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親愛なる勇者へ 親愛なる魔王へ  作者: 望月 幸
第四章【勇者に必要なのは、動機と敗北だ】
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一話【思い出の鎖】

「……お父さん、待ってよぉ!」

 ぼくとお父さんは近所の廃ビルに肝試しに来た。元々は“ざっきょビル”というものらしいけれど、ぼくには“ざっきょ”が何かわからなかった。

 きっかけは、ぼくが彩音をバカにしたことだ。「五歳にもなって、夜中に一人でトイレにいけないんだ~」とからかったら、彩音は泣いてしまった。それでお母さんに怒られていたら、お父さんが面白半分に提案した。

「じゃあ、お兄ちゃんには勇気があるところを見せてもらわないとな!」

 えっ!? と思った時には、ぼくはお父さんの肩に担がれて車に乗せられていた。知らない人が見たら、誘拐だと勘違いされたと思う。


 そんなわけで、ぼくとお父さんは肝試しでここに来た。しかも雨が降る夜中のことだ。久々にお父さんを本気で恨んだ。

 その廃ビルは五階建ての、ただ四角いだけのつまらない建物だった。懐中電灯で照らしてみると、ぼんやりと光の円が染みだらけの壁を照らした。ガラスは全部割れ落ちてしまったみたいで、反射する物が何もない。中まで照らそうとしてみても、闇が全てを飲み込んで何も見えない。

「叶銘! あそこっ、幽霊がいるぞ!」

 ビクッとして、お父さんの指差す方向に光を向ける。

 そこには、ふわりと浮かぶ白い幽霊――と思ったら、カーテンがはためいているだけだった。そんなぼくの様子を見て、お父さんは笑いをこらえていた。顔を真っ赤に火照らせて、お父さんの足を思い切り踏んでやった。

「イテテ……。なんだ、やっぱり叶銘も怖がってるじゃないかぁ」

「こ、怖くなんかないよ! お父さんが大声を出したから、ちょっとビックリしただけだよ!」

「なんだ、そうかいそうかい」

 そう言って、お父さんは妙ににやついている。こういう顔をするときは必ず悪いことを企んでいるので、ぼくは嫌な予感がした。

「ただ入って見学するだけじゃ面白くないよな。よし! ビルの屋上まで競争だ! それじゃヨーイドン!」

 言うが早いか、お父さんはダッシュでビルの扉に飛び込んでいった。

 ぼくの意見を訊こうとすらしない。というより、訊いたところで考えを変えてくれなかっただろう。

 一度、目の前の廃ビルを見上げた。雨垂れの染みがこびりついた壁は頼りなく、ちょっと強い風が吹いただけでバラバラに崩れ落ちてきそうだ。

「……お父さん、待ってよぉ!」

 置いて行かれる恐怖が、暗闇とか幽霊だとかの恐怖に勝った。ぼくはお父さんの後を追って猛然と駆け出し、足元も見ずに階段を駆け上がった――。




 重いまぶたがようやく開いた。懐かしい夢を見ていた気がするが、目が覚めると同時に忘れてしまった。思い出そうとしても、その光景は霧の中に霞んで浮かび上がらなかった。

「……暗いなぁ」

 手を伸ばして厚手のカーテンを開けると、そこには小さな夜空が見えている。曇っているせいで、星空を拝むことはできなかった。

 自分の体を探ってみると、どうやら戯流堵の制服のままのようだ。

 それならと胸ポケットに手を伸ばすと、ちゃんとスマートフォンが収まっていた。ボタンを押すと「4月24日水曜日 23:18」と表示される。

 そうか、あの猿と出会ってから、丸一日経っているのか……。

 そうだ、僕はどうなったんだ!? 手を首に伸ばす。あの猿の万力のような手に潰されて、僕の首はへし折られたはずだ。その時の嫌な音と感触は、寝起きの頭でも容易に思い出せた。しかし、

「……なんともない?」

 痛みも無ければ、猿の手形もない。首は何事も無くつながっている。指先から、頸動脈を流れる血液の鼓動が伝わってくる。頭の上に手をかざしてみても、天使の輪っかのようなものは無さそうだ。とりあえず、僕は生きているらしい。

 ――わけがわからない。

 どうして僕は生きているんだろう? どうやってあの猿から逃げてきたんだろう? あの猿はどうなったんだろう? 疑問はいくらでも湧いてくるが、その答えはどうしても思い浮かばない。


