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暁の境界線  作者: 河合空
1章
2/9


*******************




「陰と陽はかならず釣り合ってなくてはならない」


 男はまるで生徒に授業を行う教師のように、高らかと声を張り上げた。


「なぜならば、世界は陰と陽のふたつで作られているからだ」


 薄暗い会議室に男の声が響き渡る。五十人は収容できる会議室の中に、生徒役となる人物は一人しかいなかった。

 生徒役である人物――十代半ばの少女――はその長い髪を指に巻きつけて手遊びしながら男の話を聞いている。


 そんな少女の様子を気にすることなく男は話を続けた。


「このふたつが互いに互いを抑えあい助け合うことで世界は均衡を保っている。すべてのものに陰と陽の属性があるが、それらは常に移ろい、どちらかの状態で居続けることはない。

そしてあるものが陰になればまったく別の場所でまったく別のものが陽になる。世界にはそのような自らが二つの均衡を是正する機能が備わっており、そのおかげでいつまでも平穏な世界で居続けられるのだ」


 少女は質問があるのか、静かに手を挙げた。男は質問を許可するように小さく頷いた。


「もし陰と陽のバランスが崩れたらどうなりますか?」

「世界は均衡をなくし、秩序のない混沌の世が訪れる」


 男は即答した。


「ではどうやったらそのバランスを崩すことができるのですか?」


 続けざまに出された質問に、男は楽しげに笑った。


「陰と陽のバランスが世界によって勝手に是正されるのは先ほど話した通りだ。しかし一つだけ変わらずに陰で居続けるものがある」

「それはなんですか?」


 少女は首をかしげた。


「それはな……」


 男はゆっくりと口の端をもちあげた。






*******************







 朝だ。気持ちのいいくらいの晴天だ。カーテンの隙間から差し込む春の日差しが早く起きろと訴えている。


 寝不足気味でいつもの十倍ほど重くなった瞼をなんとか持ち上げ、征一郎はベッドからゆっくりと身体を起こした。昨日、夕食までに終わらなかった宿題は結局深夜まで続いた。そこまで時間をかけるような宿題ではなかったのだが、自力で全問正解するまで綜馬の許しがでなかったのだ。


 普段使わない脳の回路をフル活用して宿題に取り組まされたがために微かに頭が痛む。人並みに、とまでは言わないが、せめてもう少しだけ数学に馴染める頭だったらどんなに良かっただろうか。


 起きても凝り固まったままの肩の筋肉をほぐすように腕を回すと、のろのろと立ち上がって顔を洗うために階下にある洗面所に向かった。


「相変わらず朝に弱いのぉ」


 階段を降りる途中で葛葉に出くわした。どうやら階段の手すりにぶら下がって遊んでいるらしい。


「今日は寝不足なんだ。仕方ないだろ」


 あくびを噛み殺しながら応える。それを見て葛葉は情けない、と鼻で笑った。

 散々馬鹿にしながらも、顔を見ると必ず話しかけてくるのだ。放っておいてくれればいいのに、といつも思いながらも、本当に無視されてしまったらまたひとつ居場所を失ってしまう気がして何も言えずにいる。


