ただいま
携帯電話を祖父からもらった。
要らんことをする、と思っていたが。
『バカたれ……お姫様がうちの部下を何人病院送りにしたと思う……ワシも、そろそろ限界かもしれん』
というわけだった。
「……貸し一つ」
『お、お前の方であの子を引き取ればよいだろうにっ。こっちが貸しにしたいくらいじゃ』
「それを許したのはあんただ。……二年まで帰らなかったらあんたの言うとおり後を継ぐ用意もしている」
『ぐ、ぐぬぬ……』
「リナの事よろしくお願いしますね、おじいちゃんっ」
『―――お兄ちゃん!?お兄ちゃんなんだよねっ、お兄ちゃん!』
受話器の向こうからパタパタと軽快な足音が聞こえてくる。
僕は頬を緩ませ、聞こえてくる彼女の甲高い声、足音、そして少し荒い息遣いを耳を澄まして目を閉じた。
それだけで目の前に彼女が目の前にいるようだった。
僕は、熱っぽくため息をこぼす―――
「リナ……」
『お兄ちゃん……私もね、携帯電話おじいちゃんからもらったのっ』
「じゃあ番号交換しよう」
『うんっ。これからメール毎日送るねっ』
―――言葉通りメールが毎日届いた。
それだけじゃなかった。
電話も毎日した。メールは妹から一日十回来て、僕は彼女にメールを二十回送って、妹は三十回の返信を届けてくれた。
写真も送ってくれた。
中学校の写真、クラスメイトの写真、屋敷の写真。自分の写真。
始めてみるセーラー服や体操服の写真、始めて家庭科の授業で作った料理。美術で作ったって言う綺麗な絵。
色々見せてくれた。
僕はと言うと、ラウンジバーの制服を撮ったり、警備員しているところを少し撮ったり、夜の街を撮ったり、夕焼けの浜辺を撮ったり、色々な所を撮った。
そのたびに妹は喜んでくれた。
嬉しかった―――
「お兄ちゃん、おっはようっ!」
「んにゅ……」
毎週末、リナは僕の家に来てくれた。
何か祖父から御伝言があって来てくれているというのだけれど、実際は街を回ったり二輪車で遠出をしてみたり、それで夜はお風呂を一緒に入ったり、宿題手伝ったりで僕の部屋で過ごしたりしていた。
そして毎週必ず二人で出掛けるのが、あの『家』だった。
僕ら二人が過ごした家。
まだ取り壊されていなくて、かといって誰かが住んでいるわけでもなく、もぬけの殻となった家屋が静かに街の片隅に立っている。
道路から二階の窓はカーテンがなくて、妹の部屋が見えて、妹は少し恥ずかしそうに身体をよじった。
「ううっ……丸見えってすごい恥ずかしい」
「帰ったら、カーテンまたつけなおせばいいよ」
「……可愛いの欲しいなっ」
「うんっ、あの家に帰ろう」
僕らは毎週家の前で誓った。
もう一度、一緒に暮らそうって。
もうあの日常が戻ってくることはないかもしれない。
僕も家を買ったとして、おそらくローンの払いの為に働き続けることになるだろうし、祖父の跡を継いで事業を行わなければならないのだろう。
そして妹ももう中学生。友達との付き合いもあるだろうし、そう長い時間一緒にいられないかもしれない。
だけど、それでも僕ら二人をこの『家』は繋ぎとめてくれるだろう。
帰ってくる場所として、僕らが一緒にいられる場所として、ここにずっとあるだろう。
ううんそうじゃない。
僕らが守るんだ。今度は誰かに侵されないように、僕らの手でこの『家』を守っていくんだ。
二人で―――
「リナ……」
「ん?」
「僕リナのことが大好きっ」
「……私もっ」
僕は彼女の手を握り締めた。
彼女は僕の手を強く握り返してきて、僕も妹の小さな手を強く握り締めた。
妹の手はとても熱かった。
引っ越しのトラックが二台、目の前を横切りゆっくりと速度を下げて横づけをする。
トランクが交互に開き、程なくして出てくるのは引っ越し業者の人たちに支えられて引きずられる大きな家具。
厚手のクッションを敷き詰めたシートがアスファルトから玄関を通じて中まで敷かれていき、周りにぶつけないように家具が一つ一つ玄関をくぐりぬけていく。
ゆっくりと空だった空間が埋まっていく―――
キキッ
小気味いいブレーキ音。
リナと共に振り返れば、そこには大きな黒塗りのベンツが道路の反対側に停車していて、開いた扉から背中を丸めて大柄な男が顔を出しては、僕らを見下ろした。
「なんじゃあ。お前ら勝手に話を進めおって」
「おじいちゃんっ」
「――-おじいさん……」
僕らの祖父、冬村豪天―――僕らの祖父でフユムラグループを支える頭目とも言える男だった。バーの店長に聞けば、各企業の社長も彼に伺いを立てねばあらゆる話が進まぬとの事らしい。