「あ、兄ちゃん……おふぁよ~」


 突然、足元から彩音の声が聞こえた。

 つと視線を向けると、そこには僕の脚を枕にして眠る彩音がいた。彩音は一つ大あくびをすると、部屋の電気を点けた。

「彩音? お前、泣いて……」

「えっ!? いやいや、違うよ! あくびした時の涙だよ、見てたでしょ!」

 一気呵成にまくし立て、彩音は袖で涙をぬぐった。

 その光景を見て、思い出してしまった。

 僕が小学四年生の時、ゴンタと喧嘩した後のことだ。いつの間にか僕は、病院のベッドで眠りこけていた。あの時の彩音も、僕の足元で眠りこけていた。思えば、あの日以来彩音が泣くことはすっかり無くなってしまったように思える。

「いつ帰ってきたのか知らないけれど、兄ちゃん今朝から眠り込んでてさ。あたしとお母さんが帰ってきてもまだ寝てるし、なんだかうなされてて……ああ、そうそう。机の上におかゆ置いてあるよ」

 彩音のそんな言葉も、ぼんやりとしか聞こえていなかった。その涙が、僕の記憶のトリガーを引いてしまった。


 あの時の僕は、何を考えていたんだっけ。

 ああ、そうだ。「ぼくがしっかりしなくちゃ。神木家の男として、彩音のお兄ちゃんとして、ぼくが家族を守るんだ!」そう誓ったんじゃなかったのか。

 それなのに、どうだ。僕は負けた。また、母さんと彩音に迷惑をかけてしまった。

 

 僕は、なんにも強くなんてなっていなかった……。

 

 名枕を使えるから何だ。アルバイトを始めたから何だ。魔物を倒したから何だ。成長した気になって、その実なんにも変わっていないじゃないか。

 思い上がっていたのだ。僕は立ち上がるべきではなかった。

 そもそも魔物との戦いだって、僕が立ち向かう必要なんて無かったんじゃないか。最初のスライムだって、電車やタクシーで逃げれば良かったんじゃないか。その後の戦いだって、警察や自警団が近いうちに対策本部を建て、なんとか対処してくれたんじゃないだろうか。名枕より、よっぽど頼もしいはずだ。


 ふと違和感を覚えて、もう一度首元に手をやる。彩音にもらってからずっと着けていた、母さんの勾玉のペンダントが無くなっていた。猿の魔物との闘いで落としてしまったのだろうか。

 母さん、悲しむかな? 怒るかな?

 僕は再び枕に頭をうずめて、まぶたを閉じた。今は、何も見ていたくなかったから――何も感じたくなかったから――。




 久々の長距離バスは酷く疲れた。首は痛いし、尻も痛い。

 本当なら目いっぱいリクライニングしてやりたかったのだが、運悪く後ろの席に別の客が座っていたので遠慮していた。とっくにゴールデンウィークも終わって空いているのだから、別の席に移ってくれればいいのに! そんな心の叫びは届かない。

 だから、サービスエリアでの十分休憩は百分休憩ぐらいの価値に感じた。

「あっ、おっちゃんも土産派か!」

 トイレに行かず土産屋の方を回っていると、バスで隣に座っていた金髪青年が声をかけてきた。

 彼はゴールデンウィークに一度実家に帰り、そのまま遊び呆けて、今になって愛智県に戻るところらしい。突然私に声をかけてきたときは少し驚いたが、彼が言うには、居酒屋で出会った変な店員と私がよく似ていて、つい声をかけてしまったらしい。どんな変人か知らないが、迷惑な奴がいたものだ。

 私は若者との会話に飢えていたようで、彼との会話が思いのほか弾んでしまった。やはり、若い人間との会話は格別だ。何日もインディカ米を食べた後に、炊き立てのジャポニカ米を口にしたような気分だ。

「そうだな。好きなんだよ、サービスエリアで特産品を漁るの」

「わかるわかる! ただ、ちょっと高いし、時間もえんだよなぁ」

「――仕方ないな。これも何かの縁だ、ソフトクリームくらいなら奢ってやろう」

「マジかよ、おっちゃん! じゃあさ、オレは苺ミルクソフトでお願い!」

 キャラに似合わず可愛いチョイスだと思いながら、私は苺ミルクソフトを二つ買った。私のキャラにも合っていないが、たまにはいいだろう。

「はい、どうぞ」

「おっ、サンキュー!」

 手渡す時、彼は急に私の顔をまじまじと見つめ始めた。それで気が付いたが、この時初めて私と金髪青年は正面から顔を向け合ったのだ。

「おっちゃん、あの居酒屋店員だけじゃなくて、誰かに似てると思ってたけどよ……」

 彼はぺろりとクリームを舐めてから言った。

「この前テレビに出てきた、魔王って奴によく似てるよな」

 彼の目を見て、私もクリームを舐めてから答えた。

「そうだな。よく言われるよ」

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