十一話【正義の芽生え】
「――というのが、今回のゴブリン退治の経緯です」
四月二十二日月曜日。ゴブリンとの戦いを終えた翌日。僕は店長室で事のあらましを説明した。店長はパソコンで作業をしながら、時折首をこちらに傾けて生返事を繰り返した。報告しろと言っておきながら、僕の話に興味があるようには見えなかった。
予想に反して、被害者の金品を取り返せなかったことには、何も言及されなかった。失敗した僕が言うのもなんだが、それは無関心が過ぎるのではないか?
思い切ってその旨を訊ねてみたが「倒せたなら、それでいい」とのこと。この短いやり取りでわかったことは、マスターが求めているのは“魔物を倒した”という結果。そして“それ以上のことはどうでもいい”ということ。
あまりに利己的ではないか、と憤慨しそうになり、しかし納得もした。マスターも僕も、警察官や自衛官でもなければ、ましてヒーローなどでもない。一介の居酒屋の店長と大学生だ。その分をわきまえて行動しなければ、魔物などという得体のしれない相手とやりあっていくのは難しいだろう。
それでも――チクリと胸が痛む。制服の胸のあたりを握った。
那須さんや、三宮市の住民の困惑した顔が一つ二つと浮かんでいく。僕には力がある。その力を振るえば、今も魔物に苦しめられる人たちを、もっとたくさん助けられるのではないか?
「お前、ひょっとして、自分を正義の味方か何かと勘違いしてないか?」
そんな考えを見越してか、マスターは先手を打った。
「ちょっと強力な武器やアイテムがあるから、世界を救える? フンッ、馬鹿かお前は。お前のようなひよっこ一人が、そんな大それたことを考えるな。あっさり死ぬぞ」
「で、でも。僕たちは魔王――父さんを倒すって誓ったじゃないですか」
「ああ、そうだ。だが、世界を救うためじゃない。自分の生活のためだ。お客様がいなくなったら店の経営が成り立たないから、お前に魔物や魔王を倒させるんだ、俺は。
もちろん奴らを倒すことは、世界を救うことにつながるだろうさ。だがそれは、言ってしまえばオマケみたいなものだ」
パソコンから目を離し、マスターはすくい上げるように僕を睨みつける。言葉とは裏腹に、その目は僕を否定するのではなく、戒めるように静かに燃え上がっている。
「焦るんじゃねえよ、叶銘。物事には、順序ってもんがあるんだ。
いいか? お前はまず、この仕事に慣れろ。経験を積め。ご立派な考えは、そうやっていろんなモンを築き上げてから、ゆっくり考えろや。まあ、タイムリミットまで、あと一年もねえけどよ」
どこかで聞いたフレーズだと思ったら、チャップマンも似たようなことを言っていたか。物事には順序がある。その「順序」という階段を踏んでいけば成長できるのだろうが、あいにくその階段はどこまで続いているのかわからないのだ。十九歳の僕には、そのゴールが見えないことが、酷く不安に感じた。
ペチッと、マスターが何かで僕の額と叩いた。促されて手に取ったそれは、茶色い封筒だった。それを開けてみると、紙幣と硬貨が数枚入っていた。見慣れないお金は、通貨単位が「丹」の方のお金だろう。
「まだまだツケは残ってるが、金が無いと次の戦いの準備もできねえだろ? 半分ほど差っ引いてやったが、残りは有効に使え」
そこまで言われて、やっとこれがアルバイト代なのだと気付いた。もっと「お金を稼いだぞ!」という充実感が得られるものかと思っていたが、僕の心は淡泊だ。悶々と悩んでいるせいか、それとも仕事内容のせいか。
「あ、ありがとうございます」
「フン。礼を言ってる暇があったら、さっさと働いてこい! 正義の味方になりたいんだろ? だったら、きびきび働いて、ガンガン魔物を倒して、ワイワイ感謝してもらえ。ツケの残ってるやつが、正義だなんだと考えるなよ」
その言い方にムッとしたが、結局僕が今できるのはそれぐらいだ。既に開店時間。扉の向こうで、スタッフたちが慌ただしく歩き回る様子が伝わってくる。僕一人がサボっているわけにもいかない。
「……それでは、失礼します」
後ろ手に扉を閉めて、僕は歩き出した。何も言い返せず、僕はただ拳を握りしめた。
次の魔物の情報はスムーズに手に入った。
前回の失敗を活かし、今日はソフトドリンクや度数の低いチューハイ片手に客と相席を迫った。酒の魔力が余程偉大だったのか、今回はなかなか客を捕まえることはできなかった。
しかし幸運なことに、二十代後半と思われるOL風の客に声をかけられることに成功した。その人の視線が妙に色っぽく熱を帯びていたが、気づかないふりをして隣に座った。
その人、茜さんは時折焦れったそうに身をよじらせていたが、お酒(僕はオレンジジュース)が進むにつれて意識を会話の方に向けてくれた。ただ、茜さんの甘い声と息が僕の耳を絡め取って、集中するのに難儀はしたが。
「この前ねぇ、仕事仲間と一緒に肝試しに行ったのぉ。でもねぇ、あたしって怖がりでしょ? だから直前で腰が抜けちゃってぇ、一人で車の中でお留守番してたのぉ」
「腰が抜けて」を言う時、体をくねらせて細い指で腰をなぞる。腰の曲線がより一層くっきりと表れる。脚を組み直して、その豊満な太ももを僕の視界に入れようとする。
「その時よぉ! 車の前をね、変なワンちゃんが横切ったのぉ! 今まで見たどのワンちゃんよりも大きかったしぃ、それになにより、首が二つあったのよぉ!
でも、微妙よねぇ。三つだったら『お前ケルベロスやないかい!』ってツッコミを入れられるのに、二つじゃねぇ。あっ、『一個足らへんやないかい!』ってツッコめば良かったのかしら」
「…………」その魔物も、別にツッコミ待ちをしているわけではないと思うが。
しかしその魔物なら、僕も心当たりがある。以前インターネットで魔物の情報を検索した際、その動画を見つけていた。動画投稿者によると、彼、もしくは彼女の近辺では、家畜を食い荒らす獣が突如出現し、その正体が双頭の犬型の魔物だと噂されていたそうだ。
茜さんから詳細な発見場所を聞き出すと、動画に提示されていた場所からだいぶ離れていることに気付いた。複数いるのならともかく、移動しているとしたら、早めに対処しなければ逃げられてしまうかもしれない。僕は感謝し、そのお礼として茜さんの伝票を持って席を立とうとし、手首をつかまれた。
「ねぇン。あたしのこんな変な話、真面目に聞いてくれたのはあなたが初めてよぉ。どうかしら。もっと色んなコトを教えてあげるから、この後付き合わないかしらぁ? お仕事終わるまで、待っててあげてもいいわ――」
「も、申し訳ありません。早く帰らないと、家族が心配するので……」
茜さんの恨めしそうな視線を後頭部に受けながら、僕はそそくさとその場を離れた。僕の姿を見失うと、茜さんは鞄の中から手鏡を取り出し、夜になって伸びてきた髭をしきりに気にしていた。