今更ながらそんな会社系列があるのだと、働きながら知って、僕は小さく首をすくめるままに歩み寄る老人に小さく頭を下げた。
「どうも、お久しぶりです」
「ほぉ、野猿が礼儀を知ったか」
「そりゃ、一応下っ端でも働いてきましたから、色々周りの人たちに教えてもらいましたし」
「良い。知らねば他者の痛みはわからぬ。わからねば人は動かせぬ」
僕の言葉に、まるで仕込杖ではないのかと思わせんばかりの大きな木の杖をつき、老人はニィと綺麗な白い歯を覗かせ、嬉しそうに笑う。
そんな不敵な態度に、僕は小さく肩をすぼめるままに、顔をそむけると引っ越し業者が出入りするトラックを見上げた。
そしてその向こうに佇む小さな『家』を見上げる―――
「……僕らの家です」
「すごいでしょっ、おじいちゃんっ」
そう言って目を輝かせるリナに、老人、豪天は顔のしわを浮かべ満面の笑みをこぼすと、リナの頭を僅かに撫で満足げに頷いた。
「うんうん、本当に二年で帰ってくるとはワシも思わんかったぞ」
「えへんっ、お兄ちゃんは凄いんだからっ」
「おーおー、お兄ちゃんっこだのぉ」
「私の旦那様だもんっ」
そう言って頬を赤らめ照れくさそうに微笑みながら僕の腰にしがみつくリナに、僕は少し顔を赤くしつつ、妹の頭をそっと撫でた。
そして隣に立つ老人を横目に見上げては、満足げな彼の横顔に、少し眉をひそめた。
「……嬉しそうですね」
「そりゃそうじゃ。ワシはお前らみたいな根性無しは一年と経たず戻ってくると思っておったんじゃよ。まさかここまで成長するとはな」
「リナがいましたから」
「傍にはおらんかったぞ?」
「いましたよ、ずっと」
「ぬかしおる……」
「――-僕の勝ちですね」
「ああ、お前の好きにすればいい」
「……なら、もう少しだけ時間をくれませんか?」
その物言いに、老人は目を細めては、いぶかしげに僕の方を見下ろす。
「どういうことかの?」
「……大したことじゃありません。いままで結構な割合で、おじいさんの『影』を見てきました」
「……」
「こんな僕を、陰ながら助けてくれた事、とても感謝しています」
「――-ふんっ。坊主がぬかす」
小さなため息とともに老人が肩をすくめる。
そんな様子が、僕には祖父が照れくさそうにしているように見えて、思わず肩を震わせ笑みがこぼれた。
「ふふっ……だから、おじいさんのやりたいこと、僕も少し首を突っ込んでみようと思います」
「別にわしはお前にそうしてほしくて手を貸したわけではない」
「義理と人情―――僕がそうしたいって言っているんです」
「……」
「ただ、それももう少しだけ待ってください。リナはまだ中学生、僕もまだもう少しで二十歳になる程度の年齢です」
「しっとるよ……」
「人生経験も浅く、あなたの思惑にそぐわない形になるかもしれない。もう少し経験をいろんな形で積みたいのです」
「ダラダラとぬかす―――要は子供が欲しいから二、三年はワシの下から離れたいと言うわけじゃな」
「いけませんか?」
「負けたのはワシの方じゃ、好きにすればええ」
そう言いながら、どこか嬉しそうに老人は笑っていて、僕は動じる様子のない老人に、怖々と肩をすくめた。
「……リナ。少し中を見てみようか」
「うんっ!行こうお兄ちゃん!」
「うんっ」
そう頷いて、僕はリナと一緒に新しく住む『家』の玄関をくぐろうとする。
「達也!リナ!」
と、低い声が聞こえてきて、振り返ればそこには家の外に祖父が立っていた。
少し申し訳なさそうに眉をひそめ、僕らを見上げる目はどこか潤んでいて、老人は照れくさそうに顔をゆがめるままに、惚ける僕らに告げた。
「うむ……すまんな!」
――何に対して謝ったのかは分からない。
だけど何を言いたいのかは、なんとなくわかった。
だから僕らは同じように小さく首を振ると、無言を言葉として祖父に返して僕らは家の玄関をくぐった。
妹が乱雑に靴を脱いで、僕はその靴を整えて土間の隅に置いて、床に足を下ろす。
いつもと変わらない行動。
いつもと変わらない日常。
いつもと変わらない―――
「お兄ちゃんっ、早くっ」
「うんっ」
僕は良妹に呼ばれるままに『家』の中に入った。
これから二人でここにここで暮らしていく。
一緒に同じものを食べて、同じテレビを見て、同じ空気を吸って、同じ景色を見て。
僕らは同じ道を歩いていく。
ゆっくりと一緒に、手を繋いで―――
「……ただいま」
僕はそう言って先を行く妹を追いかけ、廊下を強く踏みしめた。
ギシリッ
僕の言葉に応えるように、木の床が僅かにきしんだ。
この後ちょっとだけおまけがあります。みなくてもあまり関係ないですけど




