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駆け出せ! 有罪ちゃん!

「ギルティ! ギルティ! ギルティ! ギルティ―― 」


目覚まし時計が鳴り響く。


十月十日土曜日、大学受験を控えた僕は、朝露に濡れた窓を開け、部屋の空気を入れ替える。


毎朝同じ朝食を食べる。


毎朝同じ番組を見る。


毎朝同じ時間に、同じことをする。


ここ半年以上は、たったそれだけ。


受験は戦争だ。世の中はまったく平和なんかじゃない。


決められたカリキュラムを厳守し、決められた生活を徹底し、定められた運命を決定する。


この生活はそのための儀式にすぎない。


赤本は経典。過去の反芻が知性の証明。


輝かしい未来とは、恒星のことではない。


惑い続けた果てに辿った、正しい道のりの証左である。


シャープペンシルを握る痛みは、遥か昔に慣れている。


「ギルティ! ギルティ! ギルティ!」


目覚まし時計が…… この音は、目覚まし時計なんかじゃない。


「なんの音だ?」


「ギルティ! ギルティ! ギルティ! ギルティ――!」


「うわっ」


赤本のページを捲った途端、視界が真っ白になった。


真っ白なパネルが、僕の視界を埋めつくした。そこには黒い印字でなにやら書かれているようだけれど、近すぎて見えない。


「ギルティ! ギルティ! ギルティ! ギルティ――!」


その音は…… 声は、鳴り止まない。


「なんだ、これ――」


顔に当てられたパネルを引きはがすように身を引くと、"それ"は予想以上に軽かった。


"それ"は、一対の女の子だった。


一対、というのは、つまりは人間と表するにはあまりにも等身がデフォルメされていたからだ。


全体的にマゼンタ、補うようにシアンの二頭身。頭髪と呼ぶには妙に固形的な頭部からは、ツインテールの要領で渦巻くような紙のパーツが"浮いている"。ツインテールのパーツと頭部を繋ぐ接点には、描写しがたいブラックホールのような髪飾りがなお浮いていた。


「なんだ…… これ――」


観察したところで、感想は変わらない。僕にはそれが、キャラクターであること以外、たったひとつも理解できなかった。


「あなた、有罪です」


そいつは言った。その音で。その声で。


真っ白なプラカードを掲げて。


「有罪?」


プラカードにも、そう書かれていた。


「――! ――!」


「今度はなんだ!?」


その音は、一階のリビングから聞こえてきた。


少し考えて、声の理由を理解する。


妹の、泣きはらした声だ。


―― 今日は妹の誕生日だ。


「あなた、"詰み"ますよ?」


「ツミ?」


罪と詰みを掛けているのか? それがどうしたって言うんだ? まさか……。


「忠告、しているのか?」


このままでは罪であると。


このままでは詰んでしまうと。


気を取り直して、シャーペンを握る。


「ギルティ――」


今日だけの話じゃない。運動会の日だって、そうだったはずだ。


「ギルティ――」


発表会も、コンクールも。


「ギルティ――」


赤本を、いつもの場所に置きなおす。


「ギルティ――」


問題文に目を向けた時、僕はそいつと目が合った。


真っ黒な睫毛の奥の、Magentaの虹彩が渦巻いて、じっと僕を見つめている。


「G-u-i-l-t-y」


その声は、リスニング試験よりも簡単に理解できた。


「わかった、わかったよ――」


僕はシャーペンから手を離した。


「ギルティ――」


「だからって、出来る事は何もないぞ……」


そう言うとそいつは、納得したようにプラカードを背中に仕舞うと(どこに仕舞った?)、今度は発光した棒を二本取り出した。それは赤と黄色のサイリウムだ。まさかと思って眺めていると、右手に黄色いサイリウムを、左手に赤いサイリウムを握り、楽しそうに振り始める。


