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親愛なる勇者へ 親愛なる魔王へ  作者: 望月 幸
第三章【酒の席、勇者の堰】
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十三話【グラウンド・ゼロ】

「行ってきま~す」

 まだ寝静まっている家族を起こさないよう、乾颯太いぬいそうたはしずしずと玄関を出た。四月の終わりとはいえ、日の出すぐの空気は冷たい。震えながら、スポーツウェアから伸びるほっそりした手足をさすった。

 

 湊小学校では、ゴールデンウィーク直前にマラソン大会が開かれる。クラスの親睦を深めるためだとか、近隣住民に元気な子供の姿を見せるためだとか言われているが、当の本人たちは乗り気ではない。張り切っているのは、颯太のように脚に覚えのある野性児くらいだった。

 小学五年生になり、思春期の入口を迎えた颯太には好きな子ができた。一年生の頃から仲のいい女の子で、それまでは友達として接していた。しかし四年生の終わりごろには、彼女は“友達”であり、一人の“女性”として映り始めた。

 友達から更に発展した関係に進むというのはよくある話だが、彼にとっては初めての経験だ。初めての恋愛感情に対して颯太が出した答えは「マラソン大会で一位取って、カッコいいとこ見せるぞ!」というシンプルなものだった。

 善は急げと、翌日から颯太は早朝のランニングに繰り出した。颯太の一本気な性格を理解している両親は、普段は買わないスポーツドリンクをケースで買って来てくれた。

「さっすが俺を産んだ親父とお袋! 因果応報だな!」それを言うなら「以心伝心」じゃないかと呆れられながら、颯太は飛び跳ねて喜んだ。

 

 念入りにストレッチを終え、颯太は左右を確認して門を飛び出した。ヒュウと歓迎するように冷風が颯太を迎え入れた。大きなくしゃみをして、進路を左に走り始めた。

 お隣の畑では、田中のおじいさんが朝早くから農作業に勤しんでいた。

「田中のじっちゃん、おはよー!」

「おお、颯太! 今日も精が出るなぁ!」

 互いにブンブン手を振って、その場を後にする。おじいさんから元気をもらって、さらにペースを上げた。

 彼がランニングを始めて一か月。元々身軽な颯太はめきめき成長し、今では風のように道路を駆け抜けていく。近所のおじさんたちが颯太のことを「小鞠市の小鹿」と呼んでいることを、彼は知らない。

 どうせランニングするならと、この一か月の間に地元の小鞠市を探索した。畦道を駆け抜け、住宅地を縫い、空き家に潜り込んだりした。そうして頭の中のマップを広げていくことに密かな達成感を感じていた。

 今日の目的地は、無動山周辺だ。最近物騒だからと親から禁止されていたが、それが逆に颯太のハートに火をつけた。一体そこには、何があるのだろうかと。


 踏切を越え、大黒駅前に着いた時には体がほどよく温まっていた。額に浮いた汗を拭き、無動山に沿う道を眺めた。うっすらと霧が出ている。あの中を走ったら涼しそうだと、さらにテンションが上がった。

 霧の中でのランニングは、颯太の想像を超える心地よさだった。柔らかいシャワーを浴びながら走っているようで、火照った体が程よく冷やされる。

 一つ計算外だったのは、近くに牛舎でもあるのか、動物の糞尿の臭いが漂っていたことだ。霧は見えても、臭いは見えないのだからしょうがない。心地よさと生臭さの狭間で、颯太は走り続けた。

「……おわっ!?」

 道路のひび割れに躓いて転んでしまった。小鞠市の小鹿は体を丸め、ころりと転がって華麗に受け身をとった。颯太の頭の中で「10点」「10点」「10点」と、老齢の審査員たちが満点評価を出した。

「田舎だからなぁ。道路も荒れてんのかな?」

 ぶつくさ言いながら、自分が躓いた場所を見下ろした。そこにはひび割れではなく、拳大の穴が開いていた。

「なんでこんなところに?」そう思って視線を巡らせると、その穴がいくつも開いていることに気付いた。

 ただならぬ予感に襲われ、道路の脇に身を寄せた。地面に目を向けていたので見えなかったが、無動山の木々が乱暴に倒されていた。まるで竜巻や戦車が通ったようだ。

「なんなんだよ、これぇ?」

 十歳の颯太にも、ただならぬ事態が発生していることはわかった。

 それでも好奇心が勝った。颯太はおっかなびっくり、無動山に足を踏み入れた。


 中に入ると、その凄惨な光景がよりはっきりした。「まるで、巨大な怪物の腹の中だ」と颯太は思った。巨大な歯で噛み砕かれて、胃袋に流し込まれた山。その中に、自分は立っている。

