第5話:その依頼は、誰にも解けなかった
王都の通商路が止まって三日。 街の空気は、目に見えない「飢え」に支配され始めていた。
(……。いよいよ、マニュアルの限界か)
俺は市場の裏路地で、昨日の少年からもらったリンゴの芯を眺めていた。 そこへ、慌ただしい足音が響く。
「……あ、あの! レインさん!」
現れたのは、昨日荷車を直してやったあの少年だった 。 その後ろには、仕立ての良い服を着た、だが顔色を失った三人の商人が控えている。
「お願いします! この人たちを……街の物流を、助けてやってください!」
少年が俺の前で、地面に頭を擦り付けるようにして叫んだ 。 商人たちも、かつては俺を「基準値ゼロ」と笑っていたはずだが、今は縋るような目を向けている。
「……単刀直入に言う。通商路が、直らないんだ」 代表格の商人が、震える手で帳簿を差し出してきた 。
「ギルドは『異常なし』と言うばかりだ。だが現実に荷は届かず、倉庫は空になった。……レイン、君なら『正解』が分かるんだろう?」
俺は、一瞥して帳簿を閉じた。 「……直すのは道じゃない。『基準』だ」
「……基準?」
「ああ。あんたたちが信じているマニュアルの数字が、今の王都の重力とズレてるんだよ」
俺は唯一の条件を突きつけた。 「俺のやり方に、一切口を出さないこと。……俺にとっては、ただの『お掃除』だから」
その日から、街に奇妙な変化が起きた。
レインは、壊れた橋を直したわけではない。 山積みの荷物を運んだわけでもない。
ただ、「馬車の車輪の角度」を数ミリ指定し、「休憩のタイミング」を数分ずらしただけだ。
「……バカな。なぜ、荷車が止まらないんだ!?」
ギルドの職員たちが、道端で絶叫する。 彼らがマニュアル通りに整備し、完璧だと信じた荷車は次々と車軸が焼き付いて止まっていく。
だが、レインが「適当に油を差しただけ」のボロボロの荷車は、まるで魔法にかけられたように、滑らかに、かつ倍の速度で街道を駆け抜けていく。
「……計算通り。今の湿潤度なら、この摩擦係数が正解だ」
レインがパーカーのポケットに手を突っ込んだまま、静かに呟く。 彼にとっては「算数」の答え合わせに過ぎない。
三日後。 止まっていた王都の通商路は、何事もなかったかのように動き出した。
商人たちは、信じられないものを見る目でレインを仰ぎ見た。
「……君は、一体何をしたんだ?」
「帳簿の数字を、現実に合わせただけです」
その言葉に、誰も返事ができなかった。 彼らはまだ理解していない。 この男が、「王国の全システム」を上書きする、新しい管理者になりつつあることを。
一方で、ギルドの掲示板には、血眼になったギルドマスターの怒鳴り声が響いていた。 「犯人を探せ! レインだ! あの疫病神を今すぐ捕らえてこい!」
だが、もう遅い。 街の商人たちにとって、もはや「基準」はギルドではなく、レインという個人に移っていた。