「応援するだけ…… かよ」


そうと決まっては仕方がない。俺は妹の誕生日を祝いに、リビングへと降りた。


妹は既に泣き止み、朝食を食べている所だった。


「おはよう」


「……」


無視。もう詰んでる。


ちらりと横をみると、そいつは僕の肩の傍で、サイリウムを振り浮いている。


ここで、「誕生日おめでとう」と言って部屋に戻っても、意味が無い事はなんとなくわかる。そんな事で許されるのなら、こいつはきっとここに居ない。


僕は玄関の靴箱から運動靴を取り出した。


「プレゼント…… だよな」


「ちょっと、どこ行くの?」


母が、リビングから覗く。


「シャー芯切れた」


そう言って、僕は外へと駆け出した。


「つっても、プレゼントなんて……」


歳の離れた妹に見繕えるほど、僕の感性は若くない。


豪華なケーキや、可愛い洋服などを買えるお金もない。


駅前の商店が、ことごとく脱落していく。


菓子屋、服屋、靴屋、花屋…… 本屋――。


「本屋の、ポイントカード!」


僕に許された数少ないお小遣いの使い道である本屋では、豪華特典付きのポイントカードが発行されている。


財布を取り出し、ポイントカードをチェックする。10×10の行列に、97個の本屋の印。


1000円につき1ポイントのルールは、僕の小遣いを優に超えていた。


「破れかぶれだ……」(本屋に入店する時に発するべき言葉ではない)


特典は貰えなくても、誕生日に相応しい本を選ぶことくらいは、どのジャンルよりも得意なはずだ…… ってポイント3倍コーナー!?


そんなおあつらえ向きな、って本当はずっと昔からあったのだろうけど、ポイントを気にして買い物なんてしていなかったので気が付かなかった。本なんて、本屋に入る前から買いたい本が決まっているものだろう?


そうして僕は、ポイント3倍コーナーを物色する。


漫画はNG、渡した途端に没収される。


ファッション雑誌、オカルト雑誌…… 酷い話し、ほとんど在庫処分だ。


諦め半分で棚を見渡していると、視線が一か所に吸い込まれた。見慣れた装丁、見慣れた顔。


「ろ、論理哲学論考……」


ないだろ、これは。


「ないものはないのです。あるものは罪なのです」


「なにそれらしいこと言ってんだ――」


俺は、その救世主を手に取った。


「―― カバーは付けますか?」


「大丈夫です。それと、ポイントが溜まったんですけど……」


「ポイント? あ、ちょっと店長――」


「え、君。ポイント、溜まったの?」


そうして本屋の店長は、僕をバックヤードへと導いた。


「なんでもあるぜ?」


著名作家のサイン付き初版、二次元キャラクターの等身大パネル、イベント限定グッズなど、マニアが見れば飛びつきたくなるような物で埋め尽くされた倉庫は、まるで楽園だ。


「ギルティ――」


決まっている。この程度はリップサービスだ。


「この栞、貰えますか?」


「ああこれ、有名な切り絵の…… 渋いとこ見てるね。持っていきな、なんなら一枚おまけしちゃうぜ」


「ありがとうございます」


そうして、僕は本屋を後にした。


「あ、ちょっと待って――」


本屋をでたところで、店長が駆け寄ってくる。


「実はさ、さっきの栞、四枚組でセットなんだよね。知り合いが作ってる奴なんだけど、多分、まとめて渡さないと怒られちゃうから。持ってっちゃって」


――。


思わぬ成果だった。


「ただいま――」


妹はリビングでテレビを見ていた。


「……」


「誕生日おめでとう」


僕はわざとらしく、手に持った袋で音を立てる。


「本屋さん?」


振り向いて首を傾げる妹に、僕は栞を取り出した。


「これ、なんの模様かわかる?」


「お花だ! 桜! これは……」


「金木犀」


「4つもある!」


「みんなでお揃いだよ、好きなのを選んで」


「桜が良いー!」


――。


「シャー芯は?」


「本っす……」


「それ、余ったやつお父さんに渡しておけばいい?」


「ああ、うん。よろしく」


事なきを終えた僕は、自室へと戻る。すると、妹が僕を呼び止めた。


「その本、お兄ちゃんもう持ってるよね?」


「ああ、でも、難しいよ?」


「読めるようになったら読むよ、読めるようになるために頑張るの!」


――。


「夜ごはんの後、ケーキ食べるからね?」


「うん」


自室は、いつも以上に静かだった。ドアを開けたせいで、開かれた窓から冷たい風が勢いよく流れ込む。


「どうだ、これで……」


僕はそいつに聞いた。


「有体に言って、有罪です」


「そうですか」


「―― ……」


瞬きをすると、そいつはそこから消えていた。


僕はそっと赤本を所定の位置へと正す。すると、ころりと小さな音がした。


そこには、あいつが持っていた赤色のサイリウムが落ちていた。


「おい、忘れ物――って」


呼びかけても、返事はない。


「有罪…… か」


僕は赤色に光る小さなサイリウムを、そっと筆箱へ仕舞う。

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