 傾斜の急な山道を登っているうちに脚が重くなってきた。帰り道のことを考えると、そろそろ戻らないと体力も時間も足りなくなる。

「よし、あの木まで歩いたら帰ろう」視線の先には、枝をほぼ全て折られた大木が寂しく立っていた。そこを目印に歩みを進めた。下草を踏み、木の根を越え、蜘蛛の巣を避けながら前進した。

 たどり着いたその木の陰に誰かが倒れていた。体格からして、大人の男だろうか。しかし雑草に隠れてその姿はほとんど見えない。

 意を決し、その人影に近づいた。全く気づいていないのか、ピクリとも動かない。「あの、大丈夫ですか……?」おそるおそる声をかけてみても、それは変わらない。

 眠ってるならともかく、怪我でもしてたら大変だ! 颯太は急いで駆け寄り、大木の裏に回ってその姿を目の当たりにした。

 そこには、巨大な猿のような形の炭が転がっていた。風化したのか、元々なのか、猿の全身はベコベコに凹んでいた。よく見れば左腕が無い。顔は苦痛か恐怖か、苦悶の表情を浮かべて一際深いヒビが刻まれていた。

「なんじゃこりゃあ……!」

 ちょうど目についた枯れ枝で、その猿型の炭をつついた。体毛らしき部分をつつくと、あっという間に崩れて粉微塵になってしまった。今度は腹のあたりをつついてみると、ポロポロとあっけなく穴が開く。

 元はさぞ逞しい動物だったのだろうが、今はこんな細い枝よりも脆い。颯太は何だか空しくなって、やめた。

「あれっ? なんか落ちてる」

 放り投げた枯れ枝の先に何かが光っていた。摘み上げて見ると、それは勾玉のペンダントだった。服の裾でこすると、透明感のある青色が颯太の目を奪った。一つ残念なのは、大きくひび割れていたことだった。

「もらっちゃっても、いいよな?」

 キョロキョロと周囲を確認し、颯太はそれをポケットにしまい込んだ。

 いつの間にか霧が晴れてきた。「まっずい! 早く帰んないと怒られるぞ……!」足元に気を付けながら、落ち葉に覆われた斜面を駆け下りた。

 彼が去った後で炭になった猿はサラサラと粉末状に砕け散り、家に着いた時にはその場から消え失せていた。




 魔界の夜空は赤黒く、地表を照らす月はルビーのように鮮やかに煌めいている。

 翼の生えたムカデの魔物の群れが悠々と空を泳ぎ、月の光をいっぱいに浴びて朱に染まっていた。それを目ざとく見つけた紫紺のワイバーンが群れに飛びかかり、その内の一体を湾曲した爪で貫いた。月の光から一転、その哀れな一匹は自分の血で体を染めることになった。

 鏡治は、寝室に置かれた三面鏡の前に座っていた。寝巻に身を包んだ彼の目つきが険しいのは、夜中に叩き起こされただけではなかった。

「やはり、私はあまり信用されていないんですね」

 鏡治は乱暴に髪をかきむしった。うつむいたその顔は、自分が傷を負ったように苦痛に歪んでいた。

「君のそんな顔を見るのも久しぶりじゃな」

 鏡に映っていたのは鏡治自身ではなく、彼が先生と呼ぶ、古ぼけたローブを纏った老人だった。鏡治の動揺が彼にも伝わっているのか、真っ白な顎鬚を忙しなく撫でている。

「まさか、エテマーンが現世に降りていたとはな。今の叶銘君では、手も足も出なかったことじゃろう」

「ええ。おかげで、私の計画が狂わされました。最悪の場合、失敗ということもありえるでしょう……」

 しかし顔を上げた時には、鏡治の顔は幾分か平常心を取り戻していた。それどころか、若干の笑みを浮かべている。

 その変わり様を怪訝に思い、ローブの老人は堪らず尋ねた。

「何を考えておるんじゃ?」

 鏡治は立ち上がり、三面鏡を閉じながら答えた。


「十年ぶりに、現世に降りようと思います」


 パタンと、乾いた音が寝室に響いた。ランプの炎が音も無くふわりと揺れた。

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