「ぼーっとしてないでさっさと顔を洗ってくるのじゃ。朝ごはんが食べられなくなるぞ」


 尻尾を揺らす葛葉に追い立てられるように、階段を降りてすぐ右にある洗面所に入る。蛇口をひねって出てきた水で顔を洗うと眠気が幾分かおさまったような気がした。


 一度部屋に戻り急いで制服に着替える。時刻は七時半。朝ごはんを食べる時間を考慮してもまだまだ余裕はある。

 鞄を持ってダイニングに行くと征一郎の両親と妹、綜馬の四人が食卓についていた。


「あれ、じいさんは?」

「総一郎様はお勤めのために朝早く出られましたよ」


 征一郎の問いに答えたのは母親である一恵だった。


「ほら、はやく座ってよ。学校に遅れちゃう」


 綜馬の横に座っている妹の詩織が少しだけ怒ったように口をとがらせた。ごめんごめん、と軽く謝りながら征一郎は自分の席に着いた。

 今日の朝ごはんは白いごはんにお味噌汁、焼鮭にほうれんそうのお浸し。日本の朝食の定番のようなメニューだ。


 全員が揃ったところで手を合わせ、口々にいただきますと発した。

 炊き立てのごはんが、温かいお味噌汁が、寝不足の体に元気を与えてくれるようだ。いつにも増して朝食が美味しく感じられる。少しだけ元気になれたような気がした。


「昨日の話は覚えているかい?」


 穏やかな口調で切り出したのは征一郎の父親である祐次だった。


「このあたりで発生している学生の集団自殺のことですよね」


 昨日の夕食時に珍しく総一郎から仕事の話があったのだ。宿題で頭がいっぱいになっていたとはいえ、征一郎もその話はしっかり聞いていた。


 先月の頭から県内の高校生が集団で自殺する事件がこれまでに三件起きていた。報道規制がされていているため大々的に報道はされていないが、学生の間では様々な噂話が飛び交っている。


 総一郎の話では鬼が絡んでいる事件とのことだが、いまだに手がかりが掴めず調査が難航しているそうだ。


「もし何かあったらすぐに私に連絡すること。そして絶対に首を突っ込まないように。詩織も、今は高校生だけだがいつ中学生に矛先が向くかわからない。三人ともしばらくは寄り道せずにまっすぐ家に帰ってきなさい」


 祐次の言葉に征一郎は顔をしかめた。今日は放課後に友達と遊ぶ約束があるのだ。


「征一郎、わかったか?」

「う……わかったよ」


 征一郎は決まりが悪そうに頷くと残りの朝食を一気に平らげて席を立った。


「行ってきます」


 鞄をもって慌ただしくダイニングを出て行った征一郎に祐次はため息をついた。どうやら素直に言うことを聞いてくれなさそうだ。


「綜馬君、申し訳ないが征一郎が馬鹿なことをしないか気を付けてやってくれないか?」

「……できるだけ善処します」


 綜馬は苦笑しながらそう応えるとごちそうさま、と手を合わせたあと征一郎の後を追った。

 すぐに征一郎に追いついた綜馬は横目で征一郎の表情を窺う。眉根を寄せ、真剣に考え事をしているようだ。

 何を考えているのかわかりきっているが、邪魔をすることもないだろう。そう結論付けて綜馬は征一郎の考え事が終わるまで話しかけないことにした。




 そうして無言で歩くこと二十分。

 ようやく学校についた。話しかけるタイミングを失ってしまった征一郎が無言でいることに耐え切れなくなっていたところだった。歩を緩めることなく校門をくぐったそのとき。


「おーはーよー!」

「どわっ!」


 挨拶とともに征一郎の背中にタックルをくらわせたのは征一郎と同じクラスの斉藤達也だ。金髪にピアス、着崩した制服といかにも不良ですと言わんばかりの出で立ちに入学早々教師陣から目をつけられた逸材である。


「なーなー、昨日公開されたフルールの新作見た? ちょーやばくね? 早く食いてぇんだけど!」


 そんな不良もどきは、実は甘いものと女が好きなただのバカだ。近場のカフェや洋菓子店の新作を欠かさずチェックし、征一郎に逐一報告してはケーキ店巡りを強要してくる。

 斉藤は背中をどついた勢いのまま腕を前にまわし、逃げられないようにしっかりと征一郎を羽交い絞めにした。


「毎日どつかないと気が済まないのかお前は! てか抱き着くな! 気持ち悪い!!」

「やだなー、俺と征ちゃんの仲じゃん。それくらいで怒んなよー」

「怒るわ!!」


 怒鳴り散らして暴れる征一郎をよそに斉藤は綜馬のほうに目を向ける。


「綜馬もおはよー。征ちゃんの数学の宿題、大丈夫そう?」

「ああ、ちゃんとやらせたから問題ない」

「さすがだねー」


 そのやり取りに征一郎は眉間に深くしわを寄せ、自分の後ろにいる人物を睨みつけようと思いっきり首をひねった。


「って綜馬に宿題のこと教えたの達也なのかよ。昨日そのせいで大変だったんだぞ」


 綜馬とはクラスも違えば数学担当の教師も違う。冷静に考えれば征一郎の宿題の内容や提出期限を知っているわけがないのだ。どう頑張っても視界に入らない斉藤を睨む代わりに右足のかかとを斉藤のつま先めがけて思いっきり踏み落とす。


