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ラ・セヴィラは二階にカフェスペースを併設した洋菓子店だ。店内の落ち着いた雰囲気と旬の果物を贅沢に使ったケーキで二十代から三十代の働く女性に人気のあるお店だ。味にも定評のあるこの店は評判を聞きつけて遠方からくる客も多い。
平日とはいえ金曜日の夕方は女性客でにぎわっている。そんな中窓際のテーブル席に男子高校生三人が座っている様は些か浮いていた。
「どちらかをとるって言ったらやっぱこっちだよなー。俺、ショートケーキとフルーツタルト! カフェオレとセットで」
「え、征ちゃん2つも食べるの? じゃー俺はオペラとガトーショコラ。飲み物はミルクティーで」
周囲の女性たちの視線を気にすることなく征一郎と斉藤は目の前にいる女性店員に次々と注文を投げかけた。対応している店員は新人なのだろう。伝票への記入が間に合わず慌てている。
「……ショートケーキとブレンドコーヒーをお願いします」
少しだけ間を開けて女性の手が止まったところで綜馬は注文を追加する。店員の女性は伝票に書き終えると注文を復唱して確認したあと下がっていった。
「そういえば綜馬って甘いもの苦手じゃなかったっけ?」
「え、そうなの!?」
店員を見送った後、ふと思い出したように征一郎が口を開いた。その言葉に斉藤は驚いたように綜馬を見る。
「昔は苦手だったが今はどちらかというと好きだな」
「あー、よかった。無理して来てくれてるのかと思っちゃったよ」
斉藤はほっとしたように息を吐き出した。綜馬を誘うのは今回が初めてだったのだが、いつも征一郎に飴やチョコを与えていたため、てっきり甘いものが好きなのだと思い込んでいた。
結果としてその思い込みは正しかったようだが、懸念事項があるならもっと早く言ってほしかった。
「てゆーか、甘いもの苦手な子供って存在するんだね。……ねぇ、綜馬ってどんな子供だったの??」
感心したようにしみじみとつぶやいた斉藤は身を乗り出すようにして目の前に座っている綜馬に問いかけた。
「どんなって……普通の子供だったぞ」
「そーそー、泣き虫で偏食家だったけど、今に比べればすっごく普通な子だったな」
「今でも十分普通だろ」
「どこがだよ。おせっかいだし心配性だしやたらしつこいし、何より普通の健全な高校生はそんなに捻くれない!」
ここぞとばかりに言いたい放題な征一郎に綜馬の片眉が少しだけ上がった。
「酷い言われようだねー。まぁ捻くれてるかどうかは置いといて、綜馬が"普通"かと言われると微妙だよねー」
征一郎と綜馬のやりとりを楽しげに眺めていた斉藤が笑いをこらえながら会話に入る。
「一人でいるときはどこぞの財閥の御曹司って言われても納得できちゃうくらいなのに、征ちゃんといると御曹司っていうよりも従者って感じだよね。ねぇ、二人って本当にただの幼馴染なの?」
斉藤はずっと聞きたかったんだと付け加えて手元にある水を一口飲む。
「俺と征一郎は従兄弟だ。昔から面倒見てたからそう見えるだけじゃないか」
「えっ、血つながってんの!? 全然似てないじゃん」
「言ってなかったっけ? 今一緒に住んでんぞ」
征一郎はケーキが待ちきれないのか氷をガリガリと食べ始めた。
「あー、なるほど。だから毎朝一緒に登校してんのかー。もっと、こう、どっかの国の王子様とその家来とかだったら面白かったのにー」
残念そうに口をとがらせる斉藤に征一郎は呆れたように顔をしかめる。
征一郎が斉藤に文句を言おうとしたそのとき、先ほどの店員が注文したケーキとドリンクを運んできた。一度ではトレーに乗らなかったため、更に一往復したところで頼んだもの全てがテーブルの上に揃う。
お皿に盛りつけられたケーキはどれも定番のものだが、どれもが芸術品のように美しかった。待ってましたとばかりに征一郎と斉藤がケーキを口に運ぶ。
「あー、幸せ! マジで来れてよかったぁ」
征一郎は幸せを噛みしめるようにしみじみと呟く。その表情は先程から緩みっぱなしだ。
