその話題をしているのを聞くと、恥ずかしいような、罪悪感のようなものを感じ、耳を塞いでその場から離れたくなった。
「叶銘、随分眠そうだなぁ」
隣に座るアキトは、そんな僕の心情を察してか、昨日の出来事の話題は一切口に出さなかった。
僕らは昨日の行動をなぞるように、今日も構内を歩き回ってサークルのビラを集めた。ここらが潮時かと思ったあたりで、再び“へそ出し亭”で昼食をとることにした。サークル・部活動に精を出す男たちの熱気が充満し、ぼんやりビラ集めなどしていた僕らは、その熱気に押しやられて窓際の席に並んだ。
「ああ。昨日はちょっと、布団もかぶらずに眠っちゃってさ」
「なんだ。まだまだ夜は寒いんだからさ、体壊すんじゃねぇぞ」
「うん、気を付けるよ」
そう答えて、スタミナ丼をかきこんだ。男ひしめくへそ出し亭の人気メニューだ。ガツンと濃い味の焼肉が、寝ぼけた体に喝を入れてくれる。
「今日で、受ける講義は大体決めておきたいね」
「そうだなぁ。早く決めないと、俺も仕事やデートに身が入らないし……」
昼食を平らげた僕らは、昨日に引き続き春期に受ける講義を考え始めた。シラバスと手帳を広げ、何曜日の何時限目に何の講義を受けるか埋めていく。
僕の方は既にほとんど埋めていたので、何か面白そうな講義はないかシラバスの目次を眺めていた。その中に、初めて見る、しかも奇妙な講義の名前があった。
“勇者冒険学”
なんだこれは? 頭の中がハテナで埋まった。勇者……冒険……そんなものを大学で教えるのか?
その講義のページを開くと、概要はこのようなものだった。
〈概要〉
本講義では、我らの世界を脅かす魔王、そしてそれを打ち倒す勇者について、座学と実践を踏まえて知識を深めていく。
我々が魔王と対峙することは、歴史的に見ても初めてのことである。それゆえ学生諸君は漠然とした不安に駆られるだろうが、何事も備えることで、いざというときの対処を可能にする。その助けとして、本講義は新しく始まった。
魔王に立ち向かわんとする勇者は、必ず参加してほしい。
突拍子のない内容に首をかしげた。そんな僕の様子を訝しむように、アキトは僕の顔を覗き込んだ。ちょうどいい、アキトに聞いてみよう。
「ねえ、アキト。この“勇者冒険学”ってさ……一体なんなんだろうね?」
「ああ。その講義、単位取るのは難しいけれど、結構面白いらしいぜ? 登録してみたらどうだ?」
なんと、あっさり受け入れている。
「へ、へぇ……そうなのか? だったら、アキトも一緒に受けてみる?」
「いやぁ、俺はいいよ」
「なんでさ。面白いんだろ?」
「いや、そうらしいんだけど……。俺にもよくわからないんだけどさ、なんか、なぜだか受ける気にならないんだよなぁ」
要領を得ない言葉ではぐらかすアキト。しかしふざけているわけではなく、自分でもどうしてそう言ってしまうのか、わかっていないようであった。
そもそも先ほどの言葉もおかしい。新しく始まった講義だというのなら、「面白いらしい」という評価もありえないはずだ。まだ誰も受けたことがないのだから。
そして最もおかしいのが、その講義を受けることを、自分が前向きに検討していることだった。唐突な出来事による気の迷いか、ただ単純に面白そうだからか、自分でもよくわからない。
ただ、この講義を受けることによって、僕は父親に近づけるのではないかと心のどこかで思っていた。奇妙な出来事を解決するためには、奇妙な世界に突入するしかないのだと。
まあ、所詮は大学の講義だ。僕は手帳の月曜日一時限目の欄に「勇者冒険学」と書き込んだ。