 それがよほど痛かったのか、短い悲鳴をあげたあと斉藤は征一郎の拘束を解いて涙目になりながら右足をあげてぴょんぴょんと飛び跳ねている。


「それは征ちゃんが数学できないのが悪いんじゃん。綜馬や俺のせいじゃなくね?」

「いや、お前が悪い! 今度そのフルールの新作ケーキおごれよ」

「えー」


 勝ち誇ったように言い放った征一郎に斉藤は不服そうな声をあげた。


「盛り上がってるところ悪いが、そろそろ教室に行かないと遅刻するぞ」

「やべっ」


 時計の長針は五の数字を過ぎたところだった。征一郎と斉藤のクラスはE組で二階の一番奥。走るほどではないがこれ以上悠長に立ち話をしている余裕もない。三人は教室に向かって歩き始めた。






 もうすぐチャイムが鳴るというのに教室ではほとんどの生徒は自分の席から離れ、友達との雑談に花を咲かせていた。間に合ったと安堵しながら教室に入る。と、それを待ち構えてたかのようにクラスの女子が話しかけてきた。


「おはよー。ぎりぎりだねー」

「いやー、征ちゃんとつい話し込んじゃってさぁ」

「どうせ達也が榊くんにちょっかいかけてたんでしょ」

「達也は榊くんにべったりだもんねぇ」


 一応征一郎も囲んではいるものの、会話の矛先は常に斉藤だ。甘いものが好きだったり人懐っこい性格だったりと不良っぽい見た目とかわいらしい中身のギャップが女子にウケているらしい。


 そのために斉藤といると必ずといっていいほど女子に取り囲まれるのだが、そういう経験が今までほとんどなかった征一郎にとってそれはあまり居心地のよくない空間だった。


「征ちゃんとは大親友で長い付き合いだもん。そりゃべったりにもなるよー」

「いや、ついこないだ初めて会ったばっかだし」


 へらへら笑いながら適当なことを言う斉藤に征一郎は思わず突っ込んだ。

 斉藤とは入学式のときに初めて会ったのだ。会ったその日に意気投合し気づけばいつも一緒にいるが、その期間はわずか半月ほどだ。何も知らない人に真偽のわかりにくい嘘を広めるのはやめていただきたい。


「もー、征ちゃんったらつれないなぁ」


 斉藤は拗ねていることをアピールするように口をとがらせた。その仕草は女子がやるから可愛いのであって、金髪ピアスの不良風男子がやってもまったく可愛くない。むしろきもい。


「きもい」

「ひどいっ」


 征一郎は素直に思ったことを口にして思いっきり顔をしかめた。きもいと言われた斉藤はショックだと言わんばかりに両手で顔を覆い泣き真似をする。それを見た周囲の女子たちがどっと笑ったところでちょうど授業開始のチャイムが鳴った。


 思い思いに雑談していた生徒たちがそれぞれの席についていく。征一郎と斉藤もそれにならって自分の席についた。


 チャイムが鳴り終わって、教室に入ってきたのは数学Aの浅田だ。真面目そうな黒縁眼鏡もきっちりと整えられた七三分けも清潔感のあるジャケットもすべてが征一郎を憂鬱にさせる。

 出席番号の都合上、目の前に座っている斉藤の派手さで見えなくなってしまえばいいのに、なんてことを考えんがら征一郎は誰にもばれないようにこっそりとため息をついた。


「起立、礼」


 日直の号令で長い長い授業が始まった。






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