「てかさー、綜馬も甘いもの好きなら来週また付き合ってよ。フルールの新作ケーキ食べ行かない?」
斉藤はスマホを取り出してブラウザを立ち上げると二人に画面を見せた。そこには五月限定のロールケーキとしてオレンジとグレープフルーツのロールケーキが表示されていた。オレンジとグレープフルーツがこれでもかと入れられたそれは初夏にぴったりな爽やかさが感じられる。
「めっちゃ美味そう!」
「ああ、来週なら大丈夫だと思う。五月ということは……木曜日か金曜日か?」
「うん、木曜日に行くつもり。やっぱり初日に食べに行かないと。じゃあ決まりねー」
斉藤はスマホの予定表アプリを起動して五月一日に"フルール!"と書き込んだ。そして上機嫌で手元のケーキを食べる。ケーキはすでに残り一つとなっていた。
「ねーねー、征ちゃんと綜馬って兄弟いるの?」
斉藤は休むことなく次の話題を持ちだした。
「うちは妹が一人」
「俺はいないな」
二人の返答を聞くと斉藤は不満げに口を尖らせた。その仕草は何度繰り返したところで可愛さのかけらもない。
「いいなー。うち姉ちゃんがいるんだけどさー、それが手が付けられないくらい凶暴でねー」
「達也ってお姉ちゃんいるんだ?」
「うん、三つ上にすっげー強烈なのがいるよ。もうひどくってさー」
斉藤が愚痴を始めようとした時だった。隣の席――斉藤の後ろ、つまり征一郎と綜馬の前方――から女性が声をかけてきた。
「誰が酷いって?」
征一郎も綜馬もしらない女性だ。その女性は上半身をひねってこちら側に顔を向けている。明るい茶の髪色をしたボブカットの女性は笑顔を作ってはいるが、目が笑っていない。
振り向いた斉藤が女性の顔を見て顔面蒼白になる。
「ね、姉ちゃん……」
「え、マジで!?」
唖然としている征一郎と綜馬をよそに斉藤の姉は立ち上がって斉藤の前に仁王立ちした。
「誰が凶暴だって?」
笑顔のまま小首を傾げ斉藤に問いかけるその姿はまるで大魔王のようだ。斉藤はなんとか弁解しようとするも何も言葉にならずにただ口をパクパクとさせている。
「ご、ごめんなさい」
「聞こえない。……あんた、私のことそういうふうに思ってるんだ? ふーん。よーくわかった」
ようやく押し出した謝罪の言葉をバッサリと切り捨てる。
女性にしては長身でスタイルもいい。にこやかに笑っていればかなりの美人であることは間違いないのだが、いかんせん醸し出している空気が不穏過ぎた。人間というよりも悪魔、いや死神という表現のほうが合っていた。
その死神の鎌を喉元に突きつけられた斉藤は真っ青な顔で恐怖に顔を引きつらせている。
「あなたたちこれのお友達? 悪いけどちょっと持って帰るわね」
死神の笑みを向けられた征一郎はただただ頷くことしかできなかった。
征一郎の了承を得た死神はテーブルに千円札を二枚置いた後、斉藤の首根っこを掴んで引きずるようにして去っていく。
残された征一郎と綜馬はただ呆然とその後ろ姿を見送った。
「あいつも大変なんだな」
「……そうだな」
ぬるくなったコーヒーを一口飲んで綜馬はため息をついた。腕時計を見る。時刻は五時四十分。このまま帰宅するには少し早い。隣にいる征一郎に目を向けると同じことを考えていたのか征一郎も少し困ったような顔をしていた。
「どうする?」
「このまま帰るのもなんか嫌だ。ギリギリまでケーキ食べながら粘る」
そう言った征一郎の目の前の皿の上には何も残っていない。追加注文しようとメニュー表に手を伸ばしたときだった。小さくバイブの音が響いた。
お互いのスマートフォンではないことを確かめて先ほどまで斉藤が座っていた座席を確認する。そこには黄色のスマートフォンがあった。
「あ、達也のやつ、スマホ忘れてやがる」
「今ならまだ間に合うだろうから追いかけて渡してやるか。斉藤の家の場所、知ってるか?」
「だいたいの場所なら。本町の総合病院の近くって言ってた」
二人は会計を済ませると店の外に出た。日没までには充分時間はある。目印である本町の総合病院に向かって歩き始めた。